野田聖子
テンプレート:Amboxテンプレート:DMC テンプレート:政治家 野田 聖子(のだ せいこ、1960年9月3日 ‐ )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自由民主党総務会長(第52代)。旧姓は島(しま)[1]。
岐阜県議会議員(1期)、郵政大臣(第64代)、内閣府特命担当大臣(消費者)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策・食品安全)を歴任した。
祖父は大蔵事務次官、参議院議員、衆議院議員、経済企画庁長官、建設大臣、等を歴任した野田卯一[2]。
目次
来歴・人物
生い立ち
父親の転勤先であった[3]福岡県福岡市に生まれる。オリンピックの年にちなみ、聖子(せいこ)と命名された[4]。
田園調布雙葉高等学校を中途退学[5]、ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクール(Jonesville High School)留学を経て1983年、上智大学外国語学部比較文化学科を卒業。同年、帝国ホテルに入社[6]。フロント業務等を経て、帝国ホテルの女性従業員で初めて国際セールス部員に抜擢される[7]。
1984年、祖母・野田光の死去に伴い、祖父・野田卯一の養子となり、野田姓を継ぐ[8]。
政界入り
1987年、岐阜県議会議員に自由民主党公認で立候補し史上最年少で当選する[9]。テンプレート:要出典範囲。
1990年の第39回衆議院議員総選挙に旧岐阜1区から立候補するも、自民党からの公認も得られず落選[10]。1993年の第40回衆議院議員総選挙に再び立候補し、「衆議院にも自民党の女性議員を」との公約を掲げて初当選した(当選同期に安倍晋三・田中眞紀子・熊代昭彦・岸田文雄・塩崎恭久・浜田靖一・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗など)。新政策研究会(河本敏夫派)に所属した。
1994年、首班指名選挙で自民党は日本社会党委員長の村山富市を首班候補に擁立。これに反発し、新生党の小沢一郎の誘いに乗って一時は武部勤、伊吹文明、中山正暉ら10数名と離党を考え断念した渡辺美智雄が「社会党の委員長なんか首相に推せるか」と旗を振る中、テンプレート:要出典範囲。
1996年11月発足の第2次橋本内閣で郵政政務次官、1998年7月発足の小渕内閣では、37歳10ヶ月で郵政大臣に抜擢された。テンプレート:要出典範囲。1999年、自民党国会対策副委員長、衆議院議院運営委員会の議事進行係(女性としては初)に就任。2000年、自民党政調副会長、筆頭副幹事長に就任。
2001年、保守党所属の参議院議員・鶴保庸介との事実婚を発表したが、2007年に離別。2003年12月、高村派を退会。テンプレート:要出典範囲。また法的に結婚していないとできないはずの不妊治療をしている国会議員として、マスメディア(主にテレビや女性誌)に何度も取り上げられている。また人工授精による受精卵が凍結状態にあることがで報じられた[11]。
自民党離党
2005年4月27日に政府提案(閣法)で上程された郵政民営化法案に反対したため、民営化反対派の急先鋒だと見なされたが、雑誌『経済界』2005年4月号のインタビューでは「民営化に反対と言ったことはありません。今の竹中プランでは駄目だと言っているのです。改革という言葉に酔うのではなく、将来を考えた本当の改革をしてもらいたいと訴えているのです。」と答えている[12]。テンプレート:要出典範囲。
自民党岐阜県連(会長・古屋圭司)は8月10日、岐阜市内で執行部会・常任総務会合同会議を開き、県連規約を改正し、党公認がなくても第44回衆議院議員総選挙で支援することを決定した。会議の席上、法案に賛成した金子一義が異論を唱えたが、これに対し「県連は一致して法案に反対している。地方の声を聞くのが国会議員だ」とする反論も出た(金子一義・藤井孝男・松田岩夫も参照)。
同年9月の第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案に反対票を投じたため、自民党の公認を得られなかったが、小泉主導で送り込まれた刺客候補の佐藤ゆかりを退け、5選。
同選挙で与党が圧勝すると、後援会幹部や岐阜県の自民党所属の地方議員らから法案に賛成するよう強い要望が出たため、野田は再度提出された郵政民営化法案に賛成票を投じた。同年10月、自民党党紀委員会により野田に対し離党勧告がなされたため、自民党を離党した。
自民党復党後
2006年、首相・安倍晋三の意向により郵政造反組の復党が検討され、同年12月に復党(郵政造反組復党問題参照)。復党にあたっては、「郵政民営化法案に賛成する」等の念書が取られ、「踏み絵」と呼ばれた。また、郵政民営化法案に反対から賛成へと立場が正反対に替わったため、その行為が「変節」と呼ばれ、様々な方面から批判された[13]。
