淳心学院中学校・高等学校

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淳心学院中学校・高等学校(じゅんしんがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、兵庫県姫路市本町に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校高等学校カトリック男子修道会である淳心会を母体とする、高等学校においては生徒を募集しないミッションスクールの完全中高一貫校である[1]

概要

1954年(昭和29年)、ベルギー発祥のカトリック宣教会「淳心会」により、学校法人淳心学院設立認可・中学校設置認可。1957年、高等学校設置認可。1960年、新中学1年より3クラスとし、6か年をJ (Junior)・M (Middle)・S (Senior) の3段階に分ける制度となる。1964年、ベルギー国王ボードワン1世ご夫妻のご来校の栄に浴す。

モットーは「同心同意」。自分だけでなく他者へ思いやり、意を一つにして真理を探究することを教育姿勢としている。「淳心」(Immaculate) とは、聖母マリアのけがれなき心を意味する。

自由な校風の下で自ら意思を持ち、自律できるよう、少人数で必要最小限の校則としている。生徒と教員の距離が近く家庭的な雰囲気作りをしている。

大学進学を大切にしたカリキュラムを実施し、国公立・私立大学進学に力を注いでいる。2014年度より、ヴェリタス(東大京大・医学部進学)・カリタス(難関国公立大進学)の2コース制を開始した。

校舎周辺にはすぐ西に姫路城が臨まれ、殆どの生徒は校舎西側から通学するため、6年間で何千回となく白鷺の天守閣を仰ぐことになる(校歌にも詠われている)。他にも賢明女子学院と隣接し、姫路市立美術館が至近にあるなど、文教地区に立地すると言える。姫路城周辺独特の規制で建物の高さを3階以下に抑えなければならないため、校舎は、規模の割には横に長い構造をしている。旧校舎との兼ね合いもあり、2006年竣工の新校舎設計までには相当な苦労があったといい、段階的に建設が進められたという。

歴史と伝統を大切にし、「見えないものに心を向ける」という教育の実践は創立から現在も変わらず受け継がれている。

2014年に60周年を迎えた。

沿革

  • 1954年(昭和29年)4月 - 仮校舎で第1回入学式挙行。この時点では中学校のみで、高校は第1期生が高校に進学する3年後に開校。
  • 1956年(昭和31年)2月 - 本校舎完成、移転。
  • 1960年(昭和35年)4月 - 6学年をJ、M、Sに区分する制度を採用。
  • 1964年(昭和39年)1月 - ベルギー国王ボードゥアン1世(当時)来校。
  • 1981年(昭和56年)4月 - アントニオ・マルゴット校長が就任。
  • 2003年(平成15年)11月 - マルゴット校長が紫綬褒章を受章。
  • 2004年(平成16年)9月ごろ - 新校舎が部分完成。旧校舎は大部分が同年の淳心祭終了を最後に解体。
  • 2005年(平成17年)7月ごろ - 新校舎特別教室棟も大半が完成。旧校舎残存部、別館の解体準備と新校舎の増築が始まる。
  • 2006年(平成18年)8月31日 - 工事完了。翌月2日の落成式を以て完成となる。
  • 2006年(平成18年)11月16日 - 新校舎が第7回姫路市都市景観賞受賞。
  • 2011年(平成23年)4月 - 現 林正彦校長が就任。
  • 2014年(平成26年)4月 - ヴェリタス(東大・京大・医学部進学)・カリタス(難関国公立大進学)の2コース制を開始。

教育方針

  • 学校教育は学校と家庭が連携することで達成する、との理念に基づき、自宅通学が入学条件。
  • 必修で「宗教」の科目があり、修道会所属の神父と一部の有資格教師が授業を担当する。
  • 宗教活動としては、授業開始前に十字を切って主祷文(主の祈り)を挙げるほか、追悼ミサや年末のボランティア活動(任意)などがある。
  • ベルギー系の修道会が母体のため、かつては校長をはじめベルギー人神父が多く在籍した。2008年5月現在、校長はアントニオ・マルゴット(理事長兼任)。現在、マルゴット神父は理事長職のみになり、校長は前副校長の林正彦になっている。
  • 中学・高校6学年を、ジュニア(J1・J2:中学1・2年)、ミドル(M3・M4:中学3年・高校1年)、シニア(S5・S6:高校2・3年)の2学年ごとに分ける。中途編入は帰国子女など、ごくまれにしか認められない。1クラス46人が3クラス、これが6学年と、小さな学校である(2003年度新入生までは1クラス47人)。
  • 制服ブレザーネクタイ学年章の色はジュニアが赤、ミドルが緑、シニアが青。中学受験に合格した新入生がまず覚えるのが、ネクタイの結び方である。校章・学年章は付けるが、名札は無い。
  • 校章は縦長の菱形に「キリスト」を表すギリシア文字"Χριστος"の頭2文字"ΧΡ"をあしらったもの。
  • チャイムはかつて「ラソファド・ファドファラ・ファソファド・ファドラファ」と、独特なものを使っていた。テンプレート:独自研究範囲が、新校舎完成と前後して音源を変更し、その際に一般的なものにされた。

