松沢成文
テンプレート:政治家 松沢 成文(まつざわ しげふみ、1958年4月2日 ‐ )は、日本の政治家。みんなの党所属の参議院議員(1期)、みんなの党国民運動委員長。
神奈川県知事(民選第15・16代)、衆議院議員(3期)、神奈川県議会議員(2期)を歴任した。2011年6月からよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属[1]。
目次
来歴
神奈川県川崎市多摩区生田生まれ。川崎市立生田小学校、慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。中学校から大学まで慶應義塾に通学した。中学時代からラグビーを続け、高校3年時には「オール神奈川選抜チーム」に選ばれた。大学在学中、アメリカに短期留学しグリーンリバー短期大学に在籍した。また、講談社HOT DOG PRESSの海外取材員として、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニア諸国を訪問、執筆活動を展開。
大学卒業後の1982年4月、松下政経塾に入塾(第3期生)。同期生には鈴木淳司、笹木竜三、前田正子らがいる。松下政経塾在籍中の1984年、米国ワシントンDCにて、ベバリー・バイロン連邦下院議員の政策スタッフとして活動、翌1985年には、メリーランド州にてスティーブ・サックス州司法長官のスタッフを務めながらアメリカ民主政治を実践研究する。その経験に基づいて『この目で見たアメリカ連邦議員選挙』(中公新書)を出版。1987年に卒塾。
同年4月、神奈川県議会議員選挙に川崎市麻生区選挙区から無所属(進歩党推薦)で出馬し、初当選。当時は29歳の誕生日を迎えたばかりで、神奈川県政史上最年少の県議であった[2]。1991年に再選。
1993年7月、任期途中で県議を辞職。第40回衆議院議員総選挙に結党したばかりの新生党公認で旧神奈川2区から出馬し、当選。翌1994年末の新進党結党に参加した。1996年、小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された第41回衆議院議員総選挙では神奈川9区から出馬し、再選。
1997年末の新進党解党に伴い、国民の声に参加。民政党を経て、民主党に合流した。1999年、民主党代表選挙に枝野幸男、上田清司、簗瀬進、前原誠司、田中甲、岩國哲人、奥田建ら当選回数の少ない議員らに推されて立候補。代表選は菅直人代表の圧勝に終わったものの、大方の予想を上回る51票を獲得し、善戦した。2000年、第42回衆議院議員総選挙で3選。
2003年2月、民主党を離党し、4月の神奈川県知事選挙に無所属で出馬する意向を表明。選挙戦では盟友関係にあった中田宏横浜市長や同じ保守派の石原慎太郎東京都知事の支援を受け、社会民主党参議院議員の田嶋陽子らを破り、当選を果たした。2007年の知事選では、自由民主党神奈川県連推薦の杉野正(埼玉高速鉄道社長)や日本共産党推薦の鴨居洋子を破り、次点の杉野にトリプルスコアの大差をつける圧勝で再選。多選禁止条例や受動喫煙防止条例の制定を始めとする全国初の先進的な取り組みを推進し、2期8年間で自ら掲げたマニフェストの約8割を達成したとしている[3]。
2010年12月、高校無償化での朝鮮学校への補助金交付に関して、朝鮮学校での教育内容を確認する必要があるとして、神奈川県が朝鮮学校への補助金支出の内示を留保していた問題で、自ら朝鮮学校を訪問して教育内容を確認し、また、教科書の表現の見直しを求め、学校側に文書での回答を求めた。そして、視察の結果や朝鮮学校側からの回答などを総合的に判断し、朝鮮学校への県補助金の支給を決定した。その際に松沢は「拉致問題や砲撃事件は非道な行為で北朝鮮への怒りは収まらないが、朝鮮学校で学ぶ子どもにまったく罪はない。こういうときこそ、冷静に判断しなければならない」と述べた[4]。
2011年の知事選にも3選出馬が有力視されていたが、2011年3月1日に東京都知事選挙への出馬を表明する[5]。4選不出馬が有力視されていた石原慎太郎知事の事実上の後継候補であったが、石原が同年3月11日に東京都議会で4選出馬を表明したため、石原の立候補を支持し、同年3月14日出馬を撤回した[6]。
