聖杯
聖杯 (せいはい)とは、
- キリスト教の儀式である聖餐に用いられる杯。カリス(羅:Calix 英:Chalice)。
- キリスト教の聖遺物のひとつで、最後の晩餐に使われたとされる杯(英:Holy Chalice)。
- 中世西ヨーロッパの聖杯伝説に登場する杯(仏:Graal 英:Holy Grail)。
聖餐
テンプレート:Main 西方教会では聖杯はカリス、チャリスなどとも表記される。これに対し正教会では聖爵と呼ばれる。
共観福音書によれば、最後の晩餐でイエスはパンを裂き「私の体である」と言って弟子たちに与え、杯を取って「私の血である」と、弟子たちにその杯から(ワインを)飲ませる[1]。『ヨハネによる福音書』にはこの場面はない。
『ルカによる福音書』(22:19)に「わたしの記念としてこのように行いなさい」とある。キリスト教ではこれに由来して聖体拝領の儀式を行う。教派により多少異なるが、たとえばカトリック教会ではカリス(聖杯)に水で薄めたワインを入れ、パンとしてホスチア(無発酵パン。薄いウェハース)を用いる。
聖遺物
イエスと弟子たちの最後の晩餐に使われたものと信じられている聖杯はいくつか存在する。
- エルサレム近くの教会にあったとされるもの
- ジェノヴァ大聖堂にあるもの (sacro catino)
- バレンシア大聖堂にあるもの (santo cáliz)
- メトロポリタン美術館にあるもの (Antioch Chalice)
聖杯伝説
イギリス・フランス・ドイツなどを中心に、聖杯を捜し求める騎士の物語、あるいはそれをモチーフにした奇跡譚が数多く語られた。これを聖杯伝説という。
その最初のものは、1180年代にフランスの詩人クレティアン・ド・トロワによる未完の騎士道物語『ペルスヴァル、あるいは聖杯の物語』(原題:Perceval, le Conte du Graal)である。主人公ペルスヴァルが漁夫王の城に招待された席で、その食事のコースの合間ごとにいろんな人物が槍(聖槍?)や燭台を持って現れる。最後に現れた乙女が捧げ持つものが、飾り立てられた聖杯(graal)である。
日本語では「聖杯」と訳しているが、これが杯かどうかは定かではない。英語の Grail は、さまざまな幻と変化する、聖杯伝説の登場アイテムの名前であること以外の何も意味しない。
Graal は、古代フランス語あるいはプロヴァンス語であって、(中世)ラテン語で「皿」あるいは「食事のコースの一区切り」を意味する gradalis に由来するのではないかと言われている。しかし、ラテン語 gradalis は英語の gradual、「段」または「壇」の意味ではないかという異論もある。作者トロワは、フランドル伯フィリップ・ダルザス (Philippe d'Alsace)から作詞を依頼されたときに、話のネタの提供を受けていたというから、graal は(当時の)フラマン語である可能性も強い。また、ギリシア語のクラテール(krater)「器」に由来する、という説もある。
これをキリスト教に結びつけたのは、フランスの詩人ロベール・ド・ボロン(Robert de Boron)による1190年代の作品であろう。[2] それによれば、アリマタヤのヨセフがキリストの磔刑のさいのイエスの血を聖杯で受けたとし、ヨセフはその聖杯とともにアヴァロンの島[3]に渡った。また、アリマタヤのヨセフはイギリス最初のキリスト教会を作ったと信じられていて、その場所は現在のグラストンベリー修道院(Glastonbury Abbey)とされている。
12世紀にピレネーのカタリ派教会に、聖母マリアが持つ鉢から炎のようなものが出ている壁画[4]があり、これが graal ではないかという説もある。
王家の血脈
1982年にヘンリー・リンカーンらにより英国で出版されたノンフィクション "Holy Blood, Holy Grail"(邦題『レンヌ=ル=シャトーの謎』)は、 フランス語で「王家の血脈」を意味する sang réal に由来すると考えた。
Sang Réal → Sangreal → San Greal → Graal
しかし、文献に登場する年代順は逆のようである。
Graal[5] → Saint Graal[6] → Sangreal[7]
リンカーンらは、「聖杯=キリストの血脈」であるとの立場から、南フランスを舞台にした宝探しを、これに結びつけた。
やや余談めくがスペインには、日本語に翻訳すれば「聖なる血」という意味になる「サングリア」という、赤ワインベースの飲み物がある。
聖杯の行方
バロック時代のフランスの画家ニコラ・プッサンの代表作『アルカディアの牧人たち』では、墓石にラテン語で "Et In Arcadia Ego"(我はアルカディアにもある)と書かれているのを牧人たちが覗き込んで想いにふける様子を描いている。"Et In Arcadia Ego"(我はアルカディアにもある)は、並び替えると"I Tego Arcana Dai"(立ち去れ!私は神の秘密を隠した!)となるとして、リンカーンらは、これをイエス・キリストの血脈に関する秘密と解釈した。 リチャード・アンドルーズらはこれを受け、問題の絵はイエスの墓の位置を示しているとして、南フランスの山中にその位置を推定した(→キリストの墓)。
テンプル騎士団がスコットランドに逃れて100年後に、テンプル騎士団の子孫『ヘンリー・シンクレア』が大西洋を西に向かってなぞの航海をしたという記録がある。サン・ベルナールの調査によるとテンプル騎士団は財産をカナダの東海岸(大西洋側)に位置するノバスコシアなどに隠したとされ、一部はアメリカにも渡ったともされている。また、『聖杯はヘラクレスの柱の向こうに眠っている』という記述もあり、カナダ説を裏付けているとされるが、『ヘラクレスの柱』の位置問題はアトランティスの研究過程でも問題となっている。
スコットランド、ミドロシアン州ロズリンの『ロズリン・チャペル』の螺旋柱の中にあると、トレヴァ・レヴンズクロフトは1962年に20年の研究の末に発表した。しかし柱という柱、建物内のすべてが金属探知機で調べられたが、結果は得られなかった。つまり、その情報は誤っていたか、『ロズリン・チャペル』に一時的に保管され、その後に『ロズリン・チャペル』以外の場所に移動された可能性もある
イングランド、スタンフォードシアにあるリッチフィールド家の庭園にあった記念石碑にも、その鍵があるという。ニコラ・プッサンの『アルカディアの牧人たち』をもとにした鏡像である。また、この石碑には"D.O.V.O.S.V.A.V.V.M"と、刻まれている。イギリスのプレッチリーパークの暗号研究所の元解読班員であり、ナチスドイツが第二次世界大戦中に開発した暗号機エニグマを破った男、オリヴァー・ローンが、2004年この暗号解読を試み、「Jesus (As Deity) Defy」(イエスの神性を受け入れない)という異端の立場を示したものと発表した[8]。
脚注
関連項目
参考文献
- 「聖杯伝説-その起源と展開を再考する」、日本ケルト学会『ケルティック・フォーラム』第8号、2005年8月(渡邉浩司「中世フランスにおける聖杯物語群の展開」、中野節子「ウェールズの<聖杯伝説>」、辺見葉子「聖杯の起源再考―アイルランド・スキタイ」、古澤ゆう子「ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハにおけるグラール」、福井千春「聖杯物語の展開」)
- 純丘曜彰『死体は血を流さない:聖堂騎士団vs救院騎士団 サンタクロースの錬金術とスペードの女王に関する科学研究費B海外学術調査報告書』、三交社、2009年