両毛線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年4月5日 (土) 11:18時点における検見川町 (トーク)による版 (駅一覧: 岩舟町廃止に対応。)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索
テンプレート:UKrail-headerテンプレート:BS-daten
上記の路線図の赤線が本来の両毛線(小山 - 新前橋)、青線が上越線への乗り入れ区間(新前橋 - 高崎)

両毛線(りょうもうせん)とは、栃木県小山市小山駅から群馬県前橋市新前橋駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。

運行上は、群馬県側では新前橋駅より上越線に乗り入れ高崎駅まで運転しているため、乗り入れ区間においても両毛線列車として案内されている。

概要

両毛地域と呼ばれる栃木県南西部から群馬県南東部に至る平野部の諸都市を結ぶ路線である。もともとこの地域で盛んに生産されていた生糸や、桐生織に代表される織物の輸送のために建設された路線であったが、現在では地元の通勤通学客の利用が中心となっている。沿線には中学・高校・大学・専門学校などが多く、朝夕は通学のための生徒で混雑する。

対東京輸送は東武鉄道が、各都市から東京都心の浅草駅に直通する特急をはじめとした優等列車を多く走らせて、この地域と東京を直結させているのに対し、両毛線は地域内輸送が中心で、ほとんどの列車が普通列車となっている。ただし前橋市にとっては、高崎駅を経て高崎線もしくは新幹線経由で都心へ向かう際の主要な公共交通機関となっている。

平野部を走る路線であるが、沿線の主要な都市に立ち寄るように建設されたため、路線は大きく蛇行しているが、沿線の都市間アクセスに利点がある。例えば足利 - 伊勢崎間は東武伊勢崎線桐生 - 前橋間には上毛電気鉄道上毛線といった路線が(伊勢崎駅以外は同一の駅ではないが)両毛線よりも短い距離で並行している部分があるものの、東武伊勢崎線は太田で運行系統が分断されているため、直通運転が少ない時間帯では乗り換えを強いられるほか、上毛電気鉄道上毛線は、両毛線よりも駅数が多く所要時間も長くなり、かつ運賃も高額となっている。

また、思川渡良瀬川やその本流である利根川など、距離の割に大きな河川を横切ることが多い路線であることも特徴的である。

全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」[1]、およびIC乗車カードSuica」の首都圏エリアに含まれている[2]

2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震の影響による発電所停止に伴い東京電力が実施した計画停電の第1から第5グループすべてにまたがるため、小山駅 - 伊勢崎駅間は運休していたが、3月31日に全線復旧した。ただし、計画停電が実施されなかった日でも運転は再開されなかった[3]

路線データ

  • 管轄:東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
  • 区間(営業キロ):小山駅 - 新前橋駅間 84.4km[4]
  • 軌間:1067mm[4]
  • 駅数:18(起終点駅含む)
    • 両毛線所属駅に限定した場合、起終点駅(小山駅は東北本線、新前橋駅は上越線の所属[5])が除外され、16駅となる。
  • 複線区間:岩舟駅 - 佐野駅間、駒形駅 - 前橋駅間[6]
  • 電化区間:全線(直流1500V)[4][6]
  • 閉塞方式:(複線および単線)自動閉塞式
  • 保安装置:ATS-P[7]
  • 最高速度:95km/h
  • 運転指令所:高崎総合指令室(CTC
  • ラインカラー:イエロー(ただし、電車内に掲出している東京近郊路線図ではオレンジ、小山駅と新前橋駅の構内での一部ではマゼンタを使用している)

小山駅のみ大宮支社、それ以外(思川駅 - 新前橋駅間)は高崎支社の管轄であり、小山駅起点2km地点(思川の鉄橋の手前)に支社境界がある。

沿線概況

テンプレート:UKrail-headerテンプレート:BS-tableテンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BS3テンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BSテンプレート:BS3テンプレート:BSテンプレート:BS-colspan *: 1968年までに休止、1987年廃止

