代々木
代々木(よよぎ)は、
- 東京都渋谷区の北部にある町名。代々木一丁目から代々木五丁目まであり、人口は、19,994人[1]。郵便番号は、151-0053
- 代々木駅や代々木公園を含む地域の汎称地名。「1」のほか、元代々木町や代々木神園町、さらには代々木上原地区までが該当し得る
- 1889年(明治22年)まで存在した代々木村。「2」の地域に概ね合致する
目次
概要
歴史的な地名としての代々木とは、旧代々木村一帯のことである。すなわち、東は明治神宮、西は大山町、北は甲州街道、南は富ヶ谷や上原に囲まれた地域が該当する。代々木郵便局や代々木上原駅、代々木八幡宮などがあり、現代でもこれら地域全体が「代々木」として認識されることが多い。
1906年(明治39年)に開業した代々木駅(所在地の現行町名は代々木一丁目)は旧代々木村ではなく旧千駄ヶ谷村の区域にあるが、開業当時旧代々木村の町域には路線・駅がなかったことから、「代々木駅」と名づけられた経緯がある[2]。
歴史
地名の変遷
テンプレート:See also 「代々木村」の名は古く戦国時代の書状にも認められ、江戸時代には大名・旗本の屋敷地があった[3]。
1878年(明治11年)、郡区町村編制法施行により代々木村は南豊島郡に属した[4]。1889年(明治22年)市制町村制の施行により代々木村は幡ヶ谷村と合併、代々幡村となる。(この時、現在の渋谷区に相当する地域として他に渋谷村と千駄ヶ谷村) 1896年(明治29年)、これら「渋谷3村」は南豊島郡が東多摩郡と合併して誕生した豊多摩郡に引き継がれた。1915年(大正4年)、代々幡村は前述の渋谷3村のなかで最後に町制を施行した。
1932年(昭和7年)、代々幡町は渋谷町、千駄ヶ谷町と合併、東京市渋谷区(大東京35区のひとつ)となった。1947年(昭和22年)、東京23区への移行においても区域は変わらず現在に至っている。
その他の歴史
- 1906年(明治39年) - 甲武鉄道の駅として代々木駅が開業
- 1909年(明治42年) - 代々木駅が山手線の停車駅となる
- 1920年(大正9年) - 明治神宮創建
- 1927年(昭和2年) - 小田急小田原線開業(当地域内の駅:千駄ヶ谷新田駅、山谷駅、参宮橋駅、代々木八幡駅、代々幡上原駅(西原に所在))
- 1964年(昭和39年) - 首都高速4号新宿線が一部開通。代々木出入口が設置される
- 1964年(昭和39年) - 東京オリンピック開催。アメリカ軍に接収されていた旧・陸軍代々木錬兵場跡地が選手村となる
- 1967年(昭和42年) - オリンピック選手村跡地に代々木公園が開園
- 1972年(昭和47年) - 千代田線代々木公園駅開業(富ヶ谷に所在)
- 1978年(昭和53年) - 千代田線、代々木上原駅まで延伸
- 1998年(平成10年) - 新宿サザンテラス完成、新宿駅-代々木1丁目・2丁目-千駄ヶ谷5丁目の一体化
- 2000年(平成12年) - 代々木駅に隣接する千駄ヶ谷5丁目にドコモタワー完成
- 2000年(平成12年) - 大江戸線代々木駅が開業
各町丁の地誌
現行の町丁区分に基づく各地区の様子は次のようである。
代々木
- 一丁目
代々木駅があり、駅前には飲食店や事務所などが入居する雑居ビルが多い。代々木ゼミナールはかつて、本部校を含めて多くの建物をこの地に有していたが、2008年(平成20年)に新本部(代々木二丁目)が完成した後には、一丁目の建物や機能は大幅に移転・縮小された。
住居表示実施以前には、代々木駅から南西に向かって、「千駄ヶ谷五丁目」(代々木駅を含む)、「千駄ヶ谷四丁目」、「代々木山谷町」という町域になっていた。
- 二丁目
北部は新宿駅南口に近く、オフィスや商業施設が多くを占める。1990年代中盤以降、JR東日本本社ビル(1994年(平成6年))、新宿マインズタワー(1995年(平成7年))、小田急サザンタワー(1998年(平成10年))などの超高層ビルが次々に完成した。
住居表示実施以前には、町域の大半が「千駄ヶ谷五丁目」に含まれていた。
- 三丁目
住宅街が大半を占め、北より、甲州街道沿いには文化服装学院や文化女子大学がある。住居表示実施以前には、町域の大半が「代々木山谷町」であった。
- 四丁目・五丁目
