三浦大輔
テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox baseball player テンプレート:MedalTop テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalBronze テンプレート:MedalBottom 三浦 大輔(みうら だいすけ、1973年12月25日 - )は、奈良県橿原市出身のプロ野球選手兼任コーチ(投手)。現在は横浜DeNAベイスターズに所属。リーゼントの髪型がトレードマークで、通称「ハマの番長」と評される。
目次
経歴
プロ入り前
真菅北小学校時代、2人の弟[注 1]と共に「真北リトルズ」[1]で活躍する。幼少期は大阪市玉造で過ごし、実家の花屋の配達で岡田彰布宅を訪れた際には、岡田も地元でずば抜けた才能を持っていた三浦を評価しており、のちにドラフトで指名しなかった阪神タイガースに対して激怒したという(しかも、三浦は阪神戦に強い)。この縁で、2008年に三浦がFA宣言した際、阪神から手厚いスカウトを受けるきっかけになった。
橿原中学校時代は「北大和シニア」でプレーし、高田商業高校に進学も甲子園出場は叶わず、1991年の県大会は春・夏ともに決勝で谷口功一率いる天理高校に敗れた。
1991年のドラフト会議において、横浜大洋ホエールズから6位で指名され、入団。背番号は「46」。
プロ入り後
横浜大洋ホエールズ最後の年となったテンプレート:Byは、同年10月7日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)[2]に3番手としてプロ初登板を果たすと、打者6人を完璧に抑える好救援を見せた。
球団名が「横浜ベイスターズ」に変更されたテンプレート:By9月4日の対広島東洋カープ戦(北九州市民球場)でプロ初勝利を初完投であげる。テンプレート:Byから先発ローテーションに加わって活躍し始め、テンプレート:Byは初の二桁勝利(10勝3敗)。同年7月29日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では5回まで無安打に抑える快投を見せるも、6回に代打を出されて無安打のまま降板した。
テンプレート:Byから背番号を「18」に変更した。この年は自己最多となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。しかし西武ライオンズとの日本シリーズでは第3戦に先発したものの、序盤で降板して敗戦投手となっている。
テンプレート:By7月3日の対巨人戦で、投球中に右肘の違和感を訴えて途中降板、同年オフに欠けた骨を取り除く内視鏡手術を行った。また、契約更改ではテンプレート:Byからテンプレート:Byまでの6年契約を結んだ。テンプレート:Byは前年受けた手術の影響もあって春季キャンプは二軍スタートとなり、開幕も出遅れる。
テンプレート:Byに行われたアテネオリンピックでは、日本代表に選ばれて銅メダルを獲得した。
テンプレート:Byは2001年(11勝)以来となる二桁勝利(12勝)を挙げ、プロ14年目にして初のタイトル(最優秀防御率・最多奪三振)を獲得した。
テンプレート:By6月20日から同年7月27日にかけて35イニング連続無失点を記録し、連続イニング無失点の球団記録を更新(それまでは平松政次の33回1/3)した。また、第9回ゴールデンスピリット賞を受賞。老人・身体障害者の慰問や小学校への訪問を積極的に行う野球選手に対して贈られる賞だが、三浦はそうした活動に特に率先的であったことが大きく評価された。
6年契約が切れたテンプレート:ByオフにFA宣言し、阪神タイガースが獲得に動いたが、横浜球団やファンの熱心な引き留めで残留した。
テンプレート:Byは失点、被本塁打ともリーグ最多を記録したが、完投もリーグ最多を記録。2年ぶりの2ケタ勝利となる11勝を挙げた。なお、この年に三浦が挙げた11勝が2013年シーズン終了時点で球団最後の2ケタ勝利者となった。
テンプレート:Byは3勝8敗と不振に陥り、テンプレート:By以来16年ぶりに投球回数が100イニングを下回った。
テンプレート:Byより、現役の野球選手として初めて競走馬「リーゼントブルース」を所有することとなり、日本中央競馬会の馬主登録も行った。同年7月10日の対中日戦(横浜スタジアム)に先発して勝利投手となり、19年連続勝利の球団記録を更新した。この年は開幕当初こそ二軍落ちする不本意な成績であったが、イースタン・リーグでの調整を通して全身を鍛えるために短距離ダッシュを繰り返すなど独自の練習で調整するなか、往年の球威と制球力を取戻して7月に昇格するとシーズン終了まで先発ローテーションを守り抜き、この年のチームで唯一の完投・完封を含む、チーム最多(高崎健太郎と同数)の5勝をマークした。投球回数も規定投球回数には達しなかったものの、2年ぶりに100イニングを超えるなど健在ぶりを発揮した。
テンプレート:By、4月1日の対阪神戦(京セラドーム大阪)で勝利投手となり、横浜DeNAベイスターズとしての球団初勝利となった。7月4日の対巨人戦で、2005年8月23日以来となる2507日ぶりの巨人戦勝利となり、同時に通算150勝を達成した[注 2][3]。通算150勝を挙げて以降は調子を上げて前半戦は8勝をあげ、3年ぶりのオールスターにも出場。チームトップの9勝をあげリーグ最多の6完投を記録。
