円谷プロダクション
円谷プロダクション(つぶらやプロダクション)は、日本の独立映像製作会社。
円谷英二により設立された後、幾たびか経営母体が変遷し、現在はフィールズグループ傘下にある。
目次
概要
高度な特殊撮影技術を用いた作品を作ることで知られ、ウルトラシリーズを始めとする数多くのテレビ番組や劇場用映画を製作し続けている。
経営母体の変遷
円谷プロの作品は、ウルトラシリーズに代表される様に、クオリティの高い作品が多いが、それゆえに1本当りの制作費が高くなり、作れば作るほど制作費の赤字がかさむという負の連鎖に長年悩まされていた。やがてこの問題は、同社の経営に度々大きく影響を及ぼしはじめた。
東宝傘下時代
創設当初は創設者の円谷英二の出身映画会社である東宝との結びつきが強く、円谷プロの筆頭株主にもなっており、東宝役員が非常勤役員を兼ねたり、支配人など事務系スタッフを出向させていた。また、同社砧撮影所や傍系スタジオである東宝ビルト(東京美術センター)の施設を円谷プロに提供したり、東宝受注のテレビ映画を孫受け発注するなどしていた。
『怪奇大作戦』が終了する頃になってもテレビ局からの新番組の発注はなく仕事が途絶える。経営に行き詰まった円谷プロは資金調達のために1968年に増資。筆頭株主の東宝はこれを引き受け、円谷プロの60%の株を取得して子会社化。社長は円谷英二だが、東宝からは7人の役員が派遣され、東宝の藤本真澄も代表権を持った。専務は円谷皐、取締役には円谷一や有川貞昌などが就任。東宝はリストラによる経営再建策で、金城哲夫らの所属する企画文芸部を廃止して、約150人いた社員を40人にまで圧縮したテンプレート:Sfn[1]。滞っていた業者への支払いや借金返済についても、親会社となった東宝の力によって5年間の猶予期間が設けられ、そのおかげで円谷プロは制作を継続することができた[2]。
1979年(昭和54年)、劇場用に再編集された「ウルトラマン」が松竹富士系で大ヒットした際、「キネマ旬報」誌に、ライバルの松竹陣営に塩を送った格好の東宝は渋い顔という記述がある(東宝での配給は断ったという)。
経理は東宝の出向重役が管理しており、代表印も東宝側が保有していた。これにより東宝のメインバンクであった三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)からの融資も容易になっており、経営難を乗り越えることができていたテンプレート:Sfn。
しかし三代目社長の円谷皐はこの状況を快く思っておらず、1992年にTBSへ期限付きで譲渡していたウルトラシリーズの販売権や窓口権が戻ってくると、これらの権利を担保に得た資金で円谷の事実上の個人会社であった円谷エンタープライズが東宝の保有する円谷プロ株を買い取り、東宝との資本関係を解消したテンプレート:Sfn。
円谷家経営時代
円谷プロ株は、円谷皐が過半数の株を取得する円谷エンタープライズが45.5%を保有し、円谷皐も個人として円谷プロ株の15%を所有しており、円谷皐が株の過半数を握るオーナー社長として経営にあたったテンプレート:Sfn。
1995年に円谷皐が死去すると、息子の円谷一夫がオーナー社長の地位を引き継いだ。21世紀初頭からは、テレビシリーズの本格的再開に伴う制作費の増加の一方で大ヒットに恵まれなかったこと、東宝から離反による後ろ盾の三和銀行をなくしたことによる経営基盤の弱体化テンプレート:Sfn、さらにかねてからのTBSとの関係悪化テンプレート:Sfnなどで経営が悪化し、2007年(平成19年)2月期決算では、売上高約56億円に対して、当期純利益は約4,400万円にとどまった。累積赤字が重なり倒産への危機感から、円谷一夫への不満を募らせた役員の間から円谷昌弘への社長交代の要望が出され、2003年に経営体制を一新。円谷一夫が代表権を持つ会長に、制作部プロデューサーだった円谷昌弘が社長に就任し、円谷プロを退社していた円谷粲と円谷英明が復帰して一族で経営にあたることになったテンプレート:Sfn。一方、高野宏一専務ら古くからの役員は、この過程でバンダイの乗っ取りに加担するクーデターを計画したとして、辞表を出すように要求され、円谷プロを去ることになった[3]。 しかし2004年になって円谷昌弘はスキャンダルにより、社長を弟の円谷英明と交代テンプレート:Sfn。経理の正常化を目指した円谷英明もまた1年後に役員会で解任動議が出され、過半数の株を持つ会長の円谷一夫の同意により、社長職を解任されたテンプレート:Sfn。そして、東宝不動産の取締役だった大山茂樹を社長に招聘したものの、2007年6月の取締役会で、大幅なリストラを主張した大山を円谷一夫が解任し、円谷一夫が再び社長を兼任するなど、短期間で社長が交代する混乱を見せたテンプレート:Sfn。
