萩尾望都
テンプレート:Infobox 漫画家 テンプレート:Sidebar with collapsible lists 萩尾 望都(はぎお もと、本名同じ、女性、1949年5月12日 - )は、日本の漫画家。女子美術大学客員教授。
人物
代表作は『ポーの一族』、『トーマの心臓』、『11人いる!』、『残酷な神が支配する』、『バルバラ異界』など。
作品のジャンルはSF・ファンタジー・ミステリー・ラブコメディー・バレエもの・心理サスペンスものなど幅広い分野にわたり、竹宮惠子・大島弓子らとともに「花の24年組」と呼ばれ、中でもその代表格、さらには「少女漫画の神様」とも評せられている。その作品は文学的あるいは文学を超えているとも言われ、文化人たちが多く批評の対象としている。
2012年春に少女漫画家では初となる紫綬褒章を受章した[2]。
来歴
出生 - 幼少期
1949年、炭鉱町である大牟田市で生まれ、4人兄弟の次女(姉・妹・弟)として育つ。「望都」は本名で、両親がそれぞれの思いを持って名付けられた。名前の由来には諸説がある[3][4][5]。
2歳で絵を描き、4歳で漫画や本を読み始めるが[6]、教育熱心な両親により、漫画を読むことを禁止されていた。幼稚園では時間の許す限り絵を描き、小学校では3年生のころ、彼女の絵の才能を伸ばそうとした両親の勧めで絵の塾に通い油絵を学ぶ[7]。小学校2年のときに学級文庫ができ、『ヘレンケラー物語』や『アルセーヌ・ルパン』、『青い鳥』、『不思議の国のアリス』などを夢中になって何度も読み[8][9]、また図書館に入り浸りギリシャ神話や世界名作全集、児童向けのSFシリーズなどを読んでいた。さらに、親戚の本屋に遊びに行っては漫画を読み、模写していた[10]。
中学 - 高校時代
中学入学後、漫画を描く友人、原田千代子(後の漫画家・はらだ蘭)と知り合い、漫画を描くための知識や漫画家になるためには作品を投稿する必要があることを知り、2人で貸本雑誌などに投稿した[6][7]。中学2年生のときに大阪府吹田市に引っ越すが、その後も原田との文通は続く[7]。高校2年生のときに手塚治虫の『新選組』に強く感銘を受け、本気で漫画家を志し[3][7][8][10][11][12][13]、高校3年生のときに大牟田に戻ると原田の紹介で漫画同人誌「キーロックス」に参加する[6][7]。
デビュー前後
高校卒業後も地元のデザイン専門学校で学びながら10作ほど投稿し、そのうちの1作「ミニレディが恋をしたら」(ペンネームは「萩尾望東」)で『別冊マーガレット』(集英社)1968年5月号の「少女まんがスクール」にて金賞を受賞するが、入賞作は掲載されなかった[14]。翌1969年、休暇で上京した際に手塚プロのアシスタントをしていた原田を訪問し、そこで初めて手塚治虫と出会う[7]。また、上京の際には原田と岡田史子を訪ね、同郷の漫画家、平田真貴子のつてで講談社に持ち込みをした。そこで「何か短い作品を」と言われ、忘れられないうちにと2週間で20数枚の作品を仕上げ提出。その作品「ルルとミミ」が『なかよし』夏休み増刊号に掲載されてデビューした[7][10][15][16]。
同年10月頃上京。竹宮惠子と共同アパートで生活し[17]、後に24年組と呼ばれることとなる漫画家たちと切磋琢磨(せっさたくま)の日々を送るが、このときに増山法恵から様々な文化的な知識を吸収する[18]。その後、描きたいSFをテーマにした作品が採用されない時期が2年ほど続くが、竹宮に伴われ小学館へネームを持ち込んだ際に編集者の山本順也に可能性を認められ、「自由にわがままに思い切り描かせたい」という方針のもと、本領を発揮するようになる[3][6]。
1970年代(ポーの一族・トーマの心臓・SF作品)
代表作『ポーの一族』は、「永遠にこどもであるこどもをかきたい」との発想から[19][20]、石ノ森章太郎の「きりとばらとほしと」の吸血鬼の設定の一部をヒントに構想を思いついた[21][22][23][24][25]ものだが、長編連載をやるには早すぎると編集から「待った」がかかったため、1972年、「すきとおった銀の髪」などの短編を小出しに描き、そんなにやりたいのならとようやく編集から了解が出て、同年8月から翌1973年6月にかけて当初の構想であった3部作(「ポーの一族」、「メリーベルと銀のばら」、「小鳥の巣」)を連載した[22]。
この時期のもうひとつの代表作『トーマの心臓』は、『悲しみの天使』というフランス映画を見に行ったところ、それがバッドエンドであったために萩尾は主人公に同情し、「救いのある話を」と着手したもので[10][19][26]、1974年4月から連載を開始したが、初回の読者アンケートが最下位だったため、当時の編集長である飯田から打ち切りを宣告された。しかし、直後に単行本化された『ポーの一族』[27]の初版3万部が3日で完売、『トーマの心臓』の評判も徐々に上がり、「もう少しで終わりになるから」と萩尾がかわしているうちに連載は33回まで続くこととなった[28]。
