滝沢市

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テンプレート:Infobox 滝沢市(たきざわし)は、岩手県の中部に位置する

2014年(平成26年)1月1日付で市制施行する以前は、10年以上の期間、人口5万人を超えるだった。 かつては味噌の名産地として有名だった。現在もその名残で味噌関連のイベントが度々開催されている。 キャッチコピーは「おいしい味噌汁元気いっぱい」。

地理

市の北西に岩手山があり、広く山麓を市域内に抱える。市域の東端は北上川、南端は雫石川に沿っている。盛岡市と隣接する地域をはじめとして、滝沢駅の周辺などに住宅密集地が分散している。

  • 山:岩手山
  • 河川:北上川、雫石川

人口

1970年代初めまでは純農村地帯だった。

盛岡市に隣接する立地条件から、ベッドタウンとして宅地開発が進み、1984年昭和59年)に人口3万人、1992年平成4年)に人口4万人、2000年(平成12年)2月15日に人口5万人を超えた。沖縄県島尻郡豊見城村が2002年4月1日に単独市制を施行して豊見城市となってからは、これに代わって日本一人口が多いとなっていた。

2014年1月1日の市制施行により村でなくなり、代わって沖縄県中頭郡読谷村が日本一人口の多い村となった。 テンプレート:人口統計

歴史

単独市制移行に向けての経緯

テンプレート:Sister 2013年12月1日の時点で岩手県内13市15町5村のうち7番目に人口が多く、市に昇格可能なだけの人口には早くから到達していたものの、長らく「村」にとどまっていた。これは、世帯・商業地が峠を挟んだ巣子地区(旧・滝沢村周辺)と鵜飼地区(旧・鵜飼村周辺)に分散しており村内にはっきりとした市街地の集積がないこと、村民の多くは隣接する盛岡市に通勤・通学し普段の買い物に関しても盛岡にほぼ依存しており、盛岡市のベッドタウンとしての位置づけが強いことなど、人口以外の「市となる条件(地方自治法 第八条第一項)」を満たしていないためである。

さらに、市となる条件を満たしていないという直接的な理由のほかにも、「村」という言葉に人が抱く「のどかで豊かな美しい場所」というイメージのブランド性を維持するためという、戦略上の理由もあった[6]

中核市指定を目指していた盛岡市との合併案も持ち上がり、盛岡市では合併協議会も設立されたが、滝沢村民による強い反対により実現しなかった。なお盛岡市は2006年(平成18年)、岩手郡玉山村編入合併して人口30万人を達成し、2008年(平成20年)4月に中核市に指定されている。

滝沢村単独で市制施行することについては、1997年(平成9年)に当時の村長だった柳村純一が意欲を示したものの、その時は結局実現に至らなかった。しかし、全国の人口5万人以上の町村は大半が単独市制に移行している[7]ことや、2009年(平成21年)度の村民アンケートで盛岡市との合併に反対する意見が63.5%と、2007年(平成19年)度調査より2.2ポイント上昇していることなどを背景に、2011年(平成23年)から市制移行に向けた動きが再び始まった。

2011年(平成23年)3月11日に開催された「滝沢村行政体制調査研究会」にて、人口5万人の基礎自治体として最も適した行政体制は「市」であると結論付けられたことにより、2014年(平成26年)1月を目処に市制に移行することが決定した[8]。2011年4月1日には市制準備室が設置され、同年12月に実施した単独市制以降の是非を問う村民アンケートでは、市制移行に賛成する意見が7割を占めた。

しかし、「人口5万人以上」という地方自治法の規定こそ満たしていたが、岩手県の条例に定められている「国や県の出先機関が5カ所以上」という基準には達していなかった。このため村長の柳村典秀は12月7日の記者会見で「条例を改正するよう岩手県に働きかけ、2014年1月の市制施行に向けた機運を高めていきたい」と述べた。2012年(平成24年)2月16日に、岩手県知事と県議会議長に市制に関する要望書が提出され、10月12日の県議会で、市制移行の障害となっていた県条例の市制要件が緩和されることが全会一致で可決された。