|} 群馬の上毛野国と栃木の下毛野国を結ぶ両毛線は、都市と田園、北を足尾山地の山々、南を関東平野の田園風景と詩趣を呼び起こす沿線である。

小山 - 桐生

小山駅 - 富田駅間は市街地を除いて水田地帯の中を走り、富田駅 - 桐生駅間は概ね足尾山地の縁に沿って走っている。

東北新幹線の高架下にある小山駅の両毛線ホームを出ると、まず結城街道の陸橋をくぐる。その後すぐに宇都宮線が右手に離れて分岐し、反対の左手側には北部電留線があり、また周辺の倉庫、工場への引込み線が引かれているのがわかる。国道4号の陸橋をくぐった直後の右手には小山ゆうえんちがあったが、今はショッピングモールおやまゆうえんハーヴェストウォーク小山温泉 思川となっている。高台にある市街地を過ぎると思川を渡る。思川を渡るとあたりは一気に田園地帯となる。その田園地帯の中を走ると思川駅に至る。さらに田園地帯が続き、住宅地が見えると高架区間に入り、東武日光線をくぐる。高架化以前の両毛線は、栃木レザー工場の北側を走っていたが、栃木駅周辺の高架化に伴い、東武日光線に沿うように経路が大きく変更され、旧線跡地の一部は栃木県道31号栃木小山線となっている。巴波川を越えると、「小江戸」と呼ばれる栃木市の中心駅・栃木駅に到着する。蔵づくりの建物が立ち並ぶ中心部へは、駅から1kmほどの距離がある。

栃木駅では東武日光線東武宇都宮線と接続する。栃木駅から大平下駅にかけて、太平山を望みながら東武日光線とやや離れたところを併走する。岩舟駅から佐野駅までは複線区間となっており、水田や岩船山三毳山を望みながら進む。東北自動車道と交差し、住宅地をしばらく走ると佐野駅に着く。佐野駅では東武佐野線と接続する。佐野駅を出ると、秋山川を渡り、田園地帯が続き、旗川を渡って足利市に入る。富田駅付近では、南にあしかがフラワーパークを、北に栗田美術館を望める。富田駅・足利駅山前駅小俣駅にかけて東西に長く連なる足利市街地を通過する。小俣駅を過ぎ、桐生川を渡ると群馬県桐生市に入る。しばらく住宅地が続き、再び桐生川と接すると高架区間に入り、山々に囲まれた桐生市街地を一望できる。桐生市の目抜き通りである本町通りを越えると、「織都」と呼ばれる桐生市の中心駅・桐生駅に到着する。

桐生 - 新前橋

桐生駅 - 新前橋駅間は、北に赤城山を望みながら関東平野を走る。

桐生駅を出ると、高架から切通しにかわり渡良瀬川を渡る。わたらせ渓谷線を分岐し、さらに東武桐生線と交差する。桐生市街地を抜けると、桐生競艇場の最寄り駅である岩宿駅に着く。田園風景が広がる中、国定忠治の出身地として知られる伊勢崎市国定町にある国定駅を過ぎ、伊勢崎駅東武伊勢崎線と接続する。

伊勢崎駅を出ると北西に進路をとり、駒形駅に至る。駒形駅から前橋駅までは複線区間となっており、周辺には東前橋工業団地が広がる。1999年前橋大島駅が開業している。前橋市街地が近づき高架区間に入ると、群馬県の県庁所在地である前橋市の中心駅・前橋駅に到着する。前橋駅は高架駅で、群馬県庁などを望むことができる。前橋駅を出て利根川を渡る際には、夜にライトアップされる平成大橋や、群馬大橋を見ることができる。高架区間を過ぎると、右側から上越線・吾妻線の線路がカーブしてくる。その後新前橋駅へ到着し、上越線に直通する。

テンプレート:節スタブ

運行形態

線路名称上は小山駅が起点(東北本線支線という扱い)であるが、小山駅に向かう列車が下りとして扱われる。

また、桐生駅以西を走る全列車が新前橋駅から高崎駅まで上越線に乗り入れており、上越線内でも両毛線として案内される。

利用者から増発の要望があるが、駅間距離の長い一部区間をのぞいて単線であるため列車の本数が増やせない。そのため、通勤・通学時間帯は相当混雑する。沿線自治体で結成され、桐生市に事務局がある両毛線整備促進期成同盟会が複線化などの要望活動を行っている。

