カンタス航空
カンタス航空(カンタスこうくう、テンプレート:Lang-en)は、オーストラリアおよび南半球最大手の航空会社である。
目次
概要
オーストラリアで最古の航空会社である。世界ではKLMオランダ航空、アビアンカ航空に次いで3番目に古く、また英語圏で最も古い航空会社である。オーストラリアのフラッグ・キャリアとして知られる。当初の社名は「Queensland and Northern Territory Aerial Services Ltd」 (QANTAS) であった[1]。 Wikipedia英語版によれば、Qantasの発音はテンプレート:IPA2である[2]。他の発音表記としては「KWON-tuhs [1]」がある。これらの発音を片仮名で表すと「クウォンタス」となる。オーストラリア人による発音は「参考文献」の項を参照。
オーストラリアは地理的に世界中から遠く離れているため飛行時間の長い長距離便が多く、カンタス航空では、経由地での交代や機内に専用休憩室があるものの、昔から伝統的に客室乗務員に体力のある男性を多く採用しているテンプレート:要出典。世界で初めてビジネスクラスを導入した他、長距離用機材関連でボーイング社との結びつきも強い。世界でもっとも長い距離を運航する航空会社である。
歴史
設立
カンタス航空は1920年11月16日にクイーンズランド州で設立された。当初はクイーンズランド州西部内で路線末端とつながっている、オーストラリア政府によって補助された航空郵便サービスを運航していた。1934年にカンタス航空とインペリアル航空は合弁企業を設立し、新会社であるカンタス・エンパイア・エアウェイズ(Qantas Empire Airways)となった。それぞれの出資社は独立仲裁者の2%の株を除く49%ずつの株を保有していた。
カンタス・エンパイア・エアウェイズは、イギリス製のデハビランドDH-86 を使用してブリスベン〜シンガポール間の運航を開始した。なおインペリアル航空はイギリスの植民地であったシンガポール以降、同じくイギリスの植民地であったインドなどを経由してロンドンまでの乗り継ぎ路線を運航していた。
1938年にこの路線はショート23 Empire水上飛行艇を使用しての水上飛行サービスに置き換えられた。シドニーからサウサンプトンへのサービスは、経由地で乗客がホテルに宿泊する必要があったために9日間かかった。
第二次世界大戦
オーストラリアやイギリスも参戦した第二次世界大戦中、カンタス・エンパイア・エアウェイズの機材の多くは1939年9月から1945年までの間にオーストラリア政府によって徴用され、それらの航空機の多くは戦闘のために飛行中に失っている。
カンタス・エンパイア・エアウェイズは1943年〜1944年には、当時戦争中であった日本軍の脅威を受けつつも、オーストラリア連邦西オーストラリア州パースとセイロン(現スリランカ)を結ぶ水上飛行艇による直航便を運航していた。飛行は、日本軍をはじめとする枢軸国軍による攻撃を避けるため無線なしで行われ、24時間以上かかった。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦後に、戦争による特需が終わったカンタス・エンパイア・エアウェイズは極度の財務的窮乏に陥り、ベン・チフリー首相によって率いたオーストラリア労働党政権によって接収された。ここは株式の100%を保有する政府と共に非上場の公営企業として存続した。1967年にこの会社の名称は「カンタス航空(Qantas Airways Limited)」に改名された。その後の保守政権はこの合意を継続した。
この様な状況にあったものの、大戦後ただちにカンタス航空は英国海外航空(ブリティッシュ・エアウェイズの前身)と共同でシドニー〜ロンドン間でアブロ・ランカストリアンで運航を始めた。
拡大
その後カンタス航空は1948年に、当時の最新鋭大型プロペラ旅客機であるロッキードL-049 コンステレーションの引き渡しを受け、長距離路線を中心に導入を進めた。カンタス航空のネットワークはカンタスがブリティッシュ・コモンウエルス・パシフィック・エアウェイズ(British Commonwealth Pacific Airlines/BCPA)の運航を引き受けた1954年に太平洋を越えて拡張された。
また1952年には、ダグラスDC-4によって週2便で羽田空港への乗り入れを開始し、その後同路線はより大型のダグラスDC-6やロッキードL-188に引き継がれ、さらにデイリー化された。
