有馬温泉
テンプレート:日本の温泉地 有馬温泉(ありまおんせん)は、兵庫県神戸市北区(旧摂津国)にある温泉。日本三古湯の一つであり、林羅山の日本三名泉や、枕草子の三名泉にも数えられ、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である西大関に格付けされた。名実ともに日本を代表する名泉の一つである。瀬戸内海国立公園の区域に隣接する。
目次
泉質
地質的には、活断層である有馬高槻構造線の西端にあるため、地下深くまで岩盤が割れており、その割れ目を通って地下深くから温泉水が噴出している構造。
泉質は湧出場所により異なり、塩分と鉄分を多く含み褐色を呈する含鉄塩化物泉、ラジウムを多く含む放射能泉、炭酸を多く含む炭酸水素塩泉の3種類がある。 それぞれ、湧出口では透明だが、空気に触れ着色する含鉄塩化物泉(赤湯)は「金泉(きんせん)」と呼ばれ、 それ以外の透明な温泉は「銀泉(ぎんせん)」と呼ばれている。ただし、泉源により成分は若干異なる。 なお、「金泉」、「銀泉」という名称は、有馬温泉旅館協同組合の登録商標(金泉:第3295652号・第4672302号、銀泉:第4672303号)となっているため、これらの名称を勝手に使用することはできない。
近年、放射性同位体の成分分析により、金泉の起源は瀬戸内海ではなく、太平洋(南海トラフ付近)の海水を起源とすることが、ほぼ解明された。
- 金泉:含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉
- 鉄分が多いため、タオルにかけ続けると赤褐色に染まる
- 銀泉:炭酸ラジウム混合低温泉
- 泉源:天神泉源、有明泉源、炭酸泉源、太閤泉(飲泉場)、極楽泉源、御所泉源、妬(うわなり)泉源
温泉街
神戸市にありながら山深く六甲山地北側の紅葉谷の麓の山峡にある温泉街で、古くより名湯として知られ多くの人が訪れている。温泉街は標高350m - 500mに位置しており、かなりの急斜面にあって、街中を通る道も細い。大きな旅館やホテルは温泉街の周辺や少し離れた山麓、山中にある。公的な外湯は「金の湯」(金泉)、「銀の湯」(銀泉)があり、観光客や下山客でにぎわっている。旅館の宿泊料金は比較的高いとされているが、最近では一人一泊二食付1万円の宿も散見され幅広い客層がみうけられる。また、最近では日帰り入浴を楽しめる旅館が増えてきている。温泉寺の周辺に上記外湯2箇所と特産品店や民家が密集しており、のんびり散策する客が多い。そこでスルッとKANSAI(主に阪急・阪神・神戸電鉄)各社では日帰り入浴客に配慮して、それに対応した旅館とのタイアップにより企画した特殊乗車券を発売するなどして、誘致活動に努めている。
また、有馬温泉では「○○坊」と名の付く宿が多い。これは元々、有馬十二坊と呼ばれた坊舎が存在したことを物語るもので、建久二年(1191年)に、吉野の僧坊、仁西上人が熊野十二神将に準え、十二軒の湯治宿を建てたのが契機であり、一部の旅館はこの伝統的な名称を継承している。
2010年(平成22年)からは会員制リゾートの進出が相次ぐ。東急ハーヴェストクラブの「有馬六彩・有馬六彩VIARA」やエクシブの「有馬離宮(2011年春開業)」、ザ グラン リゾートの「ザ グラン リゾート プリンセス有馬」などの進出により、ホテルや旅館が1,300室から1,600室へと2割以上の増加となり、競争の激化が予想されている[1]。
また、毎年1月9日には、えびす神社の総本社である西宮神社に温泉を運び有馬温泉の商売繁盛を願う献湯式が模様されている。 (詳細は西宮神社#有馬温泉献湯式を参照)
- 湯本坂 - 旧大阪街道。昔の温泉街のメインストリートで、町家の佇まいが残る
- 外湯 - 金の湯、 銀の湯、 太閤の湯(温泉テーマパークで有馬ビューホテルの一部)
- 公園 - 瑞宝寺公園、 鼓ヶ滝公園、 愛宕山公園、ゆけむり広場
- 社寺 - 有馬稲荷神社、温泉寺、極楽寺、念仏寺、湯泉神社、妙見寺、寶泉寺、善福寺、林渓寺
- 博物館 - 神戸市立太閤の湯殿館、温泉寺御祖師庵、有馬の工房、有馬玩具博物館、有馬切手文化博物館
- 景勝地 - 有馬四十八滝、紅葉谷、地獄谷
- 花街 - 温泉地ではあるが、格式の高さでは有名。高卒の新人芸妓は舞子と呼ばれる。
有馬三山
- 湯槽谷山(801m) - 山名は有馬温泉の湯槽を作るための用材を杣取した山であることに由来する。
- 灰形山 (633m) - 六甲有馬ロープウェーの有馬温泉駅の直ぐ西
- 落葉山 (619m) - 温泉街の北に位置する
名産品
- 炭酸煎餅
- 炭酸饅頭
- 有馬籠(茶道道具として用いられる。現在、製造元は竹芸有馬籠くつわのみである。)
- 人形筆
- 松茸昆布(歴史ある名産品の一つ。有馬では川上佃煮店が主に販売を行っている。)