その後、単行本の人気により編集部の強い要請を受けて1974年12月『ポーの一族』を「エヴァンズの遺書」で再開、1976年5月に「エディス」で完結したが、その間に『トーマの心臓』の暗いイメージを一掃するため長編ラブコメディー『この娘うります!』を連載する[29]とともに、念願であったSF作品「11人いる!」を連載し、その後は「続・11人いる! 東の地平・西の永遠」、レイ・ブラッドベリ原作シリーズ(後に作品集『ウは宇宙船のウ』として単行本化)、『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍原作)、『スター・レッド』と矢継ぎばやにSF作品を連載する。
一方、1977年に定年になった父親を代表として会社「望都プロダクション」を作ったが[30]、両親との不和が高じて大げんかし、2年後に会社をつぶす[6]。
1980年代(メッシュ・銀の三角・半神・バレエ作品)
親との関係を見つめるため心理学を勉強し始め、内なる親から解き放たれるために、1980年に親殺しをテーマにした『メッシュ』の連載を開始[6][31]。この時期のSF作品に『銀の三角』、『モザイク・ラセン』、『マージナル』などの長編作品のほか、「A-A'」、「X+Y」などの短編作品がある。1982年の年末に、モスクワ郊外で乗っていた観光バスとトラックが正面衝突した事故で重傷を負う。1985年ごろから舞台演劇やバレエへの関心が強まり、「半神」を野田秀樹と共作で脚本を手がけ舞台化した[8]一方、『フラワー・フェスティバル』、「青い鳥」、「海賊と姫君」などのバレエものを描く。
1990年代(イグアナの娘・残酷な神が支配する・あぶない丘の家)
80年代から引き続き『ローマへの道』や「感謝知らずの男」などのバレエものを描くとともに、1992年には厳格だった母親との対立を基にした「イグアナの娘」を発表し[32][33]、さらに同年、サイコ・サスペンス長編作品『残酷な神が支配する』の連載を開始する。この時期のSF作品には『海のアリア』、『あぶない丘の家』がある。
2000年代 - (バルバラ異界・ここではない★どこかシリーズ)
『残酷な神が支配する』終了後、1年間の休載後、2002年、SF作品『バルバラ異界』の連載を開始する。『バルバラ異界』終了後、「ここではない★どこか」シリーズや『あぶな坂HOTEL』、『レオくん』などを連載する。2011年、東日本大震災の前に引退を考え、短編数編でフェイドアウトする予定だったが、震災で終末を表すものは止められ描けなくなり、原発事故から『なのはな』所収の放射性物質を擬人化した作品[34][35]を発表するとともに現代社会を厭い歴史漫画『王妃マルゴ』を開始、引退を延期し現在に至る[36]。
2011年から女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科メディア表現領域客員教授に就任。
2012年春、少女漫画家としては初の紫綬褒章を受章した[2]。
年譜
- 1949年5月12日 福岡県大牟田市白川町に生まれる。父は三井三池炭鉱の関連会社の会社員、4人兄弟の次女(姉・妹・弟)。
- 1951年 2歳ごろから絵を描き、2歳半で家族の絵を幼い絵だが写実的に描き、父親を驚かせる。
- 1956年 大牟田市内の小学校に入学。熊本県荒尾市に転居するが、再び大牟田に戻る。会社の転勤によるもので以後もずっと社宅に住む。小学校1年生の時に授業参観で絵を描いて見た構図を立体的にそのまま描いて母親も周囲の親も観察力に驚く。
- 1962年 大牟田市立船津中学校に入学する[37]。
- 1963年 中学2年生で大阪府吹田市に転居し、吹田市立第一中学校に転校する。
- 1965年 大阪府立吹田高等学校に入学。
- 1966年 高校2年生で再び福岡県大牟田市小浜に転居する。校区があり大牟田北高校に転校するが、競争が激しくなじめない。南校の生徒3、4人、卒業生との8人くらいで同人グループ「キーロックス」を作り肉筆の回覧の同人誌を発行する。このころ、手塚治虫『新選組』に衝撃を受け、漫画家になろうと決意。小学館や講談社に投稿を開始。
- 1967年 福岡市内の日本デザイナー学院ファッションデザイン科に入学。服飾の勉強をしながら投稿を続ける。
- 1969年 「ルルとミミ」が『なかよし』夏休み増刊号に掲載されてデビュー。
- 1970年『なかよし』編集部からの「ビアンカ」(掲載は別誌)以外のボツが続くが、次の『ケーキ ケーキ ケーキ』で自分のスタンスの描きたいものを描く方針を決め、ボツになった5、6作の原稿を竹宮惠子に送る。上京し練馬区大泉で2年間の共同生活に入る(大泉サロン)。竹宮を経由して『少女コミック』山本順也編集長がボツ原稿を全部買ってくれる。以後『少女コミック』をベースにする。
- 1972年3月 『ポーの一族』シリーズ第1作「すきとおった銀の髪」が『別冊少女コミック』3月号に掲載、以後5年間断続的に連載された。その後の『トーマの心臓』がアンケート成績が悪く打ち切りの予定だったが、『ポーの一族』コミックが3万部という異例の初版が3日で完売し、編集部がその実力を認める。
- 1976年第21回小学館漫画賞を『ポーの一族』、『11人いる!』で受賞して、人気漫画家としての地位を確立する。(以上[38])
受賞歴
- 1976年 『ポーの一族』『11人いる!』で第21回小学館漫画賞受賞。
- 1980年 『スター・レッド』で星雲賞コミック部門受賞。
- 1983年 『銀の三角』で星雲賞コミック部門受賞。
- 1985年 「X+Y」で星雲賞コミック部門受賞。
