日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行

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日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』(ひたちドキュメンタリー すばらしいせかいりょこう)とは、日本テレビ系列で毎週日曜日に放送されていた、日立製作所ほか日立グループ単独提供の紀行番組である。新聞のラテ欄では『すばらしい世界旅行』と表示される。

1966年10月9日に放送を開始し、1990年9月16日に放送を終了した。放送回数は全部で1010回。開始当初はフィルム制作であったが、1980年代からVTR制作となった。

2007年5月20日から、日テレプラス&サイエンス(現・日テレプラス)での放送が開始された。

放送時間帯

初回から一貫して毎週日曜日に放送。

概要

その名の通り、世界の国々や民族の文化、風習、宗教、儀式、民俗などを紹介する紀行番組であるが、欧米以外の国々を中心に紹介して放送した。この理由については、後述の「制作のきっかけ」を参照のこと。

プロデューサーは、日本テレビのドキュメンタリー番組を手がけてきた牛山純一

番組開始当時の1966年頃は海外旅行自由化がなされてからまだ2年ほどしか経っておらず、海外旅行は多くの日本人にとって高嶺の花であった。テレビの世界においても、海外を取材した番組は少なかった。この番組は、海外旅行にあこがれる日本人に海外旅行のすばらしさを伝えてきた。

当初は、番組協賛が日本航空だった。

アメリカ、イギリスなど10数か国でも放送された。

放送開始からの数年間は日本テレビの単独制作であったが、牛山が独立した1972年12月以降は牛山ら8名のスタッフが設立した日本映像記録センター(映像記録)との共同制作となった。

番組の制作にはエスキモー民族に詳しい東京外国語大学岡正雄教授、インカ文明発掘で有名であった東京大学泉靖一教授ら文化人類学者の協力を得た。題材の相談、資料集めはもちろん外国の学者も紹介してもらった。ディレクターたちは各地域を分担し、半年間は現地で生活しながら取材と撮影にあたった。徹底した現場主義が、この番組の大原則であった。国際人類学民俗学会議ではたびたび招待上映され、パリのル・モンドが「民族的な主題を取り上げ、驚嘆に値する成果を上げた」と絶賛した。またこの映像は国内外の大学の講義にも利用され、博物館にも収蔵されている。さらに学会でも集められたことがない記録や学術論文で触れられたことのない記録もある。

放送されてきた映像の中にはカメラマンがゴリラと直接向き合うという迫力のあるものやとある民族が仲間の死を悔やみ、鉈や棒で自分の頭を打ちつけるという痛ましいものもあった。また男女のキスシーン、民族舞踊を踊る女性などの取材素材が番組のオープニングタイトルに編集されて使われた。制作には東宝が加わり、東宝の水中撮影班を率いた坂野義光監督によって、世界各地の海洋での水中撮影が行われた。

日立製作所ほか日立グループ単独提供(番組冒頭のクレジットは「日立製作所(改行右下に小さく)他、グループ各社」)で、「日立」の部分は番組タイトルにも冠していた。またこの番組で、初めて「日立の樹」のCMが流された(1973年4月 - )。この日曜日の「日立の樹」は『投稿!特ホウ王国』( - 1997年9月)まで続き、とりわけ1975年4月から1997年9月までの22年6ヶ月間に亘って、日本テレビ系日曜19:30~20:00の枠の終盤で「日立の樹」が放送されていた。

ナレーターは、久米明が番組開始時から一貫して担当してきた。オープニングと次回予告で流れるテーマ曲は、山本直純が担当した(エンディングのときはテンポが遅くなる)。オープニングの映像は1980年代後半(番組末期)のころに一部修正されている。初代のフィルム素材に、新たにとり下ろしたVTR素材を加えたもので、当時のタイトル・並びにスポンサーロール字幕もフィルムへの直接の書きこみから、VTRにテロップを乗せる形になっていた。

