慶應義塾幼稚舎
テンプレート:Pathnav テンプレート:日本の小学校 慶應義塾幼稚舎(けいおうぎじゅくようちしゃ)は、東京都渋谷区恵比寿にある私立小学校である。運営者は、学校法人慶應義塾。
概要
日本で最も古い私立小学校の一つであり、1874年(明治7年)、福澤諭吉の門下生であった和田義郎が年少者を集めて教育を行ったのが始まりである。そのため、初期には「和田塾」と呼ばれていた。1880年(明治13年)頃から「慶應義塾幼稚舎」と称するようになり、1898年(明治31年)には正式に慶應義塾の一員となって初等教育から大学に至る慶應義塾の一貫教育が確立した。
「幼稚舎」という名称であるが、小学校であり幼稚園ではない。幼稚舎出身の南博は旧制東京高校尋常科に入ったとき、修身の時間に教育勅語を暗誦できなかったため、「君は教育勅語を知らんのか、いったいどこの小学校からきた」と教師から怒られ、「慶應義塾の幼稚舎です」と答えたが、「幼稚園のことをきいているのではない、小学校はどこだ」と怒鳴られたという[1]。
1999年に、日本の近代建築20選(DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築)に選ばれている。
設備・教育
校舎には冷暖房が完備されている。また、各教室にそれぞれ1台ずつプラズマテレビとパソコンが設置してある。制服の着用義務がある。最寄り駅は東京メトロ広尾駅。各学年にK組、E組、I組、O組の4つのクラスがあり、計144人である。K組から、それぞれK組は青、E組は黄、I組は緑、O組は白というクラスカラーがあり、運動会のクラス対抗リレーなどではそれぞれのクラスカラーのはちまきをする。また、6年間クラス替え、担任変更のない教育編成が特徴。在籍する男子児童は女子の2倍であり、1クラス36人の在籍、男子24人、女子12人の内訳になる。I組は2002年(平成14年)度に新設され、2002年度 - 2006年(平成18年)度までは1学年3クラス(K、E、O)と4クラス(K、E、I、O)が混合していた。
教育の一環として児童全員に1000m完泳を義務付けている。また、福澤諭吉の誕生日記念会では幼稚舎生が『福澤諭吉ここにあり』を歌う。校歌は多数あるが、『若き血』、『福澤諭吉ここにあり』、『幼稚舎マーチ』が有名。給食はホテルニューオータニの食事が採用されている。テンプレート:要出典、数多くの社長や芸能人の子息が在籍する。入学試験は学力ではなく行動観察、運動、制作、口頭試問などで行われるため、お受験塾に通わせる親がほとんどである。慶應義塾大学まで無試験でそのまま進級できるエスカレーター式を採用している。
幼稚舎出身の著名人
戦前
- 岡本癖三酔(俳人)
- 大倉喜七郎(男爵、帝国ホテル会長)
- 菊本直次郎(庵主、三井銀行初代会長)
- 中村利器太郎(三越社長)
- 朝吹常吉(日本庭球協会創立者)
- 今井利喜三郎(三井銀行頭取)
- 服部謙太郎(服部時計店4代目社長)
- 岩村透(男爵、東京美術学校教授、白馬会、国民美術協会設立者)
- 土屋光金(海軍中将、男爵)
- 井田磐楠(男爵、大政翼賛会常任総務)
- 山本英輔(海軍大将)
- 永田泰次郎(海軍中将)
- 牛原陽一(海軍少尉、映画監督)
- 朽木綱貞(陸軍少将、子爵)
- 石田一郎(海軍大佐)
- 菅暫一郎(海軍中佐)
- 佐々木正五(名誉教授、日本細菌学会理事長、国際無菌生物学会初代会長)
- 蘆野敬三郎(海軍大学校教授、理学博士)
- 秋本孝之介(海軍軍医少監)
- 宮川兵市(海軍軍医中監)
- 大村徳敏(子爵)
- 藤堂高義(伯爵)
- 陛奥廣吉(伯爵)
- 九鬼隆輝(子爵)
- 今城定政(子爵、貴族院議員)
- 本多忠鋒(子爵)
- 岡田平太郎(宮内省式部官)
- 大倉和親(森村財閥)
- 廣澤金次郎(伯爵)
- 堀江帰一(経済学者)
- 高野岩三郎(統計学者、社会運動家、日本放送協会第5代会長)
- 川村鉄太郎(伯爵)
- 加納友之介(官吏、住友銀行理事)
- 渡邊千冬(枢密顧問官、司法大臣)
- 大河内正敏(子爵、物理学者)
- 中島久万吉(男爵)
- 南部利克(子爵)
- 黒田長成(侯爵、枢密顧問官)
- 毛利五郎(男爵)
- 今村繁三(銀行家)
- 岩崎久弥(三菱財閥三代目当主)
- 神谷健一(三井銀行社長)
- 森恪(政治家)
- 益田太郎冠者(男爵、貴族院議員/府立一中へ)
- 植村甲午郎(元経団連会長 / 明治39年卒 府立一中へ)
- 武藤絲治(元カネボウ社長 / 武藤山治の子)
- 柳満珠雄(元三井銀行頭取)
- 服部正次(服部時計店(現 セイコー)3代目 / 府立一中へ)
- 梁瀬次郎(ヤナセ会長 / 梁瀬長太郎の子)
- 武田長兵衛(タケダ2代目)
- 小菅丹治(元伊勢丹社長)
- 岡崎真一(同和火災2代目 / 岡崎財閥)
- 長與又郎(東大総長、医学部長 / 正則中へ)
- 桜内義雄(元衆議院議長)
