いすゞ・ピアッツァ

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ピアッツァPiazza )は、1981年よりいすゞ自動車が発売していたクーペ型の乗用車である。

1981年に絶版となった乗用車・117クーペの後継モデルであり、1991年には2代目モデルに移行した。1993年、いすゞ自動車はSUVを除く乗用車の開発・生産から撤退し、ピアッツァも消滅した。

概要

初代 JR120/130型(1981年-1991年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

  • 形式名:JR130(NA車)、JR120(ターボ車)

1979年、117クーペの後継モデルを計画したいすゞ自動車は、イタリアのデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ にそのデザインを依頼した[1]。翌1979年3月、ジウジアーロは「1980年代のボディライン」としてデザインカー「アッソ・デ・フィオーリ」(Asso di fiori、イタリア語でクラブのエース)をジュネーヴショーに出展、そのデザインカーの寸法を拡大、細部にリファインを加えて商品化されたクーペがピアッツァであった。

市販化を前提としてデザインされたショーカーといえども、内部機構とのすり合わせや生産性の考慮などの理由により完成時までには相当のスタイル変更を受けるのが通常であり、オリジナルのイメージをほぼ保ったままでの量産化というピアッツァの試みは世界中から驚きを持って受けとめられた。外観デザインはエッジの効いたボンネットと3ドアハッチバックの独特な形状で、ジウジアーロが提案したAssoシリーズの最終作にふさわしい完成度の高さであったのと同時に、空力が十分に考慮された先進的なものでもあった(CD値0.36)。ボンネットには、デビュー当時はフェンダーミラーが装着されていたが、1983年の道路運送車両法の改正に伴って、ドアミラーに変更された。

室内は、大人4人の乗車が可能な居住性を有した。エクステリア同様にインテリアもショーカーに極めて近く製品化された。サテライト式コクピットは極めて斬新なものであり、デジタルメーター(XES,XEに標準装備)に加えて、ステアリングから手を離さずにエアコンハザードスイッチ操作など、大抵の操作ができた。右手側にライトスイッチ等11項目、左手側にワイパーなど13項目(XE、OD付AT)の操作項目の操作部が配置されていた。サテライトにはシールが貼られた謎のスイッチがあったがそれはフォグランプのスイッチで、ランプ本体を装着すればオンオフ可能であった。シールを外すとフォグランプのアイコンが現れた。 室内にはさらにコンセプトモデルそのままの異常なまでのマニアックな拘りがある。エアコンの噴出し口が運転席側のフロントウインドー下の部分から12cm程度も上に競りあがって来る。 さらにオーナーすら気がつかない運転手足元の回転開閉するエアコン吹き出し口・助手席横にせり出すエアコン噴出し口など小さなギミックも満載であった。 装備としては、オートエアコンやマルチドライブモニター(JR130 XES,XE)、低速時には軽く、高速時走行時には重みを増すという車速感応型操舵力可変パワーステアリング、パワーウィンドウ等が装備され、安全装備としての後席3点式シートベルトの採用も先進的であった。また、特異なウォッシャーノズル内蔵のワンアーム式フロントワイパーが装備されていた。

機構

117クーペ同様のFR方式で、デビュー時のエンジンは初代ジェミニ(PF系)ZZ用の1800ccDOHCを1949ccにスケールアップしたDOHC(G200WN)と、117クーペ用のSOHC(G200ZNS)を改良したものを搭載。G200WNはエアフローメーターに世界で初めてホットワイヤを採用し、クランクセンサフォトダイオードを使用した無接触式(世界初)、ECUはダイアグノーシス(自己診断)機能を有する(世界初)ものであり、117クーペに搭載されたG200WEとは見掛けの出力が同じだけで内容的には別物である。

当時はエンジンのパワー競争が行われており、最高出力135ps(グロス値)トルク17kg-mでは不足とされ、1984年6月よりアスカ用エンジン[2]をベースとした2,000cc電子制御式ターボ付SOHCをラインナップに追加(1.9L DOHCは受注生産に)、ターボ付モデルは出力180ps[3]、トルク23kg-mを記録した。