2013年、6月12日のが対ロッテ戦(QVCマリン)で3対0で完封勝利し、小山正明の39歳1カ月での球団最年長完封記録を39歳3カ月で更新した[4]。チームトップの9勝をあげ、12月11日には投手兼任コーチへの就任が発表された[5]
選手としての特徴
テンプレート:スポーツ選手の出典明記 平均球速が139km/h[6]、最速148km/hのストレートと、カットボール・スライダー・フォーク・スローカーブ・シュートなどを投げ分ける技巧派。特に90km/h以下のスローカーブは他の投手にない武器であり、緩急をつけるのに用いられている[7]。
最大の武器は通算与四球率2.48の抜群の制球力で、2010年6月12日放送の『すぽると』における「1/100 この選手がすごい! 投手編・コントロール部門」で1位に選出されている。一方で2005年に最多奪三振のタイトルを獲得するなど三振を奪う能力も備える。また豊富なスタミナの持ち主で完投能力も高く通算15回の無四球完投を記録、現役のNPB選手では最多である(2012年シーズン終了時)。2段モーションの先駆けかつ代表格だったが、テンプレート:By以降にボークに関する規定の厳格化(2段モーションの禁止)によって投球モーションの変更を余儀なくされた。
阪神タイガース戦に滅法強く、2012年シーズン終了時点で通算45勝24敗と大幅に勝ち越している。その一方で読売ジャイアンツ戦に弱く、2013年シーズン終了時点で通算12勝32敗、さらには2005年8月23日から2012年7月4日まで勝利できなかった。東京ヤクルトスワローズ戦も通算で敗戦数が勝利数を上回っており、相性はよくない。
横浜球団の開幕投手を7度務めているが、0勝7敗と一度も勝利していない(後述)。
人物・エピソード
三浦が入団した1992年から2013年シーズン終了時点までに、球団名が横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと変化しているが、三浦は「その3球団全てに在籍したことがある」「横浜ベイスターズ期間中(1993年 - 2011年)に一度も移籍したことがない」唯一の選手である。
先発した試合で最小失点に抑えていても、味方打線の沈黙によって敗戦投手になるケースが多い。テンプレート:Byは記録した7分のうち5試合に先発登板しているが、その中には両投手の完封リレーによって0-0で引き分けた試合(2005年4月15日の広島戦、相手投手は黒田博樹)も存在したほか、7回2失点以内に抑えて勝利投手になれなかった試合も9試合存在する。しかし、そのような試合でも「打たれた自分が悪い」と決して他人に責任を押し付けず、打線を擁護するコメントを出している。
リーゼントの髪型は矢沢永吉の影響。プロに入ってすぐ矢沢永吉の自伝『成りあがり』を読みポマードを買って髪を固めた。シーズンオフは皮のジャケットに身を包み、タオルを首に巻いて矢沢永吉の日本武道館でのコンサートに足を運ぶ。数年前から長男も連れて行っているという[8]。
プロレス関係者と交流が深い。1998年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会ではnWoジャパン構成員として、鈴木尚典と共に蝶野正洋のセコンドに付いた。2002年には魔界倶楽部総裁の星野勘太郎から「魔界18号」と命名されている。また、親交の深かった橋本真也が2005年に急逝した際は、橋本の入場テーマ「爆勝宣言」でマウンドに上がって見事完封勝利を収め、ヒーローインタビューで涙を流していた。
自身のブログには、三浦自身が見つけたものや見かけたもの(モニュメント、花、景色)や季節、チームメイトの山口俊・牛田成樹・加賀繁やトレーナー、裏方などといった三浦と交流がある人物、本拠地である横浜スタジアムの様子、自身が出演するメディアの情報、さらには飼っている2匹の犬(「ラブ」と「シュガー」と名づけている)の様子などが原則1日1回のペースで更新されている。ブログに載せている写真はほぼ全て自ら撮影しているため、常に右端の同じ位置でフレームインしている。登板した試合で勝利投手となった日は、既にブログを更新している場合でも勝利を表す白星(☆)を1個ずつシーズン勝利数の分だけ積み重ねて再度更新するなど、ファンとの交流を非常に大切にしている。
開幕戦未勝利
2013年時点で7回開幕投手を務めているが、結果は0勝7敗といずれも敗戦投手となっている。開幕登板での7連敗はプロ野球記録である[9]。
年月日 | 対戦相手 | 球場 | 相手投手 | 備考 |
---|---|---|---|---|
テンプレート:By | ヤクルトスワローズ | 横浜スタジアム | 石井一久 | 同点の7回に連打を浴びて降板。この年は開幕から6連敗を経験し、14試合目の登板で初勝利。 |
テンプレート:By | 広島東洋カープ | 広島市民球場 | 佐々岡真司 | 8回途中まで2失点と好投するも打線の援護に恵まれず。 |
テンプレート:By | ヤクルトスワローズ | 明治神宮野球場 | ジェイソン・ベバリン | 無失点で迎えた7回裏に3本のソロ本塁打を浴びて降板、打線の援護もなく黒星。 |