- 1997年 『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞受賞。
- 2006年 『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞受賞。
- 2010年 インクポット賞(Inkpot Award)受賞[39]。
- 2011年 全作品で第40回日本漫画家協会賞にて文部科学大臣賞受賞[40]。
- 2012年 紫綬褒章受章[2]。
選考委員歴
日本SF大賞の選考委員を第14回(1993年)から第17回(1997年)までおよび第28回(2007年)から第30回(2009年)まで、手塚治虫文化賞選考委員を第7回(2003年)から第12回(2008年)まで務めた。また、2008年秋より、『月刊アフタヌーン』の漫画賞「四季賞」の選考委員[41]。日本ファンタジーノベル大賞の選考委員に第23回(2011年)から就任。ゆきのまち幻想文学賞の審査員も務める。
著作
漫画
- 1969年
- ルルとミミ(『なかよし』夏休み増刊号)※デビュー作
- すてきな魔法(『なかよし』9月増刊号)
- 1970年
- 1971年
- ポーチで少女が小犬と(『COM』1月号)
- ベルとマイクのお話(『少女コミック』3・4合併号)
- 雪の子(『別冊少女コミック』3月号)
- 塔のある家(『少女コミック』12号)
- 花嫁をひろった男(『少女コミック』春の増刊号)
- ジェニファの恋のお相手は(『なかよし』4月号)
- かたっぽのふるぐつ(『なかよし』4月号増刊)
- かわいそうなママ(『別冊少女コミック』5月号)
- 精霊シリーズ(1971年-1974年)
- 精霊狩り(『別冊少女コミック』1971年7月号)
- ドアの中の私の息子(『少女コミック』1972年4月号)
- みんなでお茶を(『少女コミック』1974年4月号)
- モードリン(『少女コミック』29号)
- 小夜の縫うゆかた(『少女コミック』夏の増刊)
- ケネスおじさんとふたご(『別冊少女コミック』9月号)
- もうひとつの恋(『少女コミック』39号)
- 10月の少女たち(『COM』10月号)
- 秋の旅(『別冊少女コミック』10月号)
- 白き森白き少年の笛(『少女コミック』45号)
- 11月のギムナジウム(『別冊少女コミック』11月号)
- 白い鳥になった少女(『別冊少女コミック』12月号) 原作:アンデルセン「パンをふんだ娘」
- セーラ・ヒルの聖夜(『少女コミック』冬の増刊号)
- 1972年
- あそび玉(『別冊少女コミック』1月号)
- みつくにの娘(『別冊少女コミック』お正月増刊)
- 毛糸玉にじゃれないで(『少女コミック』2号)
- ポーの一族(1972年-1976年)
- すきとおった銀の髪(『別冊少女コミック』1972年3月号)
- ポーの村(『別冊少女コミック』1972年7月号)
- グレンスミスの日記(『別冊少女コミック』1972年8月号)
- ポーの一族(『別冊少女コミック』1972年9月 - 12月号)
- メリーベルと銀のばら(『別冊少女コミック』1973年1月 - 3月号)
- 小鳥の巣(『別冊少女コミック』1973年4月 - 7月号)
- エヴァンズの遺書(『別冊少女コミック』1975年1月 - 2月号)
- ペニー・レイン(『別冊少女コミック』1975年5月号)
- リデル・森の中(『別冊少女コミック』1975年6月号)
- ランプトンは語る(『別冊少女コミック』1975年7月号)
- ピカデリー7時(『別冊少女コミック』1975年8月号)
- はるかな国の花や小鳥(『週刊少女コミック』1975年37号)
- ホームズの帽子(『別冊少女コミック』1975年11月号)
- 一週間(『別冊少女コミック』1975年12月号)
- エディス(『別冊少女コミック』1976年4月 - 6月号)
- ごめんあそばせ!(『少女コミック』12号)
- 3月ウサギが集団で(『少女コミック』16号)
- 妖精の子もり(『別冊少女コミック』5月号)
- 6月の声(『別冊少女コミック』6月号)
- ママレードちゃん(『少女コミック』23号)
- ミーア(『少女コミック』35号)
- とってもしあわせモトちゃん(『別冊少女コミック』『少女コミック』『ちゃお』『おひさま』1972年-1976年)
- 1973年
- 千本めのピン(『週刊少女コミック』正月増刊フラワーコミック)
- キャベツ畑の遺産相続人(『少女コミック』15号)
- オーマイ ケセィラ セラ(『少女コミック』21号)
- 1974年
- ハワードさんの新聞広告(『別冊少女コミック』3月号)
- ユニコーンの夢(『別冊少女コミック』4月号)
- トーマの心臓
- トーマの心臓(『少女コミック』1974年19号 - 52号)
- 湖畔にて - エーリク 十四と半分の年の夏(『ストロベリーフィールズ』1976年に描き下ろし)
- 訪問者(『プチフラワー』1980年春の号・創刊号)
- まんがABC(『別冊少女コミック』6月号)
- プシキャット・プシキャット(『少女コミック』夏の増刊フラワーコミック)
- 1975年
- この娘うります!(『少女コミック』1975年6 - 16号)
- 温室(『セブンティーン』6月号)
- アロイス(『花とゆめ』10・11合併号 - 12号)
- 11人いる!
