江川紹子
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江川 紹子(えがわ しょうこ、1958年8月4日 - )は、日本のジャーナリストである。
目次
人物
東京都杉並区生まれ。千葉県立船橋高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業。
国際情勢や国内の社会問題に関して活発な言論活動を展開し、特にオウム真理教(現:Aleph)に関する取材を行ってきた。教育問題やイラク戦争と平和に関する発言も多い。地球温暖化問題にも熱心で、ゴアアメリカ元副大統領の「不都合な真実」を絶賛している。
ネット上にHP「江川紹子ジャーナル」を開設し、オウム問題のみならず、国際情勢や国内の様々な問題について論評している。オウム真理教の報道で登場して以来、その正義感の強い点が、多くの人々の共感と支持を集めて居る。他方、熱しやすく冷めやすい点や、好き嫌いが激しいことなどが、指摘されることもある[1]。また、楽しみにしていた企画がボツになった場合、あきらめ切れずに駄々をこねて不貞腐れ泣いてしまうなど自身の感情に率直な一面も見られる。[2]
「罪なき人を罰することへの怒り」が冤罪問題に取り組んでいることの出発点だという。また冤罪の責任は第一に裁判所、順に検察官、弁護士、警察とマスコミにあると主張し、特に裁判所には冤罪を正す責任があるにもかかわらず裁判官にはその自覚がないと批判している。他に取調べの可視化には賛成、裁判員制度には批判的な立場をとっている。[3]
かつては「やむを得ない時にのみ課せられる死刑」と無期懲役との間に仮釈放のない終身刑を導入するという考えを持っていたが、医療刑務所で手厚い介護を受けている高齢の収容者と施設に入れず孤独死する一般市民がいる矛盾などから、終身刑の導入とそれに伴う死刑の廃止には反対との考えに変わったという。[4]ヘビースモーカー。
経歴
早稲田大学政治経済学部卒業後の1982年(昭和57年)から1987年(昭和62年)まで神奈川新聞社で社会部記者として警察取材や連載企画などを担当。29歳で退社しフリーライターとなる。もともと有田芳生と同様、日本共産党の支持者だった。有田は共産党を離党し転向したが、江川は現在も共産党とはつかず離れずの良好な関係を保っている。但し、しんぶん赤旗日曜版インタビューでは「政権を取ってほしいとは思っていない」と語るなど、野党的立場としての期待を表明している。
当初は少年事件などで人権派的な姿勢を取っていた。[5]
1989年(平成元年)には、息子がオウム真理教に出家した母親から脱会について相談され、坂本堤弁護士を紹介する[6]。その後 弁護士一家が行方不明(のち一家皆殺しで発見。坂本堤弁護士一家殺害事件)となって以来、オウム真理教問題の取材を始める。その存在がオウムに疎まれて暗殺が計画され、未明の就寝中部屋にホスゲンガスを注入されたが、音に気づいて電灯をつけたところ犯人たちが逃げ、噴霧された量が少なくて済んだため難を逃れた(江川紹子ホスゲン襲撃事件)。
オウム真理教の活動が活発化する中、一部の宗教学者やマスコミが、オウムに対して融和的な姿勢を示す中、オウム真理教の危険を過小評価せず取材を続けた。テンプレート:要出典範囲、1991年にはこの年3月に法人化された幸福の科学を取材、1992年には有田芳生と共著で統一教会に関する書籍を刊行するなど、他の新宗教も扱っている。[7]
雲仙普賢岳の噴火による現地の被災状況を取材、報道したことが評価されている。
1995年(平成7年)、菊池寛賞を授与される。その後、週刊文春にオウム裁判のルポを連載するが、オウム事件への関心が低下する中、この連載は終了する。又、この時期、坂本堤弁護士一家殺害事件の遺族である坂本さちよ(同弁護士の母親)が、江川の姿勢を強く批判する発言がなされている。坂本さちよのこの江川批判は、ニュースステーションで報道されている。一方、坂本弁護士一家殺害事件に関して、TBSがオウムに未編集ビデオを見せていたことが発覚し(TBSビデオ問題)批判を集めた際には、TBSの筑紫哲也 NEWS23に出演して、同番組のキャスター筑紫哲也 というよりも「TBSの報道姿勢」を生放送で厳しく批判し、その後の一時期はTBSへの出演をやめていた。TBSがこのビデオ問題について自らを検証番組を制作し、その経過を見て、番組が放送された後に出演辞退を解除した。