TYOの連結子会社化
銀行からの融資がストップし、30億円の累積赤字を抱えて、2007年に円谷プロは倒産の危機に直面した。そこで円谷プロの非常勤役員だった森島恒行の紹介により、CM映像コンテンツ製作などを手がける映像大手会社の株式会社TYOから当面の資金繰りのために数千万円の融資を受ける。しかし返済できずに担保となっていた円谷プロ株の45.5%を所有する円谷エンタープライズの過半数の株をTYOが取得。さらにTYOが第三者割当増資で取得した株式と合わせて、円谷エンタープライズの筆頭株主(80%保有)となった。また、円谷一夫が当時保有していた円谷プロ株式の大半(22.5%)を円谷エンタープライズに譲渡することにより、円谷エンタープライズにおける円谷プロ株式の保有比率を45.5%から68.0%に引き上げた。これらのプロセスを経て、円谷プロの経営権はTYOが取得して、TYOグループ入りしたテンプレート:Sfn。
TYOの経営参画後は、円谷一夫が円谷プロ、円谷エンタープライズの両社の取締役会長として残ったものの、円谷プロ創業以来続いてきた創設者一族の円谷家による同族経営に、終止符がうたれることとなった。
バンダイナムコグループの資本参加
その後、TYOによる内部的な組織改革などが進み、これらと平行して、円谷とはウルトラシリーズで強い縁を持つバンダイナムコグループ(以下、BNG)が資本参加。2008年(平成20年)1月、TYOは、持ち株のうち33.4%を、BNGの子会社であるバンダイに譲渡売却。2009年(平成21年)7月には更なる株式譲渡が行われており(現在のバンダイ持ち株比率は49%)、BNGの円谷における経営発言力は増加している。
そしてこの間に、円谷一夫は取締役会長から名誉会長へ退き、その名誉職も2009年に退任となり、これで円谷家は円谷プロの経営から一切排除されることとなった。
フィールズの連結子会社化
2010年(平成22年)4月2日、TYOは保有する51%の株式すべてを、パチンコ開発販売会社のフィールズ株式会社に売却、円谷プロはフィールズの子会社となった[4][5]。
歴代社長
歴代 | 氏名 | 在職期間 | 備考 |
---|---|---|---|
初代 | 円谷英二 | 1963年 - 1970年 | 円谷プロダクション創立者 |
2代目 | 円谷一 | 1970年 - 1973年 | 円谷英二の長男 |
3代目 | 円谷皐 | 1973年 - 1995年 | 円谷英二の次男 |
4代目 | 円谷一夫 | 1995年 - 2003年 | 円谷皐の長男 |
5代目 | 円谷昌弘 | 2003年 - 2004年 | 円谷一の長男、女性社員へのセクハラ問題で退任 |
6代目 | 円谷英明 | 2004年 - 2005年 | 円谷一の次男 |
7代目 | 大山茂樹 | 2005年 - 2007年 | 東宝不動産の取締役から招致、円谷家以外から初の社長就任 |
8代目 | 円谷一夫 | 2007年 | 大山茂樹を解任して復帰 |
9代目 | 森島恒行 | 2007年 - 2008年 | 円谷エンタープライズの創設に参加 |
10代目 | 大岡新一 | 2008年 - 現在 | 円谷プロダクションの生え抜きカメラマン |
歴史
- 1948年 - 太平洋戦争中に戦意高揚映画を撮影したことから東宝を公職追放(依願解雇)された円谷英二が、自宅に特殊映画技術研究所(通称「円谷研究所」)を設立。
- 1950年 - 東宝砧撮影所内へ研究所を移転。
- 1952年 - 円谷英二、公職追放解除で東宝に戻る。
- 1956年 - 新たに、円谷英二自宅に「円谷特技研究所」を設立。