なお、以前から冬季(11月15日 - 3月31日)には前橋大島駅 - 思川駅間で車内保温のため一部時間帯をのぞき、ドアは半自動扱いとなっていたが[8]、2011年6月からは東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に伴う福島第一原子力発電所などの停止による電力不足を受け、節電対策として全区間で通年半自動扱いとなっている。

小山駅 - 桐生駅間

1時間あたり朝の通勤・通学時間帯は2 - 3本、その他の時間帯は1 - 2本の運行で、全線の中で最も運転本数が少ない区間である。そのため通勤ラッシュの時間帯は前述の通り激しく混雑し、特に小山駅 - 栃木駅 - 佐野駅間の付近で顕著である。多くが高崎駅までの直通列車だが、早朝・夜間を中心に小山駅 - 桐生駅間の区間列車も設定されており、始発・最終以外は桐生駅で高崎駅発着の列車に接続している。また、2往復が小山駅で進行方向を変えて宇都宮線(東北本線)へ乗り入れ、宇都宮駅黒磯駅まで運転されている。

また、毎年ゴールデンウィーク中に富田駅近くのあしかがフラワーパーク大藤祭りが開催される関係で、上野いわき大宮発の臨時快速列車が桐生まで乗り入れたり、足利発小山行きの臨時普通列車が運行される。このほか、8月の小山花火大会足利花火大会開催時には臨時普通列車が、隔年11月のとちぎ秋まつり開催時には東京方面からの臨時快速列車が運行される。

また、沿線私立高校の入学試験が行われる日の混雑時間帯に、受験生向け臨時列車が運行されることもある。なお、この列車は時刻表には掲載されないことが多い。

桐生駅 - 高崎駅間

全列車が、新前橋駅から上越線に乗り入れ高崎発着となっている。小山駅からの直通列車のほか、桐生駅・伊勢崎駅前橋駅で高崎方面に折り返す区間列車も設定されている。

1時間あたり通勤・通学時間帯は4 - 6本、日中は2 - 4本の列車が設定されているが、約半数は伊勢崎駅・前橋駅での折り返し運転である。

2009年3月のダイヤ改正で、前橋駅 - 高崎駅間では、10時から16時の間は原則的に1時間あたり3本でパターンダイヤ化されている。その関係で同区間では若干増発されたが、逆に前橋駅 - 伊勢崎・桐生方面の列車は若干減便された。

一部の列車は新前橋駅で増結・切り離しが行われる。高崎駅 - 前橋駅間の区間列車では土休日に1本のみグリーン車連結のE233系3000番台の10両編成が使用される列車もあるほか、前橋花火大会の際の臨時便はE231系211系の10両編成が使用される。

私立高校入学試験、および正田醤油スタジアム群馬で行われる高校総体の開会式の日の混雑時間帯には臨時列車が運行される。

なお、新前橋駅 - 前橋駅間の利根川鉄橋は強風の影響を受けやすく、風速によっては徐行運転や運転見合わせとなる。この区間は単線区間であり、両毛線の中では運転本数・利用者とも最も多いため、遅れの影響力が大きい。

高崎線直通列車

東京方面から来る高崎線湘南新宿ラインの列車が、高崎線の延長のような運行系統で上越線を経由し、県庁所在地である前橋駅まで乗り入れている。ただし、両毛線に乗り入れる区間は新前橋駅 - 前橋駅間の1駅間のみである。以前は桐生駅・伊勢崎駅 - 上野駅間を直通する列車もあったが、2004年10月16日のダイヤ改正で消滅した。

線内で唯一の定期優等列車である特急あかぎ」は、上野駅新宿駅と前橋駅との間を結んでいる。

普通・快速列車としては、上野駅発着の列車が多く運行されているほか、高崎線から池袋駅・新宿駅・横浜駅などを経由して東海道線平塚駅国府津駅小田原駅までの長距離列車(湘南新宿ライン)も早朝の上り3本、平日夜間の下り1本が設定されている。また、高崎線上野駅発着の下り初電前・上り終電後(朝5時台・夜22時台)に籠原駅 - 前橋駅の列車が1往復設定されている。

