ファイザー

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テンプレート:Infobox ファイザー(Pfizer Inc.)は、世界売上1位の米国の製薬会社である。株式がダウ平均株価の構成銘柄に選ばれている。ニューヨークマンハッタングランド・セントラル駅に程近いミッドタウン東部に本社ビルを所有している。

本項ではその日本法人、ファイザー株式会社についても併せて記述する。

沿革[1]

研究開発には毎年9000億円近くが使われているが、ファイザー本体からの新薬は1998年のバイアグラ以来登場しておらず、2006年には超大型新薬になると期待されたトルセトラピブの臨床試験も失敗した。稼ぎ頭であるリピトールの特許切れ(2011年)を間近に控え、経営体制の見直しを余儀なくされているのが現状である。これにより、後述のように日本法人を含めて世界規模でのリストラが進められている。

日本法人

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ファイザー株式会社(Pfizer Japan Inc.)は、米ファイザーの日本法人である。本社は、東京都渋谷区代々木3-22-7(新宿文化クイントビル)に所在する。

沿革[4]

  • 1953年 - 田辺製薬(現在の田辺三菱製薬)との合弁によって、ファイザー田邊を設立し日本へ進出した。当時の主力製品テラマイシン(抗生物質)などの販売を開始するも、テラマイシン国産品の増産が出来ず当時の厚生省の方針によって合弁契約の解消を迫られた。
  • 1955年6月 - 台糖ファイザーを設立。台糖(現在の三井製糖)が独自のペニシリンの培養技術をもって発売していた一方で、パートナーとして外国の医薬品メーカーとの提携を模索しており、当時のファイザーと利害が一致。1955年にファイザー田邊の田辺製薬持ち株分を台糖へ譲渡し、台糖ファイザーが誕生(実際は後に社名変更を実施)した。
  • 1950年1970年代 - 当時は外為法の規制によって、外国の製薬会社は日本の大手製薬会社との合弁会社を通して、自社製品を合弁先である日本の製薬会社によって販売していたが、台糖ファイザーは当初から独自にMR(医薬情報担当者)を多く雇用し、自社で納入・販売先を開拓してきた。そのため多くのMRを擁していることが特徴である。
    • また合併や自社開発により、扱う製品数が多くなったこともあり、現在では全国に約2,400人のMR(国内最大級)がいる。
  • 1983年 - 米ファイザーの完全子会社となった。
  • 1989年 - 日本法人の社名をファイザー製薬株式会社に社名変更した。
  • 2003年 - 米ファイザー (Pfizer Inc.) が2000年に米ワーナー・ランバート2003年に米ファルマシア を買収したのに併せて、日本法人もそれぞれ事業を統合した。ファルマシア日本法人との事業統合を機に、ファイザー製薬株式会社より現在のファイザー株式会社へ商号変更(社名変更)した。
  • 2007年7月 - 医薬営業部門を対象とした先着電話受付リストラを実施し、本社・MRを含む約700名が早期退職した。愛知県の中央研究所は閉鎖となり、その中の研究員約70名がEBOにより研究所施設を利用した新会社「ラクオリア創薬株式会社」を2008年7月に設立、独立した。
  • 2008年 - 日本法人設立55周年を記念してCMが制作され、楽曲には中孝介の「風よ」が起用された。
  • 2010年6月1日 - 2009年10月の米ファイザーの米ワイス社買収に伴い、日本法人もワイス社日本法人と事業統合した。

主要商品

2004年度では世界の上位銘柄一位となり、ファイザーのワーナー・ランバート買収資金がリピトールの売上で充分に回収出来た、とされている。日本ではアステラス製薬(旧山之内製薬)が共同販売を行っている。

旧ワイス社製品

合併後に承認された製品

かつて取り扱っていた製品

  • アリセプト®(ドネペジル) - エーザイが開発・発売しているアルツハイマー病治療薬で、提携によりファイザーが日本も含めた世界的に共同販売を行っていたが、2012年12月末をもって販売提携が終了した。

脚注

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外部リンク

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テンプレート:ダウ平均株価
  1. ファイザー社(米国本社)の歴史
  2. ファイザー株式会社 - 50年の歩み
  3. 実際は楕円形のマークに傾斜が掛かり、アルファベットのファイザーの文字の書体が変更された程度であった。
  4. ファイザー株式会社(日本法人)の歴史