ジパングあさ6
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『ジパングあさ6』(ジパングあさろく)は日本テレビ系列で放送されていた平日の朝の情報番組である。1992年3月30日から2001年9月28日まで5:59:30 - 7:00(6:59:59)に放送された(2000年10月以降の末期は5:59丁度に開始)。放送期間は9年半で、結果的に後番組の『ズームイン!!SUPER』と同じ期間となった。
目次
概要
- 『ルンルンあさ6生情報』の後番組として、『ルンルンあさ6生情報』と平日の『NNN朝のニュース』を吸収して開始。このためニュース枠も『NNNニュースジパング』と改題された(後述)。
- 最高視聴率は早朝番組としては異例の16.5%を記録。
- メインキャスターは一週間を2人が半分ずつ担当。
- コーナーの多くを自局のアナウンサーが担当していた。
- 開始時刻を早めた理由は、6:00:00丁度にニュースを読み出したいため(『TVおじゃマンボウ』での説明による)。他局で同時刻に始まる同種の番組にチャンネルを変えさせない意図があった。
- 番組の後期には、占いキャラクター(グッディー&バッディー)が登場。占いのコーナーなどに使われた。
- 日本テレビでは『あさ天5』・『ズームイン!!朝!』ともにステブレなしで放送していた。(後期のみ)
出演者
司会者
- 1992年3月 - 1994年3月:関谷亜矢子(月・火・水)、永井美奈子(木・金)
- 1994年4月 - 1995年9月:永井美奈子(月・火・金)、松本志のぶ(水・木)
- 1995年10月 - 1996年9月:永井美奈子(月・金)、角田久美子(火・水・木)
- 1996年10月 - 1998年3月:角田久美子、山王丸和恵
- 1998年4月 - 2000年3月:山王丸和恵、魚住りえ
- 2000年4月 - 2001年3月:魚住りえ、馬場典子
- 2001年4月 - 2001年9月:魚住りえ(単独)
変遷
期間 | 司会 | ||
---|---|---|---|
1992.03 | 1994.03 | 関谷亜矢子 | 永井美奈子 |
1994.04 | 1995.09 | 松本志のぶ | |
1995.10 | 1996.09 | 角田久美子 | |
1996.10 | 1998.03 | 山王丸和恵 | |
1998.04 | 2000.03 | 魚住りえ | |
2000.04 | 2001.03 | 馬場典子 | |
2000.04 | 2001.03 | 魚住りえ |
コメンテーター
中村と橋本は解説コーナー「ここがポイント」だけでなく一般紙朝刊紹介も務め、本編のほぼ全体にわたって登場していたが、久保潔就任後は原則として「ここがポイント」専任となった。その後暫く、一般紙朝刊紹介はスポーツ担当アナウンサーが務めることが多かったが、2001年4月以降は報道局の呉文彦が「政治キャスター」の肩書きで朝刊紹介を務めていた。
お天気キャスター
主に駆け出しの女性アナウンサーが担当していたが、一時は寺島淳司、長谷川憲司といった男性アナウンサーが担当していたこともあった。
- 加藤ゆずか
- 角田久美子
- 魚住りえ
- 清原久美子
- 藤井恒久
- 矢島学
- 寺島淳司
- 長谷川憲司
- 馬場典子(1998年6月 - 1999年9月、後にメインキャスターとして復帰)
- 柴田倫世(1998年10月 - 2000年9月)
- 山本真純(1999年10月 - 2001年3月、2001年4月以降はスポーツ紙紹介コーナー担当に変更)
- 小野寺麻衣(2000年10月 - 2001年3月、お天気降板後もリポーターとして随時出演)
- 斉藤まりあ(2001年4月 - 2001年9月、『ズームイン!!朝!』と兼任)
ちなみに柴田倫世の担当最終日は、松坂大輔との交際が週刊誌およびスポーツ紙で報じられたその日であった(後に結婚)。
スポーツキャスター