2006年(平成18年)8月に、麻原彰晃こと松本智津夫の四女の未成年後見人となる意向を表明した。これは教団から離れ自立したいという四女側の強い希望からであり、四女自ら江川に電子メールを送り、これを江川が承諾、翌2007年(平成19年)3月22日のさいたま家裁による決定を経て、正式に未成年後見人に就いた。しかし4ヶ月後に家出、音信不通となったことから、同年9月に、後見人辞任の許可を求める申し立てをさいたま家裁に行った。理由は、江川が後見人になって以後の四女の言動から「教祖の後継者という自覚で行動している者を支援するわけにはいかない」と説明している。[8]
2007年(平成19年)4月から1年間、獨協大学の特任教授として「インタビュー入門」と「新聞の読み方テレビの見方」という2つのゼミを担当した。
2010年(平成22年)11月4日、前田恒彦元検事らによる大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件を受けて設置された検察の在り方検討会議委員に就任。直前には村木厚子の手記をまとめた『私は泣かない、屈さない』が文藝春秋10月号に掲載され、また『私は屈しない〜特捜検察と戦った女性官僚と家族の465日』としてドラマ化。
テンプレート:要出典範囲。9・11同時多発テロの際には、江川紹子ジャーナルで、戦場ジャーナリストの村田信一の発言を引用する形で、アルカイダ犯行説に疑念を表した事があるが、その後、この問題には触れていない。イラク戦争においては極めてアメリカに批判的であった。
オウム真理教(現:Aleph)
坂本弁護士事件では「何が何でもビデオを見せるべきではなかった。見せたとしても弁護士事務所に報告すべきだった」とTBSを強く批判した。一部からは何様のつもりなのかと批判された。
オウムへの破壊活動防止法適用に関しては、自身がホスゲンガスで殺人未遂に遭ったにもかかわらず、「この法律は有効ではない。むしろ団体規制法の下で監視する方が、教団は弱体化し、大きな事件も防げる」として反対に回った。反対理由は、仮に破防法を使って形式的に解散させると、“元”信者の監視がしにくくなる。教団という組織がなくなっても、オウム的な歪んだ危険な価値観や発想はのちの時代に伝えられてしまう。それより、教団を残して監視をしつつ、ひとりでも多くの信者がこの団体の呪縛から解き放たれるようにし、新たな信者を入れない努力をする中で、この世代で消滅させていくという形が一番確実と考えたからである。
2006年(平成18年)9月15日に地下鉄サリン事件の麻原彰晃被告の死刑判決が確定したことに関連して、読売テレビ『ウェークアップ!ぷらす』(2006.9.16放送)およびフジテレビ『ワッツ!?ニッポン』(同日)において、被告側の弁護団が控訴趣意書を期限内に提出しなかったことが控訴審が一度も開かれないままの異例の死刑確定へと繋がった点に触れ、「弁護団が控訴趣意書の提出を拒否したのは出来る限り裁判を長期化させようとしたためであるのは明白で、自らの主義に固執したために結果的にそれが被告(麻原)の裁判を受ける権利を奪うことになったのではないか(要旨)」と弁護団の法廷戦略を厳しく断じた。また自身のサイトにおいて、被告人の利益を損なった弁護団に対して即座に懲戒処分を下さなかった弁護士会について「被疑者・被告人の利益を守らない弁護士を放置していながら、外に向かって被告・弁護人の権利を主張しても、あまり説得力がないのではないか」と述べている[9]。その一方で、オウム側の被害者への補償が未だ進まない状況を問題視し、「教団側がすべき補償を国家が一旦立て替え、国家が直接に教団側からそれを請求するといった形をとってもよいのではないか」と発言し、補償を強く望む被害者側の救済が急務であるとの考えを示した。なお、2008年6月11日に「オウム被害者救済法」が成立し、同法により、被害者に対して国が見舞金を給付し、教団に対して国が損害賠償請求権を得ることになる。