2007年、福田康夫が自由民主党総裁に選出され、福田執行部で党広報局長に就任する。野田の前任の広報局長は小泉チルドレンの1人片山さつきであり、片山の更迭による野田の広報局長就任は、直前に発足した安倍改造内閣における今村雅弘や森山裕(いずれも郵政造反組)の副大臣起用同様、郵政造反組復権の象徴的な出来事であった。
福田康夫改造内閣で、内閣府特命担当大臣(科学技術政策・食品安全)に就任した。さらに、「消費者行政を統一的・一元的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」と「宇宙開発利用に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」も国務大臣として兼任。テンプレート:要出典範囲。
麻生内閣でも再任され、麻生内閣末期には消費者庁発足に伴い、「消費者行政を統一的・一元的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」の任を解かれ、新たに内閣府特命担当大臣(消費者)の補職辞令を受けた。事故米不正転売事件では、消費者行政担当相として被害にあった保育園に駆けつけて謝罪をし、子供たちと一緒に食事をした[14]。
1996年4月の衆議院商工委員会で、マルチ商法について「悪質業者は厳しく取り締まらないといけないと思う反面、良質な業者も随分存在している。悪質な例ばかり強調されると、良質なもの、一生懸命頑張っている人のやる気をなくし、新たな産業を潰してしまう。」と述べ、規制に否定的な立場を示していたことが2008年10月16日の参議院予算委員会で明らかになり[15]、野田は「自分の勉強不足で、消費者の視点に立った質問ができなかった」と釈明した。麻生太郎首相は衆院選をにらみ、消費者行政を重視する姿勢を示している中での釈明だった[16]。
児童ポルノ単純所持違法化、18歳未満を描写する創作物製作規制を強力に推進したとされる。2009年8月15日(終戦の日)に、首相の麻生太郎を含む麻生内閣の他の閣僚が靖国神社参拝を見送る中、閣僚としてはただ1人参拝を行った[17][18]。テンプレート:要出典範囲。
同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では佐藤ゆかりが転出したため、“しこり”の残る佐藤の後援会は民主党の柴橋正直に支持を鞍替えしたとされる。岐阜1区では柴橋に敗れ落選したが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、6選。
2010年5月にアメリカ合衆国にて卵子提供を受けて体外受精を実施して妊娠したことを、同年8月下旬に『週刊新潮』での自らの手記にて明らかにした[19]。渡米したのは日本では認められていない有償の卵子提供を受けるため。しかし渡米は国会開会中の海外医療観察名目で行われた。テンプレート:要出典範囲。
2011年1月6日、50歳という超高齢出産にて重い障害のある男児が誕生したことを発表した[20]。この際野田自身は子宮の摘出を余儀なくされている。また、当面の間は休養することも明らかにしている。2月、事実婚だった男性と1月18日に婚姻し男性が改姓したことをブログと手記で公表した。同時に、鶴保と事実婚の関係を続けたのは自身が跡取り娘で名字を維持するためだったことも明かしている[21][22]。出産後にその男性と入籍[23]。
子は1年で9回の手術を受けるが脳梗塞も併発し、2年近く入院中で1回も退院経験がない。現在人工呼吸器を装着し、経口摂取は不可、右手右足に麻痺がある。尚、時々子供のお見舞いに行き写真をブログで公開している。1歳の誕生日は野田議員からお守り2つがプレゼントされ、短時間のお誕生会が開かれた。後援会400名で2班に分かれて韓国旅行をした際、旦那&実母も連れて5日に合流するが、韓国旅行中に子どもは肺炎になった事などが批判された[24]。
2012年11月21日、自民党岐阜県連にて解散に伴う第46回衆議院議員総選挙に出馬の意志を表明[25]。同年12月16日、岐阜1区で前回敗れた柴橋を下し7選。同年12月25日、第52代自由民主党総務会長に就任した。
政策・主張
少子化対策・男女共同参画
3年間で8回におよぶ体外受精を受けた不妊治療体験から国会議員として生殖医療に取り組んできた。少子化問題にも目を向け、2002年秋ごろ、特に力を入れたい政策課題だと表明。小泉政権の少子化対策について、「百点満点で十点」と酷評。自費出版を検討していた自らの体験や体外受精をめぐる夫との軋轢や通院の苦労談、流産の辛さをつづった著書を、新潮社の申し出により、2004年12月に『私は、産みたい』と題して出版。
翌2005年5月には、『だれが未来を奪うのか 少子化と闘う』を講談社から出版し、自党内の「女性が職を持つようになって子を産まなくなった」との発言に対して、欧米など女性労働者が多い国でも、出生率が高いデータ例を示しつつ反論。政府が課題とする少子高齢化と人口減少を切り口に、今後取り組むべき政策ビジョン「人財増産計画」を提言しつつ、党内議員の旧態依然たる意識を厳しく批判。少子化対策への取り組みこそ社会を安定させると主張している。
