温泉番付

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

温泉番付(おんせんばんづけ)とは、温泉地大相撲番付に見立てて格付けしたものである。

概要

温泉番付が初めて作られたのは、江戸時代寛政年間といわれている。当時歌舞伎役者の人気を相撲の番付風に格付けした、見立て番付が流行した。同じようなものが数々のジャンルに対して作成され、温泉番付もその中の1つとして作成された。その番付は効能の高さを元にランク付けされている。そのため、番付によっては温泉名の上に効能が記述されているものもある。番付の東西は、大相撲の番付の考え方と異なり、単に東日本の温泉は東に、西日本の温泉は西に番付されている。ただし、幕内下位の西日本の欄には東日本の温泉が一部入っている。

温泉番付は江戸、大坂など、町人文化が発達したところで町人によって作成され、その後各地の温泉地でも作成された。この時代の番付の特徴としては、

  1. 作成された場所により、温泉地の番付に変化がある
  2. 誤字脱字、該当温泉地が不明のものがある。

1の理由としては、近くの温泉や自分の温泉地をひいきにしたりすることが多かったためである。2については、当時は街道は発達していたが町人が自由に旅行することは難しく、他の旅行者の評判や既存の温泉番付を参考にして番付に反映させていた。その結果人伝えに情報が伝えられるうちに誤字脱字や、該当不明の温泉地が発生しそれがそのまま掲載された。

作成された場所により温泉番付の中身は変化があるが、どの番付でも大関(当時最高位)は草津温泉有馬温泉勧進元湯の峰温泉(番付内では本宮の湯として登場)である。

江戸時代に流行った温泉番付は明治時代以降も製作されたが、徐々に番付を行う風習は廃れていった。

現在では温泉の格付けはベスト10、ベスト100形式が主流であるが、松田忠徳など温泉評論家により番付が作成されることがある。また、野口冬人による露天風呂番付や、共同浴場番付など特定の分野に特化した番付も作られている。


諸国温泉功能鑑

ファイル:Shokoku Onsen Kounou Kan-2.jpg
諸国温泉功能鑑:1851年 (嘉永) 4年2月発行

温泉番付の一例としての「諸国温泉功能鑑」は江戸時代後期1817年文化14年)に書かれたとされる[1][2]。なお当時の相撲には横綱の格付けはなく大関が最高位であった[1]

行司 : 大鰐温泉湯の峰温泉(熊野本宮の湯)・熱海温泉 [3]
勧進元 : 熊野新宮の湯
差添 : 沢渡温泉
番付 西
大関 有馬温泉 草津温泉
関脇 城崎温泉 那須湯本温泉
小結 道後温泉 諏訪温泉
前頭(1段) 山中温泉 湯河原温泉
前頭 内牧温泉 芦ノ湯温泉(箱根)
前頭 浜脇温泉(別府) 嶽温泉
前頭 雲仙温泉 上州 湯川尾湯[4]
前頭 霧島温泉郷 鳴子温泉
前頭 別府温泉 蔵王温泉
前頭 山鹿温泉 (武州 小河内原湯)[5]
前頭(2段) 下呂温泉 津軽 嶽の湯
前頭 日奈久温泉 箱根湯本温泉
前頭 和倉温泉 伊豆長岡温泉
前頭 湯原温泉 信州 渋湯の湯
前頭 (薩摩 硫黄の湯) 東山温泉
前頭 南紀白浜温泉 松之山温泉
前頭 湯村温泉 恐山温泉
前頭 湯の山温泉 湯田川温泉
前頭 (紀州 大世知の湯) いわき湯本温泉
前頭 中宮温泉 赤湯温泉
前頭 (伯州 徒見の湯) 日光湯元温泉
前頭(3段) 古里温泉 秋田 大瀧の湯
前頭 武雄温泉 飯坂温泉
前頭 (石州 河村の湯) 湯瀬温泉
前頭 湯田温泉 姥子温泉
前頭 (肥前 うるしの湯) 修善寺温泉
前頭 (越中 足倉の湯) 川渡温泉
前頭 (越後 塩沢の湯) 温海温泉
前頭 塔ノ沢温泉 温湯温泉
前頭 小安温泉 (米沢 湯沢の湯)
前頭 湯川内温泉 伊豆山温泉
前頭 宮の下温泉 熱塩温泉
前頭 矢立温泉 木賀温泉(箱根)
前頭(4段) 湯の瀬温泉 塩原温泉
前頭 堂ヶ島温泉 湯野浜温泉
前頭 浅虫温泉 板留温泉
前頭 秋保温泉 別所温泉
前頭 出湯温泉 関温泉
前頭 上山温泉 台温泉
前頭 浅間温泉 (伊達 湯の村の湯)
前頭 底倉温泉 銀山温泉
前頭 老神温泉 鎌先温泉
前頭 湯田上温泉 (会津 龍の湯)
前頭 (津軽 倉立の湯) (米沢 谷沢の湯)
前頭 (能州 足の湯) (南部 麻水の湯)

ギャラリー

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. 後年の温泉番付には伊香保となっている。
  5. 小河内ダムにより水没。現在は、ダム底の源泉からポンプで汲み揚げた湯を近隣旅館に配湯している。(鶴の湯温泉

関連項目

外部リンク

テンプレート:温泉


テンプレート:Asbox