港区 (大阪市)

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世界最大級の水族館である海遊館
ファイル:ORC200.jpg
弁天町駅周辺の200m級の超高層ビル群

港区(みなとく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。

隣接している区

歴史

かつては淀川河口の三角州であり無数の小島からなっていたが、江戸時代に下記の11新田が開発された(人名は開発者)。

  • 市岡新田 - 1698年元禄11年)、市岡与左衛門。
  • 木屋新田 - 享保年間、木屋弥兵衛。
  • 湊屋新田 - 1754年宝暦4年)、湊屋吉左衛門。
  • 前田屋新田 - 1757年(宝暦7年)、前田屋兵助。
  • 池山新田 - 1758年(宝暦8年)、池山新兵衛。
  • 石田新田 - 1764年明和元年)、石田三右衛門。
  • 田中新田 - 1776年安永5年)、田中又兵衛。
  • 八幡屋新田 - 1829年文政12年)、八幡屋忠兵衛。
  • 福崎新田 - 1829年(文政12年)、福崎孫四郎。1853年嘉永6年)、北福崎新田に改称。
  • 池田新田 - 1829年(文政12年)、池田正七。
  • 柴屋新田 - 1844年弘化元年)、柴屋弥四郎。1853年(嘉永6年)、南福崎新田に改称。

上記の他、安治川南岸の市街地である安治川南(のち安治川通南、南安治川通に改称)の西部も当区域に含まれていた。安治川南の所属は江戸時代には大坂天満組1869年明治2年)から大阪北大組となり、以降は北区だったが、1925年大正14年)から港区となった。

1871年(明治4年)には天保山付近に西成郡天保町が成立。1889年(明治22年)の町村制施行においては天保町は単独施行、11新田は現在の大正区西成区域に含まれている1町12新田と合併して西成郡川南村となったが、役場は天保町・川南村合同のもので、市岡新田に置かれた。

1897年(明治30年)の大阪市第一次市域拡張によって区域は全域大阪市へ編入され、同年天保山周辺において大阪港の本格的な修築(近代化)も始まった。大阪港は紆余曲折の末昭和初期に完成、港の周辺や港へ伸びる市電沿線は新興市街地・工業地帯として栄え、遊園地や運動場など多くのレジャー施設も誕生した。

港区は戦前は大阪市でも最も多い人口を抱えていたが、大阪大空襲でもっとも被害の大きな地域にもなった。戦後は地下鉄中央線や国鉄大阪環状線が通り便利になった。大阪港はその中枢機能を天保山から南港(咲洲)などに移したが、天保山周辺はウォーターフロント開発で海遊館などが誕生しレジャー地区に変貌しつつある。

町名

ファイル:Panorama from Osaka Chikko.jpg
天保山西岸壁から眺める夕日
(左手奥に南港、左手前に中央突堤、右手に北港が見える)

マスメディア

交通

鉄道

バス

一般路線バス
空港リムジンバス
高速バス

道路

都市高速
有料道路
一般国道
ファイル:Minato-dori (Osaka) 01.jpg
みなと通(港区役所付近より東を眺める)
主要地方道
一般府道

公営渡船

歩行者および自転車専用で、無料。

  • 安治川
    • 天保山渡 港区築港三丁目 - 此花区桜島三丁目 日中30分毎。
  • 尻無川
    • 甚兵衛渡 大正区泉尾七丁目 - 港区福崎一丁目 日中15分毎。

教育

高等学校

中学校

小学校

幼稚園

名所・旧跡・観光スポット・施設

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天保山マーケットプレイス
築港エリア
朝潮橋エリア
弁天町エリア

出身有名人

ゆかりの人物

脚注

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関連項目

外部リンク

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