高崎線内では両毛線直通列車の案内はまちまちで、「高崎線」・「両毛線 高崎線(または高崎)回り」・「高崎線 両毛線直通」・「高崎・両毛線」などと案内されている。

ダイヤが乱れた場合、高崎駅 - 前橋駅間、あるいは新前橋駅 - 前橋駅間で区間運休となることがある。また、朝の時間帯の上り普通列車が大幅に遅れている場合、上りの特急「あかぎ」が前橋駅 - 高崎駅間でグリーン車をのぞき、特急券なしで乗車できるときがある(上越線の井野駅高崎問屋町駅は通常通り通過)。ただし、駅員による案内がある場合に限られる。

過去の列車

1996年ごろに一時期、定期列車として快速が設定されていた[9]。朝の通勤時間帯下り桐生駅→小山駅間で、途中の停車駅は足利駅・佐野駅・栃木駅であった。主に栃木県南の都市から東北新幹線を利用する通勤通学客の利便を考慮しての運行であった。上りも夜に小山駅→桐生駅間で運行されていた[9]。利用率が芳しくなかったのか、数か月で廃止された[10]

1998年ごろまでは、常磐線茨城県水戸方面より水戸線経由で小山駅から両毛線に乗り入れ桐生駅まで直通する列車があった[11]。この列車は水戸線と常磐線が交流電化であることから勝田電車区所属の交直流電車403・415系が使用された。下り水戸方面行きは高校生の帰宅時間帯に走っていた。

また、高校の完全週5日制が始まるまでは、定期試験期間や土曜日に、足利駅・富田駅・佐野駅などを利用する高校生の帰宅列車として、小山発足利行き→折り返し足利発小山行きの列車が運行されていた。

上野方面から直通の急行列車が運転されていたこともある。上野駅から高崎駅経由で、前橋駅・桐生駅・小山駅まで運転した「あかぎ」・「はるな」が、上野駅から小山駅経由で桐生駅・高崎駅まで運転した「わたらせ」があった。なお、高崎経由の列車については、「あかぎ」の沿革を参照のこと。小山経由の「わたらせ」については「とちぎ」を参照のこと

使用車両

以下に示す車両はすべて電車である。

1985年ごろは115系・165系が多数使用され、本来は湘南色のエリアであるが、1985年3月14日改正中央東線から転入してきたスカ色の115系が一部混在したこともある。 2004年10月のダイヤ改正までは、高崎 - 桐生間に限って185系を使用していた列車が存在した。

E231系、E233系、651系、185系は前橋 - 新前橋間のみ。ただし定期回送列車として駒形まで乗り入れる。

歴史

両毛線は歴史的に、両毛地区生糸や、桐生織をはじめとする絹織物の輸送を目的として両毛鉄道(りょうもうてつどう)が建設した小山 - 前橋間と、日本鉄道が現在の高崎線の延長として建設した前橋 - 新前橋間に分かれる。1884年に開業した前橋駅(内藤分停車場[12])は現在位置とは異なる利根川の右岸におかれ、1889年11月に両毛鉄道の前橋駅が左岸側に開業すると日本鉄道も利根川を渡って両毛鉄道の前橋駅に乗入れ、両鉄道が接続した。現在も新前橋 - 前橋間が高崎線とほぼ一体の運転系統を形成しているのも、この経緯によるものである。

1897年には、日本鉄道は両毛鉄道を合併したが、1906年には鉄道国有法施行により日本鉄道が国有化された。1909年の線路名称設定時に両区間は統合され、小山 - 高崎間が両毛線とされた。1931年に上越線が全通すると、新前橋 - 高崎間が上越線にも属する二重戸籍区間となったが、1957年に同区間が両毛線から分離され、二重戸籍は解消した。

1951年からは気動車による運転が開始され、新駅が数多く設置されたが、1968年の全線電化に前後して休止(後に廃止)されている。現在でもかつて駅が設置されていた区間では駅間が長いことが実感できる。

両毛鉄道→日本鉄道

  • 1888年明治21年)
    • 5月22日 【開業】両毛鉄道 小山 - 足利 【駅新設】栃木、佐野、足利
    • 11月15日 【延伸開業】足利 - 桐生 【駅新設】桐生
  • 1889年(明治22年)
    • 10月10日 【駅新設】岩船、小俣
    • 11月20日 【延伸開業・全通】桐生 - 前橋 【駅新設】大間々(初代)、国定、伊勢崎、駒形、前橋
  • 1893年(明治26年)2月18日 【駅新設】富田
  • 1895年(明治28年)3月8日 【駅新設】富山
  • 1897年(明治30年)
    • 1月1日 【譲渡】両毛鉄道→日本鉄道
    • 4月1日 【駅新設】山前
  • 1902年(明治35年)11月1日 【駅名改称】岩船→岩舟
  • 1906年(明治39年)11月1日 【買収・国有化】小山 - 前橋