2011年4月22日に任期満了に伴い退任し、翌5月に筑波大学客員教授に就任。同年6月16日にはよしもとクリエイティブ・エージェンシー入りした[7]。他に聖マリアンナ医科大学客員教授、神奈川工科大学顧問、明治大学兼任講師、PHP総研コンサルティングフェロー、一般社団法人首都圏政策研究所代表理事、一般社団法人スモークフリージャパン代表理事などを務める。
2012年12月に行われた東京都知事選挙に無所属で出馬し、621,278票を獲得したが、猪瀬直樹、宇都宮健児に次ぐ3位に終わり、供託金が没収された。翌2013年の第23回参議院議員通常選挙に、みんなの党公認で神奈川県選挙区から出馬。740,207票を獲得し、得票数2位で当選した。選挙後、みんなの党国民運動委員長に就任。
政策・主張
衆議院議員
- 1998年3月2日の衆議院予算委員会において、1997年のC滑走路の完成で24時間化運用可能になった羽田空港を有効に活用するため、早朝・深夜枠で国際線(アジア地域)を設け、国際線・国内線の乗り継ぎができるよう、羽田のハブ空港化を主張。そして、従来の「成田:国際拠点空港・羽田:国内拠点空港」の考え方から脱却し、「成田:遠距離(欧米)・羽田:近距離(アジア)」のような地域分割による運用へ転換するよう、橋本龍太郎首相や藤井孝男運輸大臣に求めた。
- 1999年に民主党代表選挙に出馬した際、日本国憲法の改正を公約に掲げた。当時は北朝鮮による工作船事件が世論の関心を集めており、国民の外交・安全保障に対する考え方も少しずつ変化を見せ始めていた。日本国憲法第9条の改正や集団的自衛権の行使、自衛隊の増強にも積極的である。
- 郵政民営化を積極的に推進した人物の1人。1999年5月、松沢の呼びかけで超党派による「郵政民営化研究会」が発足し、会長には小泉純一郎(翌々年に首相に就任)、事務局長に松沢が就任した。発足当初の17名から31名に規模が拡大し、郵政民営化論議が本格的にスタートする以前から、民営化に向けてこの研究会が推進母体的な役割を担った。1999年11月には小泉、松沢の共著で「郵政民営化 日本再生の大改革」を出版している。
- 1999年、民主党の雇用・新産業プロジェクトチームの座長に就任。ベンチャー企業支援税制の抜本的強化を盛り込んだ起業家支援法案(起業家支援のための新事業創出促進法等の一部を改正する法律案)を議員立法で国会に提出した。
神奈川県知事
- 2004年、全国でも最高レベルとなる強力なインセンティブ政策となる神奈川産業集積促進方策(インベスト神奈川)を策定し、2005年4月に企業ニーズを1箇所で受け止める「企業誘致ワンストップステーション」を設置。多数の世界有数の企業の誘致に成功し、その成果は立地企業総数169社、企業進出による投資総額は約6,448億円に上る(2010年9月現在)[8]。
- 2005年に神奈川県は、PlayStation 2版「グランド・セフト・オートIII」を、神奈川県青少年保護育成条例に基づき、有害図書類に指定した。この際、松沢知事が運営するブログに、同作品を有害作品とする発言に異を唱えるコメントが多く寄せられた。これについて松沢知事は、定例記者会見で、「より大きな観点に立って、今の青少年の保護をし、育成するにはどうしたらいいのか、やはり悪から青少年を遠ざけるため、指定のようなゲームソフトが、青少年に何の抑制もなく販売されてしまっているという環境は、改めなければいけない。これは多くの声なき声、サイレントマジョリティーと言っていいか分からないが、皆さんのご理解はいただけるのではないか」と述べている[9]。
- 鳩山由紀夫内閣が一時期、法案提出を検討していた永住外国人への地方参政権の付与について、慎重な見解を示した[10]。
- 知事選で掲げたマニフェストに対しては毎年、学識経験者や県民を交えた「松沢マニフェスト進捗評価委員会」による進捗評価にあわせ、自己評価を行っていた。
- 2007年9月、知事の任期を3期12年までとする全国初の多選禁止条例を制定。多選“自粛”の条例は多いが“禁止”とする条例は全国で始めて[8]。
- 県が独自開発した新品種のかんきつ、湘南ゴールドの生産量拡大に力を入れるだけではなく、横浜駅西口の百貨店、横浜高島屋で自ら店頭に立ち湘南ゴールドの実を握って「必ず神奈川のブランドになる。(宮崎県の)東国原知事のマンゴーに負けられない」と力説した[11]。