- 11人いる!(『別冊少女コミック』1975年9 - 11月号)
- 続・11人いる! 東の地平・西の永遠(『別冊少女コミック』1976年12月号 - 1977年2月号)
- スペース ストリート(『別冊少女コミック』1977年3 - 9月号)
- 赤ッ毛のいとこ(『セブンティーン』11月 - 1976年8月号)
- ヴィオリータ(『JOTOMO』12月号)
- 1976年
- 1977年
- 影のない森(『ビッグコミックオリジナル』2月5日号)
- 少女ろまん(『月刊プリンセス』3月号 - 4月号、7月号)
- Bradbury傑作選 原作:レイ・ブラッドベリ
- 十年目の毬絵(『ビッグコミックオリジナル』3月20日号)
- マリーン(『セブンティーン』5月号) 原作:今里孝子
- 百億の昼と千億の夜(『週刊少年チャンピオン』1977年34号 - 1978年2号) 原作:光瀬龍
- 1978年
- 1979年
- 1980年
- 1981年
- 一角獣種シリーズ
- A-A'(『月刊プリンセス』1981年8月号)
- 4/4カトルカース(『プチフラワー』1983年11月号)
- X+Y(『プチフラワー』1984年7 - 8月号)
- 一角獣種シリーズ
- 1982年
- モザイク・ラセン(『月刊プリンセス』9 - 12月号)
- 1983年
- 城(『プチフラワー』9月号)
- 1984年
- 1985年
- 1988年
- 完全犯罪 フェアリー(『プチフラワー』2 - 3月号)
- フラワーフェスティバル(『プチフラワー』7月号 - 1989年1月号・3・5・7月号)
- 1989年
- 海賊と姫君(『プチフラワー』9月号)
- 青い鳥(『プチフラワー』11月号)
- 海のアリア(『ASUKA』1989年8月号 - 1991年5月号)
- 1990年
- ローマへの道(『プチフラワー』1・3・5・7・9月号)
- 真夏の夜の惑星(『プチフラワー』11月号)
- 1991年
- ロットバルト(『プチフラワー』1月号)
- ジュリエットの恋人(『プチフラワー』3月号)
- 感謝知らずの男(『プチフラワー』1991年5月号 - 1992年3月号)
- いるかいないかさがし(『週刊朝日百科「動物たちの地球」』1号(1991年6月23日805号) - 72号
- カタルシス(『プチフラワー』11月号)
- 1992年
- イグアナの娘(『プチフラワー』5月号)
- 残酷な神が支配する(『プチフラワー』1992年7月号-2001年7月号)
- あぶない丘の家(『ASUKA増刊ファンタジーDX』1992年夏の号・秋の号 - 1994年10月号)
- 1994年
- 午後の日差し(『ビッグゴールド ビッグコミック増刊』14号)
- 学校へ行くクスリ(『ビッグゴールド ビッグコミック増刊』16号)
- 1998年
- 帰ってくる子(『チャイルド 異形コレクション7』に描き下ろし)
- 2002年
- 2005年
- 朝はバニラの香り(『フラワーズ』2005年12月号)
- 2006年
- あぶな坂HOTEL
- あぶな坂HOTEL(『YOU』2006年第2号)
- あぶな坂HOTEL-3人のホスト-(『YOU』2006年第17号)
- あぶな坂HOTEL-女の一生-(『YOU』2007年第17号)
- あぶな坂HOTEL-雪山へ-(『YOU』2007年第23号)
- 長靴をはいたシマ猫 (講談社MOOK「猫本」)
- ここではない★どこか
- 山へ行く(『フラワーズ』2006年4月号)
- 宇宙船運転免許証(『フラワーズ』2006年5月号)
- あなたは誰ですか(『フラワーズ』2006年6月号)
- ゆれる世界(『フラワーズ』2006年7月号)
- メッセージ(『フラワーズ』2006年8月号)
- ビブラート(『フラワーズ』2006年11月号)
- 駅まで∞(『フラワーズ』2006年12月号)
- くろいひつじ(『フラワーズ』2007年1月号)
- 貴婦人-メッセージその2-(『フラワーズ』2007年3月号)
- 柳の木(『フラワーズ』2007年5月号)
- 青いドア(『フラワーズ』2007年8月号)
- オイディプス-メッセージその3-(『フラワーズ』2007年9月号)
- 世界の終わりにたった一人で(『フラワーズ』2007年10 - 11月号)
- 海の青(『フラワーズ』2009年7月号)
- スフィンクス(『フラワーズ』2009年10月号)
- 水玉(『フラワーズ』2010年2月号)
- シャンプー(『フラワーズ』2010年6月号)
- 百合もバラも(『フラワーズ』2010年10月号)
- 花嫁-メッセージ5-(『フラワーズ』2010年11月号)
- 海と真珠(『フラワーズ』2010年12月号)
- 春の小川(『フラワーズ』2011年3月号)
- 夜の河を渡る(『フラワーズ』2011年5月号)
- なのはな[42][35](『フラワーズ』2011年8月号)
- プルート夫人[42][43][35](『フラワーズ』2011年10月号)
- 雨の夜 -ウラノス伯爵- [44][35](『フラワーズ』2012年2月号)
- サロメ20XX[45][35](『フラワーズ』2012年3月号)
- あぶな坂HOTEL
- 2007年
- さみしいときは(『フラワーズ』2007年4月号)