テンプレート:By | 中日ドラゴンズ | ナゴヤドーム | 川上憲伸 | 8回無失点と好投するも、9回裏にアレックス・オチョアにサヨナラ満塁本塁打を被弾。 |
テンプレート:By | 読売ジャイアンツ | 東京ドーム | 上原浩治 | 初回に4失点、3回にも2失点し、4回6失点で敗戦投手となる。 |
テンプレート:By | 読売ジャイアンツ | 横浜スタジアム | 内海哲也 | 試合開始直後の初球を高橋由伸に本塁打とされるなど、6回3失点で敗れた。 |
テンプレート:By | 中日ドラゴンズ | ナゴヤドーム | 浅尾拓也 | 2年ぶりに開幕投手となるが、和田一浩に2本塁打を喫するなど7回4失点。 これによって開幕投手7連敗となり、東尾修を抜いてプロ野球記録となった。 |
なお、2010年の開幕はキャンプの段階で指名されていたが、自身の調整遅れのためスティーブン・ランドルフが務めた。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 大洋 横浜 DeNA |
1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 6 | 2.0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 |
テンプレート:By2 | 15 | 8 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | -- | .500 | 255 | 60.1 | 60 | 4 | 21 | 1 | 2 | 61 | 2 | 0 | 23 | 23 | 3.43 | 1.34 | |
テンプレート:By2 | 17 | 6 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | 0 | -- | .500 | 228 | 47.2 | 61 | 2 | 25 | 0 | 0 | 35 | 2 | 1 | 27 | 23 | 4.34 | 1.80 | |
テンプレート:By2 | 25 | 22 | 3 | 0 | 1 | 8 | 8 | 0 | -- | .500 | 619 | 147.2 | 131 | 17 | 52 | 5 | 4 | 107 | 5 | 0 | 66 | 64 | 3.90 | 1.24 | |
テンプレート:By2 | 34 | 21 | 4 | 0 | 0 | 5 | 10 | 0 | -- | .333 | 582 | 131.1 | 151 | 17 | 55 | 1 | 1 | 101 | 0 | 0 | 82 | 72 | 4.93 | 1.57 | |
テンプレート:By2 | 26 | 22 | 4 | 1 | 1 | 10 | 3 | 0 | -- | .769 | 578 | 142.1 | 113 | 9 | 51 | 1 | 3 | 129 | 4 | 1 | 54 | 53 | 3.35 | 1.15 | |
テンプレート:By2 | 25 | 24 | 2 | 1 | 0 | 12 | 7 | 0 | -- | .631 | 656 | 158.2 | 138 | 12 | 60 | 3 | 3 | 119 | 4 | 0 | 64 | 56 | 3.18 | 1.25 | |
テンプレート:By2 | 30 | 25 | 4 | 3 | 1 | 9 | 10 | 0 | -- | .473 | 729 | 175.0 | 174 | 22 | 51 | 1 | 2 | 130 | 2 | 0 | 92 | 83 | 4.27 | 1.29 | |
テンプレート:By2 | 24 | 24 | 4 | 0 | 1 | 11 | 6 | 0 | -- | .647 | 665 | 164.2 | 154 | 22 | 32 | 0 | 3 | 122 | 3 | 0 | 64 | 59 | 3.22 | 1.15 | |
テンプレート:By2 | 26 | 25 | 5 | 2 | 0 | 11 | 6 | 0 | -- | .647 | 673 | 168.2 | 137 | 14 | 53 | 6 | 2 | 135 | 1 | 0 | 56 | 54 | 2.88 | 1.13 | |
テンプレート:By2 | 19 | 18 | 4 | 2 | 2 | 4 | 10 | 0 | -- | .285 | 488 | 119.2 | 108 | 12 | 28 | 6 | 2 | 100 | 1 | 0 | 46 | 43 | 3.23 | 1.14 | |
テンプレート:By2 | 15 | 15 | 1 | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | -- | .500 | 420 | 101.1 | 94 | 18 | 21 | 3 | 5 | 82 | 1 | 0 | 48 | 46 | 4.09 | 1.13 | |