- 日本初の不特定多数が集まる、室内空間での喫煙規制である神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例を制定。この条例は「禁煙条例」ではなく、受動喫煙による健康への悪影響を防止し、人々が自らの意思で受動喫煙を避けられる環境整備を促進することなどを目指す条例であり、タバコを喫煙したい人を規制するのでなく、たばこの煙を吸いたくない人を守る条例である。制定にあたっては、飲食店やパチンコ店、ホテルなど経営者らと膝詰めの討議を交わし、タウンミーティングには1,000名を越える参加者が集まり議論がなされた[8]。2011年4月、条例施行から1年を経過した時点での意識調査(ファイザー株式会社・処方せん医薬品である、禁煙薬チャンピックスの製造販売元)によれば、神奈川県民の87.3%が条例に賛成、他の都道府県民でも83.1%が同様の条例の導入に賛成と答えている[12]。
- この条例の施行は、煙草の煙が嫌な多くの非喫煙者や多くの子供を持つ親から歓迎されているが、都県境の一部のホテル・飲食店経営者は、喫煙者の客が減るとの不満が挙がり、東京都町田市との県境である、町田駅南口に広がる神奈川県相模原市で、居酒屋を運営する飲食店経営者は「居酒屋は一日の疲れを癒やす場所。たばこを吸えないのはおかしい」と不満を述べ、湯河原町の湯河原温泉では、千歳川一つ県境で隔てた静岡県熱海市の伊豆湯河原温泉には、この条例が適用されないため、ホテルや旅館など、宿泊施設から不満の声が挙がっている[13]。
- パイプたばこ愛煙家団体である「日本パイプクラブ連盟」は、公式ウェブサイトでのコラム「禁煙ファシズムにもの申す」において、「喫煙者を徹底的に敵視して、喫煙者と、喫煙を認める飲食店を問答無用で攻撃するのが狙いのトンデモナイ条例」と批判している[14]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛同する。反対派の県議にたいする答弁において「反対派は家族の一体感が壊れるというが、家族の一体感への影響はないという考えも国民の6割近い」と述べている[15]。なお、2003年の時点でのアンケートでは賛否を明らかにせず、「検討が必要」と回答していた[16]。
- 沖縄県の普天間基地移設問題を議題に2010年5月27日、都内で開かれた臨時の全国知事会議で、松沢は鳩山由紀夫首相に対し、集団的自衛権などに関する認識をただし、普天間問題を巡る政府の対応を厳しく批判した。松沢は普天間問題を巡る日米両政府間の交渉で、日本側が在日米軍基地内の環境問題に関する「環境特別協定」を求めたことについて「(米軍施設を抱える14都道県で構成する)「渉外関係主要都道県知事連絡協議会」が提案していたこの協定を、相談もなく持ち出し、米国に軽くけられた。我々は収まらない」と強く抗議した。鳩山は「この協定は非常に重要だ。ぜひ、ご指導いただきたい」と応じたが、渉外知事会会長も務める松沢は会議終了後、記者団に「我々が米国まで行って根回ししてきた案を、一番不利な交渉の場で、最悪のタイミングで出した。こんなに戦略性のない政府だと、国民は危機にさらされる」「政府の交渉は最悪で無能としか言いようがない」とコメント。松沢はこのほか、沖縄の自衛隊を増強し駐留米軍を減らすことで地元負担を軽減することや、集団的自衛権の政府解釈変更で抑止力を強化することなどを首相に提案したが、前向きな回答は得られなかった[17]。
- 2009年2月、犯罪の被害にあった人を支援するために神奈川県犯罪被害者等支援条例を制定[18]。
- 2010年10月14日の記者会見でプロ野球・横浜ベイスターズの買収交渉を進めていた住生活グループに対し、「会社の宣伝さえできればいいという論理には違和感を覚える」と発言し、買収の狙いが「ブランド知名度の向上」であることを批判した。
- 2010年10月26日の記者会見で横浜ベイスターズの買収問題に関連し「プロ野球チームを抱える都市として、野球やサッカーなど多目的に使えるドーム球場を造りたい」、「県や市は財政難なので、民間資金を使うやり方を検討するべきだ。レストランなどを含んだテーマパーク型のスタジアムがいい」と発言した。
- 犯罪の減少、治安の回復に総力を上げて取り組む。「犯罪のない安全・安心まちづくり推進条例」制定(2005年)や、2007年度までの4年間で警察官等の実質1,500人増員などによって、犯罪認知件数は2002年の19万件から2009年には9万8千件と、7年間で全国トップとなる48%も減少した[8]。
- 日本が国際競争に打ち勝つためには、地方分権型国家に「国のかたち」を改めるべきと道州制導入を主張している。地方自治基本法の提案[19]や道州制の実現に向けた要請・提案活動[20]など活発に活動。同時に市民の生活圏域や企業の活動域はひとつの都県に留まらず首都圏一体となっているため、首都圏全体を統括する行政組織を作るべきと「首都圏連合」を提唱[21]。
