飛騨国
テンプレート:出典の明記 テンプレート:Pathnav テンプレート:JIS2004 テンプレート:基礎情報 令制国 飛騨国(ひだのくに、テンプレート:正字)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。
目次
概要
「飛騨」は飛騨山脈の西側一体を示す言葉で、現在は岐阜県北部に位置する。今日その名を受け継ぐのは飛騨地区北端の飛騨市だが、自治体としての規模や文化の中心的存在としては、ほぼ中央に位置する高山市の方が大きく、高山市は「飛騨高山」と呼ばれることが多い。
飛騨山脈の北側に位置する飛騨地方は、雪が多い日本海側型の気候である。飛騨は交通の便から隣接する富山県(越中)と経済的文化的な結びつきが強く、両者をまとめて飛越地方ともよばれる[1]。一方で岐阜県内の太平洋側地域とは山脈に遮られる形で交通の便が悪かった。
「飛騨」の名称と表記
古くは「斐太」や「斐陀」と書いた。この表記は現存しており「斐太高校」などに見られる。
『続日本紀』に文武天皇の大宝2年(702年)夏4月8日、飛騨国が神馬を献じた記録があり、『万葉集』巻16には「ぬばたまの 斐太(ひだ)の大黒(おほぐろ) 見るごとに 巨勢(こせ)の小黒(をぐろ)し 思ほゆるかも」(3844)とある。この神馬(大黒)を瑞祥とし、天下に大赦を行った。これ以降「飛驒(飛騨)」と表記されるようになった。
沿革
律令時代
7世紀に斐陀国造領域を中心にして成立した。飛驒は当時辺境地帯を除けば最も過疎地域であったため税制上の特例が認められた。すなわち、庸・調を免除されるかわり大工(飛騨工)が徴発された。これは後世大工業が発達する一因ともなる。
室町時代
京極氏が代々飛騨守護を勤め京極氏の領国だったが、後に京極氏の支流で守護代の三木氏が台頭、江馬氏・内ヶ島氏・照蓮寺などの諸勢力とが、上杉謙信や武田信玄、一向一揆の影響を受けながら争っていた。
戦国時代から江戸時代まで
戦国時代には、姉小路氏に改姓した三木氏が悲願の飛騨国統一を達成し、一時的にだが支配していた。本能寺の変以後は、金森長近が羽柴秀吉と対立した姉小路頼綱を攻め、高山城を本拠地とした。
江戸時代になると、当初は高山藩が置かれていたが、後に公儀御料(幕領)となり高山代官所(1777年に飛騨郡代に昇格)が飛騨国を治める事となる。この時代には、飛騨国は林業地帯として発展し、「飛騨の匠」と呼ばれる大工を多く輩出した。以来、飛騨地方には、家具などの木工産業が多く立地している。
明治時代以後
明治維新直後には、天領と呼ばれるようになった旧幕領が廃藩置県に先立ってまず府または県という行政単位に改編された。飛騨国は早くも明治元年5月(1868年6月)に飛騨県となり、そのわずか1週間には高山県となった。明治2年(1869年)には県知事梅村速水の急激な改革に対しての暴動(梅村騒動)が発生する。廃藩置県後の明治4年(1871年)に行われた府県合併により、近隣の信濃国中部南部の諸県と合併して筑摩県の一部となった。明治9年(1876年)に筑摩県が廃止された後は、当初旧美濃国のみで構成されていた岐阜県に編入され、これが現在に至っている。
明治時代には、国家的な重要産業であった製糸業を担う労働力として、飛騨地方の村落から、山道を通って諏訪湖周辺に多くの女性が流出した(『あゝ野麦峠』)。
平成時代には平成の大合併が行われて自治体が再編され、これによりできた高山市・飛騨市と残った白川村は、皮肉にも三木氏・江馬氏・内ヶ島氏の支配領域とそれぞれがほぼ一致している。
国内の施設
国府
国府は『和名抄』によると大野郡にあった。『拾芥抄』では、「大原(大野郡のこと)、府」とある。 現在の高山市国府町にあったと考えられているが、未だ発見されていない。
国分寺・国分尼寺
神社