タイトルとエンディングのスタッフ紹介のバックのイラスト(バッファロー)は同じく牛山がプロデュースした「知られざる世界」と同じだが、バックの背景色が茶色がかっていた[1]

2006年12月15日放送の『週刊お宝TV』(NHK-BS2)でこの番組が取り上げられた。旅好きで知られる原田大二郎をゲストに招き初代オープニングをはじめとする貴重な映像の数々、牛山ら制作者にまつわるエピソードなどが紹介された。原田は、『すばらしい世界旅行』を見たのがきっかけで旅好きになったという。

制作のきっかけ

プロデューサーの牛山は報道系ドキュメンタリーの制作を得意とし、数々の受賞作品を生み出した。しかし、1965年に制作した『ベトナム海兵大隊戦記』は第1部の放送後に政治的なクレームを受け、第2部以降が放送中止となった。テレビの枠内でジャーナリスティックな姿勢を貫くことの限界を思い知らされた牛山は新しい領域を切り開こうと考え、またベトナム戦争のような問題を理解するには背景にある民族の精神に迫る必要があると痛感した。さらに明治以来、欧米化を図ってきた日本に欧米以外の異文化との出会いを広めたいと考え、主に欧米以外を取り上げるドキュメンタリーを制作することを決めた。これが『すばらしい世界旅行』を制作するに至ったきっかけである。

番組の終了

日本テレビの人気番組のひとつであり長期にわたって安定した視聴率を獲得していたが、1980年代に差し掛かると視聴率の低迷が問題視されるようになった。

このため日本テレビ側は欧米を取り上げたり人物に焦点を絞ったりして視聴者受けも狙うよう牛山を説得したが、『すばらしい世界旅行』ならではの個性を通したいと主張する牛山とは平行線をたどった。1990年、海外渡航者数は1000万人を突破し、同年5月13日には放送回数1000回を数えることになっていた。

牛山は「番組の使命は終わった」と考え、1990年9月16日の第1010回をもって24年の歴史に幕を降ろすことを決定。1990年4月29日放送分から番組終了までの約半年間は「千回記念あの村は今」と題してそれまでに取材した地域を再び取材し、その地域の過去と現在とを比較するものを放送した。なお最終回ではスタッフ表示の後、「24年にわたって放送を続けてまいりましたウィークリー番組、すばらしい世界旅行は、今週で終了いたします。長らくご視聴いただき、ありがとうございました」のナレーションで締めくくった。そしていつも通りに「日立の樹」へとつないだ。

2007年5月20日から日テレプラス&サイエンス(現・日テレプラス)にて日本映像記録センターが選んだものとフランス・テレビジョン向けに製作されたものを再編集した計26本を毎回2本放送している。くしくも同じ時間にTBSチャンネルでは『兼高かおる世界の旅』の再放送を行っている。

ネット局

系列はネット終了時のもの。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 日本テレビ 日本テレビ系列 制作局
北海道 札幌テレビ
青森県 青森放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
岩手県 岩手放送 TBS系列 1969年11月まで、現・IBC岩手放送
テレビ岩手 日本テレビ系列 1969年12月開局から
宮城県 仙台放送 フジテレビ系列
日本テレビ系列
1970年9月まで
ミヤギテレビ 日本テレビ系列 1970年10月開局から
秋田県 秋田放送
山形県 山形放送 1980年3月まで[2]
山形テレビ フジテレビ系列 1980年4月から[3]
福島県 福島テレビ 日本テレビ系列 1971年9月まで
福島中央テレビ 1971年10月の福島テレビとのネット交換から
山梨県 山梨放送
新潟県 新潟放送 TBS系列 1968年11月まで
新潟総合テレビ フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1968年12月開局から1981年3月まで[4]
テレビ新潟 日本テレビ系列 1981年4月開局から
長野県 信越放送 TBS系列 1980年9月まで
テレビ信州 テレビ朝日系列
日本テレビ系列
1980年10月開局から
静岡県 静岡放送 TBS系列 1978年6月まで
静岡県民放送 テレビ朝日系列
日本テレビ系列
現:静岡朝日テレビ
1978年7月開局から1979年6月まで
静岡第一テレビ 日本テレビ系列 1979年7月開局から
富山県 北日本放送
石川県 北陸放送 TBS系列 1990年3月まで
テレビ金沢 日本テレビ系列 1990年4月開局から
福井県 福井放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
中京広域圏 名古屋テレビ 1973年3月まで
中京テレビ 日本テレビ系列 1973年4月から
変則ネット解消に伴う移行
近畿広域圏 よみうりテレビ
鳥取県