1960年代にカンタスは大型ジェット旅客機のボーイング707の導入を進める一方、オーストラリアからアジア及び中東経由、アメリカ並びにメキシコ経由でロンドンへの世界一周路線を運航するなど、拡張路線を推し進めた。
しかし、それらの路線の多くは、1970年代以降にボーイング747の導入によりさらに推し進められることとなったが、1970年代初頭に起きたオイルショックなどによる世界各国における航空需要の落ち込みを受けて廃止された。
現在
1993年にオーストラリアン航空を吸収合併して以来、すべてのオーストラリアの州都間、同じく多くの地域都市及び町の定期便を拡張され、また、オーストラリアから多くの国際路線も運航している。
2001年には、完全出資子会社であるオーストラリア航空を設立し、2004年には、完全出資子会社である格安国内線航空会社ジェットスター航空を設立した。また、カンタスはカンタスとジェットスターの2つにブランドを統合する。これに伴って、2006年4月、子会社のオーストラリア航空の事業の廃止を発表した。
2003年には隣国のニュージーランドのフラッグ・キャリアであるニュージーランド航空を傘下に収める事を発表していたが、公正取引委員会により「反競争的で国民の利益に反する」として不認可となった。また、2006年4月にはニュージーランド航空と「トランス・タスマンルート」と呼ばれるオーストラリア・ニュージーランド間のフライトに関しての包括提携を発表した。しかし先の公正取引委員会の決定がある故、実現には不透明な要素も残る。
2011年10月29日、カンタス航空の3つの労働組合が、賃上げ要求及びリストラクチャーへの反発からストライキを数ヶ月にわたって実施してきたことに対抗し、同日午前6時(UTC)より国内線及び国際線の全線の運航を停止した[3]が、その後豪政府が仲介に入り労働争議の停止を命令。この結果、10月31日に運航が再開されることとなった。[4]
2012年9月6日にブリティッシュ・エアウェイズとの提携を2013年に解消し新たにエミレーツ航空と提携を結んだ事を発表した。[5]
就航都市
日本路線は現在、成田国際空港 - シドニー国際空港間のみ。他路線はジェットスター航空に移管。
保有機材
カンタス航空の機材は以下の航空機で構成される
- エアバスA330-200型機 8機 (2機 発注中)
- エアバスA330-300型機 10機
- エアバスA380-800型機[6] 12機(8機発注中,4機オプション)
- ボーイング737-400型機 15機
- ボーイング737-800型機 48機 (19機 発注中)
- ボーイング747-400型機 20機 A380型機導入のため順次リタイアが始まっている。
- ボーイング747-400ER型機 6機[7]
- ボーイング767-300ER型機 24機
- ボーイング787型機 35機
カンタスリンクの機材は以下の航空機で構成される (2011年8月現在):
- ボーイング717-200型機 11機 (2機 発注中)
- DHC-8型機 45機
- DHC-8-200型機 5機、DHC-8-300型機 15機及びDHC-8-Q400型機 25機 (3機 発注中) で構成される
なお、1992年から1994年まで当時の日本航空がカンタスのボーイング747-300(VH-EBT/EBX/EBYの3機)を運航乗務員ごとリースして運航したことがあった(コードシェア便ではなく純然たる日本航空便。また客室乗務員は日本航空が乗務していた)。当該機体は日本航空のフルカラー塗装がされていたが、後部胴体に「Operated by QANTAS」の表記があり、また尾翼の鶴丸(日本航空の以前のロゴマーク)が小さいなどの差異があった。タイムテーブルには当該機体で運航する便について「機内でのサービスは日本航空の客室乗務員が行うが、カンタス航空の機材及び運航乗務員で運航する」旨が書かれていた。
特別塗装機
- "Nalanji Dreaming"
- ボーイング747-300(VH-EBU),(*)
- "Wunala Dreaming"
- "Yananyi Dreaming"
- ボーイング737-800(VH-VXB)(ヤナニは先住民の言葉で、意味は「旅行している」または「行っている」である。[10])
- "Formula 1"
- ボーイング747-400(VH-OJC),(**)
- "QANTAS SOCCEROOS"
- ボーイング747-400(VH-OJS)
- "one world"
- ボーイング747-400ER(VH-OEB),(***)