明治神宮や代々木公園に隣接し、西参道と小田急線、山手通りに囲まれた町域である。地形は起伏に富んでおり、高台部分を中心に高級住宅街が形成されている。また、各国の大使館も点在する。
現在は暗渠化されているがここに河骨川(こうほねがわ)という小川が南北を貫き、西原から流れてくる宇田川と代々木八幡付近で、渋谷の宮下公園付近で渋谷川と合流して東京湾に注いでいた。唱歌「春の小川」は、この河骨川を見て作詞されたとされており、記念碑が建てられている。
住居表示実施以前には、四丁目の大部分は「代々木山谷町」、五丁目の大部分は「代々木初台町」の町域に含まれていた。
代々木神園町
テンプレート:Main (よよぎかみぞのちょう):明治神宮と代々木公園の所在地の町名である。面積は120万m²以上に及ぶが、神社・公園以外の建物や居住者はごく僅かである。
元代々木町
テンプレート:Main (もとよよぎちょう):山手通りと西参道通り・小田急線線路とのあいだの丘陵に位置する住宅地である。
上原、西原、大山町
テンプレート:Main (うえはら、にしはら、おおやまちょう):一般に「代々木上原」と括られる住宅地である。富ヶ谷も含め、隣接する渋谷区、目黒区、世田谷区の住宅地へと続く。かつて付近には紀州徳川家の徳川頼倫侯爵の屋敷があり、昭和初期には「徳川山」の名で分譲開発された。上原、西原、大山には戦後、アメリカ軍関係者の邸宅と思われるプールやテニスコートがあり広い芝生の庭つき住宅が点在した。昔の写真によると、このあたりは牧場が広がっていたらしい。
地名の由来
代々木とは、「江戸名所図会」などによると、現在の明治神宮境内の御苑東門(旧井伊家下屋敷)近くに代々樅の大木があったことに由来する。この木は幕末には品川沖の外国船の偵察に利用されたとも言われており、戦前まで枯れ木として残っていた。(これらは通説であって証拠は示されていない。戦前は代々木西原から隅田川の花火が見えたそうだが、品川沖まで見通せた証拠はない。)
現在、その御苑東門近くには樅の大木と共に次のような立て札が掲げられている。 テンプレート:Quotation
また別の説として、この地で代々皀莢(サイカチ)を栽培していたからともいわれる。
政治
日本の昭和時代後期の政界では、「代々木」という言葉が代々木駅の近くに党東京都委員会事務所と本部ビル(中央委員会)を持つ日本共産党を指したことがある。特に学生運動における各分派(セクト)の性格を解説する際に、共産党と近い関係の日本民主青年同盟(民青)などを「代々木系」、共産党と対立する新左翼系のセクトを「反代々木系」と称していた。なお、日本共産党中央委員会の住所は渋谷区千駄ヶ谷であり、代々木ではない。
交通
道路
- 甲州街道(国道20号)
- 西参道・西参道通り
- 代々木山谷通り
- 東京都道413号赤坂杉並線
- 井ノ頭通り(東京都道413号赤坂杉並線)
- 山手通り(東京都道317号環状六号線)
- 首都高速4号新宿線
鉄道
- 代々木駅 - 山手線、中央・総武線(各駅停車)、都営大江戸線
- 南新宿駅 - 小田急小田原線(開通当初の駅名は'千駄ヶ谷新田')
- 参宮橋駅 - 小田急小田原線
- 代々木八幡駅 - 小田急小田原線
- 代々木公園駅 - 東京メトロ千代田線
- 代々木上原駅 - 小田急小田原線、東京メトロ千代田線
- 初台駅 - 京王線
教育
大学
中学
小学
予備校
その他
所在する主な企業・施設等
主な施設等
主な企業等
主な医療施設
なお、代々木郵便局は渋谷区西原にあり、むかしの代々木本町に近い。 また代々木警察署は現在は代々木地域外の渋谷区本町にあるが、かっては甲州街道南側の代々木地域内にあったものが、1953年(昭和28年)に甲州街道を渡って北側の現在地に移転したものである。
大使館
脚注
- ↑ 2010年7月31日現在、住民基本台帳による。渋谷区調べ
- ↑ 類似の経緯を持つ駅名にとして、目黒駅(品川区)や品川駅(港区)がある
- ↑ http://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/profile/uraig.html 渋谷区「地名の由来」
- ↑ http://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/profile/history.html 渋谷区「渋谷区の歴史」