- 1963年4月12日 - 円谷特技研究所を法人化、「株式会社円谷特技プロダクション」を設立[6]。
- 1963年10月27日 - 円谷特技プロとしての初仕事となる映画『太平洋ひとりぼっち』が公開[7][6]。
- 1964年3月30日 - 東宝が資本と役員を投入。東宝傘下になると同時に砧撮影所近くの衣装部倉庫を円谷特技プロダクションに提供。このときにうしおそうじらが去る[8]。
- 1966年1月2日 - 初のテレビシリーズ『ウルトラQ』が放映されウルトラシリーズ開始
- 1966年7月17日 - 初のカラーテレビシリーズ『ウルトラマン』が放映開始。
- 1968年 - 円谷皐がフジテレビを退社して、円谷プロへ入社。
- 1968年4月1日 - 番組販売業務を担う子会社として「円谷エンタープライズ」を円谷皐が設立。
- 1968年12月6日 - 東宝が増資を引き受けて60%の株を持つ親会社に。役員10人中、7人が東宝からの派遣に。「株式会社円谷プロダクション」に改名[6]。同時に円谷皐は専務に就任。東宝の主導で150人の社員が40人にまでリストラし、企画文芸部も廃止。
- 1969年 - 金城哲夫、上原正三、池谷仙克が退社。
- 1970年1月25日 - 円谷英二の病死により、円谷一が2代目社長に就任。
- 1973年2月 - 円谷一の急死により、円谷皐が3代目社長に就任。同年、田口成光が退社。
- 1976年10月 - 実写とアニメによるテレビシリーズ『恐竜探険隊ボーンフリー』が放映開始。
- 1979年4月 - 自社初の完全アニメーション作品の『ザ☆ウルトラマン』が放映開始。
- 1981年 - 高野宏一が取締役に就任。
- 1983年4月 - 円谷一夫と円谷英明が入社テンプレート:Sfn。
- 1984年 - 経営危機に陥り倒産回避のため、この年より7年間の期間限定で『ウルトラQ』から『ウルトラマンタロウ』番組販売権と窓口権をTBSに数千万円で売却テンプレート:Sfn。
- 1987年 - 世界進出を目指してハリウッドに現地法人の子会社ウルトラコムを設立して『ウルトラマンUSA』を公開。
- 1989年6月 - 円谷粲が退社し、7月に資本関係のない円谷映像を設立[9]。
- 1990年 - オーストラリアの制作会社との合作『ウルトラマンG』を公開。
- 1991年 - 中華人民共和国上海市にアニメ制作会社の円谷アニメーションスタジオカンパニーを設立[10]。
- 1991年 - 隣接地のアパート・一軒屋を購入。母屋敷地は東宝所有のまま。業務使用の他、撮影にも使用(グリッドマン等)
- 1992年 - 親会社の東宝から自社株を買い戻し、東宝傘下から独立。円谷皐が過半数の株を取得して経営権を掌握。諸権利を円谷プロ、円谷エンタープライズ、円谷音楽出版(円谷ミュージック)の3社に配分テンプレート:Sfn。
- 1995年5月 - 円谷皐が病気により社長を退任。円谷一夫が4代目社長に就任。12月に円谷皐が死去し、円谷プロの過半数の株を円谷一夫が相続テンプレート:Sfn。
- 1996年3月 - 熊本県荒尾市に直営テーマパークのウルトラマンランドを開園。
- 1996年8月15日 - アメリカ法人のウルトラコムを解散[11]。
- 1996年9月7日 - ウルトラシリーズ16年ぶりの新作『ウルトラマンティガ』が放映された。
- 1998年 - タイのチャイヨー・プロダクションとの間でウルトラマンシリーズの日本国外での権利をめぐるいわゆる「ウルトラマン裁判」が始まる。
- 2002年5月 - 円谷粲が副社長として再入社して、製作部を担当[9]。
- 2002年6月 - 資金繰りに行き詰まり、銀行からの借り入れも出来ずにバンダイから経営改善を条件に12月を返済期限に2億円の融資を受ける[3]。
- 2003年 - クーデターを企てたとして辞表を提出させられていた高野宏一専務他6人の取締役が退任。高野は円谷プロを提訴[3]。右田昌万が退社。
- 2004年6月 - 円谷英明が6代目社長に就任
- 2005年 - 本社を世田谷区砧から同区八幡山に移転。砧の旧本社は改装し、砧社屋として、怪獣等の着ぐるみの保管やCG製作に使用された後、2008年(平成20年)に取り壊し。同年、円谷英明社長が退任し大山茂樹が7代目社長に就任。円谷粲副社長が退社[9]。
