近鉄四日市駅
近鉄四日市駅(きんてつよっかいちえき)は、三重県四日市市安島一丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。
目次
概要
四日市市の中心部に位置し、平日は1日491本の列車が発着する三重県最大のターミナル駅である。
名古屋線・湯の山線・内部線が乗り入れている。湯の山線・内部線は当駅が起点である。また、八王子線の全列車は、起点の日永駅から内部線経由で当駅まで乗り入れるため、計4路線の列車が乗り入れている形になる。
駅構造
名古屋線・湯の山線が使用する高架駅舎と、内部線が使用する地上駅舎に分かれ、両者は改札外連絡となっている。
名古屋線・湯の山線(高架駅舎)
島式ホーム3面6線を持つ高架駅である。地上11階・地下1階の駅ビルに接続しており、2階が改札・コンコース、3階がホームとなっている。各階にはエレベーター、上りエスカレーターが設置されている。改札口は南北に各1ヶ所が設けられている。2006年2月末までは、東側に近鉄百貨店(当時は中部近鉄百貨店)四日市店への直通の改札口が設けられていた。
名古屋線のホームは内側2線(2番線と3番線)を主本線、外側2線(1番線と4番線)を待避線としている。ホーム有効長は、1 - 4番線が停止位置目標で8両(設計上は10両まで可能[1]だが、ホームが10両分ない)、5番線が6両、6番線が4両である。湯の山線ホームは分岐の関係上、伊勢中川寄りにずれて設置されている。
内部線(地上駅舎)
島式ホーム1面2線を持つ地上駅で、湯の山線の高架下にある。名古屋線・湯の山線コンコースとは改札外だが陸橋で連絡している。改札口はホーム頭端部に位置する。内部線ホームの有効長は3両である。
のりば
近鉄の中では最もホームの番号が多い。7・8番のりばは地上駅時代に存在し、現在は欠番だが名古屋線の引き上げ線を7番線、湯の山線の引き上げ線を8番線としている。
高架駅舎 | |||
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1・2 | テンプレート:Color名古屋線(下り) | 津・鳥羽・賢島・大阪・神戸方面(一部4・5番のりば) | |
3・4 | テンプレート:Color名古屋線(上り) | 桑名・名古屋方面 | |
5 | テンプレート:Color名古屋線(上り) | 桑名・名古屋方面(昼間の当駅発着急行) | |
テンプレート:Color湯の山線 | 湯の山温泉行き | ||
6 | テンプレート:Color湯の山線 | 湯の山温泉行き | |
地上駅舎 | |||
9・10 | テンプレート:Color内部・八王子線 | 内部・西日野方面 |
構内店舗
- 1・2番のりば - ファミリーマート(小型店舗)
- 3・4番のりば - ファミリーマート(小型店舗)
- 名古屋・湯の山線改札内コンコース - ファミリーマート(コンビニ型店舗・PiTaPa・iDが利用可能)、Kornblume(ベーカリーショップ)
- 南口改札前 - マツモトキヨシ近鉄四日市店、軽食店舗、チャオプレッソ(カフェ)
- 内部線改札前 - ファミリーマート
駅設備
日本信号製の自動改札機が設置されている。南改札口にICカード専用改札が1基設置されている[2]他は、全て赤い自動改札機が設置されており、出場時2枚一括処理、PiTaPa・ICOCAなど全国の交通系ICカードに対応している。また、自動精算機は北改札口と南改札口に各1台設置されている。ICカード履歴確認、高額紙幣に対応したタッチパネル式の精算機である。 スルッとKANSAIはエリア外のため、使用できない。ただし、公式にはアナウンスされていないがタッチパネル式の券売機及び内部線改札口の2台あるうちの1台の券売機にこれらを投入して切符の購入が可能である。 名古屋線・湯の山線と内部・八王子線の乗り換えの際、自動改札機を通した切符は回収されない。ただし、回数券カード(パールカード11・オフピークチケット・サンキューチケット)から引き換えた乗車券は回収される。
反転フラップ式案内表示機(ソラリー)による発車標が改札コンコースと名古屋線・湯の山線ホームに、行灯式の発車標が内部・八王子線ホームに設置されている。 2009年11月頃に構内アナウンスの自動放送が更新され、特急列車を除き列車接近時の放送に両数案内が行われる。特急列車の場合、到着後の放送に発車時刻を追加している。ただし当駅では白子駅、津駅などで流れる「次の、○時○分発・□□□行き・特急にご乗車のお客様は、あと暫くお待ち下さい」と言うアナウンスは省略されている。構内アナウンス更新に伴い、次の停車駅の案内がなくなっている。2011年3月3日から、近鉄百貨店営業時間帯に限り到着時の放送に「四日市、四日市、近鉄百貨店前です」というアナウンスが流れるようになった。内部・八王子線ホームは引き続き発車ベルのみとなっている。
