ヤナセ
テンプレート:Infobox 株式会社ヤナセ(テンプレート:Lang-en-short)は、伊藤忠商事傘下の輸入自動車および中古車の販売業者(ディーラー)。
かつては、「いいものだけを世界から」というキャッチフレーズを全面に出し、テレビ・ラジオの番組提供などでCMも大量放映され、多様な欧米自動車ブランドの輸入者(インポーター)でもあったが、2002年(平成14年)までにはそれら全ての輸入権をメーカー系インポーターに譲渡した(後述)。近年中古車販売の比率が上昇しており、現在の販売台数のおおむね45%は中古車である[2]。
目次
概要
日本国内に新車販売店174店舗と、中古車販売店31店舗を持つ。直営の販売店に加え、特定の輸入車ブランドを扱う子会社組織や、一部の地方における関連会社がある。
同じ、ヤナセのヤナセ製油とは、資本面および人的関係は一切ない。
歴史
設立
梁瀬長太郎が1915年(大正4年)、東京・日比谷に設立した「梁瀬商會」を前身とする。はじめはトラックやバスのコーチビルダー(車体製造業者)として事業開始したが、三井物産の輸入車部門を長太郎がMBOした。
1919年(大正8年)、現本社のある東京・芝浦に工場を開設[1]。
外国車インポーター時代
GMのビュイック、キャデラックの輸入から始まり、第二次世界大戦中は一時自動車輸入事業を停止していたが、その後二代目の梁瀬次郎会長に経営が引き継がれるとともにGMの各ブランドやメルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲン(傘下のアウディも含む)と取り扱い車種を増やした。
1965年(昭和40年)、日本への自動車輸入が完全自由化された後も、高価な価格設定(大衆向けの車種やグレードは輸入しないという手法も併用)や左ハンドル車中心の販売などによって「高級車」イメージを強調するブランド戦略により、日本における輸入自動車を「特別な存在」「富裕層の象徴」に位置付けた。全国に広がるネットワークと顧客に対するきめ細かいサービスのノウハウなどは高い評価を受け、日本最大手の自動車輸入事業者(インポーター)となり、「輸入車=ヤナセ」と言われるほどの存在になった(実際の輸入業務はヤナセの100%子会社であるウェスタン自動車が行い、販売をヤナセが行うという形態をとっていた)。
梁瀬次郎はアメリカ車の日本国内での普及に貢献したとされ、2004年(平成16年)に日本人で3人目の自動車殿堂入りをしている。
経営多角化
その後梁瀬次郎の掛け声の下で総合商社への進展を図り、自動車の輸入販売ばかりではなく、クルーザー(ハトラス他)、アラジンストーブやノースアメリカンベアの輸入、アパレル事業(シャルベ他)、宝飾品(フレッド他)の展開、胡蝶蘭の生産、アルファレコードへの資本参加など、経営多角化を行ったが、1990年代初頭のバブル景気崩壊とともにほとんどの部門から撤退した。1952年(昭和27年)設立のテレビコマーシャル制作会社TCJは継続して保有(100%出資)している。
輸入権の譲渡から現在
1990年代以降、欧米の自動車会社各社が自ら設立した日本法人で輸入事業務を行うことが一般化した。販売政策を巡る意見の相違もあり、1992年(平成4年)にはフォルクスワーゲンとアウディの輸入権を、2000年(平成12年)以降にはGM系ブランドの輸入権をメーカー系インポーターに譲渡した。キャデラックとサーブの輸入権を譲渡した2002年(平成14年)末の時点で自動車輸入事業からは事実上撤退した。その後乗用車以外で唯一残っていたウニモグの輸入権も2005年(平成17年)11月に返上したことで自動車輸入事業からは完全撤退し、メルセデス・ベンツを始め、BMWやボルボを含む多ブランドの新車・中古車を扱う輸入車ディーラーとなっている。ピステンブーリー(特殊無限軌道車両)などや、ファッション商品の輸入事業は継続している。
創業以来梁瀬一族による同族経営であったが、2003年(平成15年)以降は伊藤忠商事傘下での経営再建を行っている。輸入車販売が低迷するなか、中古車販売店「ブランドスクエア」に注力している。
芝浦本社の再開発