- 2007年 - 円谷プロの過半数の株をTYOが取得して子会社化。設立以来の円谷家による同族経営に終止符が打たれた。10月31日をもって、俳優・タレントのマネジメント部門である「芸能部」が解散となった。
- 2008年1月7日 - 円谷エンタープライズ、同じTYO傘下の製作プロダクション「ビルドアップ」、円谷プロダクションの3社が合併。円谷プロが存続会社となり、TYOの完全子会社化が完了した。ビルドアップは「円谷プロの特撮製作セクション」として再スタートし同時に資本金を1,000万円から3億1,000万円へ大幅増資。
- 2008年1月21日 - ウルトラシリーズの玩具を長年手がけてきたバンダイがTYOより株式33.4%を取得し円谷プロに出資、同時に従来は年毎更新であった円谷プロ作品の商品化権の独占化を達成する。同月末、丸山浩が退社。
- 2008年2月6日 - 砧社屋(旧本社)を閉鎖、敷地を東宝へ返却及び隣接地の自社所有分を東宝不動産へ売却して取り壊しを発表。最後のマスコミ向け公開を実施[12]。
- 2010年4月2日 - TYOは保有する全株式を株式会社フィールズに譲渡。円谷プロはフィールズの連結子会社となる。
- 2011年7月 - 本社を世田谷区八幡山から渋谷区桜丘町に移転した。
- 2013年9月1日 - ウルトラマンランドが閉園した。
作品
テレビ
- ウルトラシリーズ
- 詳しくは「ウルトラシリーズの作品一覧」を参照。
- 快獣ブースカ(1966年11月 - 1967年9月、日本テレビ系)
- ブースカ! ブースカ!!(1999年10月 - 2000年6月、テレビ東京系)
- マイティジャック(1968年4月 - 6月、フジテレビ系)
- 戦え! マイティジャック(1968年7月 - 12月、フジテレビ系)
- 怪奇大作戦(1968年9月 - 1969年3月、TBS系)
- 怪奇大作戦 セカンドファイル(2007年4月、NHKデジタル衛星ハイビジョン)
- 怪奇大作戦 ミステリー・ファイル(2013年10月、NHK BSプレミアム)
- 独身のスキャット(1970年1月 - 3月、TBS系)
- チビラくん(1970年3月 - 1971年9月、日本テレビ系)
- ミラーマン(1971年12月 - 1972年11月、フジテレビ系)
- レッドマン(1972年4月 - 10月、日本テレビ系)
- トリプルファイター(1972年7月 - 12月、TBS系)
- 緊急指令10-4・10-10(1972年7月 - 12月、NET系)
- ファイヤーマン(1973年1月 - 7月、日本テレビ系)
- 恐怖劇場アンバランス(1973年1月 - 4月、フジテレビ系)
- ジャンボーグA(1973年1月 - 12月、毎日放送制作・NET系)
- 東海テレビ昼の帯ドラマ(東海テレビ制作・フジテレビ系)
- あなたの世界旅行(1974年)
- SFドラマ 猿の軍団(1974年10月 - 1975年3月、TBS系)
- 円谷恐竜三部作
- 恐竜探険隊ボーンフリー(1976年10月 - 1977年3月、NET系)
- 恐竜大戦争アイゼンボーグ(1977年10月 - 1978年6月、東京12チャンネル系)
- 恐竜戦隊コセイドン(1978年7月 - 1979年6月、東京12チャンネル系)
- プロレスの星 アステカイザー(1976年10月 - 1977年3月、NET系)
- 土曜ワイド劇場(テレビ朝日系)
- 怪奇!巨大蜘蛛の館(1978年8月)
- 白い手 美しい手 呪いの手(1979年8月)
- 怨霊!あざ笑う人形(1980年8月)
- 怪奇!金色の眼の少女(1980年12月)
- 眼の中の悪魔(1984年8月)
- 呪いのマネキン人形(1984年8月)
- 赤い蛍は血の匂い(1986年2月)
- 御主人を殺してあげます
- スターウルフ(1978年4月 - 9月、日本テレビ系)
- ぼくら野球探偵団(1980年4月 - 9月、東京12チャンネル系)
- 時代劇スペシャル(フジテレビ系)
- 火曜サスペンス劇場(日本テレビ系)
- 乱れからくり ねじ屋敷連続殺人事件(1982年3月)