テンプレート:By2 | 22 | 22 | 1 | 0 | 1 | 6 | 8 | 0 | -- | .428 | 618 | 144.0 | 158 | 17 | 33 | 0 | 5 | 135 | 7 | 0 | 69 | 68 | 4.25 | 1.33 | |
テンプレート:By2 | 28 | 28 | 10 | 2 | 3 | 12 | 9 | 0 | 0 | .571 | 856 | 214.2 | 168 | 20 | 52 | 2 | 4 | 177 | 4 | 0 | 68 | 60 | 2.52 | 1.02 | |
テンプレート:By2 | 30 | 30 | 9 | 3 | 3 | 8 | 12 | 0 | 0 | .400 | 912 | 216.2 | 227 | 19 | 44 | 5 | 5 | 160 | 3 | 0 | 94 | 83 | 3.44 | 1.25 | |
テンプレート:By2 | 28 | 28 | 4 | 3 | 0 | 11 | 13 | 0 | 0 | .458 | 793 | 185.1 | 184 | 15 | 51 | 3 | 7 | 159 | 5 | 0 | 74 | 63 | 3.06 | 1.27 | |
テンプレート:By2 | 21 | 21 | 4 | 1 | 1 | 7 | 10 | 0 | 0 | .412 | 589 | 144.0 | 137 | 22 | 29 | 0 | 4 | 111 | 4 | 0 | 63 | 57 | 3.56 | 1.15 | |
テンプレート:By2 | 28 | 28 | 6 | 1 | 0 | 11 | 11 | 0 | 0 | .500 | 799 | 195.1 | 175 | 28 | 37 | 1 | 4 | 138 | 2 | 0 | 82 | 72 | 3.32 | 1.09 | |
テンプレート:By2 | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 3 | 8 | 0 | 0 | .273 | 365 | 79.2 | 108 | 12 | 23 | 3 | 4 | 58 | 2 | 0 | 67 | 64 | 7.23 | 1.64 | |
テンプレート:By2 | 18 | 18 | 2 | 1 | 0 | 5 | 6 | 0 | 0 | .455 | 463 | 111.1 | 96 | 9 | 31 | 2 | 7 | 74 | 1 | 0 | 39 | 36 | 2.91 | 1.14 | |
テンプレート:By2 | 25 | 25 | 6 | 1 | 1 | 9 | 9 | 0 | 0 | .500 | 738 | 182.2 | 160 | 15 | 48 | 4 | 3 | 107 | 4 | 0 | 61 | 58 | 2.86 | 1.14 | |
テンプレート:By2 | 27 | 27 | 2 | 1 | 0 | 9 | 13 | 0 | 0 | .409 | 731 | 175.2 | 181 | 26 | 33 | 0 | 1 | 109 | 5 | 0 | 88 | 77 | 3.94 | 1.22 | |
通算:22年 | 500 | 453 | 77 | 23 | 15 | 161 | 169 | 0 | 0 | .488 | 12763 | 3068.2 | 2915 | 332 | 830 | 47 | 71 | 2350 | 62 | 2 | 1327 | 1214 | 3.56 | 1.22 |
---|
- 2013年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更
タイトル
表彰
- 月間MVP:3回 (2000年8月、2005年8月、2007年7月)
- 優秀JCB・MEP賞:1回 (2005年)
- ゴールデンスピリット賞 (2007年度)
- スピードアップ賞 (2009年度)
- オールスターゲーム優秀選手賞:2回 (2002年第1戦・2006年第1戦)
- オールスターゲームSANYO賞:1回 (2006年第1戦)
- オールスターゲームベストピッチャー賞:1回 (2009年第1戦)
記録
- 初記録
- 初登板:1992年10月7日、対読売ジャイアンツ26回戦(横浜スタジアム)、7回表から3番手として救援登板、2回無失点[10]
- 初奪三振:同上、8回表に篠塚和典から[11]
- 初先発:1993年8月1日、対広島東洋カープ17回戦(広島市民球場)、5回2失点[12]
- 初勝利・初完投勝利:1993年9月4日、対広島東洋カープ21回戦(北九州市民球場)、9回1失点[13]
- 初完封勝利:1994年4月22日、対広島東洋カープ1回戦(横浜スタジアム)[14]
- 節目の記録
- 1000投球回数:2000年9月10日、対広島東洋カープ24回戦(横浜スタジアム)、1回表2死目に東出輝裕を右飛で達成 ※史上284人目
- 1000奪三振:2002年6月6日、対ヤクルトスワローズ8回戦(横浜スタジアム)、2回表に坂元弥太郎から ※史上109人目
- 1500投球回数:2004年6月19日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、2回裏1死目にアレックス・オチョアを三振で達成 ※史上152人目