- バースディ・ケーキ(『SF Japan』2007年SUMMER号)
- 2008年
- レオくん
- レオくんのグルメ日記(『フラワーズ』2008年2月号)
- レオくんの映画スター(『フラワーズ』2008年3月号)
- レオくんの小学一年生(『フラワーズ』2008年7月号)
- お外に出して(『フラワーズ』2008年8月号)
- レオくんのお見合い(『フラワーズ』2008年12月号)
- レオくんの狩り-ヤモリ編-(『フラワーズ』2009年1月号)
- ヤマトちゃんの恋(『フラワーズ』2009年3月号)
- レオくんのアシスタント(『フラワーズ』2009年4月号)
- マルちゃんのスキヤキ(『フラワーズ』2009年6月号)
- マイのカタログ生活(『フラワーズ』2009年12月号)
- レオとまいごの子猫(『フラワーズ』2010年8月号)
- マイちゃんの木登り(『フラワーズ』2012年6月号)
- 猫本クリニック(講談社アンソロジーコミック『猫本2』) ISBN 978-4-06-375484-1
- レオくん
- 2009年
- 2012年
- なのはな -幻想『銀河鉄道の夜』(萩尾望都作品集『なのはな』に描き下ろし[46])
- 王妃マルゴ(『月刊YOU』9月号 -)
- 2013年
- 2014年
小説
- 三年生のための創作童話(『小三教育技術』1975年4月号 - 1976年3月号)
- 音楽の在りて(『奇想天外』1977年4月号)
- CMをどうぞ(『奇想天外』1977年6月号)
- マンガ原人(『奇想天外』1977年8月号)
- 守人達(『奇想天外』1977年10月号)
- 闇夜に声がする(『奇想天外』1977年12月号)
- 子供の時間(『奇想天外』1978年2月号)
- ヘルマロッド殺し(『奇想天外』1978年4月号)
- プロメテにて(『奇想天外』1978年9月号)
- おもちゃ箱(『奇想天外』1978年11月号)
- クレバス(『奇想天外』1979年1月号)
- 美しの神の伝え(『奇想天外』1979年3月号 - 1980年2月号)
- 憑かれた男(『ソワレ』1977年12月号)
- 左手のパズル(1995年 書き下ろし)
エッセイ集
- 思い出を切りぬくとき - あんず堂 1998年4月、河出文庫 2009年11月
- 夢見るビーズ物語(コミック・エッセイ集) - ポプラ社 2009年12月
- 一瞬と永遠と - 幻戯書房 2011年6月
対談集
- マンガのあなた SFのわたし(萩尾望都対談集 1970年代編) - 河出書房新社 2012年2月
- コトバのあなた マンガのわたし(萩尾望都対談集 1980年代編) - 河出書房新社 2012年5月
- 物語るあなた 絵描くわたし (萩尾望都 対談集 1990年代編) - 河出書房新社 2012年11月
- 愛するあなた 恋するわたし (萩尾望都 対談集 2000年代編) - 河出書房新社 2014年5月
絵本・画集
- とってもしあわせモトちゃん - メルヘンリーフ 小学館 1972年12月
- 月夜のバイオリン - 萩尾望都童話の世界 - オリオン出版 1976年10月
- ストロベリーフィールズ - 新書館 1976年11月
- 少年よ - 萩尾望都イラスト詩集 - 白泉社 1976年12月
- 萩尾望都の世界 - 徳間書店 1978年7月
- Cherish Gallery 萩尾望都 自選複製原画集 - 白泉社 1978年9月
- 金銀砂岸 - 新書館 1980年8月
- 宇宙叙事詩 - 小学館 1972年12月
- 月夜のバイオリン - 新書館 1981年12月
- 狩人は眠らない - 幻境にて - チェリッシュ絵本館 白泉社 1984年5月
- 左手のパズル - 新書館 1995年8月 (絵・東逸子)
- 萩尾望都イラスト集 残酷な神が支配する - 小学館 2002年4月
- 金銀砂岸 - 増補愛蔵版 ブッキング 2006年8月
- トリッポンのこねこ - 教育画劇 2007年2月 (絵・こみねゆら)
- トリッポンとおばけ - 教育画劇 2007年2月 (絵・こみねゆら)
- トリッポンと王様 - 教育画劇 2007年2月 (絵・こみねゆら)
- 銀の船と青い海 - 河出書房新社 2010年10月
WEB
- 荒俣宏との対談 - 電子まんがナビゲーター eBookJapan
- [その1 新しい「嵐」としての少女漫画の巻]:2013年3月15日
- [その2 初期の萩尾ワールドを体験するの巻]:2013年3月22日
TVゲーム
作品提供
ドラマ
- NHK少年ドラマシリーズ『11人いる!』(1977年1月)
- テレビ東京月曜女のサスペンス『春雷の目撃者 - その夜少女の告白は悲鳴に変わった』(1990年3月5日) - 原作「モードリン」
- テレビ朝日『イグアナの娘』(1996年4 - 6月) - 原作「イグアナの娘」
映画
- 11人いる!(1986年11月)
- 時空の旅人(1986年12月) - キャラクターデザインを担当
- 原作:眉村卓『とらえられたスクールバス』/監督・脚本:真崎守/声の出演:戸田恵子他/アニメーション作品
- 1999年の夏休み(1988年3月) - 『トーマの心臓』を翻案
舞台
- キュルトヘンの帽子 - グリムの国のジグソーパズル(1985年8月) - 原作・脚本を担当
- 半神 - 原作「半神」・脚本を共作