スポーツ実況担当の男性アナウンサーが歴任していた。
- 若林健治
- 増田隆生
- 金子茂( - 1998年3月)
- 今井伊佐男( - 1998年10月)
- 平川健太郎( - 1999年9月)
- 多昌博志(1998年4月 - 2000年11月)
- 村山喜彦(1998年11月 - 2001年9月)
- 河村亮(1999年10月 - 2001年9月)
- 鈴木健(2000年11月 - 2001年3月)
- 蛯原哲(2001年4月 - 2001年9月)
○○生活研究室→ジパング総研
「○○」の中には担当アナウンサーの苗字が入る。
スポイチパッと読み
番組末期には6時台前半にもスポーツ紙の紹介コーナーが新設された。
- 町田浩徳(2001年1月 - 2001年9月)
- 菅谷大介(2001年1月 - 2001年3月)
- 山本真純(2001年4月 - 2001年9月)
芸能情報
主に若手の男性アナウンサーが担当。後期はあさ天5の新聞紹介コーナーも兼務している。
- 菅谷大介(1998年4月 - 1999年10月、後にスポーツ紙紹介コーナー担当として復帰)
- 町田浩徳(1998年8月 - 2000年4月、1999年12月より生活研究室のコーナーも兼任)
- 新谷保志(1999年10月 - 2001年9月)
- 高橋雄一(2000年4月 - 2001年9月)
リポーター
特集コーナー「アングル」や曜日コーナーなどを担当。こちらはフリーのキャスターおよびリポーターが担当していた。
- なお、矢野自身は2012年3月まで『目がテン』に出演した。また、角田も広報担当として『目がテン』のスタッフに名を連ねている(角田は2012年4月以降も続投)。
報道局ニュースキャスター
主なコーナー
- けさのヘッドライン - オープニングのニュースコーナー。コメンテーター(中村・橋本・呉)による新聞紹介もこのコーナーの一部。
- スポーツヘッドライン
- NNNニュースジパング - 報道局主体のニュースコーナーで、全国ネット。
- ○○のここがポイント - コメンテーター(中村・橋本・久保)がニュースを1項目解説する。
- スポーツジパング・スポーツ631
- 難問奇問の探偵団
- 体が一番
- 今が旬!
- 東京の名店100選
- 家庭科大王
- ニュースバザール
- 勘定奉行→日刊勘定奉行
- 社会科見学
- 心理分析官
- アングル
- ○○生活研究室 → ジパング総研 - 生活に役立つ情報を伝える。「○○生活研究室」時代は週3日の放送だったが、町田アナ担当時代の2000年4月よりジパング総研に改題され週5回となった。それ以降の町田アナの担当は週前半のみとなっており、週後半の担当リポーターは日替わりとなった。
- ヘッドラインフラッシュ(NNNニュースジパング担当の記者と共に進行)キャッチ:「お出かけ前3分間で最新のニュースがわかるヘッドラインフラッシュ○○記者です」
- けさの三面記事-朝刊紹介。初期はコーナーBGMにカシオペアの「ゴールデンアイランド」が使用されていた。
- おでかけ天気 - 気象予報士(『あさ天5』と同じ気象予報士が担当)が詳しく天気を伝える。関東ローカルだったが、その割に時間が長く、地方局にとってはやりくりの難しい時間帯であった。
- 流行ものランキング
- 今どきトレンド本舗
- マガジンラック(今日発売の雑誌をざっくり紹介するコーナー)
- マキシンおばさんの今日の占い
番組タイトルロゴ・オープニング
- 初代(目覚まし時計OP、1992年3月30日 - 1998年3月27日)