日本鉄道

  • 1884年(明治17年)8月20日 【延伸開業】日本鉄道 高崎 - 前橋
  • 1889年(明治22年)12月26日 【延伸開業】前橋(日本鉄道) - 前橋(両毛鉄道) 【駅廃止】前橋(日本鉄道)
  • 1906年(明治39年)11月1日 【買収・国有化】(上野) - 前橋

両毛線成立後

  • 1909年(明治42年)10月12日国有鉄道線路名称制定】両毛線 小山 - 高崎
  • 1911年(明治44年)
    • 3月30日 【連絡所新設】下新田
    • 4月10日 【駅新設】思川
    • 4月15日 足尾鉄道開業(下新田連絡所から分岐)
    • 5月1日 【駅名改称】大間々(初代)→岩宿
  • 1912年(明治45年)4月6日 【信号場新設】日高
  • 1918年大正7年)10月16日 【駅名改称】富山→大平下
  • 1921年(大正10年)7月1日 【駅新設】新前橋(上越南線開業) 【信号場廃止】日高
  • 1922年(大正11年)4月1日 【連絡所→信号場】下新田
  • 1931年昭和6年)9月1日 上越線全通(新前橋 - 高崎間が上越線と二重戸籍になる)
  • 1934年(昭和9年)7月10日 桐生 - 高崎間で気動車運転開始[13]
  • 1937年(昭和12年)4月15日 【駅新設】日高、浜尻
  • 1940年(昭和15年)11月1日 【駅廃止】日高、浜尻
  • 1951年(昭和26年)9月1日 【駅新設】東足利、葉鹿、下増田
  • 1952年(昭和27年)4月5日 【駅新設】小野寺、犬伏、東桐生
  • 1954年(昭和29年)
  • 1955年(昭和30年)
  • 1957年(昭和32年)
    • 12月1日 【電化】前橋 - 新前橋
    • 12月20日 【終点変更】高崎→新前橋(-7.3km。上越線との二重戸籍区間解消)
  • 1962年(昭和37年)10月1日 上野 - 高崎間に小山経由で準急「わたらせ」運転開始(1966年に急行へ格上げ)
  • 1966年(昭和41年)12月20日 【駅休止】小野寺、犬伏、東伊勢崎
  • 1967年(昭和42年)9月1日 【駅休止】東前橋
  • 1968年(昭和43年)
    • 7月19日 【複線化】岩舟 - 佐野
    • 8月8日 【複線化】駒形 - 前橋
    • 9月1日 【電化】小山 - 前橋
    • 10月1日 【駅休止】東足利、西足利、三重、葉鹿、東桐生、間野谷、下増田
  • 1984年(昭和59年)3月1日 【駅廃止】三重
  • 1985年(昭和60年)3月14日 急行「わたらせ」廃止
  • 1985年(昭和60年)10月16日 【高架化】桐生付近
  • 1986年(昭和61年)10月6日 【高架化】前橋付近
  • 1987年(昭和62年)4月1日 【承継】東日本旅客鉄道(第1種)、日本貨物鉄道(第2種) 【駅廃止】小野寺、犬伏、東足利、西足利、葉鹿、東桐生、間野谷、東伊勢崎、下増田、東前橋
  • 1989年平成元年)3月29日 足尾線廃止。わたらせ渓谷鐵道に転換
  • 1996年(平成8年)10月24日 天皇・皇后およびベルギー国王の栃木訪問に伴い、1号御料車編成によるお召し列車を小山 - 足利間に運転。EF58 61牽引。
    • ※平成元号になって1号御料車編成によるお召し列車が運転されたのはこれが初めてで、1号御料車編成に外国の国賓が乗車されたのもこれが初めて。
  • 1999年(平成11年)3月12日 【駅新設】前橋大島
  • 2001年(平成13年)11月18日 全線でICカードSuica供用開始
  • 2003年(平成15年)
    • 4月4日 【高架化】栃木付近
    • 12月1日 【無人駅化】思川、大平下、岩舟、小俣
  • 2004年(平成16年)4月1日 【第2種鉄道事業廃止】(貨物列車運行廃止)全線
  • 2009年(平成21年)10月11日 全線でATS-P化完了
  • 2010年(平成22年)5月30日 【高架化】伊勢崎付近