- 100勝:2006年5月9日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(横浜スタジアム)、先発で8回2失点 ※史上119人目
- 1500奪三振:2006年6月18日、対西武ライオンズ6回戦(インボイスSEIBUドーム)、6回裏に和田一浩から ※史上47人目
- 2000投球回数:2007年3月30日、対読売ジャイアンツ1回戦(横浜スタジアム)、6回表1死目に小坂誠を投ゴロで達成 ※史上82人目
- 2500投球回数:2009年9月21日、対阪神タイガース22回戦(横浜スタジアム)、2回表2死目に安藤優也を捕邪飛で達成 ※史上44人目
- 2000奪三振:2009年10月3日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、4回表に堂上剛裕から ※史上19人目
- 150敗:2012年6月17日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(福岡ドーム)、8回1失点で完投敗 ※史上27人目
- 150勝:2012年7月4日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、7回3失点6奪三振 ※史上47人目
- 3000投球回数:2013年7月24日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、5回裏2死目に谷繁元信を一邪飛で達成 ※史上27人目
- 500試合登板:2013年10月5日、対中日ドラゴンズ24回戦(ナゴヤドーム)で先発登板、9回3失点で勝敗つかず(自策点0) ※史上91人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:6回 (2002年、2004年、2006年、2009年、2012年、2013年)
背番号
- 46 (1992年 - 1997年)
- 18 (1998年 - )
- 17 (2004年アテネ五輪)
登場曲
関連情報
著書
- 横浜ベイスターズ三浦大輔の心・技・体(ベースボール・マガジン社、2006年11月) ISBN 4-583-61424-1
- 打てるもんなら打ってみろ!(ロングセラーズ、2008年6月) ISBN 4-8454-2119-4
- 逆境での闘い方 ~折れない心をつくるために~(大和書房 、2012年11月)ISBN 4-479-79368-2
出演番組
- くりぃむナントカ
- 三浦大輔のスポーツボンバー!(TBSラジオ)
- エキサイト・スタジアム(TBSラジオ) 水曜日
- 三浦大輔の輝け!ベイスターズ(TBSラジオ)
- 三浦大輔のハマ番(GAORA)
- 花嫁は厄年ッ!(TBS) ※本人役でゲスト出演
- 日立 世界・ふしぎ発見!(TBS)
- ネプリーグ(フジテレビ)
- 秘密のケンミンSHOW (読売テレビ)
- 課外授業 ようこそ先輩(NHK総合テレビ)
三浦の地元・大阪市に本社のある毎日放送では、毎年のシーズンオフ(11月中旬 - 12月下旬)に、三浦が半日がかりで複数のテレビ・ラジオ番組へゲストで出演することが2005年頃から恒例になっている[注 3]。
出演映画
- ROOKIES -卒業- ※特別出演
出演PV
脚注
注釈
出典
関連項目
- オリンピック野球競技メダリスト一覧
- 奈良県出身の人物一覧
- アテネオリンピック野球日本代表
- 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
- 兄弟スポーツ選手一覧
- nWoジャパン - 東京ドーム大会で蝶野正洋のセコンドに付いた。
- 魔界倶楽部 - 星野勘太郎から魔界18号に任命された。
外部リンク
- Baseball Net Club - オフィシャルサイト
- ハマの番長 - オフィシャルブログ
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- ↑ ちなみにこの試合は「横浜大洋ホエールズ」としては最後の試合であり、遠藤一彦の引退登板でもあった。
- ↑ 三浦150勝!2507日ぶりG倒で金字塔
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ DeNA 三浦 現状維持も来季から投手コーチ兼任「アドバイスができれば」スポーツニッポン2013年12月12日配信
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 原監督「あのテクはまねできない」 nikkansports.com 2013年7月20日
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 【4月3日】2009年(平21) ついに新記録 三浦大輔 開幕戦7連敗 2012年12月5日閲覧。
- ↑ 神奈川新聞、1992年10月8日。
- ↑ 神奈川新聞、1992年10月7日。
- ↑ 神奈川新聞、1993年8月2日。
- ↑ 神奈川新聞、1993年9月5日。
- ↑ 神奈川新聞、1994年5月23日。