お天気カメラや中継先、また前日話題になった映像やゲストをバックにCGが被せられる。CGはメタリック調のカラフルなリングが飛んできて、その後金色の目覚まし時計が現れる。時刻が6時00分ちょうどになると目覚まし時計のベルの音が鳴り、「6」のロゴに変化。「6」の文字の周りに放射状に放たれる金色の光線と一緒に時計回りで「ジパング」の文字が流れ並んでゆく。画面右下部から朝日の昇るイメージで「あさ」のロゴが並び、左側から「ZIPANGU」の文字が差し込まれロゴの完成。「6」のロゴの時計の部分が90度開きながらスタジオの映像に入る。日によってはマイスタジオの外から出演者がダッシュする映像でオープニングが流れる事もあった。6月6日は「あさ6の日」で、副調整室の時計のアップから始まりMC席にパンしてのオープニングになっていた。目覚まし時計の鳴る部分のベース含め、以降の曲調が「8時だヨ!全員集合」の盆周りの曲に似ている。
- 2代目(太陽OP、1998年3月30日 - 2001年9月28日)
初代同様お天気カメラや、中継諸々の映像(こちらも日によってはマイスタジオの外から出演者がダッシュする映像でオープニングが流れていた)をバックに顔が付いた太陽が現れ、眠そうな表情から一気に明るい表情に変わると爽やかなベル音と共にオレンジ色を中心としたカラフルなリングと破片が放たれ画面右から「ジパング」と前方から「あさ6」の文字が流れてきて、回転しながら太陽が左に遷移、その後はタイトルロゴが横転とズームアップして消える。前期は時刻が6時00分00秒にベルが鳴っていたが後期は5時59分丁度のスタートになった為6時00分00秒丁度にベルが鳴る事は無くなった(後期はMCが冒頭のニュースを読み終わった時点でタイトルCGを流すようになった為)。初代からは一転してタイトルロゴは丸みを帯びた物となっており、「ZIPANGU」の表記は無くなった。タイトルCGが一新してしばらくの間は太陽の顔にエクボがなく、頬の黄色い丸が小さく、元気になる(目が覚める)と同時に大きな丸になる他、まばたきの開く幅や早さが後期に変更されている。また「ジパング」のロゴに掛けているグラデーションの色も薄めであった。
ネット局
※最終回時点。
- フルネット
日本テレビ・青森放送・テレビ岩手・秋田放送・福島中央テレビ・テレビ新潟・テレビ信州・北日本放送・テレビ金沢・福井放送・日本海テレビ・西日本放送・広島テレビ・高知放送・南海放送・長崎国際テレビ・くまもと県民テレビ・テレビ大分・鹿児島読売テレビ
- 部分ネット・「NNNニュースジパング」のみネット
札幌テレビ・ミヤギテレビ(1998年10月から最終回まで)・山梨放送・中京テレビ・読売テレビ(1992年4月から1993年3月までと、1998年4月から最終回まで)・山口放送・四国放送・福岡放送(フルネット放送だった時期あり)
- 事実上の部分ネット
山形放送(同番組と同じ放送期間に『YBCジパングあさ6』として県内ニュースや地域情報と同番組を織り交ぜながら放送)・静岡第一テレビ(番組開始から1998年3月までは番組後半のコーナーを除いて同番組の大半をネット→1998年4月から1999年3月まではローカル番組『あさチャン!!』立ち上げでごく一部のコーナーのみネット→1999年3月から6月末までは6時42分まで同番組を放送した後ローカル番組に切り替え→1999年7月から最終回までは『ジパングあさ6 あさチャン!!』というタイトルで静岡県内のニュースや地域情報と同番組を交互に放送)
- なお、一時期は読売テレビでもネットしていた時期がある。
- また、非ネットの系列局でも年末年始のみネットする系列局もあった。
札幌テレビ・ミヤギテレビ・山梨放送・中京テレビ・山口放送・福岡放送はローカル番組放送のため、『NNNニュースジパング』を除き番組開始当初から一切非ネット。逆に四国放送は同番組は当初は一部放送するものの「ズームイン!!朝!」は一貫してネットしていないという変則体制を敷いていた。
備考
- 番組のオープニングは5時59分30秒にマイスタジオ前の外で26秒間行ない、6時00分10秒までに14秒間でマイスタジオ内に駆け足で戻る形式を取っており、それ故アナウンサーがフライングしたり、移動にもたついて出だしが遅れたりするといった生放送ならではの珍事も度々起きた。また、マイスタジオ改装後はキャスター席が奥へ移され(旧キャスター席はニュースジパング専用コーナーとなった)、走る距離が延びた。