日経ビジネス誌のインタビューに対して、2010年1月、野田は「本気で少子化対策をするには自民党は本当に邪魔な政党でした」と発言した(「自民党が少子化を加速させた 自民党・野田聖子衆院議員インタビュー」)[26]。
また、選択的夫婦別姓制度導入に賛成する。2002年には「例外的に夫婦の別姓を実現させる会」を主導し、自民党法務部会に議員提案として「民法の一部改正に関する法律案」を提出している。この中で、野田は「現行民法は男女の婚姻の条件として、同氏を名乗ることを義務づけている。現在、そのために不利益を被る人たちが民法の改正を強く願っている。少子化が急速に進み一人っ子家庭が増えるなか、一人っ子同士の結婚での家名継承が難しくなっている。結婚の前後で氏が変わることにより、仕事の継続性が確保できなくなる事例も増えている。結婚を控えた若い世代の過半数は、希望する夫婦には別氏を名乗れるようにしてもよい、と民法の改正に賛成している。家族の崩壊が心配され、家族の再生が求められるなか、婚姻前の氏をそれぞれ名乗りながらも法律上の家族でありたいと願う切実な声がある。夫婦が特別の事情でそれぞれ旧姓を名乗りたいと希望する場合、家庭裁判所の許可があれば例外的に夫婦別氏の結婚を法律婚とする道を開きたい」とその理由を述べている[27]。
創作物の表現規制・単純所持違法化の積極推進
18歳未満に見えるイラストも児童ポルノとして規制・単純所持を違法化することを主張している[28]。
- 漫画・アニメ・ゲーム・映画を規制する青少年健全育成基本法案を推進[29]。
- 漫画などを規制する児童ポルノ禁止法改正案(自民党・公明党案)の請願を国会に提出[30]。
- こうした姿勢を批判された際に「児童ポルノの対象に漫画やアニメ、ゲームをいれると申し上げた事は一度も無い」と反論。しかしその後、表現規制推進団体の最大手である日本ユニセフ協会主催の集会で「数年前に子供ポルノアニメと漫画の規制にチャレンジしたがインターネットで散々叩かれた」と発言[31]。
- 日本ユニセフ協会の副会長とアグネス・チャンらと共にNPO法人「ひまわりの会」を運営。会長を務める[32]。
- アダルトゲーム製作会社の元社長と京都府警察公安委員会の委員らが設立した青少年健全育成団体「ジュベネイル・ガイド」と共に、美少女アニメとアダルトゲームを規制する為の議員勉強会を立ち上げた。しかし、その直後にジュベネイル・ガイドの実態(前述した関係者の肩書きや本部事務局が廃墟同然だった事など)が各規制反対派サイトと週刊新潮に報道され、即解散した[33]。
- アダルトゲームから天皇制まで過激に批判している極左ジェンダーフリー系の表現規制推進団体「ポルノ・買春問題研究会」による自作自演のアダルトゲームバッシングに協力。自民党女性局で法的規制に向けての提言を出すように働きかけた[34]。
- 奈良小1女児殺害事件(2004年)を受けて「容疑者の性的病癖を悪化させたものとして劣悪な性関連商品が指摘されている。表現の自由を盾にして表現する事の責任を全く考えない人々が世にばらまいてきた害悪について今こそ猛省する時期だ」と述べた[35]。
TPP交渉参加に反対
TPP交渉参加反対に関する国会請願の紹介議員に名を連ねた[36]。
こんにゃくゼリー規制
2008年9月ミニカップ入りゼリーを子供や高齢者がのどに詰まらせてしまうという問題を受け、気道異物事故ではモチ・パン・寿司の方が遥かに件数が高いにもかかわらず、当時消費者行政担当相だった野田がマンナンライフ社に販売禁止措置を行った[37][38]。
カジノ推進
カジノ議連の初代会長、現副会長を務め、カジノ法案を積極的に推進している[39]。また、野田主導で国会へのカジノ法案提出を目指している[40]。
その他
- 自民党閣僚への女性の積極登用を主張している[41]。
- 政策課題の筆頭として子供の問題を重視し、児童買春・児童ポルノ禁止、発達障害(超党派「発達障害の支援を考える議員連盟」に所属して2001年11月24日、発達障害者支援法は成立)などの課題に積極的にかかわり、児童ポルノ禁止法を推進した。
- 宇宙開発のための宇宙基本計画の策定を求めている。
所属団体・議員連盟
- パチンコ・チェーンストア協会(政治分野アドバイザー[42])
- 自民党遊技業振興議員連盟(副会長)
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 国際観光産業振興議員連盟
- TPP参加の即時撤回を求める会
- 日韓議員連盟
エピソード
- 趣味は読書、映画鑑賞、カラオケ、パソコン。日本酒党で「日本酒を愛する女性議員の会」(幹事長:小渕優子)で会長を、また日本酒造協会では顧問を務めている。メールマガジンの名称は「キャサリン通信」だが、このキャサリンは飼い犬(フレンチ・ブルドッグ)の名前。不妊治療の辛いときに橋本聖子に勧められて飼うことにしたという。