特色

ファイル:淳心展望.jpg
新校舎普通教室棟西端からの景色
ファイル:View from Himeji castle southeast.jpg
姫路城天守第六層から南東望。淳心学院の校庭は中程左側
ファイル:淳心新校舎.jpg
右・普通教室棟、左・特別教室棟。ガラス張りの部分がラウンジ
ファイル:淳心廊下a.jpg
普通教室棟の廊下
  • 毎年数人の元淳心生が実習生としてこの学校の教壇に立ち、卒業後実際にこの学校へ赴任したOBも多い。このほかOBはイベントにも積極的に関わっている。同窓会は「心城会」。
  • 新校舎教室棟西端の大型ガラスは、白鷺の天守閣を仰ぐために設けられたとも言われる。
  • 創立から60年経つが、すでに校歌が代わっている。初代校歌は後半が英語だった。校歌の他に「愛唱歌」が3つある。「千載霧なす」は朝礼直前に鳴らされるため「歌詞のどこまでなら遅刻にならない」という話題は、OBの間で語り草となっている(最近では、この直後に鳴るチャイムまでに教室内に入っていないとアウト)。反面「嵐の中を」「海と若者」は、在校生には殆ど知られていない。
  • 下校時刻3分前には、新世界交響曲(第2楽章)が鳴らされる。朝の「千載霧なす」同様、「曲のどこまでなら全力ダッシュで校門にたどり着く」という話題が語り草になっている。こちらも曲の終わりにチャイムが鳴らされる。
  • 学園祭である「淳心祭」は毎年9月、敬老の日前後に行われる。ただし、2005年は校舎解体の関係で6月11日に変更された。
  • 高校の修学旅行は、大学受験との関係から高校1年 (M4) の秋に行われる。前年の中学3年 (M3) 夏にも事実上の修学旅行(研修旅行と呼ばれる)があるため、2年続いて旅行があることになる。なおミッションスクールのため、研修旅行の際には必ず現地教会で説教を拝聴する。高校1年の修学旅行の際には必ずしも拝聴があるわけではなく、行き先によってはない。
  • 校庭が狭い(賢明女子学院の校庭と併せて標準的な大きさ)のための措置として、春のスポーツデー(体育祭)は近くの陸上競技場を、冬のマラソン大会は姫路競馬場の一部(内部にある公園の周りのトラック)をそれぞれ借り切って行われる。秋のスポーツデーは校庭での球技大会で、2日間に亘って行われる。ただし、2005年、2006年は校舎解体の関係で春と秋が逆転されて行われている。
  • プールが無いのに、テニスコートはある。かつては本格的なものだったが、テニス部の衰退とともに保守費用低減のため、土のコートに変えられてしまった。その後、一旦4面から3面になった時期を経て2006年に2面にテニス用マットと防球ネットが設置された。ちなみに、秋のスポーツデーの時はネットの高さを変えてバレーボールのコートとして使われる。
  • 武道室があり、柔道の授業もあるものの柔道部は無く、放課後は卓球部に使われている。剣道部はあるが、専ら体育館で練習している。
  • 校庭は中学野球部、中学サッカー部、高校野球部、高校サッカー部の4つが、体育館はバレー部、バスケ部、器械体操部、剣道部の4つが共用している。そのため、これらのクラブは練習時間が週2日程度になっている。そのため、これらのクラブは朝、昼の空いている時間にも練習をしている。
  • 将棋パズル等の個人競技ではかつては強豪であった。ただし将棋においては、2008年8月に行われた文部科学大臣杯第4回小・中学校将棋団体戦において将棋部より3名が出場し、全国大会優勝という成績を収めるなど、復活の兆しがある。また、音楽部も吹奏楽コンクールやアンサンブルコンテストなどで県大会に進出するほどの実力を付けてきている。
  • 校則は概して緩やかだが、ゲームセンターへの出入りについては異常に厳しく、1980年代後半に「認めない」と改まるなど厳格化された。
  • 2005年4月から遅刻や服装のチェックを厳しくし、生徒指導部に属する教師が「MIND YOUR DRESS」をモットーに色シャツ、柄シャツの完全禁止やマナーに関する講習会などを行っている。
  • 2004年4月より、Jコースでは熱意のある教師たちの発案により「スタディ(強制的自習時間)」が始まった。また、2006年4月より、MコースとSコースでは、大学受験での科目増に対応するという目的から、週2回の7時間授業が行われることとなった。いずれも火曜日と木曜日の実施である。
  • 2006年4月より、授業開始時間が5分早められ8時40分~となった。7時間授業の終了を少しでも早めるための措置であるが、全校朝礼などがあった場合は従来通りの8時45分~に変更される。
  • 2012年4月より火・木曜の7限目を廃止し、土曜日を毎週授業とする。(祝日の場合は休み)
  • S6(高校3年)の卒業式は体育館で行われ、学校職員全員・卒業する生徒の保護者、および全校生徒 (J1~S5) も式の最初から最後まで出席する。卒業式の際、生徒一人一人が学年主任に名前を呼ばれて壇上に上がり、校長から卒業証書を直接受け取る。名前を呼ばれて壇上に上がり何らかのパフォーマンスを行い、そのあと卒業証書を受け取る者も例年数人から十数人いる。パフォーマンスは様々で、保護者や先生方に対しての感謝の言葉を述べる者、自分の技を披露する者、かぶり物をかぶる者、何らかのコスプレを着用する者などなどバラエティ豊かである。このパフォーマンスに関して学校は特に介入していなかったが、近年卒業式前に控えるように注意がある。このパフォーマンスを除いては全体的に真面目な卒業式である。最後に卒業生が会場である体育館から退場する際には、卒業生以外の者全員で「蛍の光」を歌って送り出す。