駅一覧

便宜上、新前橋側の全列車が乗り入れる上越線新前橋駅 - 高崎駅間も合わせて記載する。

  • 普通列車は全駅に停車する。特急「あかぎ」については列車記事を参照
    • 前橋駅 - 高崎駅間では高崎線の列車が一部乗り入れている(同区間は全駅に停車)
  • 線路 … ∥:複線区間、◇・|:単線区間(◇は列車交換可能)、∨:これより下は単線、∧:これより下は複線
正式路線名 駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線・備考 線路 所在地
両毛線 小山駅 - 0.0 東日本旅客鉄道東北新幹線東北本線宇都宮線[* 1])・水戸線 栃木県 小山市
思川駅 5.4 5.4  
栃木駅 5.4 10.8 東武鉄道日光線宇都宮線[* 2] 栃木市
大平下駅 4.4 15.2  
岩舟駅 4.1 19.3  
佐野駅 7.3 26.6 東武鉄道:佐野線 佐野市
富田駅 4.5 31.1   足利市
足利駅 7.1 38.2 東武鉄道:伊勢崎線足利市駅
山前駅 4.5 42.7  
小俣駅 4.6 47.3  
桐生駅 5.6 52.9 わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線
上毛電気鉄道上毛線西桐生駅
群馬県 桐生市
下新田信号場 - 54.6 (わたらせ渓谷線との実際の分岐点)
岩宿駅 4.0 56.9   みどり市
国定駅 6.4 63.3   伊勢崎市
伊勢崎駅 5.8 69.1 東武鉄道:伊勢崎線
駒形駅 5.8 74.9   前橋市
前橋大島駅 3.2 78.1  
前橋駅 3.8 81.9 上毛電気鉄道:上毛線中央前橋駅
新前橋駅 2.5 84.4 東日本旅客鉄道:上越線渋川方面)・吾妻線[* 3]
上越線
井野駅 3.3 87.7   高崎市
高崎問屋町駅 1.2 88.9  
高崎駅 2.8 91.7 東日本旅客鉄道:上越新幹線北陸新幹線長野新幹線)・高崎線[* 1]信越本線八高線[* 4]
上信電鉄上信線

テンプレート:Reflist

※井野駅は、1957年に新前橋 - 高崎間が戸籍(線路名称)上で両毛線から分離されたと同時に開業、高崎問屋町駅は2004年の開業であるため、いずれも両毛線の駅として営業していたことはない。なお井野駅は1944年から1957年まで井野信号場として開設されていた。

廃駅

() 内は小山駅からのキロ程

  • 小野寺駅 : 1966年12月20日休止、1987年4月1日廃止、岩舟駅 - 佐野駅間 (21.2km)
  • 犬伏駅 : 1966年12月20日休止、1987年4月1日廃止、岩舟駅 - 佐野駅間 (24.4km)
  • 東足利駅 : 1968年10月1日休止、1987年4月1日廃止、富田駅 - 足利駅間 (36.0km)
  • 西足利駅 : 1968年10月1日休止、1987年4月1日廃止、足利駅 - 山前駅間 (39.9km)
  • 三重駅 : 1968年10月1日休止、1984年3月1日廃止、足利駅 - 山前駅間 (40.7km)
  • 葉鹿駅 : 1968年10月1日休止、1987年4月1日廃止、山前駅 - 小俣駅間 (45.5km)
  • (駅名不詳) : 1890年11月廃止、小俣駅 - 桐生駅間
  • (仮)小俣方面駅 : 1902年10月8日廃止、小俣駅 - 桐生駅間
  • (仮)桐生方面駅 : 1902年10月8日廃止、小俣駅 - 桐生駅間
  • 東桐生駅 : 1968年10月1日休止、1987年4月1日廃止、小俣駅 - 桐生駅間 (49.8km)
  • 間野谷駅 : 1968年10月1日休止、1987年4月1日廃止、岩宿駅 - 国定駅間 (60.6km)
  • 東伊勢崎駅 : 1966年12月20日休止、1987年4月1日廃止、国定駅 - 伊勢崎駅間 (66.7km)
  • 下増田駅 : 1968年10月1日休止、1987年4月1日廃止、伊勢崎駅 - 駒形駅間 (72.6km)
  • 東前橋駅 : 1967年9月1日休止、1987年4月1日廃止、現在の前橋大島駅とほぼ同じ位置 (77.6km)
  • (仮)前橋駅 : 1889年12月26日廃止、前橋駅 - 新前橋駅間 (83.4km)
  • 日高信号所 : 1921年7月1日廃止、新前橋駅 - 井野駅間 (86.6km)
  • 日高駅 : 1940年11月1日廃止、新前橋駅 - 井野駅間 (86.6km)
  • 浜尻駅 : 1940年11月1日廃止、井野駅 - 高崎問屋町駅間 (88.9km)