- 当番組未放送の地域でも『NNNニュースジパング』は放送され、「ここがポイント」、「スポーツジパング」も一部地域で放送されていた。
- 一部のネット局(テレビ大分、鹿児島テレビなど)では6:00スタートであったり、また、1993年3月までは6:15開始の局があった。その地区ではOPが差し替えられていた。
- その鹿児島テレビは、当番組放送開始の1992年3月30日より平日6時台を日本テレビ系同時ネット枠へと移行。因みに、前番組『ルンルンあさ6生情報』のネット履歴はなく、当該放送時間帯は『プロ野球ニュース』(フジテレビ)の前夜放送分の時差ネット並びにアニメの再放送が行われていた。
- また、実際には5:59から放送されていたにもかかわらず、開始時刻の前倒しが理解されていなかったのか、新聞雑誌等の番組表では6:00開始と記載されていた局もあった(秋田放送など)。
- 1993年10月から1998年3月までの期間のみ、大阪の読売テレビでもこの番組をネットしていた。ただし、6時48分頃以降のコーナーはネットせず、代わりに近畿広域圏のローカルニュースおよび天気予報を放送し、エンディングはその日の『ズームイン!!朝!』の中継先からとなっていた。当然エンディングにスタッフロールはなく、代わりに「続いて『ズームイン!!朝!』です」のテロップが出て、その後提供ゾーンとなっていた(6時58分30秒頃に終了)。
- それ以前の頃、年末編成に伴いローカル番組(当時は『おはようニュースマガジン』)が休止となった際に、単独番組『NNNよみうりニュース』として『NNNニュースジパング』を放送したことがある(一応、冒頭の『ニュースジパング』のロゴは流れた)。
- 日本テレビでは6:57頃(関東の天気予報の後。のちに「流行ものランキング」や「今どきトレンド本舗」の後となる)には、必ず霧ヶ峰エアコン情報や三菱おいしい生情報、後にセブンイレブン情報等が流れた。菊池ひとみや高原由妃、学生時代の鶴木陽子(のちの中京テレビアナウンサー)、加藤明子(現:朝日放送アナウンサー)などが出演していた。
- 静岡第一テレビでは番組開始当初から1998年3月までは6時スタートでネットしていたが、同年4月より静岡ローカルの「あさチャン!!」に差し替えられ、ジパング自体のネットは静岡県内のローカルニュース・地域情報を放送しながら当番組の一部コーナー(芸能情報等)を交互にネットする変則体制になっていた。そのため、末期においては番組名も『ジパングあさ6 あさチャン!!』と当番組の静岡ローカル版とも見て取れる番組名が付いていた。なお、6時48分以降のコーナーは当初から一切ネットせず、その時間帯は静岡県内のニュースや天気予報を放送していた。
- 四国放送ではNTVでの『ルンルン〜』時代に、6:30 - 45をテレビ朝日『おはよう!CNN』のネットに充てていた(6:45 - 7:00は『NNN朝のニュース』)名残りで、「ジパング〜」時代は前期は6時30分までの同時ネット(続けてテレビ朝日の『ANNニュースフレッシュ』を放送し、6:45は初期は『CNNデイブレイク』、その後自社番組枠)だったが、後期は「ジパング」自体のネットはせず、6:14から『ニュースジパング』はネットという不規則ネットとなっていた。後番組の『ズームイン!!SUPER』ではパート1(前半1時間)のみネットとなった。
- 南海放送も四国放送と同様の理由で、愛媛朝日テレビ開局以前は、6:30 - 6:45の間中断して『ANNニュースフレッシュ』を放送していた(こちらは6時45分にネット復帰)。
- 一部局ではオープニングの6:00に時報を入れていた(テレビ金沢では1998年ごろ、ド単音)。
- 青森放送では『東奥日報ニュース』(青森県内のニュース)を放送するため、番組開始当初は6時50分で終了していたが、1998年頃にニュースをジパングに内包。6時54分頃から2分間程ニュースを放送したあと、エンディングまで日本テレビと同時ネットとなった。