- アロイス(1992年7月) - 原作「アロイス」
- 斎王夢語(1993年9月) - 脚本を担当
- 演出・脚色:森田高并/三重県明和町国史跡特設会場
- 半神
- トーマの心臓(1996年2月、1997年3月、1999年3月、2000年12月 - 2001年1月、2001年2月、2003年2月 - 3月、2006年、2010年2月 - 4月)
- 訪問者(1998年7月、 2000年12月 - 2001年1月、2001年2月、2010年2月 - 4月)
- 劇団Studio Life
- アメリカン・パイ(2003年6 - 7月) - 原作「アメリカン・パイ」
- 11人いる!(2004年6 - 7月)
- 演劇ユニット アクサル
- メッシュ(2005年6月 - 7月)
- 劇団Studio Life
- マージナル(2008年8月 - 9月)
- 劇団Studio Life
- 11人いる!(2011年2月 - 3月)
- 劇団Studio Life
ラジオドラマ
- NHK-FM『ポーの一族 (ラジオドラマ)』(1980年1月)
- NHK-FM『マージナル』(1988年10 - 11月) - 原作『マージナル』
- ラジオ関西 連続ラジオドラマ『ポーの一族 (ラジオドラマ)』(2007年10月 - 2008年3月)
ドラマCD
- 『ポーの一族 (ドラマCD)』全6巻(2007年12月 - 2008年5月)
- 上記ラジオ関西による連続ラジオドラマを基にしたCD化作品。ラジオとは異なるディレクターズカット版を収録し、萩尾望都のオリジナル図版を使用した特製リバーシブルジャケットを封入。
- 『ポーの一族 エドガーとアラン篇』全1巻(2013年3月)
- 映劇のドラマCDレーベル「e☆star」より発売された。
映画出演
関連項目
作家・漫画家
萩尾から影響を受けたと語る人物を記す。
アシスタント
参考文献
- 『週刊少女コミック』1976年3月28日号掲載「萩尾望都の素顔初公開!!」
- 『週刊マーガレット』1976年8月15日号掲載「作者自身が語る 人気まんが家のすべて 萩尾望都の世界」
- 鈴木志郎康『萩尾望都マンガの魅力』清山社、1978年5月
- 『萩尾望都の世界 テレビランド増刊 イラストアルバム(6)』徳間書店、1978年7月
- 『ユリイカ』「総特集 少女マンガ」青土社、1981年7月臨時増刊号掲載「自己表現としての少女マンガ」(吉本隆明との対談)
- 『毎日グラフ』1986年10月26日号掲載「COMIC界の“超少女”たち〔女性マンガ家インタビュー〕」
- 『CREA』1992年9月号「特集THE少女マンガ!! 夢の永久保存版」
- 『imago(イマーゴ)』「特集 少女マンガ」青土社、1995年4月号掲載「少女マンガという装置」(巖谷國士との対談)
- 『ダ・ヴィンチ』1996年8月号掲載「解体全書 萩尾望都」
- 『別冊宝島』288号「70年代マンガ大百科」宝島社、1996年12月
- 萩尾望都『思い出を切りぬくとき』あんず堂、1998年4月、ISBN 4872822315、 河出文庫、2009年11月、ISBN 4309409873
- 藤本由香里『少女まんが魂 現在を映す少女まんが完全ガイド&インタビュー集』白泉社、2000年12月、ISBN 4592731786
- 『AERA』2006年5月1日-8日合併増大号掲載「萩尾望都 少女漫画が文学を超えた日」
- 『文藝別冊〔総特集〕萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母』河出書房新社、2010年5月、ISBN 9784309977348
- 萩尾望都対談集『マンガのあなた * SFのわたし』河出書房新社、2012年2月、ISBN 9784309273075
脚注
テンプレート:Reflist- ↑ 『プチコミック』(小学館)1977年1月1日創刊号に掲載の「萩尾望都のすべて」(編集部による作者への50の質問)の45問目の質問「血液型は?」に対する回答が「O型」。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 萩尾望都が紫綬褒章を受章、少女マンガ家では初 コミックナタリー 2012年4月28日 9:00。2012年4月29日 12:44 閲覧。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 『毎日グラフ』1986年10月26日号「COMIC界の“超少女”たち〔女性マンガ家インタビュー〕」より。
- ↑ 父親はインタビューで、私と家内は意見が違う。『浜辺の歌』の2番の歌詞「ゆうべ浜辺を、もとおれば」という部分から「もと」を気に入っていた、また福岡出身の女流歌人・野村望東尼の名前から「もと」と考えたと語っている。母親は、「おもとさん」「もとおばさん」と呼ばれる自分の叔母の名にあやかったのだと、またフランス映画『望郷』の「望」と、活発な性格になって欲しいと考えて「都を望む」と大きな意味を持つように「都」を選んだと語っている。(『文藝別冊〔総特集〕萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母』(河出書房新社 2010年)の家族インタビュー「両親・姉妹が語る 萩尾望都の素顔」より)