2011年(平成23年)、本館が1962年(昭和37年)、新館が1970年(昭和45年)の竣工であり老朽化していた本社社屋の解体・再開発が着手され[1]、2012年(平成24年)10月31日に鴻池組が施工した地上6階、高さ29.25m、延床面積23,975.63㎡(旧本社社屋の約1.6倍の延床面積)の新本社社屋が竣工し、同年12月1日より営業をスタートした。再開発は伊藤忠商事、日本土地建物などとの共同で行われ、新本社社屋のほか、34階建て、総戸数1,000戸規模の高層マンションが建設される[1]。
主な取扱ブランド(自動車)
- ダイムラー
- BMW(四輪車及び二輪車)
- フォルクスワーゲン (1953~1992年、2005年~)
- アウディ(1967~1992年、2002~2007年、2007年~)[2]
- ゼネラルモーターズ
- クライスラーLLC
- ボルボ・カーズ(1960~1974年、2006年~)[3]
- サーブ - 2010年(平成22年)10月ピーシーアイが輸入再開し、同時にヤナセグローバルモーターズで新車の販売を再開した。
過去に取り扱っていたブランド
- プリンス自動車 - 日産自動車と合併後もしばらくはスカイラインやグロリアなどを取り扱っていた。
- いすゞ自動車 - ピアッツァのヤナセ専売グレード「ネロ」、PAネロ[4]を販売した。
- ビュイック
- ポンティアック
- サターン
- オールズモビル
- レオ
- ボクスホール
- オペル - フォルクスワーゲン・アウディが輸入権返上に伴う対立から販売停止となった為、代わりに1993年(平成5年)から輸入開始。最盛期の1990年代中頃には年間3万台を超える販売を記録した。その後輸入権を日本GMに譲渡。2006年(平成18年)に日本市場撤退。
- アンフィカー - ドイツの水陸両用車。1960年代に5台ほど輸入。
- ウニモグ
- ルノー - 1994年(平成6年)から、ヤナセの全額出資子会社「フランス・モーターズ」が輸入販売していた。2001年(平成13年)にルノー・ジャポンに輸入権を譲渡し、解散。
- ボルボ - ヤナセの全額出資子会社「北欧自動車」が1960年(昭和35年)から1974年(昭和49年)までに5,048台を輸入販売したが、帝人系の「帝人ボルボ」に輸入権を譲渡し解散した。
ヤナセ自身が輸入を行っているわけではないが、部分的に関係のあるブランド
自動車以外の商品
- アラジンブルーフレームヒーター - イギリス製の石油ストーブ
- ハトラス - アメリカの高級クルーザー
- カーバー - アメリカのプレジャーボート
- シャルベ - フランスのドレスシャツブランド
- フレッド - フランスの高級宝飾ブランド(LVMH傘下)
- モラビト(MORABITO) - フランスの最高級バッグブランド
補足
- ↑ 1.0 1.1 1.2 東京・芝浦の本社:ヤナセ、300億円で再開発 『日本経済新聞』 平成23年5月3日朝刊
- ↑ 2002年、アウディジャパンとの共同出資で「ヤナセアウディ販売」を設立し最終的には20店舗が運営されていたが、2007年7月アウディジャパンが直販体制強化のためヤナセ側をほとんどの店舗と組織を買収し「アウディジャパン販売」として再スタートした[1]。 同年、子会社「ヤナセオートモーティブ」を新たに設立しアウディの販売を再開した。2008年6月23日現在直営8店舗。
- ↑ 2006年に子会社「ヤナセ・スカンジナビア・モーターズ」を新たに設立し、ボルボ・カーズ(1998年(平成10年)にフォード・モーターがボルボから乗用車部門を買収して設立)販売から撤退するスバル(富士重工業)系の販売・サービス網の各拠点を買い取る形で再参入。
- ↑ ジェミニの姉妹車でGMが北米で販売していたジオ・ストームの日本仕様。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 公式モバイルサイト
- ブランドスクエア
- ヤナセが輸入する自動車ブランドの変遷 -日本自動車輸入組合
- 『官報』1919年11月22日(国立国会図書館デジタル化資料)大正時代の柳瀬商会の広告