校舎

校舎は創立50周年の記念事業として全面的に新築し2006年7月に竣工した。優れたデザインにより、同年度姫路市都市景観賞を受賞している。

普通教室棟

通称「南館」。バリアフリーを考え、エレベーターが設置されたのが最大の特徴である。旧校舎は床が御影石で出来ていたが、これもコスト面と安全面の問題から採用は見送られた。黒い床とこげ茶色のロッカーで、とても暗い廊下になっている。照明を付けなければ、昼間でも夜のように暗い。

教室の扉に病院の個室のようなものが使われたが、僅かな衝撃だけでも外れる事故が多発したため、若干の改造がなされている。壁材には小石を敷き詰めたような独特のものが採用されたため、少しこすっただけで、怪我をしてしまう。

キリスト教の学校らしく、各教室にはキリスト像が、廊下の到る所にマリアのプレートが飾られているのも特徴である。また、教室の天井はひだ状の突起が大量に付けられている、独特なデザインになっている。

  • 1階
    • 1階は職員室と印刷室などのそれに付随する部屋が設けられている。保健室と放送室もここにあり、東端には食堂が設置されている。
    • 東端には部分完成時、暫定的に靴箱が置かれた。特別教室棟完成時に一旦そちらの1階に移ったが、現在は本館西端に正式に靴箱が置かれている。
  • 2階、3階
    • 全て教室として使われている。1学年3教室×6学年分+2の合計20教室が設けられている。完成当時、ロッカーは教室の中に置かれていたが、盗難の多発と生徒が廊下で暴れることが問題となり、後に設置場所は廊下に変更された。結果的に旧校舎と同様になったわけである。その際、選択教室と呼ばれる予備の教室の場所を校舎東端から西端へと振り替えている。
    • 廊下には計6箇所「ラウンジ」と呼ばれるガラス張りのスペースがあり、椅子テーブルも置かれている。ただ、2階(中学生用)では専ら追いかけっこや卓球のスペースとして使われている。近年は、3階(高校生用)でも同じように使われている。この部分は1階では職員休憩用のスペースに使われている。ここには、旧校舎からの伝統でソファー冷蔵庫も置かれている。

特別教室棟

通称「北館」。教室棟のすぐ北に建てられている。2005年9月に使用開始した。基本的なインテリアは教室棟に準じるが、窓枠のデザインなど、一部に変更点が見られる。内部設備は、二期工事での解体分を引き継いでいる他、文化系クラブの部室もここに集約されている。

1階東部は宗教関係の授業が行われる宗教室を始めとして、宗教色の濃い部分になっている。宗教関係の行事に使われる聖堂は学校ではなく教会の管轄になっている。

  • 1階
    • 事務室と職員室や校長室などの、旧校舎西側残存部の設備が移管されている。東端には図書室が設置されたが、2006年9月の増築が完了するまで整理中扱いで利用できなかった。
    • 旧校舎時代は同一の部屋だった図書室と自習部屋が分離された一方、宗教室と聖堂は先述の通り1つの部屋にまとめられた。
    • 西部は普通教室棟と一体化している。この部分には歴代卒業生の集合写真が飾られている。
  • 2階
    • 旧校舎東側残存部の設備を移管した形で、理科系実験室と付随する準備室が作られている。西端には視聴覚室、新規設置で文化部室と同様の間取りである生徒会室や理科系の講義が行われる理科講義室などが設けられている。
  • 3階
    • 音楽室と楽器庫、選択教室、合併教室、美術室とコンピューター室がある。中央付近には新規設置の家庭科室も置かれている。