駅長が置かれ、名古屋線の川原町駅 - 楠駅間と、湯の山線・内部線・八王子線の各駅を管理している[3]。
ダイヤ
名伊・名阪甲特急(近鉄名古屋線内を途中津駅のみ停車する特急)を除き、すべての列車が停車する。また、ほぼすべての普通が特急・急行と連絡し、一部の普通は特急・急行の2本を待避する。2本待避の際は10分程度の長時間停車となる。名古屋方面へは特急、急行の順に到着し、一部の急行は特急を待避する。塩浜で特急を待避した急行は、新正付近から当駅付近まで徐行運転または本線上で信号待ちの停車をすることが多い。津方面へは急行、特急の順に到着する。
2013年から運行開始された観光特急「しまかぜ」は当駅に停車し、津駅は通過している[4]。
近鉄名古屋駅 - 当駅間に準急が設定されている。ほとんどの準急は当駅で普通列車に種別変更し伊勢中川駅または津新町駅まで直通する。ラッシュ時に近鉄名古屋駅 - 当駅間を4両・5両編成で走る準急は、当駅から津方面の普通となる際に2両と2両・3両に切り離され、切り離された車両は塩浜駅に回送もしくは後発の普通列車として運転される。一部の名古屋行き準急は待避線の4番線で増結を行うが、平日朝の1本については3番線で増結し、作業中は4番線で急行が客扱いを行うという逆転現象が起こる。これは、駅南方の側線から入線する増結車が4番線へ直接進入できないためである。
また、平日朝7時台の当駅始発の名古屋線下り(津新町行き)普通列車と、昼間の当駅始発名古屋行き急行が、本来は湯の山線ホームである5番のりばから発車する。土曜・休日の6時台には、名古屋方面ホームの4番のりばから伊勢中川行きの普通列車が発車する。
平日早朝には鈴鹿線直通急行が当駅を始発として運転される。この列車は近鉄名古屋駅 - 当駅間を普通として運行し、当駅で鈴鹿線直通急行に系統変更する。
内部・八王子線は、基本的に9番のりばに内部行き、10番のりばに西日野行きが発着するが、朝ラッシュ時はこの限りではない。
夜間停泊が3本設定されており、名古屋線や湯の山線、内部・八王子線で各1本設定されている。
利用状況
県下最大の都市の中心部に位置することもあり、三重県内の鉄道駅ではJR・その他の私鉄も含め最多の利用客を誇る。また、中部地方の私鉄駅の利用者数では名鉄名古屋駅、金山駅、近鉄名古屋駅に次いで多く、三重県下はもとより、名古屋市以外の東海地方を走る全ての私鉄駅でも最多を誇る(ただし、岐阜市や豊橋市、津市など、東海地方の他の有力都市では私鉄駅とJR駅が中心駅において一体化していたり、至近距離にあったりすることも多く、利用者数を単純に中心市街地の賑わいと置き換えることには注意が必要である)。
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 26,855 |
1998年 | 25,920 |
1999年 | 24,892 |
2000年 | 24,345 |
2001年 | 23,467 |
2002年 | 22,006 |
2003年 | 21,693 |
2004年 | 21,375 |
2005年 | 21,658 |
2006年 | 21,909 |
2007年 | 21,797 |
2008年 | 21,642 |
2009年 | 20,727 |
2010年 | 20,633 |
2011年 | 20,720 |
2012年 | 21,103 |
近鉄四日市駅の利用状況の変遷を下表に示す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人/年度である。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 2012年11月13日の調査結果によると、1日の利用客は47,102人(前回2010年11月9日の調査では51,496人)。
- 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、10位。
- 名古屋線の駅(44駅、他線接続駅含む)の中、近鉄名古屋駅に次いで2位。
- 三重県内の近鉄の駅(116駅)の中では最多。
- 2012年11月13日の調査結果によると、1日の利用客は47,102人(前回2010年11月9日の調査では51,496人)。
年 度 [年 度] |
当駅分輸送実績(乗車人員)[人/年度] | 乗降人員調査結果 [人/日] |
特 記 事 項 | ||||
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通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1956(昭和31) | 4,733,340 | ←←←← | 3,432,887 | 8,166,227 | |||
1957(昭和32) | 4,725,570 | ←←←← | 2,978,860 | 7,704,430 | |||