- 可愛い悪魔(1982年8月)
- 相沢夏子の失われた名誉(1983年3月)
- 麗猫伝説(1983年8月)
- 二人の女(1983年12月)
- 私が死んだ夜(1985年12月)
- グルメを料理する十の方法(1987年7月)
- 猫に憑かれた花嫁(1987年8月)
- 殺意の証明(1987年11月)
- アンドロメロス(1983年2月 - 4月、TBS)
- 木曜ゴールデンドラマ(よみうりテレビ制作・日本テレビ系)
- 二人なら生きられる(1985年12月)
- 姑VS嫁・笑って乾杯!(1985年12月)
- 姑VS嫁・姑の心意気(1986年8月)
- 紅に燃えるとき(1986年11月)
- 初婚・再婚・二人三脚(1986年12月)
- 女は海(1987年6月)
- 泣きもせず・ん!(1988年4月)
- 背中合わせに愛(1988年7月)
- 燃えて生きる(1988年8月)
- 父の贈りもの(1989年3月)
- 待てば海路の秋日和 息子の結婚(1989年9月)
- 妻が家を出るとき(1990年8月)
- 月曜ドラマランド ザ・サムライ(1986年2月、フジテレビ系)
- AM3:00の恐怖(1987年10月 - 1988年3月、フジテレビ系)
- 月曜女のサスペンス(テレビ東京系)
- 復讐の滑走路灯(1988年4月)
- 狙われた目撃者(1988年7月)
- 闇の中の女(1988年9月)
- 水子地蔵は呪いの因縁(1990年1月)
- 文学賞殺人事件 断崖に舞う女(1990年5月)
- 少女誘拐殺人事件
- 不思議なクリスマス
- 電光超人グリッドマン(1993年4月 - 1994年1月、TBS系)
- ムーンスパイラル(1996年5月、日本テレビ系)
- サイバー美少女テロメア(1998年4月 - 6月、テレビ朝日系)
- 生物彗星WoO(2006年4月 - 8月、NHKデジタル衛星ハイビジョン)
映画
- 怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス(1972年12月、東宝系)
- 極底探険船ポーラーボーラ(1977年9月、東宝東和系)
- アニメちゃん(1984年7月、松竹系)
- 勝利者たち(1992年10月、東宝系)
- ミラーマンREFLEX(2006年1月、ゼアリズエンタープライズ系)
オリジナルビデオ
- 餓鬼魂(1985年12月、東芝)
- オタスケガール(2003年6月 - 8月、アミューズソフトエンタテインメント)
- ミラーマンREFLEX(2006年3月 - 5月、バップ)
CM
舞台
- 銀色の少年(2004年10月)
- 独りぼっちの地球人 feat. ULTRASEVEN(2013年7月)
制作協力
- 太平洋ひとりぼっち(1963年10月、特殊技術提供)
- Sindbad Alibaba and Aladdin
- ナショナル劇場(タイトルコール映像)
- 愛と死と
- 氷点
- 人妻椿
- 愛染椿
- 越前竹人形
- 婚期
- 五番町夕霧楼
- 新妻鏡
- 鞍馬天狗
- 江戸の旋風
- 江戸の渦潮
- 江戸の激斗
- 江戸の朝焼け
- 西遊記(1978年)
- 時代劇スペシャル 仕掛人・藤枝梅安
- 江戸芙蓉堂医館
- 戦国の女たち
- バイト人生百発百中
- 笑ってポン!(出演怪獣の提供)
- S.F.3.D NUT ROCKER
- キャプテンパワー(日本語版制作協力)
- 精霊使い
- ミュータント・タートルズ 超人伝説編(アニメーション制作)
- 楽勝!ハイパードール
- キューティーハニーFX(アニメーション制作協力)
- ポケットモンスター(アニメーション協力)
- ドリームキッズ(協賛)
- ビーストウォーズII 超生命体トランスフォーマー ライオコンボイ危機一髪!(アニメーション協力)
- ハーロック・サーガ ニーベルングの指環
- F-ZERO ファルコン伝説(3D-CGI協力)
- ドラゴンドライブ(第12話制作協力)
- 鍵姫物語 永久アリス輪舞曲(第3話、第8話、第13話のアニメーション制作協力)
- RAY THE ANIMATION(原画)
- かみちゅ!
- 魔法先生ネギま!
