池波志乃

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テンプレート:ActorActress 池波 志乃(いけなみ しの、本名:中尾 志津子(なかお しづこ、旧姓:美濃部(みのべ))、1955年3月12日 - )は、東京都荒川区西日暮里出身の女優タレントエッセイスト。有限会社オフィスSHINO代表取締役。血液型A型。

夫は俳優中尾彬。父は10代目金原亭馬生、祖父は5代目古今亭志ん生、叔父は3代目古今亭志ん朝と言う落語家一家。

来歴・人物

荒川区西日暮里に祖父の代から落語家を輩出した家に出生。「池波志乃」と言う芸名は父馬生が自ら名づけたと、本人がインタビューにて発言した。

1982年父馬生が死去した時、叔父志ん朝は「女優だったら泣くんじゃないよ」と言いながら迷惑をかけた兄馬生の死に自分が泣いていたとされる。

高校中退し俳優座養成所入所、女優としての活動は1974年沖田総司」から本格化。妖艶で日本的、しかも婀娜な色っぽさと品格のよさを同時に押し出せる得がたい女優で主に脇役として芝居を引き締める演技・役どころをこなした。

大竹まこと風間杜夫と同時期に俳優座の養成所に所属しており、彼らには妹のようにかわいがってもらった。彼らが養成所を辞める時に一緒に辞めようとしたが、「お前は残れ」と説得され養成所に残った。

夫・中尾との間に子はないが、料理(作る方も食べる方も)・美術(諸分野だが特に日本画)と共通の趣味と強い絆で結ばれた夫婦として知られる。

特に酒は親族が酒豪であったこともあってか、池波自身も酒豪であり女性芸能人では太地喜和子らと並ぶほどだとされている。

1983年の映画、「丑三つの村」での大胆な演技は話題となった[1]

1990年代半ばより演劇活動に距離を置いたことを機に事実上芸能活動停止状態。これは前後して池波が急激な体重の減少で健康が優れなくなったことと、素の自己像と芝居で演じる人物像との間のギャップに苦悩し、新たな芝居の仕事を入れなくなったからとの旨を後年中尾がテレビ番組で明かした。

料理に関してはかなりの腕前で、中尾がカレーが食べたいと言えばインドカレーを作り、韓国料理が食べたいと言えばその料理をきちんと用意しているという。また、食卓に夕食の手書きメニューを池波が作ることでも知られる(但し、時間稼ぎのためと本人が発言している)。中尾と中尾鍋と呼ばれる白菜バラを使用した鍋料理を考案し、テレビ番組で度々紹介されている。

夫・中尾に「遊んでいきなさい」とお金を渡すことがある。これは、遊びに行って欲しくないためにあえてお金を渡している。また、中尾に「でも」「だって」と口答えはしない。中尾が怒るところを見るのが嫌なためで、逆に、ほとぼりが冷めて中尾の機嫌がいい時には笑いながら反撃する。こうした池波の人柄を、女性に厳しい意見が多いことで知られる細木数子から絶賛された。池波自身も「子供を育てることができなかったが、夫・中尾彬を育てることができた。」と語っている。

推理小説好きとしても知られ、芸能活動停止後も数多くの書評や文庫解説を記している。

現在は中尾と永年の棲家である台東区池之端の自宅で暮らす。また2001年頃からは沖縄(中尾所有のアトリエあり)にも長期滞在しているという。

2006年9月フィッシャー症候群という病に倒れる。この時、「長い髪の毛はありえない」として自らの意思で丸坊主になったというエピソードがある。さらに2007年3月に中尾が急性肺炎で倒れた際、誰にも見舞いをさせなかった。これは治療・静養に専念させたかったことと芸能人として情けない姿を見せたくなかったためであるという。

近年はほとんどテレビ等出る機会がなかったが、著書「食物のある風景」プロモーションのため、2007年3月23日毎日放送の関西ローカル番組「ちちんぷいぷい」にゲストとして出演。この番組の準レギュラーでもある夫と共に久々の共演をする。その2日後には同局制作の全国ネット番組「知っとこ!」にも番組途中からゲスト出演した。

以降、テレビ出演などで、再びメディアに顔を見せている。また、最近では「オフィスShino」という会社を経営するなど実業家の顔を見せている。

アメリカのプロレス団体WWEのファン。

主な出演作品

映画

テレビドラマ

このほか土曜ワイド劇場など、2時間ドラマ出演多数

CM

著書

  •  うちの手料理―二人で楽しむ料理とお酒
  •  いい女でいるのも肩がこる―新・女の甲斐性
  •  池波志乃の 酒肴とびっきり―粋にふたり酒を楽しむ本
  • 『食物のある風景』 (2007年、徳間書店、ISBN 978-4-19-862302-9)

脚注

  1. 週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 熟裸身を堪能する映画ベスト10

関連項目