1958(昭和33) | 4,996,020 | ←←←← | 2,832,196 | 7,828,216 | |||
1959(昭和34) | 5,332,650 | ←←←← | 2,871,755 | 8,204,405 | |||
1960(昭和35) | 6,474,120 | ←←←← | 3,469,899 | 9,944,019 | |||
1961(昭和36) | 7,213,140 | ←←←← | 3,837,319 | 11,050,459 | |||
1962(昭和37) | 8,096,350 | ←←←← | 4,217,232 | 12,313,582 | |||
1963(昭和38) | 8,672,490 | ←←←← | 4,328,385 | 13,000,875 | |||
1964(昭和39) | 9,215,340 | ←←←← | 4,404,756 | 13,620,096 | |||
1965(昭和40) | 8,783,450 | ←←←← | 5,440,299 | 14,223,749 | |||
1966(昭和41) | 8,797,500 | ←←←← | 5,300,051 | 14,097,551 | |||
1967(昭和42) | 8,848,260 | ←←←← | 5,358,240 | 14,206,500 | |||
1968(昭和43) | 8,563,290 | ←←←← | 5,584,182 | 14,147,472 | |||
1969(昭和44) | 8,535,210 | ←←←← | 5,759,268 | 14,294,478 | |||
1970(昭和45) | 8,291,820 | ←←←← | 5,806,833 | 14,098,653 | |||
1971(昭和46) | 8,220,390 | ←←←← | 5,640,227 | 13,860,617 | |||
1972(昭和47) | 8,036,490 | ←←←← | 5,654,569 | 13,691,059 | |||
1973(昭和48) | 7,748,850 | ←←←← | 5,603,234 | 13,352,084 | |||
1974(昭和49) | 7,922,580 | ←←←← | 5,551,376 | 13,473,956 | |||
1975(昭和50) | 7,986,960 | ←←←← | 5,524,978 | 13,511,938 | |||
1976(昭和51) | 7,356,810 | ←←←← | 5,041,978 | 12,398,788 | |||
1977(昭和52) | 7,225,860 | ←←←← | 4,963,456 | 12,189,316 | |||
1978(昭和53) | 7,074,850 | ←←←← | 4,957,904 | 12,032,754 | |||
1979(昭和54) | 7,044,180 | ←←←← | 5,012,687 | 12,056,867 | |||
1980(昭和55) | 7,037,370 | ←←←← | 5,062,925 | 12,100,295 | |||
1981(昭和56) | 7,052,940 | ←←←← | 4,995,573 | 12,048,513 | |||
1982(昭和57) | 6,805,770 | ←←←← | 5,010,461 | 11,816,231 | 11月16日 | 69,302 | |
1983(昭和58) | 6,662,100 | ←←←← | 4,941,369 | 11,603,469 | 11月8日 | 74,040 | |
1984(昭和59) | 6,420,330 | ←←←← | 4,713,167 | 11,133,497 | 11月6日 | 72,237 | |
1985(昭和60) | 6,295,560 | ←←←← | 4,681,254 | 10,976,814 | 11月12日 | 67,657 | |
1986(昭和61) | 6,245,250 | ←←←← | 4,773,341 | 11,018,591 | 11月11日 | 69,384 | |
1987(昭和62) | 6,218,610 | ←←←← | 4,618,455 | 10,837,065 | 11月10日 | 70,088 | |
1988(昭和63) | 6,275,280 | ←←←← | 4,711,638 | 10,986,918 | 11月8日 | 70,230 | |
1989(平成元) | 6,303,210 | ←←←← | 4,703,103 | 11,006,313 | 11月14日 | 70,672 | |
1990(平成2) | 6,363,240 | ←←←← | 4,721,532 | 11,084,772 | 11月6日 | 69,870 | |