過去の接続路線

乗車人員

JR東日本:各駅の乗車人員より

順位 2010年度 2009年度 2008年度 2007年度 2006年度
駅名 一日平均
乗車人員
駅名 一日平均
乗車人員
駅名 一日平均
乗車人員
駅名 一日平均
乗車人員
駅名 一日平均
乗車人員
1 高崎駅 27,443人 高崎駅 27,736人 高崎駅 28,749人 高崎駅 28,366人 高崎駅 28,280人
2 小山駅 20,854人 小山駅 20,952人 小山駅 21,449人 小山駅 21,440人 小山駅 21,326人
3 前橋駅 9,422人 前橋駅 9,567人 前橋駅 9,853人 前橋駅 9,607人 前橋駅 9,511人
4 新前橋駅 5,899人 新前橋駅 5,928人 新前橋駅 5,940人 新前橋駅 5,797人 新前橋駅 5,801人
5 栃木駅 5,124人 栃木駅 5,085人 栃木駅 5,202人 栃木駅 5,189人 栃木駅 5,197人
6 伊勢崎駅 5,118人 伊勢崎駅 4,909人 伊勢崎駅 4,931人 伊勢崎駅 4,793人 伊勢崎駅 4,792人
7 桐生駅 3,681人 桐生駅 3,690人 桐生駅 3,739人 桐生駅 3,651人 桐生駅 3,714人
8 足利駅 3,318人 佐野駅 3,281人 足利駅 3,295人 佐野駅 3,381人 足利駅 3,417人
9 佐野駅 3,271人 足利駅 3,267人 佐野駅 3,295人 足利駅 3,310人 佐野駅 3,381人
10 駒形駅 2,614人 駒形駅 2,645人 駒形駅 2,697人 駒形駅 2,622人 駒形駅 2,668人
11 高崎問屋町駅 2,537人 高崎問屋町駅 2,316人 井野駅 2,230人 井野駅 2,265人 井野駅 2,422人
12 井野駅 2,042人 井野駅 2,123人 高崎問屋町駅 2,150人 高崎問屋町駅 1,787人 高崎問屋町駅 1,549人
13 前橋大島駅 1,513人 前橋大島駅 1,593人 前橋大島駅 1,669人 前橋大島駅 1,556人 前橋大島駅 1,534人
14 国定駅 1,296人 国定駅 1,311人 国定駅 1,305人 国定駅 1,271人 国定駅 1,219人
15 岩宿駅 1,090人 岩宿駅 1,069人 岩宿駅 1,045人 岩宿駅 1,024人 岩宿駅 997人
16 富田駅 886人 富田駅 953人 富田駅 987人 富田駅 963人 富田駅 890人
17 山前駅 775人 山前駅 826人 山前駅 866人 山前駅 886人 山前駅 859人