- 重松宣雄(駐奉天領事(昭和8年- 柳条溝事件) / 府立一中へ)
- 獅子文六(作家)
- 高木文雄(元大蔵事務次官、元国鉄総裁)
- 林屋辰三郎(歴史学者)
- 藤山愛一郎(元外相、藤山コンツェルン総帥 / 通称「絹のハンカチーフ」)
- 立作太郎(法学博士)
- 藤山一郎(歌手)
- 牧野直隆(元高野連会長、野球殿堂)
- 南博(一橋大名誉教授)
- 岡本太郎(画家)
- 伊藤雄之助(俳優)
- 亀井孝(一橋大名誉教授)
- 山川方夫(作家)
- 朝吹三吉(フランス文学者)
- 駒井哲郎(版画家)
- 野口冨士男(作家)
- 内村直也(劇作家)
- 大谷隆三(元松竹社長 / 大谷竹次郎の子)
- 芥川隆行(フリーアナウンサー)
戦後
- 坂村健(情報工学者、東京大学教授、TRON開発者)
- 東久邇信彦(旧皇族、盛厚王第一子、新潟県長岡市名誉顧問)
- 青井実(NHKアナウンサー、丸井創業者の孫)
- 麻生泰(麻生ラファージュセメント社長、妹に寛仁親王妃信子、元首相麻生太郎の弟、吉田茂の孫)
- 安西祐一郎(慶應義塾大学塾長、工学者)
- 池田尊弘(創価学園主事)
- 伊藤公平(慶應義塾大学理工学部教授、工学者)
- 石原良純(俳優、タレント、気象予報士)
- 石原宏高(前衆議院議員)
- 石原延啓(画家)
- 一橋忠之(NHKアナウンサー)
- 糸川正晃(衆議院議員、ファイナンシャルプランナー)
- 上田昭夫(慶應義塾體育會蹴球部元監督)
- 梅田晴夫(劇作家、小説家、随筆家)
- 梅田望夫(経営コンサルタント)
- 梅田みか(脚本家)
- 大塚雄三(歌手)
- 越智隆雄(衆議院議員)
- 金子郁容(元慶應義塾幼稚舎長、慶應義塾大学教授)
- 河野明子(元テレビ朝日アナウンサー)
- 川島裕(侍従長、元外務事務次官)
- 木村太郎(キャスター)
- 草野厚(慶應義塾大学教授、コメンテーター)
- 小林陽太郎(富士ゼロックス会長、経済同友会終身幹事)
- 坂井利彰(慶應義塾大学専任講師・體育會庭球部監督)
- 櫻井翔(アイドル・嵐)
- 柴本幸(女優)
- 杉山顕太郎(ナレッジパーク社長 / ミス女子大生派遣事務所)
- 炭谷宗佑(元日本テレビアナウンサー)
- 千住明(作曲家)
- 千住博(日本画家)
- 千住真理子(ヴァイオリニスト)
- 園原ゆかり(タレント)
- 高野真太郎(ミュージシャン)
- 高橋治則(東京協和信用組合元理事長、元イ・アイ・イ・インターナショナル社長)
- 武見敬三(参議院議員)
- 竹田恒泰(作家)
- 玉塚元一(ロッテリアCEO、元ファーストリテイリング社長・COO)
- 近田春夫(作曲家)
- 堂本正樹(劇作家、演出家、演劇評論家)
- 都倉賢(Jリーガー)
- 冨田勝(慶應義塾大学環境情報学部長)
- 友岡克彦(東京工業大学、九州大学教授)
- 友岡賛(慶應義塾大学商学部教授)
- 外山惠理(TBSアナウンサー)
- 永井均(哲学者)
- 中村紘子(ピアニスト)
- 中村光宏(フジテレビアナウンサー)
- 中山貴雄(テレビ朝日アナウンサー)
- 西岡信雄(大阪音楽大学学長、音楽人類学者)
- 二谷友里恵(元女優、実業家)
- 根本美緒(フリーアナウンサー、気象予報士)
- 福澤克雄(TBSディレクター、演出家、映画監督)
- 福澤幸雄(モデル、カーレーサー)
- 松岡修造(元テニス選手)
- 松任谷正隆(作曲家)
- 三宅恵介(テレビディレクター)
- 宮下啓三(独文学者)
- 持田昌典(ゴールドマン・サックス社長)
- 若杉弘(指揮者)
- ZEEBRA(ラッパー)
- DJ OASIS (DJ、ラッパー)
- 井上絵美(料理研究家 / 聖心女子学院へ)
- 細田よしひこ(俳優 / 榮太樓總本鋪の次男)
- 森田貴寛(歌手 / 森進一・森昌子の長男)
- 伊部勝利(ロック歌手)
- 森泉(モデル)
- 森星 - ファッションモデル
- 岡本礼於(元ジャニーズJr.)
- 近藤琢哉(フィギュアスケート選手)
- 佐藤義朗(日本テレビアナウンサー)
- YUKA(moumoon)(ミュージシャン)
- 二村ヒトシ(AV監督)
周辺
慶應義塾幼稚舎や外苑西通りを挟んで向かいにある東京都立広尾病院の一帯は江戸時代には「広尾の原」と呼ばれており、徳川家光の時代以降にはしばしば鷹狩や鶉狩に利用されていた[2]。その後、明治時代からは砂利採り場となっていたこともあった[2]。
古川の流れるこの辺りの海抜は約9メートルで、渋谷区内では最も高度が低い場所となっている[2]。
関連項目
脚注
外部リンク
テンプレート:学校法人慶應義塾- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 2.0 2.1 2.2 東京ふる里文庫11 東京にふる里をつくる会編 『渋谷区の歴史』 名著出版 昭和53年9月30日発行 p284-5