- 大野郡 水無神社 (現 飛騨一宮水無神社、高山市一之宮町)
- 大野郡 槻本神社 (高山市丹生川町山口)
- 大野郡 荏名神社 - 荏名神社(高山市江名子町)または荒神社(高山市江名子町)に比定。
- 荒城郡 大津神社 (飛騨市神岡町大字船津)
- 荒城郡 荒城神社 (高山市国府町宮地)
- 荒城郡 高田神社 - 貴船神社(飛騨市古川町貴船町)または高田神社(飛騨市古川町太江神垣内)に比定。
- 荒城郡 阿多由太神社 - 阿多由太神社(高山市国府町木曽垣内)または中宮神社(飛騨市古川町 大歳神社に合祀)に比定。
- 荒城郡 栗原神社 (高山市上宝町宮原)
地域
郡
江戸時代の藩
藩名 | 居城 | 藩主 |
---|---|---|
飛騨高山藩 | 高山城 |
人物
国司
飛騨守
- 藤原辰忠:延喜5年(905年)在任
- 大春日道光:承平4年(934年)在任
- 藤原茂包:応和元年(961年)任官
- 橘是輔:康保2年(965年)在任
- 高岳相如:正暦3年(992年)任官
- 大春日遠晴(正六位上):長徳2年(996年)任官
- 藤原為延:長和2年(1013年)任官
- 橘惟通:万寿3年(1026年)任官
- 紀忠任:康平6年(1063年)任官
- 姉小路高基:従三位参議。南北朝時代に国司に任じられ下向。子孫が飛騨守を世襲した「飛騨国司家」と呼ばれる姉小路家
- 姉小路基綱:古川姉小路氏当主。左近衛中将のち従二位権中納言
- 姉小路済継:基綱の子。正三位参議
- 三木良頼(姉小路良頼):姉小路氏(国司家)を実質滅ぼした三木直頼の子。永禄元年(1558年)従五位下で任官。翌年、息子に古川姉小路家の名跡を継がせ、国司に任官させる。のち姉小路に改姓。従三位参議
- 三木自綱(姉小路頼綱):家格向上を狙った父の良頼の手により、永禄2年(1559年)任官。同時に姉小路の名跡を継ぐ。大納言
守護
鎌倉幕府
不明
室町幕府
- 1359年~1365年 - 京極高氏
- 1372年~? - 京極高秀
- 1379年~? - 京極高詮
- 1381年~1391年 - 京極高秀
- 1391年~1401年 - 京極高詮
- 1401年~1413年 - 京極高光
- 1413年~? - 京極吉童子丸(持光?)
- 1422年~1439年 - 京極持光
- 1439年~1441年 - 京極高数
- 1441年~1470年 - 京極持清
- 1470年~1471年 - 京極孫童子丸
- 1472年~1473年 - 京極乙童子丸(高清※一度目)
- 1473年~? - 京極政経
- ?~1508年 - 京極政経?
- 1508年~? - 京極吉童子丸
国人
- 大野郡
- 内ヶ島氏 - 白川郷。室町幕府奉公衆。帰雲城主として西北部に割拠したが天正地震で帰雲城が崩壊・滅亡した。
- 牛丸氏 - 牛丸邑。平氏か。小鷹利城主。江馬氏と勢力を競ったが膨張した姉小路氏に追われる。しかし金森長近に属して飛驒攻めで先鋒を勤め、小鷹利城に復帰し三千石を得た。
- 益田郡
- 三木氏 - 竹原郷。後、姉小路氏を名乗る。
- 吉城郡
戦国大名
織豊大名
地理
山国なので、気候は飛騨地方全域内陸性気候を呈しており、それに併せて大部分は日本海側気候、一部地域は中央高地式気候、地域によっては豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)で冬季雪が多い。また、スーパーカミオカンデを抱える地方でもある。
- 山地:飛騨山脈、両白山地
- 山:乗鞍岳、槍ヶ岳、穂高岳、焼岳、黒部五郎岳、双六岳、樅沢岳、笠ヶ岳、御嶽山、白山
- 川:飛騨川、宮川、庄川
- 温泉:下呂温泉、奥飛騨温泉郷、小坂温泉郷
- 盆地:高山盆地、古川国府盆地
- 旧鉱山:神岡鉱山
現在の交通網
- 鉄道
- 道路