- ↑ 萩尾はモーツァルトの「モ」と「ト」を合わせたという説が本当かもしれないとの推測を述べている。(立花隆ゼミ「調べて書く、発信する」インタビュー集 二十歳のころ 萩尾望都インタビュー参考)
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 『AERA』2006年5月1日-8日合併増大号「萩尾望都 少女漫画が文学を超えた日」より。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 『萩尾望都の世界 テレビランド増刊 イラストアルバム(6)』(徳間書店 1978年)より。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 『ダ・ヴィンチ』1996年8月号「解体全書 萩尾望都」より。
- ↑ 萩尾望都作品集〔第1期〕第16巻『とってもしあわせモトちゃん』の巻末エッセイ「娘のこと」(赤いカバーの旧版にのみ収載)の中で、作者の父親・萩尾浩は「なかでも『青い鳥』や『不思議の国のアリス』などのような、空想と夢の物語が好きなようであった」と記している。
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 立花隆ゼミ『調べて書く、発信する』インタビュー集 二十歳のころ 萩尾望都インタビュー参考。
- ↑ 『週刊マーガレット』1976年8月15日号の「作者自身が語る 人気まんが家のすべて 萩尾望都の世界」の中で、作者は「読後、感動のあまり、1週間ほど呆けていました。そこで、おのればっか呆けさせられていては、割にあわないと思い、それまで、お遊びで描いていましたが、そのときから、プロになる決意をしました。」と記している。
- ↑ 『ユリイカ』(青土社)1981年7月臨時増刊号「総特集 少女マンガ」の吉本隆明との対談(「自己表現としての少女マンガ」)では、1ページ半にわたって『新選組』について語られている。
- ↑ 『imago(イマーゴ)』(青土社)1995年4月号「特集 少女マンガ」の巖谷國士との対談(「少女マンガという装置」)では、冒頭から6ページにわたって『新選組』を中心に(途中で話がいろいろな方向にそれながらも)語られている。
- ↑ 萩尾望都対談集『マンガのあなた * SFのわたし』(河出書房新社、2012年2月) 第5章「手塚治虫×松本零士×萩尾望都」の欄外に記載。
- ↑ 『週刊マーガレット』1976年8月15日号の「作者自身が語る 人気まんが家のすべて 萩尾望都の世界」より。
- ↑ 当初のタイトルは「すてきなケーキ」であったが、インパクトが弱いという理由で編集部に「ルルとミミ」という主人公名のタイトルに替えられた(萩尾望都対談集『物語るあなた * 絵描くわたし』(河出書房新社、2012年11月)に収載のエッセイマンガ「わたしのデビュー時代」参照)。
- ↑ このアパートは後に大泉サロンと呼ばれることになる。
- ↑ 『別冊宝島』288号「70年代マンガ大百科」(宝島社 1996年)より。
- ↑ 19.0 19.1 『萩尾望都マンガの魅力』(鈴木志郎康著 清山社 1978年)のインタビューより。
- ↑ 『萩尾望都の世界 テレビランド増刊 イラストアルバム(6)』(徳間書店 1978年)のインタビューでは、「子どもっていうのはすぐおとなになっちゃうでしょう。つまらないなあ、と思って。年をとらないこと、つまりおばけとか吸血鬼とか、死んでしまった人の怨念とかいろいろ考えているうちに吸血鬼がでてきたのね。」と語っている。
- ↑ 『萩尾望都の世界 テレビランド増刊 イラストアルバム(6)』(徳間書店 1978年)のインタビューより。
- ↑ 22.0 22.1 『CREA』1992年9月号「特集THE少女マンガ!! 夢の永久保存版」のインタビューより。
- ↑ 『毎日グラフ』1986年10月26日号「COMIC界の“超少女”たち〔女性マンガ家インタビュー〕」では、「きりとばらとほしと」は小学校のときに読んだと語られている。
- ↑ 「石ノ森章太郎 萬画大全集 動画インタビュー 萩尾望都」では、「きりとばらとほしと」を読んだのは中学生ぐらいと語られている。
- ↑ 『ユリイカ』(青土社)1981年7月臨時増刊号「総特集 少女マンガ」の吉本隆明との対談(「自己表現としての少女マンガ」)では、「きりとばらとほしと」を読んだのは小学校6年か中学校1年と語られている。
- ↑ 『トーマの心臓1』(小学館文庫・旧版 1980年)の作者あとがきに「いつだったか、ディディエ・オードパン主演の『悲しみの天使』という、男子寮を舞台にした友愛(?)映画を見たのですが(中略)、見ていた私は自殺した少年に同情するあまり立腹し、“恋愛の結果一方が自殺し、一方が「悪かった」と後悔して、そしておしまい、なんて、どうもその後が気になってしまう”といらだち、“じゃあ、誰かが自殺したその時点から始まる話をつくってみよう”というのでつくった話が実は『トーマの心臓』です。」と記載されている
- ↑ 『少女コミック』掲載作品の単行本「フラワーコミックス」で、最初に発刊されたのが『ポーの一族』第1巻である。
- ↑ 『grape fruit(グレープフルーツ)』(新書館)に1981年7月に掲載されたエッセイ「しなやかに、したたかに」より。エッセイ集『思い出を切りぬくとき』(あんず堂 1998年、河出文庫 2009年)に収載されている。