1991(平成3) | 6,539,160 | ←←←← | 4,920,263 | 11,459,423 | |||
1992(平成4) | 6,587,730 | ←←←← | 4,967,915 | 11,555,645 | 11月10日 | 69,826 | |
1993(平成5) | 6,416,520 | ←←←← | 4,882,153 | 11,298,673 | |||
1994(平成6) | 6,146,220 | ←←←← | 4,739,260 | 10,885,480 | |||
1995(平成7) | 6,066,330 | ←←←← | 4,738,116 | 10,804,446 | 12月5日 | 68,798 | |
1996(平成8) | 5,783,220 | ←←←← | 4,600,436 | 10,383,656 | |||
1997(平成9) | 5,449,440 | ←←←← | 4,352,730 | 9,802,170 | |||
1998(平成10) | 5,280,840 | ←←←← | 4,179,985 | 9,460,825 | |||
1999(平成11) | 5,046,960 | ←←←← | 4,063,437 | 9,110,397 | |||
2000(平成12) | 4,859,370 | ←←←← | 4,026,573 | 8,885,943 | |||
2001(平成13) | 4,591,350 | ←←←← | 3,974,247 | 8,565,597 | |||
2002(平成14) | 4,284,900 | ←←←← | 3,747,268 | 8,032,168 | |||
2003(平成15) | 4,267,380 | ←←←← | 3,672,428 | 7,939,808 | |||
2004(平成16) | 4,232,010 | ←←←← | 3,569,965 | 7,801,975 | |||
2005(平成17) | 4,266,030 | ←←←← | 3,639,276 | 7,905,306 | 11月8日 | 52,309 | |
2006(平成18) | 4,330,680 | ←←←← | 3,666,103 | 7,996,783 | |||
2007(平成19) | 4,309,440 | ←←←← | 3,668,117 | 7,977,557 | |||
2008(平成20) | 4,284,750 | ←←←← | 3,614,649 | 7,899,399 | 11月18日 | 52,378 | |
2009(平成21) | 4,156,140 | ←←←← | 3,409,082 | 7,565,222 | |||
2010(平成22) | 4,097,730 | ←←←← | 3,433,433 | 7,531,163 | 11月9日 | 51,496 | |
2011(平成23) | 4,104,060 | ←←←← | 3,479,503 | 7,583,563 | |||
2012(平成24) | 4,139,850 | ←←←← | 3,562,790 | 7,702,640 | 11月13日 | 47,102 |
駅周辺
テンプレート:Double image aside テンプレート:Double image aside
当駅周辺の商業地区は三重県最大であり、東海地方では名古屋市、静岡市、浜松市に次いで多く、東海地方の政令指定都市以外ではトップで2位の豊橋市、豊田市の2倍以上の規模を有している[5]テンプレート:リンク切れ。
- 近鉄百貨店四日市店 - 駅ビル
- LaLasquare四日市(ララスクエア)
- アピタ四日市店
- 109シネマズ四日市
- 宮脇書店四日市本店
- アミューズメントパーク
- セリアララスクエア店
- じばさん三重(ララスクエアとつながっている)
- 四日市都ホテル
- 三交イン四日市駅前(1 - 2Fはテナントが入居)
- ふれあいモール(近鉄高架下周辺)
- グルメパーク(飲食)、ファッションストリート(ファッション)
- スターアイランド
- 四日市一番街
- 四日市二番街
- 四日市三番街
- 四日市市立博物館
- 四日市市文化会館
- 四日市市立図書館
- 鵜森公園・浜田城跡
- 諏訪神社・諏訪公園
- 四日市市役所
- 四日市郵便局
- 三重銀行本店
- 住友電装本社
- レオパレスホテル四日市
- アニメイト四日市店
- 近畿日本鉄道名古屋輸送統括部(旧・名古屋営業局)
- 古川学園向陽台高校
- ヤマダ電機テックランド四日市店
- ニトリ四日市店
バス路線
- 西のりば
- 0番乗り場
- 1番乗り場
- 41系統: 笹川団地・笹川ジャブ (南日永経由)
- 41系統: 笹川テニス場 (南日永経由)