- D.C.S.S. 〜ダ・カーポ セカンドシーズン〜(アニメーション協力)
- 実録レンジャー訓練 〜RANGER〜
- 環境超人エコガインダー(キャラクター造形)
- 環境超人エコガインダーII(キャラクター造形)
- ゆめまち観音
- ゴジラ FINAL WARS(特典映像の製作協力)
- 仮面ライダー THE NEXT(VFX協力)
- ラストレムナント(モーションキャプチャー)
- BATON
- デスカッパ
- 僕と妻の1778の物語
- HUNTER〜その女たち、賞金稼ぎ〜(第1話撮影協力)
- ギンガムチェック(ミュージック・ビデオの特撮シーン制作協力)
- なめこスクールウォーズ
- 星新一ミステリーSP(美術協力)
- 世界がビビる夜
ヒーロー一覧
- 「ウルトラシリーズ」より
- 詳しくは「ウルトラマン一覧」を参照。
- 「レッドマン」より
- レッドマン
- 「ミラーマン」より
- ミラーマン
- 「トリプルファイター」より
- グリーンファイター
- レッドファイター
- オレンジファイター
- トリプルファイター
- 「ファイヤーマン」より
- ファイヤーマン
- 「ジャンボーグA」より
- ジャンボーグA
- ジャンボーグ9
- 「恐竜大戦争アイゼンボーグ」より
- アイゼンボー
- 「恐竜戦隊コセイドン」より
- コセイダー
- 「プロレスの星アステカイザー」より
- アステカイザー
- 「アンドロメロス」より
- アンドロメロス
- アンドロウルフ
- アンドロマルス
- アンドロフロル
- 「電光超人グリッドマン」より
- グリッドマン
- 「ミラーマンREFLEX」より
- ミラーマンREFLEX
- 「生物彗星WoO」より
- アイ吉
エピソード
エイプリルフール
2000年代後半から、エイプリルフールになると、インターネット上で手の込んだネタを発表することでも知られる[13][14]。これらのネタは公式サイト「円谷ステーション」を運営するサイバーエデン(円谷英二のひ孫にあたる円谷洋平が社員として所属するweb制作会社)が企画し、最後に円谷プロが監修するという形をとっている[14](2010年時点)。これまで発表された主なネタは下記の通り。
- 2005年 - バルタン星人が円谷プロダクション公式サイト「円谷ステーション」を乗っ取る。円谷プロダクション公式サイトでのエイプリルフールネタの第一号[14]。
- 2006年 - SNSサイト「エムナナハチ(m-78)」(mixiのパロディ[14])。
- 2007年 - 前回と同じく「エムナナハチ」。前回、アクセスが集中してしまったためにサーバダウンを起こし、観覧できなかったファンから苦情が寄せられたこともあり、ウルトラの父による謝罪文を掲載。実際にサーバー環境の増強も行われた[14]。前日がウルトラマンメビウスの最終回であったこともあり、メビウスのアカウントでログインする形になっていた。
- 2008年 - カネゴンによるアフィリエイトブログ「カネゴンの78ちゃんねるまとめサイト」(2ちゃんねる系まとめサイトのパロディ[14])。ウルトラ兄弟やウルトラ怪獣達が2ちゃん語やVIP語で会話を繰り広げるという珍妙な光景が繰り広げられた。また、一部には特撮!板のウルトラネタも含まれていた。
- 2009年 - 前回に引き続きカネゴンのブログに加え、ゴモラ・ゾフィー・ザギなどのブログも閲覧できるようになっていた。ゴモラのブログ(しょこたん☆ぶろぐのパロディ)に書かれたメールアドレスに応援メールを送信すると個別に本獣からの返信があったが、メールが殺到したためか返信が翌日に持ち越されたりした人もいた。また、ニコニコ動画のパロディ「シュワシュワ動画」も開設。公式配信されている動画のほかに、当時のニコニコ動画で人気だった動画のパロディも表示された。
- 2010年 - Twitterのパロディ[14]「円谷ッター(ツブッター)」を開設。主要ウルトラマンや怪獣・宇宙人たちが24時間ほぼリアルタイムで“つぶやき”続けた[注 1]。この他、シュワシュワ動画では生放送も実施。放送中に発表された「ウルトラマン80放送30周年記念・DVDボックス」は実際に発売されることになった。なお、「Twitterのパロディ」というアイディアは以前からあり、当初は名称も「デュワッター」だったが、わかりにくいという理由で「円谷ッター」に変更された[14]。
- 2011年 - 東北地方太平洋沖地震への配慮から、この年の企画は行われなかったが、代わりに「ウルトラ5つの誓い2011」がYouTubeで配信された[15]。
- 2012年 - イベントに携わっていた円谷洋平が転職したことを機に行われないことを、Twitterで経緯とともに告知。
人気投票
2010年と2013年の2度に渡り、インターネット上で歴代キャラクターの人気投票を実施している。