- ↑ 『この娘うります!』について、『週刊少女コミック』1976年3月28日号の『ポーの一族』とじ込みポスター裏面「萩尾望都の素顔初公開!!」に「『トーマ……』の暗いイメージからぬけ出たい……そんなつもりで挑んだ連載でした」と記されている。
- ↑ 『文藝別冊〔総特集〕萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母』(河出書房新社 2010年)の家族インタビュー「両親・姉妹が語る 萩尾望都の素顔」参照。
- ↑ 『imago(イマーゴ)』(青土社)1995年4月号「特集 少女マンガ」の巖谷國士との対談(「少女マンガという装置」)では、「まあとにかく親と決裂したので変な親子の話を描いてやろうと。『メッシュ』ですね。ここでやっと私は親と対決する話を描くハメになるんですね。なぜ対決するかというと、理解したいから。」と語られている。
- ↑ 『少女まんが魂 現在を映す少女まんが完全ガイド&インタビュー集』202頁参考。
- ↑ 『AERA』2006年5月1日-8日合併増大号「萩尾望都 少女漫画が文学を超えた日」に、「イグアナの娘」を読んだ母親が「ははぁ、やったなぁ。描かれちょるな。」と思ったと記されている。
- ↑ 原発3部作の「プルート夫人」「雨の夜 -ウラノス伯爵-」「サロメ20XX」のこと。
- ↑ 35.0 35.1 35.2 35.3 35.4 「なのはな」と、「プルート夫人」「雨の夜 -ウラノス伯爵-」「サロメ20XX」の原発3部作について、2012年1月31日付『東京新聞』に「漫画家・萩尾望都さんの思い 原発に向き合う 手探り進むしかない」の見出しの記事が掲載されている。
- ↑ 『月刊YOU』2014年3月号 SPECIAL対談[萩尾望都×よしながふみ] 後篇
- ↑ 『銀の船と青い海』(河出書房新社 2010年)所収の「中学生」に、「私は九州福岡県の大牟田市は船津中学に通ってました」と記されている。
- ↑ 『『文藝別冊〔総特集〕萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母』(河出書房新社 2010年)文藝別冊〔総特集〕萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母』(河出書房新社 2010年)の「萩尾望都2万字ロングインタビュー 私のマンガ人生」
- ↑ 北米最大のコミックコンベンション「コミコン・インターナショナル(Comic-Con International)」が1974年に設立した、マンガ・アニメ・SFなどのポップカルチャー領域において多大な貢献をした作家に与えられる賞で、コミコンゲストの中で特に際立った業績を残した人物に贈られる。第1回受賞者はレイ・ブラッドベリ(1974年)。これまでの日本人受賞者は、手塚治虫(1980年)、高橋留美子(1994年)、池上遼一(1995年)、武内直子(1998年)、小池一夫(2006年)、宮崎駿(2009年)。
- ↑ 受賞理由として「少女まんがの域を超えた質の高い作品群。萩尾望都さんは少女まんがの革命児です。」との選考委員会のコメントがある。
- ↑ 『月刊アフタヌーン』2008年7月号 369頁参考。
- ↑ 42.0 42.1 「なのはな」と「プルート夫人」について、2011年11月1日付『毎日新聞(夕刊)』に「萩尾望都さんが描く原発」の見出しで、東日本大震災と福島原発事故に触発された作品を相次いで発表したという記事が掲載されている。
- ↑ 「原発」をテーマにした3部作の第1弾。「プルート」はプルトニウムを意味する。
- ↑ 「原発」をテーマにした3部作の第2弾。「ウラノス」はウランを意味する。
- ↑ 「原発」をテーマにした3部作の完結編。
- ↑ 「原発」をテーマにした作品集で、「なのはな -幻想『銀河鉄道の夜』」は「なのはな」の続編。
- ↑ 作者は『小松左京マガジン』第50巻(最終号)の座談会の中で、かなり以前に小松左京から「ぼくの作品で描いてみたいものある?」と聞かれたときに「『お召し』を描いてみたい」と言ったことがあり、東日本大震災が起こってから実際に世界が変わってしまうことがあるものだと、「お召し」がたびたび思い出された旨を語っている(小松左京「お召し」原案 萩尾望都先生の「AWAY-アウェイ-3月21日」月刊flowers掲載中 小松左京ライブラリ 参照)。
- ↑ 甲斐バンドの楽曲「立川ドライヴ」をモチーフに、震災に翻弄される3人の男女の運命を曲の歌詞とともに描いた作品。
- ↑ 同号のコラム「屋根の上のマンガ読み」で甲斐よしひろが、萩尾作品など影響を受けたマンガについてインタビューに答えている。
- ↑ 6月号に掲載された後編の最終ページに、「アウェイ」の次の掲載は今冬の予定と紹介されている。
- ↑ 森博嗣『森博嗣のミステリィ工作室』参考
- ↑ 『海のアリア1』解説「『精霊狩り』から始まった」参考
- ↑ 「ユリイカ2002年7月号 特集=高野文子」参考
- ↑ 『マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都対談集1970年代編』所収 2011年対談