中村慶一郎
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中村 慶一郎(なかむら けいいちろう、1934年6月29日 - )は、日本の政治評論家、元新聞記者。内閣総理大臣秘書官(三木内閣)、内閣官房参与、国民新党顧問を務めた。
概要
東京府(当時)出身。早稲田大学政治経済学部卒業。1957年、読売新聞社に入社。入社後は地方部、政治部に勤務する。政治部時代は三木派の番記者を務めていた。
1974年、読売新聞社を退社。番記者を務めた縁で、同年12月に発足した三木内閣において三木武夫内閣総理大臣の政務秘書官に就任した。三木内閣退陣後はアール・エフ・ラジオ日本報道部長を経て、政治評論家に転身。日本テレビ系列で放送された「読売新聞あすの朝刊」のキャスターを務めた後、早朝番組「ルンルンあさ6生情報」「ジパングあさ6」、深夜ニュースワイド「NNNきょうの出来事」のコメンテーターを担当した。
森喜朗の首相就任に伴い、内閣官房参与(広報担当)に起用される。2000年11月9日、中村を含む5人の政治評論家を前に加藤紘一が「森首相に(内閣)改造はやらない」と発言。後の加藤の乱の契機になる、加藤による倒閣の宣言であったが、居合わせた中村はすぐにこの情報を森に伝え、結果的に加藤の乱は不発に終わった。
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙に国民新党公認で比例区からの立候補を表明していたが、選挙直前に東京都選挙区(定数5)に鞍替えした。約15万票を獲得したが、得票数9位で落選した[1]。その後も国民新党の顧問を務めていたが、国民新党は2013年に解党。
著書
- 『三木政権747日――戦後保守政治の曲がり角』(行政問題研究所出版局、1981年)
- 『河本敏夫・全人像』(行政問題研究所出版局、1982年)
- 『政治一筋――毛利松平の闘い』(投資ジャーナル、1983年)
- 『田中角栄戦国史――政治天才・権力支配の構図』(ビジネス社、1985年/新版、1994年)
- 『「腹芸」の研究――自分を優位に導く勝者の機略術』(経済界、1985年)
- 『総理の器――「業の世界」を生ききるリーダーの条件』(光文社、1996年)
- 『天運天職――戦後政治の裏面史、半生、巨人軍を明かす』(渡邉恒雄の回想で中村は聞き役。光文社、1999年)