- 国会議員としては珍しくハードロックファンであることを公言しており、クイーン、ディープ・パープル、EL&Pを好みとして挙げ、カラオケで歌ったり、自らベースを弾いていたこともあるという。
- 上智大卒業後、日本航空からも内定を受けていたが、日本航空羽田沖墜落事故の影響により取り消されている。
事務所放火事件
テンプレート:Main 2007年8月10日の深夜、岐阜にある野田の事務所に何者かが侵入。パソコンと防犯カメラ用デッキが盗まれ、事務所に放火された。燃えたのはビル一階の事務所であるが、ビル五階にまで煤が達する火災となった。
野田は「昔から政治活動する人は、いろいろな妨害や危害を加えられてもやり続けている。私もそういう被害にあって、屈せず頑張るしかないというのが率直な心境だ」[43]と述べたうえで、犯行について「ひきょうだと思う」[43]と指摘した。
事件の後、事務所はビル二階に移転。政治日程やメールマガジンの配信などが一時的に滞った。事件の犯人は捕まっておらず、真相は明らかとなっていない。
系譜
- 野田家
野田聖子の実父島稔は元建設相の野田卯一の妻・光の長男として生まれ、卯一の岳父である島徳蔵家に後継ぎがいないという事情から第一子は島性を名乗らせるため、幼少期に島徳蔵の養子となった。島徳蔵は「北浜の怪傑」と呼ばれた伝説の相場師で、晩年は大阪株式取引所(大阪証券取引所の前身)理事長や阪神電鉄社長などを務めた。
島稔は東大卒業後、八幡製鐵(後に新日本製鐵)に勤めていた。野田卯一の子は稔一人だけだったため、今度は娘の聖子が祖父の野田姓を継ぐこととなり[44]、野田卯一の養女となった。
明治維新後に兵部大輔、近代兵制を確立、靖国神社の前身の東京招魂社建立に当たった大村益次郎は遠い縁戚になるという。野田聖子は安倍晋三(元首相)との対談の中で「実は大村益次郎さんは私の遠い縁戚なんです。昔、祖父に、「これは君の遠い縁戚だから」と言われたのを覚えています。」と述べている[45]。
実吉安純━━━実吉雅郎 ┃ ┏富 ┏島徳蔵━━━┫ ┃ ┗光 ┗島定治郎 ┃ ┣━━━━━島稔━━━━野田聖子 ┃ 野田卯一
著書
単著
- 1987年12月 『アイアム聖イング』 海越出版社、ISBN 978-4-906203-52-9
- 1994年6月 『改革という美名の下で』 海越出版社、ISBN 978-4-02-250332-9
- 1996年2月 『国民のみなさまにお伝えしたいこと - ホンネで語る政治学』 PHP研究所、ISBN 978-4-569-55017-6
- 2004年12月 『私は、産みたい』 新潮社、ISBN 978-4-10-472901-2
- 2005年5月 『だれが未来を奪うのか - 少子化と闘う』 講談社、ISBN 978-4-06-212833-9
- 2007年12月 『不器用』 朝日新聞社、ISBN 978-4-02-250332-9
共著
- 2001年10月 『ポストITは日本が勝つ! トップランナー7人の提言』(杉山知之編) アスキー、ISBN 4-7561-3918-3
- 2005年3月 『よくわかる改正児童買春・児童ポルノ禁止法』(森山眞弓と共編) ぎょうせい、ISBN 4-324-07587-5
- 2011年1月 『この国で産むということ』(根津八絋と共著) ポプラ社、ISBN 978-4-591-12056-9
脚注
関連項目
外部リンク
オンライン記事
- 「レイプ容認発言 古い自民党の危うい意識」(朝日新聞2003年7月13日付「私の視点 ウイ-クエンド」に掲載@野田聖子ホームページ)
- 「実態をしらずに『商業主義』と非難されたくない」(Medical Tribune [メディカルトリビューン、医学新聞])
- YOMIURI ON-LINE(読売新聞) - 大町小町:不妊治療体験記を出版の野田聖子さん「きれい事ばかり語りたくない」(2004年12月23日)
- 「今すぐ少子化対策を講じなければ、国は滅びます」(『経済界』2005年4月19日号に掲載@野田聖子ホームページ)
- 「少子化と闘う 野田聖子氏インタビュー」(楽天ブックスホームページ「著者インタビュー」)
テンプレート:S-ppo
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
細田博之
|style="width:40%; text-align:center"|自由民主党総務会長
第52代:2012年 -
|style="width:30%"|次代:
現職
テンプレート:S-off
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
設置
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣 (消費者)
初代:2009年
|style="width:30%"|次代:
統合
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
岸田文雄
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣 (科学技術政策)
第9・10代:2008年 - 2009年
|style="width:30%"|次代:
菅直人
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
岸田文雄
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 国務大臣 (消費者行政推進)
第2・3代:2008年 - 2009年
|style="width:30%"|次代:
廃止
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
自見庄三郎
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 郵政大臣
第64代:1998年 - 1999年
|style="width:30%"|次代:
八代英太
- 転送 Template:End
テンプレート:総務大臣 テンプレート:消費者及び食品安全担当大臣 テンプレート:科学技術政策担当大臣
テンプレート:自由民主党総務会長- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 13.
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 12-13.
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 45.
- ↑ 野田聖子・根津八絋 『この国で産むということ』 ポプラ社 ISBN 978-4-591-12056-9、2011年 p. 48.
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 48.
- ↑ 野田聖子 『国民のみなさまにお伝えしたいこと』 PHP研究所 ISBN 978-4-569-55017-6、1996年 p. 251.
- ↑ 野田聖子オフィシャルホームページ・プロフィール
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 207.
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 11.
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 50.
- ↑ 「朝日新聞」2005年6月5日
- ↑ 旧・公式サイト
- ↑ 中央ジャーナル
- ↑ 上賀茂保育園での給食 上賀茂保育園で園児らと給食を食べる野田聖子氏
- ↑ 毎日新聞 2008年10月16日夕刊
- ↑ J-CAST2008年10月16日
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
- ↑ 49歳野田聖子議員が妊娠 第三者の卵子使い体外受精 朝日新聞 2010年8月26日閲覧テンプレート:リンク切れ
- ↑ 野田聖子氏が男児出産 産経新聞 2011年1月6日閲覧テンプレート:リンク切れ
- ↑ 公式ブログ2011年2月22日
- ↑ SANSPO2011年2月23日
- ↑ [1]
- ↑ [ http://news.biglobe.ne.jp/trend/0327/sgk_120327_0191652902.html]
- ↑ [2]
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ http://www.noda-seiko.gr.jp/old_data/hitokoto/140724.html
- ↑ [3]
- ↑ [4]
- ↑ [5]
- ↑ [6]
- ↑ [7]
- ↑ [8]
- ↑ [9]
- ↑ [10]
- ↑ [11]
- ↑ [12]
- ↑ [13]
- ↑ http://www.noda-seiko.gr.jp/old_data/katudo/kokkai06_2.html
- ↑ 「自民党総務会、カジノ法案を了承 今国会に提出したい考え」フジニュースネットワーク 2013/11/29(金)
- ↑ [14]
- ↑ パチンコ・チェーンストア協会(PCSA)
- ↑ 43.0 43.1 「野田聖子議員『ひきょうだと思う』――事務所放火事件」『asahi.com:野田聖子議員「ひきょうだと思う」 事務所放火事件 - 社会』朝日新聞社、2007年8月10日。
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 13.
- ↑ 野田聖子ホームページ(安倍晋三との対談)