鳥取県・島根県
日本海テレビ 1972年9月に打ち切られたが、1975年4月再開[5]
1972年9月までの放送エリアは鳥取県のみ
1975年4月の放送再開と同時に島根県でも放送
島根県 山陰放送 TBS系列 1972年9月まで
当時の放送エリアは島根県のみ[6]
広島県 広島テレビ 日本テレビ系列
山口県 山口放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
徳島県 四国放送 日本テレビ系列
香川県

香川県・岡山県
西日本放送 当初はは香川県のみ
1983年4月の電波相互乗り入れで岡山県でも放送
愛媛県 南海放送
高知県 高知放送
福岡県 RKB毎日放送 TBS系列 1969年3月まで
福岡放送 日本テレビ系列 1969年4月開局から
長崎県 長崎放送 TBS系列 1969年3月まで
テレビ長崎 フジテレビ系列
日本テレビ系列
1969年4月開局から
熊本県 熊本放送 TBS系列 1982年3月まで
熊本県民テレビ 日本テレビ系列 1982年4月開局から
大分県 大分放送 TBS系列 1970年3月まで
テレビ大分 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1970年4月開局から
宮崎県 宮崎放送 TBS系列 1970年3月まで
テレビ宮崎 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1970年4月開局から
鹿児島県 南日本放送 TBS系列 1969年3月まで
鹿児島テレビ フジテレビ系列
日本テレビ系列[7]
1969年4月開局から
沖縄県 琉球放送 TBS系列 1975年3月まで[8]
沖縄テレビ フジテレビ系列 1975年4月から[8]

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:前後番組

テンプレート:日立グループ
  1. 一方の「知られざる世界」では青みがかった背景色を使用していた。
  2. 山形県での放映権が当時フジテレビ系列局だった山形テレビに移行したのは、1980年4月に山形放送が日本テレビ系とテレビ朝日系とのクロスネット局に変更されたのに伴い当該枠はテレビ朝日系同時ネット枠に変更されたため(山形放送における当該枠の1980年4月から1993年3月までは『象印クイズ ヒントでピント』を同時ネットで放送)。ちなみに山形放送における当該枠の日本テレビ系同時ネットは、1993年4月の山形テレビのフジテレビ系からテレビ朝日系へのネットチェンジに伴い、『日立 あしたP-KAN気分!』で再開している。
  3. 山形テレビでも同時ネットで放送されたと同時に、1980年4月から1993年3月までの日曜19:00 - 2100は日本テレビ系同時ネットとなった。そのため、これまで同時ネットで放送されていた『世界名作劇場』(フジテレビ系)は遅れネットに降格。
  4. 同局がサービス放送開始時は21時からの放送。その後同番組がゴールデンタイムに移行してからは7日遅れの時差ネットになったが、1979年10月7日からは再び同時ネットに戻った。
  5. 島根・鳥取が1972年10月 - 1975年3月までの間放送されなかったのは、NKTが日曜洋画劇場(NETテレビ⇒テレビ朝日)を同時ネットしていたためである。
  6. BSSでは日曜11:30から1週遅れの時差ネット。
  7. 開局から1982年10月まではテレビ朝日系列も含めたトリプルネット局だった。
  8. 8.0 8.1 沖縄県では琉球放送・沖縄テレビとも、一貫して時差ネットだった。