トランスミッションは、5速MTと4速ATで、ATはアイシンワーナートヨタ以外に初めて供給した4速ATであった。

サスペンションは、前輪がダブルウィッシュボーン+コイルスプリング、後輪は3リンク(handling by LOTUSは5リンク)リジッド+コイルで、前後輪共にスタビライザーが付き、ホイール・アライメントは年式・グレードにより細かく異なる。

ステアリングギアボックスは、当初は一部のグレードがバリアブルギアレシオのマニュアルステアリングであったが、後に全車車速感応型パワーステアリング装備となる。ブレーキは、フロントが全車ベンチレーテッドディスク、ターボ車はリヤもベンチレーテッドディスクである。トルクウェイトレシオ70kg/kgm、パワーウェイトレシオは8.8であった。

歴史

  • 1981年6月 - 登場。
  • 1983年5月 - マイナーチェンジ。ドアミラーが装着された。
  • 1984年6月 - 前年に登場したアスカに搭載された、アスカ用エンジン(4ZC1-T)にインタークーラー付きターボエンジンを搭載したモデルを投入(「XE」、「XS」)。出力は180psで、当時2,000ccのOHCエンジンとしては日本一であった。
1.9L DOHCモデル(XG)を受注生産化。
  • 1985年11月 - 旧西ドイツのチューナーイルムシャー (irmscher) に足回りのチューニングを依頼したイルムシャーグレードを発売。しなやかな足回りに、ステアリングにMOMO、シートはレカロを採用した充実装備、イルムシャーシリーズ専用デザインのフルホイールカバーを装着したスポーティな外観を持っていた。
  • 1987年 - 通商産業省(現・経済産業省グッドデザイン賞部門別(輸送機器部門)大賞を受賞。
    • 8月 - 一部改良。テールランプの大型化やアルミホイールの意匠変更、コンソール/ステアリングのデザイン変更など。84年6月より受注生産だった1.9L DOHCを廃止。2L版の出力表示をネット化(180ps→150ps、1.9L SOHCはグロス表示(120ps)のまま)。
  • 1988年6月 - ロータス社との技術提携により、「ハンドリングバイロータス」 (handling by LOTUS) 仕様が追加。MOMOステアリング、ロータスチューンドサスペンション、英国アームストロング製ド・カルボン型ショックアブソーバー、BBS製2ピースアルミホイール、レカロにも負けないと評された7項目調節機構付リアルバケットシート等を装備。このモデルで国内モデルでは初めてリヤサスペンション形式が変更され、それまでの3リンクから5リンクとなった。1.9L版を廃止し2Lターボに一本化。
  • 1990年 - 最後のモデルとして「ハンドリングバイロータスリミテッド」を追加。外観の差はリミテッドのデカールのみであるが、シートが部分皮革仕上げとなり、LSDが標準装備となっている。
  • 1991年8月 - 販売終了。総生産台数11万3,419台[4]

ピアッツァ・ネロ

日本国内でピアッツァは、ヤナセによっても販売され、その際に冠された名称が「ピアッツァ・ネロ(Piazza Nero)」である。これは、1971年以降ゼネラル・モーターズ(GM)傘下であって国内販売網の拡大を意図したいすゞと、日本におけるGM車の正式な輸入代理店であり、販売車種の拡大を意図したヤナセとの提携の結果であった。

ネロとはイタリア語の「黒」で、高級・スポーティーなイメージを表現する。内外装をその名の通りのブラックやピンストライプなど、いすゞ販売車にはみられないものを用意し差別化が図られていた。その他、ピアッツァの特徴であった異形2灯ヘッドライトが1984年より輸出型の4灯に変更され、更に1988年にはIMPULSE用のボンネットフードの採用と可動式ヘッドカバーの廃止が行われた。