- ボーイング747-400(VH-OJU)
- エアバス330-200(VH-EBL)
- "COME PLAY"
- ボーイング747-400ER(VH-OEB)
(*);現在は機体そのものが同社から退役している。,(**);現在は通常塗装による運航である。,(***);現在は別の特別塗装による運航である。
なお、カンタス航空が発注したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は38で、航空機の形式名は747SP-38, 747-238, 767-338ER, 747-438, 747-438ER などとなる。
マイレージサービス
マイレージサービスとして「Frequent Flyer」を運営している。ワンワールド加盟航空会社以外に下記の航空会社と提携している。
- ジェットスター
- エアリンガス
- ニューギニア航空
- 南アフリカ航空
- 中国東方航空
- エル・アル・イスラエル航空
- ジェットエアウェイズ
- アラスカ航空
- アリタリア-イタリア航空
- エア・パシフィック航空
- エアロペリカン・エアサービス
- バヌアツ航空
- ブリンダベラ航空
- エミレーツ航空
機内サービス
長距離路線の多い同社は、機内サービスにも力を入れている。最新鋭機材のエアバスA380全てと一部のボーイング747-400(ER型含む)はファーストクラス、ビジネスクラス、プレミアムエコノミー、エコノミークラスの4クラスで、ボーイング747-400はビジネスクラス・プレミアムエコノミー・エコノミークラスの3クラスで[11]。エアバスA330とボーイング767-300ERは、ビジネスクラスとエコノミークラスの2クラスでそれぞれ構成されている。A380・B747-400(ER)のファーストクラスはスリーパーベットタイプ、A380・B747-400(ER含む)の一部にはビジネスクラスにフルフラットタイプのスカイベッドが装着されている。
またA380・B747-400・A330-300では、全ての座席にオンデマンド式の機内エンターテイメントシステムを搭載し、AVODプログラムを用いることで多くの番組視聴などが出来る。エコノミークラス以外の座席では、ノートパソコンに対応したAC電源コンセントも搭載されている。
機内食は各クラスごとに異なるが、ファーストクラス向けにはロックプールと協力のもとで、またビジネスクラスとプレミアムエコノミークラスは、ニール・ペリー氏監修の食事が提供される。B747-400及びA330-300にはバーカウンターも設置されており、軽食や飲み物が用意されている。エコノミークラスはスナック・軽食・紅茶やコーヒーなどの飲み物が提供され、路線によっては該当する時間帯に合わせた食事も用意される。
事故及び故障
「事業開始以来無事故である」とされている。しかし会社の公式な説明では「ジェット機を墜落させたことがない」ということであり、ジェット時代になる前にはカンタスも死傷者を含む事故を起こしている。例えば、1951年7月16日にはデハビランド・ドローバー(VH-EBQ)がエンジンの故障によりニューギニアに墜落し、7名の乗客全員と搭乗員が死亡している。
また、2005年8月20日には成田発パース行き70便(エアバスA330)が和歌山県串本沖約900kmの地点を飛行中に、貨物室の出火警告灯が複数回作動したために関西国際空港に緊急着陸した。着陸後にパイロットによって要請された消防による外部確認で機首から白い煙があがっていると報告された為パイロットはシューターを用いた緊急脱出を選択したが、その際に乗客194人のうち1人が骨盤骨折の重傷、8名が軽傷を負った。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、貨物室火災の警告灯点灯は誤作動であり、着陸後の白い煙は温度計から排出された高圧空気の断熱膨張により水蒸気が発生したものを誤認したものであると結論づけた[12]。
2008年7月24日、ロンドン発香港経由メルボルン行き(747-400型)ジャンボ機が南シナ海を飛行中、右胴体下に2.7mの穴が開き、マニラ国際空港に緊急着陸した。乗客346名、乗務員19名に怪我はなかった。 オーストラリア運輸安全局は同月30日、貨物室に積んであった酸素シリンダー(緊急時の酸素マスク用に用意されたもの)の爆発によるものと断定した。事故当時、機体は高度8800mから3000mまで急降下し、機内では酸素マスクが配られたが、10人弱の乗客が確保できなかった。