- 65・66系統 高花平 (笹川通り経由) ※平日のみ
- 2番乗り場
- 44系統: あがたハイツ (美里ヶ丘経由)
- 46系統: 三重団地 (生桑町経由)
- 75系統: 近鉄高角駅 (神前経由) ※四日市市自主運行バス
- 3番乗り場
- 南のりば
- 4番乗り場
- 71系統: 福王山 (川原崎経由)
- 5番乗り場
- 01・12・43・66・94系統: 市立病院
- 95・96系統: ガーデンハウス東日野
- 6番乗り場
- 61系統: 宮妻口 (室山・高花平経由)
- 62系統: 山本・椿大神社 (室山・高花平経由)
- 63系統: 小山田病院 (室山・高花平経由)
- 64系統: 高花平 (室山経由) ※平日のみ1日1本
- 7番乗り場
- 43系統: 県立総合医療センター (泊山経由)
- 51系統: 和無田改善センター (内部駅前経由)
- 53系統: 平田町駅 (内部駅前経由)
- 53系統: 佐々木記念館 (内部駅前経由)
- 8番乗り場
- 20系統: 鈴鹿市駅・三交鈴鹿 (河原田経由)
- 指定なし
- 4番乗り場
- 東のりば
三岐鉄道バス
- 南のりば
その他
- 四日市市民公園前
- WILLER EXPRESS: 川崎駅 (新宿駅西口経由) (ベイラインエクスプレス)
- JAMJAMライナー: 東京ディズニーランド・バス・ターミナル・アネックス (YCAT、高速バス西新宿経由) (ジャムジャムエクスプレス)
- コトバスエクスプレス: コトバスステーション琴平 (徳島駅、高松駅経由) (琴平バス) ※ 松山駅東行、高知駅行に連絡
歴史
- 1913年(大正2年)5月16日 - 三重軌道(現・内部線)諏訪前 - 南浜田間開通時に同線の諏訪前駅開業[6]。
- 1913年(大正2年)9月24日 - 四日市鉄道(現・湯の山線)諏訪 - 川島村(現・伊勢川島)間開通時に同線の諏訪駅開業。
- 1915年(大正4年)12月25日 - 三重軌道四日市市 - 諏訪前間が延伸開業。
- 1916年(大正5年)3月3日 - 四日市鉄道四日市(後に四日市市と改称) - 諏訪間が延伸開業。
- 1916年(大正5年)7月19日 - 三重軌道の路線が三重鉄道に移管される。
- 1922年(大正11年)3月1日 - 伊勢鉄道(現・名古屋線)海山道 - 新四日市(後に四日市と改称)間開通時に省線駅前に開業。
- 1926年(大正15年)9月12日 - 伊勢鉄道の社名変更により、伊勢鉄道四日市駅が伊勢電気鉄道の駅となる。
- 1927年(昭和2年)11月29日 - 四日市鉄道の四日市市 - 諏訪間が廃止。
- 1928年(昭和3年)1月29日 - 三重鉄道の四日市市 - 諏訪前間が廃止。諏訪前駅を廃止し四日市鉄道諏訪駅に統合。
- 1929年(昭和4年)1月30日 - 伊勢電気鉄道の桑名 - 四日市間延伸時に同線の諏訪駅開業。
- 1931年(昭和6年)3月1日 - 三重鉄道が四日市鉄道を合併。諏訪駅は伊勢電気鉄道と三重鉄道の駅となる。
- 1936年(昭和11年)9月15日 - 参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併。伊勢電の諏訪駅と四日市駅が参宮急行電鉄伊勢線の駅となる。
- 1938年(昭和13年)12月7日 - 参宮急行電鉄で線路名称改定。諏訪駅と四日市駅は名古屋線所属となる。
- 1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道に改称。参急の諏訪駅と四日市駅が関西急行鉄道の駅となる。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 会社合併により三重鉄道諏訪駅が三重交通の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道が成立。関急の諏訪駅と四日市駅が近畿日本鉄道の駅となる。
- 1956年(昭和31年)9月23日 - 近鉄名古屋線の海山道 - 川原町間経路変更に伴い同線の四日市駅廃止。近鉄と三重交通の諏訪駅を現在地に移転、近畿日本四日市駅に改称。
- 1964年(昭和39年)2月1日 - 三重交通の鉄道事業が三重電気鉄道として分社され、近鉄と三重電気鉄道の駅となる。
- 1964年(昭和39年)3月23日 - 湯の山線の改軌に伴い、同線と内部線が分断。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併。近鉄単独駅となる。
- 1970年(昭和45年)3月1日 - 近鉄四日市駅に改称。
- 1971年(昭和46年)12月8日 - 高架化工事開始により名古屋線 - 湯の山線の直通運転休止及び名古屋線の待避線撤去[7]。代替として阿倉川駅に待避線設置[8]。
- 1973年(昭和48年)3月11日 - 名古屋線上り線・湯の山線高架化。