日本国外での販売

欧米に輸出され、北米市場では「Impulse」(インパルス)(en:Isuzu_Impulse)の名称で販売された。また、オーストラリアでは、同じくGM系の自動車会社ホールデンによって、「ホールデン・ピアッツァ」として販売された。

2代目 JT221型(1991年-1993年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 2代目モデルはプラットフォームジェミニと共有する。 いすゞは、ゼネラルモーターズ向けに生産した3代目ジェミニの派生車種「ジオ・ストーム」をベースに、北米市場で「いすゞ」ブランドで展開する乗用車として2代目「インパルス」を開発、1990年より北米で発売する。ストームをベースとして派生モデルを作成することは、同車開発時より考慮されていたことである。インパルスは当初から日本への展開も予定されており、1991年8月より日本国内向けに仕様を変更して、2代目ピアッツァとして販売が開始された。エンジンはジェミニに搭載される4XE1ボア(80mm)をそのままに、ストロークを延長(79→90mm)した4XF1型を搭載。グレード名の「181XE」や「181XE/S」の“181”とは4XF1の総排気量約1.81L(厳密には1,809cc)を表した。

デザインは「インパルス」、「ピアッツァ」ともに中村史郎が担当し、スマートな形状のストーム・ジェミニクーペに対して、力強さをアピールし、がっちりとしたフォルムを出すことで差別化を図っている。前後のエアダムスポイラーと可動式ヘッドランプカバーが外観における特徴となっている。

1993年3月 - いすゞの乗用車自主生産撤退により、本車がいすゞが開発した最後の乗用車になった。総生産台数はいすゞからは公表されていないが、米Ward's Communications発行のWard's Automotive Yearbook誌[5]によると米国販売台数は9,716台、カナダ販売台数は4,579台となっている。なお、日本国内での登録数は1,200台未満であった。

機構

駆動方式は前輪駆動。エンジンは1800ccDOHCの4XF1型で、これはジェミニやロータスエランに搭載された4XE1型をストロークアップしたものである。変速機構は5MTと4ATサスペンションは3代目ジェミニ同様、ストラット式をベースに後輪には4WSの一種であるニシボリック・サスペンションを装備する。また、2代目ピアッツァについては開発過程でロータスが監修しており、生産車すべてが「ハンドリングバイロータス」仕様である。

ピアッツァ・ネロ

先代モデル同様、ヤナセにおいてはピアッツァ・ネロとして販売された。いすゞで販売されていたモデルとの差異は小さく、独自のセンターグリルエンブレム・ステッカー類や内装の柄の違い、ボディカラー設定程度であった。ネロは、初代、2代目合計で11,656台が販売された。

なお、ヤナセから販売されたいすゞ車としては他に、3代目ジェミニベースの北米向けクーペであるジオ・ストームを日本国内向けに変更した、PA NERO(PAネロ)があった。

日本国外での販売

北米では初代モデルに続いて「インパルス」として販売された。インパルスはフロントバンパーが異なるためピアッツァよりも全長が短く、エンジンはジェミニ用の1,600ccターボ(=4WD)、インパネもジオ・ストーム(PAネロ)のものと同じで、いすゞ版ジオ・ストームという位置付けであった。国内向けモデルのリヤクロスメンバーがジェミニ4駆モデルと同じなのは、この海外向けモデルの存在と関係する。ストームがベースとなったインパルスでは、この顔をしたハッチバック(2BOX)モデルもラインナップされていた。

また、カナダではGM系ブランド「アスナ」向けに「サンファイア」として供給されていた。

車名の由来

  • イタリア語で「広場」の意味で、1980年代の車社会において広場のような価値観の車であることを願って命名されている。

その他

脚注

  1. Alfieri, Bruno (ed.) (1987). Giugiaro Italdesign Catalogue Raisoné 1959–1987, Vol. 2. Milano, Italy: Automobilia International Publishing Group. pp. pp. 108–109
  2. アスカ用は横置き
  3. グロス値。1987年8月にネット換算され150psとなる
  4. いすゞ自動車Webサイトより
  5. ISBN 9780910589123

関連項目

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外部リンク

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