2012年10月5日の定例記者会見で、新市名称は「滝沢市」に決定したことが発表された[9][10]。同年12月14日、2014年(平成26年)1月に市制施行することが村議会において全会一致で可決され、12月25日には県に対して市制移行の申請書を提出した[11]。2013年(平成25年)7月9日、岩手県議会で滝沢村を滝沢市とする議案が全会一致で可決された。8月23日には総務省から告示され、市に昇格することが正式決定した。現行の地方自治法に基づいて村が市となったのは、豊見城市(旧豊見城村)に続く2例目である。

市制施行後、滝沢市は市役所周辺の農地を開発することで、市昇格への障害のひとつになっていた市街地が存在しないことの解消に乗り出す予定である[12]

行政

紋章

  • 「タ」を図案化した村章を1965年10月25日に制定した[1][2]

ナンバープレート

滝沢市は、岩手ナンバー(岩手運輸支局)を割り当てられているが、2014年11月17日からご当地ナンバーである盛岡ナンバーが交付される。

岩手ナンバー割り当て地域(~2014年11月16日)
  • 岩手県内全域
盛岡ナンバー割り当て地域(2014年11月17日~)

公安

警察
消防
自衛隊

市内の施設

郵便

当市内にある郵便局は全て無集配郵便局となっており、集配業務は盛岡北郵便局が担当している。

  • 滝沢郵便局
  • 滝沢ニュータウン郵便局
  • 滝沢駅前郵便局
  • 一本木郵便局
  • 小岩井郵便局
  • 巣子簡易郵便局
  • 滝沢大釜簡易郵便局

教育

大学・短期大学

高等学校

中学校

  • 滝沢市立滝沢南中学校
  • 滝沢市立滝沢中学校
  • 滝沢市立一本木中学校
  • 滝沢市立姥屋敷中学校
  • 滝沢市立柳沢中学校
  • 盛岡市立北陵中学校(当市内に立地)
  • 滝沢市立滝沢第二中学校

小学校

特別支援学校

交通

鉄道

市役所へは、最寄駅の大釜駅から向かうよりも、盛岡駅および青山駅(至近の「県営体育館前」バス停)からは高頻度で運行されている市役所行きのバスの方が利便性が高い。

バス

道路

名所・旧跡・観光

  • チャグチャグ馬コ
    • 毎年6月第2土曜日に行われ、みちのくの初夏を彩る風物詩となっている。かつては晴れの特異日である6月15日に行われていたが、祭りの観光化を受けて2001年(平成13年)より現在の日になった。この伝統行事は馬の守り神「お蒼前様」詣でを起源とし、例年100頭ほどの艶やかな装束を纏った馬たちが、市内の鬼越蒼前神社(旧駒形神社)から盛岡市の盛岡八幡宮まで約15キロメートルを練り歩く。装束に取り付けられた数百個の鈴が、馬が歩くたびに「チャグチャグ」と鳴る音が名称の由来である。
  • 大釜館遺跡・八幡館山遺跡

出身有名人

ゆかりの有名人

TVチャンネル・ラジオ周波数

滝沢市内TV中継局

なお、大半の世帯は盛岡親局(紫波新山)を受信。また小岩井地区や大釜地区の一部は雫石テレビ中継局(生森山)を受信している。また、在盛ラジオ放送は市内全域盛岡親局を受信。

その他

参考文献

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:Navbox
  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
  2. 2.0 2.1 図典 日本の市町村章 p31
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. 〈チャグチャグ助役日誌〉34 熊坂伸子 むらのイメージ - 盛岡タイムス 2005年平成17年)12月13日
  7. 2010年(平成22年)11月28日付『岩手日報』1面
  8. 市制移行に関するQ&A - 滝沢村公式サイト
  9. 滝沢村(報道発表(平成24年10月))
  10. 滝沢村「報道発表(平成24年10月12日市制移行に関する記者会見)」
  11. 岩手「滝沢市」誕生へ 14年市制移行 村議会可決河北新報』2012年12月14日
  12. 「滝沢市」がスタート 役所前に中心市街地形成へ『岩手日報』2014年1月1日