心城館

「しんじょうかん」と読む。教室棟の西に建てられている2階建て構造の建物で、土地の関係で歪んだ形状をしている。2005年9月に2階南半分が、2006年9月に残りの部分が使用開始された。教室棟とは渡り廊下で繋がっている。

  • 1階
    • 北半分は駐輪場、南半分は駐車場となっている。駐車場と駐輪場の間にはトイレと配電盤、倉庫が設けられている。名前に由来してか一部に石垣のような壁が使われているのが特徴。
  • 2階
    • 南半分は柔道場と卓球室、それらの担当教師の控室である体育教官室が設けられている。北半分は450人ほどが収容できる講堂で、映画館のような跳ね上げ式の座席が設置されている。ここの天井は自動開閉式の天窓が設けられている。なお、通常「心城館」とは講堂部分のみを指す。

体育館

敷地の最も西に建っている。新校舎建設に抵触しないこと、資金的に立て替えが困難だったことから旧校舎時代から引き続き使われている。ただし一期工事での校舎解体途中にアスベスト問題が取り沙汰されたために2005年春頃に使用の有無の判定を専門家に依頼し、同時に使用の可能性がある箇所をビニールでカバーして応急処置としていた。

翌年2月に使用されていたことが確定したので、同月中旬に本格的な撤去作業が行われ、該当箇所はクリーム色の鉄板で封印された。続いて同年6月にリフレッシュ工事を受け、内外が他の建物に合わせたベージュと茶の塗り分けに変更され、心城館からの渡り廊下が設置された。

  • 1階
    • 大部分が体育館スペースとなっている。南端はステージとなっており、この部分のみ中2階となっている。ステージ下部にはパイプ椅子が収められており、スポーツ用品はスペースの関係でステージ横と玄関横の2箇所の倉庫に分散して置かれている。
  • 2階
    • 北端には室内運動部系の部室、南端には放送機器室と軽音楽部室が設けられている。それ以外は建物を1周するように足場が設けられているのみである。

クラブハウス

賢明女子学院との境界近くにある、屋外運動部系の部室、倉庫、技術室の集合体。旧校舎時代からの引き継ぎで、まとめて「クラブハウス」と呼ばれている。建物としては2階建てのアパートのような建物と3階建てのプレハブ風の建物が併設されている。現在、他の校舎と繋がっていない唯一の建物である。

その他

  • 倉庫スペースが広く取れなかったため、上に記していない地下室がいくつか存在する。
  • 立て替えの総仕上げとして水はけの悪い校庭の土を総入れ替えする予定であったが、資金難から上5cm程に縮小された。代わりに、排水用の側溝と普通教室棟~クラブハウス間にゴム製の通路が設置されている。

旧校舎

  • 旧校舎は横に非常に長い本館と小さめの別館、食堂の3つの建物から構成されていた。本館は増築を繰り返した結果、各部に継ぎ目や仕様の違いの目立つ校舎だった。
  • 本館は床に大理石を多用するなどと、豪華な造りで、創立当時はブレザーの制服と共に「近代的な学校」として有名であった。
  • 旧校舎各階段には1980年代後半から、肢体障害者のために金属製の手すりが追加設置されていた。
  • 本館西側階段の1~2階の踊場には、かつて在籍していた生徒の保護者が寄贈したとされる、ノイシュヴァンシュタイン城の巨大なジグソーパズルが飾られていた。
  • 食堂の2階と本館2階東端に神父の寝室に利用される部屋が存在した。
  • 一般教室ではかつて、机と椅子が一体となった独特の机を用いていたが、多くは新校舎移行に伴い廃棄されたため、末期には旧校舎残存部の教室に状態の良い物が多少残っているのみであった。
  • 旧校舎で一期工事での解体が決まっていた部分では、2004年の淳心祭の時にスプレー等で「旧校舎ありがとう」などという書きがされていた。

著名な出身者

周辺

アクセス

神姫バス姫路駅前から姫路獨協大学・大寿台団地・北条(加西市)・福崎(福崎町)・粟賀(神河町)行きなどで「姫山公園北」下車。但し校則で、姫路駅~本学校間のバス使用は禁じられている。

関連項目

脚注および参照

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 淳心学院中学校-中学受験スタディの「基本情報」の表による。

外部リンク

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