- 1973年(昭和48年)10月11日 - 名古屋線下り線高架化。
- 1974年(昭和49年)6月29日 - 内部線四日市駅移設。
- 1974年(昭和49年)7月3日 - 高架化完成。名古屋線の待避線復活。
- 1975年(昭和50年)5月9日 - 高架下店舗「パティオ近鉄」開業。
- 1979年(昭和54年)6月28日 - 旧駅ビル跡に四日市近鉄ビル増築。
- 1992年(平成4年)9月24日 - 四日市近鉄ビル増築。
- 2001年(平成13年)2月1日 - SF(ストアードフェア)システムの導入および大阪地区における「スルッとKANSAI」対応カードの取り扱い開始に伴い、当駅における「途中下車指定駅」の制度が廃止される。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。
- 2008年(平成20年)1月25日 - ホームの特急券売り場が廃止。(自動券売機はそのまま)。
- 2009年(平成21年)7月28日・7月29日 - 10番線(主に西日野方面)ホームの改装工事を実施。
- 2009年(平成21年)11月19日 - 駅自動放送とソラリー表示を更新。
諏訪駅
昭和30年(1955年)までは現在の近鉄四日市駅付近には駅はなく、現在地から300メートルほど東、諏訪栄町交叉点の北西側にあたる場所に諏訪駅が存在した。
1890年に市街地東縁の地に関西鉄道の四日市駅が開業したが、四日市の町の中心である諏訪神社周辺への駅設置が望まれた。大正2年(1913年)、諏訪神社近くに三重軌道(現在の近鉄内部八王子線)が諏訪前駅(後に諏訪駅に統合)を設け、続いて同年四日市鉄道(現近鉄湯の山線)も諏訪駅を開業し、四日市郊外からの鉄道網の拠点として成長した。1929年に伊勢電気鉄道(後の近鉄名古屋線)が開通し、諏訪駅は外部の鉄道網とも結ばれることになった。なお、先行して諏訪駅を経由し四日市駅まで開業した三重鉄道(旧三重軌道・内部八王子線)および四日市鉄道(湯の山線)の線路敷は、買収されて伊勢電気鉄道の線路となり、両線の四日市 - 諏訪間は廃止された。
当時の伊勢電気鉄道の線形は、名古屋方面からの線路が現在の近鉄四日市駅北方500メートル付近からカーブを描いてほぼ直角に曲がり(天理教カーブ)そのまま東に進み、四日市駅前でまたほぼ直角にカーブして(善光寺カーブ)、南に方向転換していた。なお南側は、現在は関西本線と近鉄名古屋線が立体交差しているあたりで、現在の路線に合流していた。
諏訪駅の周りには商店街が形成され、イオングループの前身である岡田屋もすぐそばにあった。しかし、諏訪駅前後の急曲線は速度向上や車両大型化に支障し、近鉄名古屋線最大の線形上のネックであった。諏訪駅は市の中心駅にしては規模が狭く建物の老朽化もあったため、 1956年(昭和31年)に近鉄名古屋線の大幅なルート変更で現在地へ移転し、名称も「近畿日本四日市駅」に変更された。
線形変更前は、諏訪駅と川原町駅の間には西町駅が存在していた。また、線形変更の結果、近鉄名古屋線と関西本線は四日市では接続しなくなった。
cf. 線形変更前の四日市市内を写した航空写真(国土地理院)
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 名古屋線
- テンプレート:Color急行
- テンプレート:Color準急(蟹江まで各駅に停車)
- 川原町駅 - 近鉄四日市駅
- テンプレート:Color普通
- 川原町駅 - 近鉄四日市駅 - 新正駅
- 湯の山線(全列車各駅に停車)
- 近鉄四日市駅 - 中川原駅
- 内部線・八王子線(全列車各駅に停車)
- 近鉄四日市駅 - 赤堀駅
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:近鉄内部・八王子線- ↑ 『最近20年のあゆみ』近畿日本鉄道株式会社編、1980年10月1日、p104
- ↑ 2013年7月初頭に、近鉄名古屋線内では初めて設置。
- ↑ 『HAND BOOK 2010』、近畿日本鉄道総合企画部編、2010年9月
- ↑ テンプレート:PDFlink - 近畿日本鉄道株式会社、2012年9月28日付ニュースリリース
- ↑ 「駅周辺型商業集積地区」年間商品販売額 経済産業省 2007年 http://www.meti.go.jp/
- ↑ 公式サイトによる。ただし駅名は『日本鉄道旅行地図帳 8号 関西1』新潮社、pp.31-32、および『全国鉄道いろは順線別駅名鑑』鉄道公認運送取扱人組合中央会、1920年、p.187(国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより)による。
- ↑ 『80年のあゆみ』近畿日本鉄道株式会社編、1990年10月1日、p213
- ↑ 『鉄道ピクトリアル』(電気車研究会)1971年12月号(No.258)p.91