- 「電気自動車」普及に向けて補助金、減税、充電設備の整備、高速道路や駐車場の減免まで、全国で最高の促進策を実施。「電気バス」の開発や「電気タクシー」「電気バイク」の普及にも力を入れた[22]。
人物
- 尊敬する政治家はイギリスのマーガレット・サッチャー元首相。
- 県議選初出馬の際、松沢陣営の学生ボランティアの1人に手塚仁雄がいた。
- 中学・高校時代はラグビー部に所属していた(大学のラグビー部へは入部せず)。
- 石原慎太郎東京都知事、森田健作千葉県知事、上田清司埼玉県知事とは政策的、思想的に近しい関係にあり、特に石原との関係が深い。また上田は国会議員時代、民主党の同僚議員であった。
- 2003年に神奈川県知事選で初当選した際、東京都知事選を同時に闘っていた[23]石原慎太郎からは「頑張れよ! あんなオバサン(同選挙に出馬していた田嶋陽子)に負けんじゃねぇぞ」と激励されている。
- 2007年にも松沢は東京都知事選での石原慎太郎支持を表明し、石原慎太郎も松沢への応援に駆けつけたため、民主党や社民党神奈川県連が支持していた松沢と、自民党が支持する石原とのねじれが起こった。これに対し、反石原慎太郎を鮮明にし、浅野史郎を都知事選で推薦していた社民党は反発し、福島瑞穂党首が「(与党が支援する)石原氏を応援する松沢氏は支持できない」として党の支持を撤回している。
- 2007年の知事選では、松沢の圧勝が事前に予測されたため、自民党本部は対立候補の擁立を見送ったが、神奈川県連がこの決定に猛反発し、県連推薦で杉野正の擁立を強行。しかし杉野は松沢に惨敗し、対立候補の擁立を強硬に主張した河野太郎県連会長は辞任に追い込まれた。
- 2011年の神奈川県知事選でも3選が確実視されていたが、3選をめざさず、石原慎太郎都知事の後任者として東京都知事選挙への出馬を表明する。しかし、突然の理由無き候補地鞍替えに対して都民の目は厳しく、松沢の当選が厳しいという世論調査の結果が出たことから、危機感を抱いた自民党市議から石原出馬要請が持ち上がった。一時は不出馬が有力視されていた石原慎太郎知事は、長男で当時自由民主党幹事長職にあった石原伸晃への次期自民党総裁選挙での支持・協力を担保として、石原幹事長らの説得を受ける形で4選出馬を表明した。梯子を外される形となった松沢は、自身の都知事選出馬を撤回し、2期8年で神奈川県知事を退任した。
所属する団体・議員連盟
- 自主憲法研究会 - 共同代表
- 東京オリンピック・パラリンピックに向けて受動喫煙防止法を実現する議員連盟 - 呼び掛け人
- 司法書士制度推進議員連盟[24]
著書
- 『この目で見たアメリカ連邦議員選挙』 (中公新書)1986年
- 『最年少議員の奮闘記−地方からの政治改革−』 (ぎょうせい)1991年
- 『どこへ行く高等学校』 (教育出版センター)1993年
- 『僕は代議士一年生』 (講談社)1994年
- 『オレたちにやらせろ!』 共著(ごま書房)1996年
- 『永田町からの政治論 −日本の課題を理解するために−』 (PHP研究所)1996年
- 『拝啓 小沢一郎党首殿』 (ごま書房)1997年
- 『熱狂のすすめ』 (萱原書房)1998年
- 『挑戦者』 原作・松沢成文 作画・藤堂りょう(ごま書房) 1999年
- 『郵政民営化論--日本再生の大改革!』 共編:松沢しげふみ・小泉純一郎(PHP研究所)1999年
- 『21世紀・日本の繁栄譜《松下政経塾出身国会議員の会》』 共著(PHP研究所)2000年
- 『実践ザ・ローカル・マニフェスト』 (東信堂)2005年
- 『知事激走13万km! 現地現場主義 −対話から政策へ-』 (ぎょうせい)2006年
- 『拝啓 小沢一郎殿 小泉純一郎殿』 (ごま書房)2006年
- 『インベスト神奈川 -企業誘致への果敢なる挑戦-』 (日刊工業新聞社)2006年
- 『破天荒力』 箱根に命を吹き込んだ「奇妙人」たち (講談社)2007年
- 『実践マニフェスト改革-新たな政治・行政モデルの創造』 (東信堂)2008年
- 『受動喫煙防止条例-神奈川発、日本初の挑戦』 (東信堂)2009年
- 『それでもタバコを吸いますか? −目指せ!煙のないスモークフリー社会− 』 (幻冬舎)2010年
- 『二宮尊徳の破天荒力』 (ぎょうせい)2010年