陸山会の虚偽記載事件
小沢一郎の政治資金団体である陸山会事件において、小沢の元秘書、石川知裕衆議院議員が逮捕されたときは検察に批判的な論調を繰り返した。「沢山の記者を投入し、地道な取材を重ねていて、検察のリーク頼みのように思われるのは心外、と言いたい気持ちは分かる。しかし、そうした取材の努力が、検察側と目的を共有化する『小沢氏のクビを捕る』という方向にだけ向けられ、検察の捜査のあり方にはまったく振り向けられないことが問題なのだ。その結果、マスコミは検察の応援団としての役割を発揮した。新聞などに激しく叱責されて、民主党の議員も捜査批判をまったくしなくなった。鳩山首相も、あれだけターゲットにされた小沢氏自身まで、検察の捜査は『公正公平』などと言っている。メディアが検察批判を封じ込んだ格好だ」とマスコミを批判した。[10]
発言・主張
政治関連
マルコポーロ事件においては、廃刊の切っ掛けとなった、西岡昌紀の記事内容は支持しないとしながら、同誌を廃刊に追い込んだアメリカ合衆国の親ユダヤ主義圧力団体サイモン・ウィーゼンタール・センターが、文藝春秋に対して行なった広告ボイコットの手法と行動に対して、「民主主義の原則を超えている」(月刊誌『創』1995年4月号(創出版))という批判を加え、『マルコポーロ』編集長であった花田紀凱の立場を部分的に擁護した。
ビル・クリントン大統領を非常に高く賞賛した他、同大統領(当時)の夫人であるヒラリー・クリントン上院議員に対しては、共感を自身のサイト上で述べている。
小泉純一郎が首相在任時に行った靖国神社参拝には批判的であった。
社民党の辻元清美について、「江川紹子ジャーナル」で称賛した事があったが、辻元が執行猶予中に立候補したことなどに批判的であった。
平和主義の立場から第二次世界大戦や太平洋戦争については、批判的・否定的な立場をとっている。ただし平和主義者であっても非武装中立は支持しておらず、憲法9条については、「私は以前から9条の条文には矛盾があると感じていて、正した方がいいと思います」と『サンデーモーニング』で発言している。
拉致問題解決については消極的な姿勢が目立つ。特に当時の首相・小泉純一郎が、北朝鮮を訪問し、5人の拉致被害者が帰国した際には、拉致被害者を一旦北朝鮮に帰すのも仕方がないのではないか、といった意見を自身のサイトで書いていた。このように、北朝鮮をほとんど批判をしないことは、サンデー毎日のコラム『千思万考』においても同様であった。
堀江貴文の一連の騒動については、一貫して中立的な立場でコメントをしている。
2010年に検察の在り方検討会議が設置された際に、柳田稔法務大臣によってメンバーに選ばれた。その後、柳田法務大臣が地元の国政報告会で「法務大臣は『個別の事案についてはお答えを差し控えます』『法と証拠に基づいて適切にやっております』の二つを覚えときゃ良い」と発言したことの責任を取って辞任したことについては、「ユーモアセンスのない人が自虐ギャグを言い、外してしまった。おきゅうを据えるのはいいが、辞める必要があるのか」と擁護した。[11]
自由報道協会が小沢一郎元民主党代表に「記者会見賞」を授与するとの発表を受けて、自由報道協会を退会すると発表した。退会の理由として、自身のツイッターにおいて「賞を作り、候補者をノミネートをし、誰かを選んで授与するという行為には、その組織の価値観が反映します。」と発言し、更にラジオ番組でもこの表彰に関して「『自分の価値観とどこまで合うのか』というところがあった。」などと発言、退会の理由が協会による小沢一郎氏への表彰にあることに言及した。
2013年7月、民主党の細野豪志が幹事長を辞任したことについては否定的で、「全国各地を回って、謝罪をしつつ人々の声に耳を傾けることでせう」と細野の辞任を批判している。また、細野が山本モナと不倫したことについては、不倫を批判する人々に対して「プライベートな過ちをいつまでもあげつらう人たちが、残念ですにゃ」と擁護している[12]。
事件関連
名張毒ぶどう酒事件に関して、著書で被告(死刑確定、再審請求中)の冤罪を主張している。