- サイダー(1889年頃、イギリスのジョン・クリフォード・ウィルキンソンが当時の兵庫県有馬郡塩瀬村生瀬[現在の兵庫県西宮市塩瀬町生瀬]にて炭酸鉱泉を発見し、1890年頃、その鉱泉水を「仁王印ウォーター」(現・ウィルキンソン タンサン)の名で発売した[2]。なお、鉱泉水はサイダーとは異なる。)
- 黒豆のタルト、黒豆のプリン、豆腐など黒豆を使った食品
- 山椒を使った食品。料理名で「有馬」と付くと山椒を使った料理
歴史
有馬温泉の歴史は古く、昔から皇族・貴族・文化人らに愛されてきた。日本最古泉とも言われる。
- 足利義稙は中風の湯治のために滞在したことがある[3]。『陰徳太平記』。
- 豊臣秀吉は有馬を愛し何度も訪れ、更に温泉や周辺の改修を行い、今でも太閤○○と言う地名が残っている。
- 江戸時代に作成された温泉番付では、西大関(当時最高位)にランクされていた。また、姫路と京都を結ぶ街道の経由地としても栄えた。(参照:有馬街道)
- 谷崎潤一郎も有馬を愛し長期滞在して執筆を行うと同時に、作品中にも有馬温泉を度々登場させている。
- 1950年(昭和25年)から毎年秋に「有馬大茶会」が開催されている。
- 1968年(昭和43年)11月2日 - 温泉街の旅館池之坊満月城で火災。死者30人。 参照、池之坊満月城火災
有馬温泉に関連する有名な短歌
ありま山 ゐなのささ原 風ふけば いでそよ人を わすれやはする
- 有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする
- しなが鳥猪名野を来れば有馬山夕霧立ちぬ宿(やどり)は無くて
- 読み人知らず 万葉集巻七
- 花吹雪兵衛の坊も御所坊も目におかずして空に渦巻く
- 与謝野晶子 晶子鑑賞 平野萬里
- 底本:「晶子鑑賞」三省堂
- 1949年(昭和24年)7月25日 初版発行
- 1979年(昭和54年)1月25日 復刊 第 1刷発行
- 有馬での作。何々坊といふのは有馬の湯の宿特有の名で、元々が宿坊であることの名残。その広大な構へと相俟つてこの温泉の古い歴史と伝統とを誇示してゐる。有馬には桜が多くその散り 方の壮観が思はれるが、それが坊名をあしらふことによつて有馬情調そのまゝに表現されてゐる。とは、平野萬里の評。
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天神泉源
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温泉寺
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瑞宝寺公園
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鼓ヶ滝公園
交通
有馬温泉は阪神間の裏山に当る六甲山の北側にあるので、南側より訪問するには山を迂回するか山を貫くトンネルを利用するか山を越える必要がある。
徒歩
山越えルートは乗り物利用の他にも 六甲山中に網目状にある『登山道』をたどる脚力頼みのルートもあり、いずれも根強い人気がある。登山道には、交通機関が発達する前に 御影から有馬温泉に新鮮な魚介を運ぶ魚屋が利用したと言われる『魚屋道』(ととやみち)などがある。登山道といってもさほど険しいものではなく、よく小学生が親と一緒に登山しているという場面もみられる。
自家用車
- 阪神高速北神戸線有馬口出入口より兵庫県道51号宝塚唐櫃線経由約1.5km
- 阪神高速7号北神戸線西宮山口南出入口より兵庫県道98号有馬山口線経由約3km
- 中国自動車道西宮北インターチェンジより約4km
公共交通
鉄道
- 神戸電鉄有馬線有馬温泉駅下車
- 六甲有馬ロープウェー有馬温泉駅下車
なお、1915年(大正4年)から1943年(昭和18年)にかけては日本国有鉄道(鉄道省)の鉄道路線である有馬線があり、福知山線三田駅から分岐し当時存在した有馬駅とを結んでいた。
バス
- 「有馬」バス停(阪急バス有馬案内所前)発着
- 「有馬温泉」バス停(太閤橋東詰)発着
脚注
- ↑ 2010年5月8日 - 日本経済新聞(近畿経済版)
- ↑ WILKINSON'S STORIES STORY 1 ウィルキンソン タンサン 「ウィルキンソン タンサン」は山中の炭酸鉱泉からはじまった - アサヒ飲料、2013年9月15日閲覧。
- ↑ 『後法成寺尚通公記』永正14年閏10月2日条
関連項目
- 兵庫県の観光地
- 放射線ホルミシス#環境放射線の積極的な利用としての放射能泉
- 阪急宝塚本線 - 阪急電鉄の旧社名「箕面有馬電気軌道」が示す通り、当初は大阪と有馬温泉を結ぶ計画であったが、山越えの難工事になることに加え、温泉旅館の経営者が宿泊客の減少を懸念して建設に反対したため宝塚以西は建設されなかった。