- 『私が吉本に入った本当の理由』 (毎日ワンズ) 2012年
- 『もしも国民が首相を選んだら』 (マガジンランド)2012年
- 『生麦事件の暗号』 (講談社)2012年
- 『二宮尊徳の遺訓』 (ぎょうせい)2012年
テレビ出演
- 松沢しげふみの日本の標(しるべ) (TOKYO MX)
- かんさい情報ネットten! (よみうりテレビ)
- 土曜NEWSファイル CUBE (テレビ西日本)
寄稿
- 「真の地方分権」を実現させるには改憲が不可欠だ (中央公論)2004年12月号
- 三位一体改革は一から出直せ (Voice)2005年7月号
- 「羽田・成田リニア新線」構想 二大空港を一体化して首都圏に国際ハブ機能を (Voice)2005年10月号
- 「インベスト神奈川」の挑戦 世界的なメーカーの研究・開発施設を誘致する方策 (Voice)2006年1月号
- 道州制は国・地方を通じた究極の構造改革だ (中央公論)2006年5月号
- 拝啓 シュワルツネッガー知事 自動車メーカーへの損害賠償請求で脱石油社会は可能か (正論)2007年1月号
- 知事の不祥事はこうして防ぐ 権力に歯止めをかける首長の多選禁止条例を (Voice)2007年4月号
- ストップ!ザ・受動喫煙 神奈川県が禁煙条例制定に立ち上がった理由 (中央公論)2008年8月号
- なぜ私は「公共施設全面禁煙条例」をすすめるのか (正論)2008年10月号
- 受益に応じた負担を無視したふるさと納税制度 格差是正の効果なし (日本の論点2008 文藝春秋編)
- 米軍基地との共存に向けて環境特別協定の締結を (中央公論)2009年6月号
- たばこ利権の打破が健康社会と財政再建につながる (中央公論)2010年2月号
- 子ども手当は地方自治の仇 (文藝春秋)2010年6月号
- 子ども手当の“地方負担”は断固拒否する (Voice)2011年4月号
- 野田総理よ民主党をぶっ壊せ (文藝春秋)2011年10月特別号
- 首相に指導力を発揮させ国民の政治意識を高める首相公選こそ日本の改革 (日本の論点2012 文藝春秋編)
関連文献
- 「未来を託す男たち」(細川珠生著、ぶんか社、1999年12月、ISBN 4821106965)
- 「国と闘う・地方の反乱 改革派首長の挑戦」(花上喜代志著、碧天舎、2004年4月、ISBN 4883465322)
脚注
関連項目
外部リンク
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- ↑ 2007年4月の選挙で大和市選出の菅原直敏により記録が更新された。なお、それまでは川崎市宮前区選出で松沢の元秘書である福田紀彦だった。
- ↑ 松沢しげふみの経歴|プロフィール|松沢しげふみ公式サイト
- ↑ テンプレート:Cite news
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- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 前神奈川県知事、松沢しげふみ氏が吉本所属に!「なんでもやります!」2011年6月16日
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 テンプレート:Cite web
- ↑ http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/00/1199/chiji/kaiken/h17/050712.html 2005年7月12日神奈川県知事定例記者会見
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 産業経済新聞2010年12月12日記事
- ↑ http://www.ne.jp/asahi/m/net/anc.web030430.htm
- ↑ 読売新聞2010.5.28朝刊
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- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 当時神奈川県知事と東京都知事はともに任期途中での辞職例がなく、統一地方選挙の中で同時に改選される。
- ↑ 司法書士制度推進議員連盟名簿(五十音順) 日本司法書士政治連盟ウェブサイト