福祉介護業であるコムスンの介護報酬不正請求事件及びそれに関する厚生労働省の処分に関連して、コムスンの親会社グッドウィル・グループが人材派遣業を展開している点にも触れ、派遣労働に従事する若者の劣悪な労働環境・条件の実情にも言及し、コムスン及びグッドウィル・グループの企業としての姿勢を「悪い表現だが、高齢者や若者を食い物にしている」と厳しく批判した。[13]
その他
2004年に二期会が宮本亜門の演出でモーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』を上演した際、「江川紹子ジャーナル」でこの演出を激しく攻撃し、宮本亜門にオペラの演出をさせることに反対すると書いた(この文章は後に同ジャーナルから削除されている)。
ボクサーの亀田興毅、及び亀田三兄弟の言動・パフォーマンスについて、極めて批判的であり、放送局を挙げて応援しているTBSの番組においても、『サンデーモーニング』の週刊御意見番で批判している。
『サンデーモーニング』2010年5月23日放送分で、張本勲が途中降板した岩隈久志へ「エースとしてマウンドを守るべき」と「喝」を入れた。この際、出演者である江川は「途中降板もありなのでは」という意見を述べた。放映中には口論にならなかったものの、両者の関係がこじれたため、後日TBS側は何度か両者と話し合いをおこなった。しかし解決に至らず、江川は6月20日放映分への出演自粛をTBSから求められたとTwitterで明らかにした[14][15][16]。江川は今後の出演予定は未定としていた。その後江川はツイッター閲覧者からの「復帰しないのか」という質問に、「張本さんがお出になっている間、私の復帰はない、とのことです。数日前、正式に通告がありました」と回答。番組関係者は、デイリースポーツの取材に「江川さんとは年間契約などをしているわけではない。コメンテーターとしての出演をお願いしないということです」と説明した[17]。
2011年、韓流推し騒動に物申したふかわりょうに対し、自身のTwitterで「確認もせずに非難するのはいかがか」などとツイート。他ユーザーからの「発言全て聞いた上で発言されてますか?」との質問には「がまんして半分聞いた」「中身のないのに半分も、聞いた」と答えている。[18]
2012年1月25日、自由報道協会が「自由報道協会賞」の「記者会見賞」部門を政治家の小沢一郎へ授賞するとホームページにおいて発表した際、自由協会会員であった江川紹子は同協会を退会することをTwitterにおいて明らかにした。協会は翌日26日に『記者会見賞』を協議延期とし小沢の授賞を取り下げることを発表した。小沢については「当協会発足前からのご理解とご支援に感謝して、すべての協会賞とは別に顕彰したい」としている。[19][20]
音楽・芸術関係
1997年頃からクラシック音楽、特にオペラを愛好し、月刊誌「音楽の友」で音楽家へのインタビュー記事を連載していた時期があった。自身でチェロを演奏する。
その他
最近では、「若者の就職」をテーマに取材と紹介される。
1995年(平成7年)、阪神大震災後現地の状況を取材するが、この際のルポは発表する月刊誌『マルコポーロ』(文芸春秋)が、ガス室問題で廃刊となったため、紹介されることはなかった。
大の猫好きである。「タレ(多麗)」と「チビ(智美)」という2匹を飼育し自らを「お給仕係」と称していたが、2012年に相次いで死別している。
「醤油派」であり、アジフライ、コロッケなど、かけるものは必ず醤油である。 東海林さだお氏との対談でこのような「醤油派」としての一面や、小料理屋の女将になりたい、などの願望を口にしていた。
出演番組
- NHK 少年少女プロジェクト特集 ききたい!10代の言い分
- テレビ朝日『やじうまプラス』(木曜)
- よみうりテレビ『ウエークアップぷらす』
- TBS『サンデーモーニング』(隔週)
- 文化放送『吉田照美 ソコダイジナトコ』(金曜)
著作
単著
- 『冤罪の構図 「やったのはおまえだ」』社会思想社(1991年3月)のち現代教養文庫、新風舎文庫
- 『救世主の野望 オウム真理教を追って』教育史料出版会(1991年3月)
- 大火砕流に消ゆ 文芸春秋, 1992.11.