2008年10月7日、シンガポール発パース行きエアバス(A330-300)が、高度を急激に変更。その際、乗客乗員10名の重傷者および40名以上の軽傷者を出した(死亡者なし)。同機には303人の乗客と乗員10人が搭乗していた。
2010年11月4日、シンガポール発シドニー行きエアバス(A380-800)が、インドネシアのバタム島上空で、エンジントラブルに見舞われ、同日昼前、シンガポールの空港に緊急着陸した。地元テレビによると、着陸時に機体の下部から煙があがっていたが、待機していた消防車が消火した。乗客433人と乗員26人にけがはなかったという。左翼内側エンジンのカバーが一部欠損している映像が報道された。落下した破片による死傷者もいなかった。A380による飛行中の事故は初。
2010年11月5日夜、シンガポール発シドニー行きの当航空のボーイング747が、シンガポール国際空港を離陸直後、エンジントラブルで同空港に再び緊急着陸した。
「オーストラリア・アジア航空」
中華人民共和国に路線を持つことから、カンタス本体では中華人民共和国と対立を続ける中華民国(台湾)に運航ができなかった。そこで1990年にカンタスは中華民国への路線を運航するオーストラリア・アジア航空を設立した。ブリティッシュ・アジア航空やエールフランス・アジー航空のように別会社を装って運航するのではなく、日本アジア航空と同様の別会社であった。
いくつかのボーイング747SP及び767航空機はカンタスから移籍した。垂直尾翼のデザインは赤色の地に2つのAをシンボライズしたリボンが描かれていた。しかし、同社は1996年に運航を中止した。
補足
MBS「ファミリー・クイズ」、「クイズ・その手にのるナ!!」(いずれも八木治郎司会)、テレビ朝日「クイズタイムショック」(田宮二郎司会)の優勝賞品の旅行協賛も担当していた。
2007年、オーストラリアからインドへと向かう便で、 ビジネスクラスのトイレで客室乗務員が俳優のレイフ・ファインズと性行為に及び、ムンバイのホテルでも一夜を共にしたと報じられた。これは、その乗務員が情報料と引き換えに新聞社に投稿したことで発覚。当該の客室乗務員は解雇された。
関連項目
- ジェットスター航空
- ジェットスター・アジア航空
- アワー航空
- オーストラリア航空
- カンタスリンク
- ジョン・トラヴォルタ - カンタス航空親善大使 往年のカンタス塗装の自家用ボーイング707を所有
- レインマン - 劇中、ダスティン・ホフマン演じるレイモンドが、「飛行機に乗るのなら死亡事故を起こしていないカンタス航空しか乗らない」というセリフがある。
- カンガルールート
脚注
参考文献
- fordum 「Qantas の発音」 (音声ファイル)、FORVO、2008年8月25日、2010年12月5日閲覧。(オーストラリア人による発音)
外部リンク
- ↑ 「History」(英語)、Qantas Airways Limited、2010年11月6日閲覧。
- ↑ 「Qantas」『Wikipedia英語版』 2010年11月6日 11:44 UTC。
- ↑ 豪カンタス航空、労組のストに全便運行停止で対抗 - AFP BB Newsより。2011年10月29日閲覧
- ↑ カンタス、運航再開へ 仲裁機関、スト中止を命令 - 47News 2011年10月31日付、同日閲覧
- ↑ [2]
- ↑ 4クラス仕様としては450席を有償提供しているが、これは4クラスとして世界最多有償座席数そして世界初の400席台有償提供を記録している。
- ↑ 2013年現在、同社が世界で唯一運航している型である。現在は製造中止となっている型式のため、発注したのは同社のみである。
- ↑ 同社初の特別塗装機である。関西国際空港の開港日(1994年9月4日)、そして啓徳空港の閉港日(1998年7月5日)で「メモリアルフライト」を行っている。
- ↑ 初号機と違い、エンジンには特別塗装は施されていない。
- ↑ http://www.theqantassource.com/specialliveries.htmlテンプレート:リンク切れ
- ↑ ボーイング747-400の一部機材は、プレミアムエコノミーが装着されていない機材が存在する。
- ↑ http://araic.assistmicro.co.jp/aircraft//download/pdf/%E7%B5%8C%E9%81%8E%E5%A0%B1%E5%91%8A060929-VH-QPE.pdf