- 2010年「円谷ヒーロー・怪獣&宇宙人ランキング」 - 映画『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』公開記念で実施[16][17]。
- 2013年 - 円谷プロダクション設立50周年記念で実施。「ウルトラ怪獣総選挙」の方はYahoo! JAPANの協力により特設ウェブサイトが設置されたため、「ウルトラヒーロー総選挙」を上回って投票総数が80万近くに上る結果となった[18][19]。
- 「ウルトラヒーロー総選挙」 : 1位 ウルトラマンティガ、2位 ウルトラマンゼロ、3位 ウルトラマンメビウス
- 「ウルトラ怪獣総選挙」 : 1位 ゼットン、2位 バルタン星人、3位 ゴモラ
その他
- 祖師ヶ谷大蔵駅近くに旧本社があったことから、周辺の商店街は「ウルトラマン商店街」として営業中であるが、この町おこしプロジェクトにおいて円谷プロはウルトラマンの版権を無償提供している。
- 2005年9月 - 移転して間もない本社ビルの地下部分が豪雨により水没した。
- 2011年7月 - 渋谷区桜丘町に本社を移転した。
所属スタッフ
過去の所属スタッフ
過去の関連スタッフ
円谷プロダクション芸能部
円谷浩をマネジメントする目的で設置され、円谷浩が他社へ移籍した後も所属タレント、俳優のマネージメントを行っていたが、慢性的な赤字体質を脱却できず、経営改革に伴い2007年10月31日をもってセクションを閉鎖した。閉鎖後、所属タレントの一部とスタッフの大半は、円谷ミュージックの新会社「T.M.Lab」に移籍していたが、2013年11月末をもって「T.M.Lab」がプロダクション、マネージメント業務を終了したため、所属していた大半の俳優は新設の芸能事務所「Vif(ヴィフ)」に移籍した。
過去の所属タレント
男性
- 飛鳥信(現:アール・クルー)
- アライタカシ(現:エル・アミティエ)
- 市村直樹(現:アール・クルー)
- 打出親五
- エド山口(現:アール・クルー、オフィス・オーパと業務提携)
- 遠藤哲司
- 大橋祐太郎
- 影丸茂樹(現:オー・エス・ピー)
- 柏木佑介(現:オー・エス・ピー)
- 川村悠椰(現:アール・クルー)
- 岸田真弥(旧名:川岸晋也、岸田新也、現:ジェイ・クリップと業務提携)
- 佐原健二(現:佐原プロモーション)
- 周防進
- 須藤学
- 円谷皐
- 円谷浩
- 東城大
- 外島孝一(現:アズリードカンパニー)
- 成元一真(現:Vif)
- 原武昭彦(現:アール・クルー)
- 原元大仁
- 古谷敏
- 洞内秀幸(旧名:洞内秀、現:Vif)
- 前田益弘
- Masahiro.
- 松原剛志
- 右田昌万(俳優としても所属)
- 三村幸司(現:BOSアクションユニティ提携メンバー)
- 三宅敏夫
- 三輪治輝
- 満田かずほ
- 谷嶋俊
女性
- 青山梨子
- 安藤咲(現:Vif)
- 磯崎亜紀子
- 伊東香緒(旧名:伊東花桜、伊東佳乙、現:Vif)
- 岩佐まり(旧名:岩佐真理子、現:オールウェーブ・アソシエツ)
- 岩崎光里(現:アール・クルー)
- 大水亜里紗
- おかのみさと(旧名:鈴木みさと)
- 岡本さとこ(旧名:岡本さと子)
- 落合ひとみ(現:オフィスPSC)
- 小野日路美(現:Vif)
- 鎌田葉月
- クノ真季子(旧名:久野真紀子、久野翔子、現:フェニックス)
- 倉田いづみ
- 五藤圭子(現:Vif)
- 高橋愛子
- 高橋沙也(現:アール・クルー)
- 多田あやか(現:A-PRO)
- 立原ありさ
- 長井ゆめの
- 中村薫
- 蜷川香子
- 平山さとみ(現:生島企画室)
- 松澤友梨
- 松本智代美
- 三上ユリエ(現:A-PRO)
- 三井智映子
- 山田ふしぎ(旧名:山田恭子、現:81プロデュース)
- 湯田美由紀
- わかばかなめ(旧名:若葉要、現:ドリーヴス)
グループ
円谷プロダクションから独立した会社
- 日本現代企画(小林哲也)
- 創英舎(小林煕昌)
- 円谷映像(現:円谷エンターテインメント、円谷粲)
- 円谷コミュニケーションズ(現:円谷ドリームファクトリー、円谷英明)
- T.M.Lab(玉川静子)
- International Digital Artist(岡部淳也)
関連施設
砧社屋
円谷プロダクションの初代社屋。元々は東宝砧撮影所で京都衣装(現:東宝コスチューム)の衣装倉庫として使用されていた施設であり、1964年に東宝が資本参加した際に円谷プロダクションへ提供されたテンプレート:Sfn。京都衣装以前は医療関係の建物であったとされるテンプレート:Sfn。
2005年の本社移転に伴い名称をKinuta Digital Symphony(KiDS)とし、CG部門の編集スタジオとして使用されていたが、2008年に解体された。
『快獣ブースカ』の大作研究所や『ウルトラセブン』第8話の警察署などは砧社屋の建物を使用して撮影されているテンプレート:Sfn。