- 『横浜・弁護士一家拉致事件 ヒューマン・リポート』新日本出版社(1992年4月)
- 六人目の犠牲者 名張毒ブドウ酒殺人事件 文芸春秋, 1994.4. のち新風舎文庫、岩波現代文庫
- 「オウム真理教」追跡2200日 文芸春秋, 1995.7.
- 「オウム真理教」裁判傍聴記. 1-2 文芸春秋, 1996-97
- 全真相坂本弁護士一家拉致・殺害事件 文芸春秋, 1997.4.
- 『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』中央公論新社(2000年8月)のち『オウム事件はなぜ起きたか 魂の虜囚』(上・下)新風舎文庫 ISBN 428950132X, ISBN 4289501338
- 『私たちも不登校だった』文春新書(2001年10月) ISBN 4-16-660203-9
- 『人を助ける仕事 「生きがい」を見つめた37人の記録』小学館文庫(2004年4月)
- 『父と娘の肖像』小学館文庫(2006年3月) ISBN 4-09-405533-9
- 『勇気ってなんだろう』岩波ジュニア新書(2010年1月) ISBN 4-00-500639-6
共編著
- 『桜田淳子と統一教会のウソ』(有田芳生共著)アイペックプレス(1992年10月)
- 『証言10代 もっと言いたい!私たちのこと』(NHK「少年少女プロジェクト」共編)日本放送出版協会(1998年11月)
- 『学校を変えよう! 』NHK「少年少女プロジェクト」共編著 日本放送出版協会(1999年6月)
- 『生きる力を育むために 15の知恵』(編著)時事通信社(2003年2月)
- 『イラクからの報告 戦時下の生活と恐怖』森住卓共著 小学館文庫(2003年3月) ISBN 4-09-405531-2
- きびしい時代を生きぬく力 香山リカ共著 2011.2. 岩波ブックレット
- 特捜検察は必要か 編. 岩波書店, 2011.3.
翻訳
- アスネ・セイエルスタッド『カブールの本屋 アフガニスタンのある家族の物語』 イーストプレス(2005年7月)
脚注
外部リンク
テンプレート:オウム真理教- ↑ 「江川紹子ジャーナル」で、自分には、感情を熟成しないまま発言することがあると、自分自身で書いている。
- ↑ 第172回『豪さんのポッド 2010/12/26※音声ファイル
- ↑ 日本弁護士連合会2008年2月1日
- ↑ 江川紹子ジャーナル 2009年9月17日
- ↑ テンプレート:要出典範囲
- ↑ テンプレート:Cite bookp11
- ↑ 該当業績については著作リストを参照。
- ↑ テンプレート:Citationただし、四女が2010年に執筆した著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店)の中では、「四女が父を崇拝していた」というのは元信者が江川に吹き込んだ嘘であり、本人の家出等は「将来に対する不安によるもの」だとある。
- ↑ 江川紹子ジャーナル 2007年9月9日
- ↑ 新聞の「説明責任」を問う 2010年02月07日
- ↑ 毎日新聞2010年11月22日記事
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テレビ朝日『やじうまプラス』(2007.6.7放送)より。
- ↑ 江川紹子の2010年6月18日12時16分のtweet
- ↑ 江川紹子の同日12時17分のtweet(つづき)
- ↑ 張本氏と衝突? 江川紹子氏が出演見合わせ TBS「サンデーモーニング」産経新聞2010年6月18日
- ↑ デイリースポーツ2010年8月2日
- ↑ 江川紹子氏、“韓流推し”騒動に物申したふかわりょうに「中身がない」 RBB TODAY 8月1日
- ↑ http://fpaj.jp/?p=2392
- ↑ http://www.j-cast.com/2012/01/26120160.html?ly=cm&p=1