- 「難問奇問の探偵団」や「家庭科大王」など一部のコーナーは、日本テレビケーブルニュース(現:日テレNEWS24)で、放送されていた。
- テレビ宮崎は『FNN World Uplink』→『FNN おはよう!サンライズ』→『めざましテレビ』放送のため、番組開始当初から一切非ネット。
エピソード
- 1992年3月31日と4月1日(ジパング第2回・第3回)の放送で、「ハルシオン」なる睡眠薬についての特集が放送され、その薬物を乱用する若者たちや、売り捌く売人達の様子が放送されていた。
- 1993年3月15日、当番組で石鹸工場の取材を行っていた関谷を含めたスタッフ6人が爆発事故に巻き込まれ、火傷などの軽症を負った。翌日、関谷は元気な姿で出演しているが、焼け焦げた髪を切ったため前日とはヘアスタイルがすっかり変わってしまっていた。ちなみにカメラは回っていたため、この翌日放送で爆発の模様が放送された。
- 第二期、関谷永井時代にピンチヒッターとして笛吹雅子がMCを勤めた(原因は不明)。オープニングは電話料金の値上げのニュース。マイスタ前の道路を渡り反対側の電話ボックスから公衆電話を通じての凝った演出を成すが、料金の制限時間が終わってしまいツーツー・・・。笛吹のピンマイクに切り替わり慌ててニュースを伝えた。駆け込みは道路を渡ってMC席に入るという慌しいものとなった。
- 第五期、角田がMCを担当する日の冒頭で、オープニングタイトル(通常は目覚まし時計OP<<14秒>>)が、誤ってニュースジパングのタイトル(7秒)が流れてしまい、角田の到着していないMC席が先に映ると同時にマイクもオンになってしまう。応急で白塗りの「ジパングあさ6」のタイトルが斜めにズレた状態で入り、通常通りの放送に戻る。重要な番組のCGを差し違えるという前代未聞の放送事故となった。
- 山王丸がMCを担当していた時期、山王丸本人が番組に遅刻した時が一度あり、その時はその後の番組コーナーの打ち合わせをしていた鈴木君枝が代理MCを務めた。過去、鈴木も『ルンルンあさ6生情報』担当時に遅刻をして福留功男に代理MCを務めてもらった経緯があり、代理依頼が来た時はスタッフから「君枝さん、恩返しの時が来ました」と言われ、代理MCを引き受けた。
- 第五期、永井がMCを降板する年に腰痛になり、VTRの間は座って原稿を読むというスタイルをとっていた。また必至のオープニングの駆け込みも走ることができず、タイトル明けに永井がMC席に到着していないという日が2日程続いた。これをキッカケにVTRが外に戻らない日はフライングするスタイルとなったが、某日モニターの確認不足でVTRが戻ったことに気付かず走り出してしまう。以降、MCの負担を減らそうと冬場のコート着用時は、VTRに入ると同時にMCは原稿を読みつつフロアスタッフがコートを脱がすというスタイルに変更した。
- 1994年4月1日、元陸上選手の増田明美が番組冒頭に出演し、「今日からジパングあさ6の司会を務めることになりました増田明美です」と挨拶した際、永井美奈子が「私が仕事が無くなってしまったと思った」と突っ込んだ。当日はエイプリルフールで、奇しくもこの日は、鹿児島県のネット局が鹿児島テレビから同日に日本テレビ系フルネット局として開局した鹿児島読売テレビにネットチェンジした日でもある。(因みに、KYTでの日テレから顔出し人物は増田が最初)。なお、増田は当日に日テレ系で放送された主演ドラマ『ブスでごめんね!』の宣伝を兼ねての出演であった。
- 最終回となった2001年9月28日の放送では、番組の歴代MCを務めた7人が全員出演して番組のラストを締め括った。又、番組の最後にはグッディー&バッディーの映像とともに「9年半有難うございました」のテロップが表示されて終了した。
スタッフ
- 演出 : 神田博、藤好耕、高田耕作、小山和行、曾根尚
- プロデューサー : 福地聡、古屋和子、菅沼直樹、山口香代、福士睦
- 総監督 : 武井泉
- チーフプロデューサー : 城朋子
- 制作協力 : 東阪企画、日本テレビビデオ