順位 2005年度 2004年度 2003年度 2002年度 2001年度 2000年度
駅名 一日平均
乗車人員
駅名 一日平均
乗車人員
駅名 一日平均
乗車人員
駅名 一日平均
乗車人員
駅名 一日平均
乗車人員
駅名 一日平均
乗車人員
1 高崎駅 27,698人 高崎駅 27,632人 高崎駅 27,830人 高崎駅 27,784人 高崎駅 27,905人 高崎駅 27,615人
2 小山駅 21,375人 小山駅 21,458人 小山駅 21,625人 小山駅 21,713人 小山駅 22,189人 小山駅 22,310人
3 前橋駅 9,571人 前橋駅 9,742人 前橋駅 9,961人 前橋駅 10,011人 前橋駅 10,334人 前橋駅 10,593人
4 新前橋駅 5,788人 新前橋駅 5,858人 新前橋駅 5,940人 新前橋駅 6,032人 新前橋駅 6,036人 新前橋駅 6,045人
5 栃木駅 5,279人 栃木駅 5,300人 栃木駅 5,398人 栃木駅 5,389人 栃木駅 5,646人 栃木駅 5,747人
6 伊勢崎駅 4,833人 伊勢崎駅 4,923人 伊勢崎駅 4,929人 伊勢崎駅 4,844人 伊勢崎駅 4,966人 伊勢崎駅 5,144人
7 桐生駅 3,841人 桐生駅 3,968人 桐生駅 4,124人 桐生駅 4,216人 桐生駅 4,334人 桐生駅 4,587人
8 佐野駅 3,523人 佐野駅 3,607人 足利駅 3,773人 足利駅 3,852人 足利駅 4,045人 足利駅 4,189人
9 足利駅 3,502人 足利駅 3,586人 佐野駅 3,737人 佐野駅 3,655人 佐野駅 3,790人 佐野駅 3,840人
10 駒形駅 2,682人 井野駅 2,809人 井野駅 2,789人 井野駅 2,888人 井野駅 2,955人 井野駅 3,134人
11 井野駅 2,529人 駒形駅 2,688人 駒形駅 2,661人 駒形駅 2,589人 駒形駅 2,729人 駒形駅 2,753人
12 前橋大島駅 1,502人 前橋大島駅 1,393人 前橋大島駅 1,289人 前橋大島駅 1,207人 国定駅 1,185人 国定駅 1,211人
13 国定駅 1,208人 国定駅 1,212人 国定駅 1,204人 国定駅 1,153人 前橋大島駅 1,102人 岩宿駅 1,150人
14 高崎問屋町駅 1,184人 岩宿駅 1,042人 岩宿駅 1,025人 岩宿駅 1,023人 岩宿駅 1,080人 富田駅 946人
15 岩宿駅 994人 富田駅 897人 山前駅 910人 山前駅 859人 富田駅 901人 山前駅 884人
16 富田駅 923人 山前駅 845人 富田駅 865人 富田駅 812人 山前駅 862人 前橋大島駅 858人
17 山前駅 866人 高崎問屋町駅 746人 思川駅 675人 思川駅 689人 思川駅 719人
18 岩舟駅 638人 岩舟駅 662人 岩舟駅 712人
19 小俣駅 485人 小俣駅 540人 小俣駅 593人
20 大平下駅 469人 大平下駅 516人 大平下駅 541人

沿線の観光名所

ファイル:SounArtMuseumJR.JPG
草雲美術館の横を走る両毛線

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister


テンプレート:東京近郊区間

テンプレート:東日本旅客鉄道高崎支社
  1. http://www.jreast.co.jp/kippu/1103.html
  2. http://www.jreast.co.jp/suica/area/tokyo/index.html
  3. JR両毛線運転再開 通勤通学客は安堵の表情」『下野新聞』2011年4月1日付朝刊
  4. 4.0 4.1 4.2 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』
  5. 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  6. 6.0 6.1 「ひと目でわかる電化と複線区間」『JTB時刻表』2010年3月号、JTBパブリッシング、p.23
  7. テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道株式会社
  8. 半自動ドアスイッチが設置されていない115系と107系100番台は手動開閉となる。
  9. 9.0 9.1 『JTB時刻表』1996年3月号
  10. 『JTB時刻表』1997年3月号では当該列車なし。
  11. 『JTB時刻表』1998年7月号には当該列車あり、1999年6月号には当該列車なし。
  12. 『群馬の鉄道』(あかぎ出版、2006年)によれば、当時、住民には内藤分停車場と呼ばれていた。
  13. 『鉄道省年報. 昭和10年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)


引用エラー: 「*」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="*"/> タグが見つからない、または閉じる </ref> タグがありません