円谷プロ製作以外の作品では、『有言実行三姉妹シュシュトリアン』第40話「ウルトラマンに逢いたい」のロケ地の1つとして使用されている。
怪獣倉庫
砧社屋内に存在した怪獣やヒーローのぬいぐるみ(着ぐるみ)の保管倉庫。当初はぬいぐるみに特化していたわけではなく、ミニチュアなども保管されていたテンプレート:Sfn。
2008年の砧社屋の閉鎖により倉庫も解体されたが、京都衣装時代から存在した衣装整理用の札が貼られた柱の一部は円谷プロで保管されている[20]。
『ウルトラファイト』第196話「怪獣死体置場」や『ウルトラマンマックス』第24話などの撮影に使用されているテンプレート:Sfn。
東宝ビルト
テンプレート:Main 2009年まで存在した東宝の撮影所の一つ。円谷プロダクションの所有施設ではないが『ウルトラQ』以来多くの作品が撮影され、円谷プロの出資により改築も行われるなど関係性は深かったテンプレート:Sfn。
脚注
注釈
出典
関連書籍
関連項目
- 円谷エンターテインメント
- 円谷ジャングル
- ウルトラマンランド
- ウルトラマンスタジアム
- M78ウルトラマンパーク
- ウルトラマンフェスティバル
- 祖師ヶ谷大蔵駅
- 東宝
- 東宝ビルト
- TYO
- ビルドアップ
- フィールズ
- バンダイ
- バンダイビジュアル
- バンダイナムコゲームス
- バンダイナムコグループ
- プレックス
- ブルマァク
- チャイヨー・プロダクション
外部リンク
- 円谷プロダクション
- 円谷ステーション
- 円谷プロ公式ショップ 怪獣デパート
- ニコニコ特撮 powered by 円谷プロ
- テンプレート:YouTube
- テンプレート:Facebook
- テンプレート:Twitter
テンプレート:ウルトラシリーズ テンプレート:バンダイナムコグループ
テンプレート:日本音楽事業者協会- ↑ 白石雅彦『円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代』双葉社、2006年、p.239
- ↑ 伊藤孝一、公野勉、小林義寛『映画はこうしてつくられる』風塵社、2008年、p.225。円谷粲インタビューより
- ↑ 3.0 3.1 3.2 「大揺れ円谷プロ、セクハラ後はリストラ騒動 前専務のカリスマ特技監督が怒りの提訴」 ZAKZAK 2003年9月2日
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ 円谷プロ、パチンコ機器関連会社の傘下に YOMIURI ONLINE(読売新聞)2010年3月17日
- ↑ 6.0 6.1 6.2 テンプレート:Cite book
- ↑ 白石雅彦『円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代』双葉社、2006年、p.177
- ↑ 白石雅彦『円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代』双葉社、2006年、pp.179-180
- ↑ 9.0 9.1 9.2 プロフィール 円谷夢工房公式サイト内
- ↑ 津田浩司「国境を越える日本映像ビジネスの現状」『創』1996年2月号、pp.56-57
- ↑ 平成13年(ワ)第12140号 著作権確認等請求事件 裁判例 裁判所ウェブサイト
- ↑ 円谷プロの“聖地”にお別れMSN産経ニュース 2008年2月6日報道 :※現在は公開終了。Internet Archive Wayback Machine内に納められた当時のコンテンツはこのリンク先から閲覧可能。
- ↑ 2010年4月1日、今年もすごいぞ! エイプリルフールネタ合戦、円谷プロから2ちゃんまで
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 14.4 14.5 14.6 14.7 毎年話題のエイプリルフール企画を生み出す「円谷プロ」インタビュー、INTERNET watch(インプレス)、2010年4月23日 6:00。
- ↑ 【ウルトラマン基金】ウルトラ5つの誓い2011 ウルトラチャンネル
- ↑ 「ニュース 「円谷ヒーロー&怪獣・星人ランキング」実施中!壁紙プレゼント!」、円谷プロダクション公式ウェブサイト、2010年8月17日
- ↑ 「円谷ヒーロー・怪獣 & 宇宙人ランキング!結果」、ウルトラマンシリーズ45周年記念サイト(円谷プロダクション公式ウェブサイト)、2011年1月
- ↑ 「円谷プロ50周年記念 ウルトラ怪獣総選挙」、円谷プロダクション公式ウェブサイト、2013年9月
- ↑ 「ウルトラヒーロー総選挙2013」、円谷プロダクション公式ウェブサイト、2013年9月
- ↑ テンプレート:Cite book
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