豊浦町
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豊浦町(とようらちょう)は、北海道胆振総合振興局の西部に位置する町である。
目次
地理
南側は内浦湾(噴火湾)に面し断崖が多く、北側は山林地帯となっている。
- 山: 昆布岳(1045.1m)、西昆布岳(804.1m)、金山(500.9m)、ペタヌ山(460.8m)、小花井山(418.4m)、幌扶斯山(ほろふしやま)(412.5m)、大西山(203.2m)
- 河川: ベンベ川、貫気別川、新山梨川、オロエンヌキベツ川、ポンベツ川、上泉川、ベタヌ川、ポン別川、壮滝別川、壮滝別奥川、小鉾岸川(おふけしがわ)、豊泉川、ペタヌ川、芝伏川、昆布川、新富川、一の沢川、礼文華川、峠川、目名川
- 岬: ベベシレト岬、イコリ岬、茶津崎
- その他: 礼文華海岸、ポンベツの滝
気候
ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。沿岸部の気候は温暖であるが、冬は積雪量がかなり多く、特別豪雪地帯となっている。
隣接している自治体
歴史
江戸期の記録には、アイヌが居住していた記載がみられる。この地は水に恵まれ、アイヌ語の「ペーペナイ」(水の豊かな川)にちなむ、「弁辺」(べんべ)の地名がつけられていた。
しかし「べんべ」の音が北海道弁で女性器を示す言葉に似ていたため、農水産物が豊かで内浦湾に面しているところから「豊浦」と改名された。
北海道では明治20年代から本土の移民が増加するが、豊浦町でも内陸部の開拓に伴い移民の受け入れを行い、宮城県からの団体移民や明治40年の大水害で被災した山梨県の入植団など町域の各地に和人が入植したが、いずれも定着できないままに衰微した。
沿革
- 1882年(明治15年) 弁辺村・礼文村が虻田郡各村戸長役場の管轄となる。
- 1902年(明治35年) 弁辺村・礼文村が合併し、二級町村制弁辺村となる。虻田村(現・洞爺湖町)と組合役場設置。
- 1909年(明治42年) 虻田村との組合役場を解消。
- 1932年(昭和7年) 豊浦村に改称。
- 1947年(昭和22年)7月1日 町制施行、豊浦町。
行政
- 町長 工藤國夫
- 虻田町・洞爺村と合併協議会を設置し、新町名を「洞爺湖町」とするなど必要な協議は全て終了していた。しかし、2005年(平成17年)2月に行われた合併の是非を問う住民投票で反対が多数を占めたことを受け、合併協議会から離脱している。
経済
産業
農業と水産業が主である。農業ではイチゴの産地として知られており、そのほかジャガイモや水稲の生産もある。また、乳牛・肉牛・養豚といった畜産にも力を入れている。水産業は、ホタテの養殖発祥地で、いまも主力である。
立地企業
- 北海道電力豊浦発電所
農協・漁協
- とうや湖農業協同組合(JAとうや湖)豊浦支所
- いぶり噴火湾漁業協同組合豊浦支所
郵便局
- 豊浦郵便局(集配局)
- 大岸郵便局(集配局)
- 礼文郵便局
宅配便
公共機関
警察
- 伊達警察署豊浦駐在所
- 伊達警察署大岸駐在所
- 伊達警察署礼文華駐在所
地域
人口
教育
- 豊浦小学校
- 大岸小学校
- 礼文華小学校
- 大和小学校
- 北海道シュタイナー学園いずみの学校
- 豊浦中学校
- 北海道シュタイナー学園いずみの学校
交通
鉄道
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
バス
タクシー
- 豊浦ハイヤー
道路
- 北海道道32号豊浦ニセコ線
- 北海道道97号豊浦京極線
- 北海道道285号豊浦洞爺線
- 北海道道344号白井川豊浦線
- 北海道道608号大岸礼文停車場線
- 北海道道609号礼文停車場線
- 北海道道702号美和豊浦停車場線
- 北海道道914号新富神里線
- 広域農道
- 胆振西部広域農道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
文化財
- アイヌ祭祀具一式(佐茂家) - 中央公民館
- カムイチャシ - 豊浦町カムイチャシ史蹟公園、国の名勝