ピーピングトム
テンプレート:Infobox お笑いコンビ ピーピングトムは、1993年に結成されたワタナベエンターテインメント所属のお笑いコンビ。
目次
プロフィール
桑原 貞雄(くわはら さだお、1969年12月6日 - )ボケ担当。
- 兵庫県多可郡多可町出身。身長176cm、血液型はB型。既婚で子持ち。
- ピーピングトムのバンドを組んだ時のドラムでリーダー。
- 小学生の時のあだ名は「桑ぴょん」。
- 大学時代、禁煙をすると言っていたが、隠れて家で吸っていた。現在もマイルドセブンライトを吸っている。
- マンガにあまり興味がないが、「僕ちゃん」という全4巻のマンガを描いたことがある。
- 大使館の引越しの手伝いをしたことがある。
- 携帯電話をよく水に落とす。
- 堀内健(ネプチューン)やビビる大木とプライベートでユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行くなど仲が良い。
- ジョージ・マイケルを師と仰ぐ。テーマソングは「faith」。
- ワタナベ社員共通の彼に対するイメージがエロであり、実際たくさんの女性の相手をしてきた。合コンもとても盛り上がり、「あなたの合コンは間違いなく日本一。絶対そうです。」とも言われた。
今村 久仁人(いまむら くにと、 1970年2月10日 - )ツッコミ担当。
- 兵庫県養父市出身。身長173cm、血液型はA型。既婚で子持ち。
- 放送作家時には「今村クニト」と名乗る。
- ピーピングトムのバンドを組んだ時のボーカル。
- 済生会病院で生まれたときの体重が3950gでその病院のトップだった。姉も3900gあった。
- 2月10日9時に生まれたためク(9)ニ(2)ト(10)と名付けられた。
- 学生時代、野球をやろうと思っていたが、受付がいっぱいで間に合わずサッカーをすることになった。
- 非常にモテたため、22歳で女にV-MAXを買ってもらうが本人はことごとく否定。ちなみにネタ合わせの翌日にそのバイクを盗まれた。
- ラ・ママのダメ出し会でコント赤信号から「晩年型」と言われた。
- 名古屋で営業をしているときに誕生日を迎えた際、ゴルゴ松本から誕生日祝いとしてテレホンクラブに無理矢理入れられた。
- ボキャブラ天国で行き詰ったとき、雨の日のタクシーで桑原貞雄に「石油を一緒に掘りに行こう」と相談するも、「俺行けへんで」とけんもほろろに断られた。
- ゴルゴ松本に退屈しのぎで鼻に大福を詰められたことがある。
- 好きな芸能人は原田知世と木下あゆ美。好きなものは、エビフライ、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、ガンダムシリーズ、阪神タイガース、宝塚歌劇団など。嫌いなものは、パイナップル。
- 遅刻、嘘が非常に多い。
- 20代の頃は痩せていたが、急激に太ってしまい、桑原貞雄に池中玄太80キロと揶揄された。ちなみに2004年3月18日当時の体脂肪率は23.5%、内臓脂肪は11。2006年1月26日当時の体重は82kg。
来歴
学生時代
2人の出会いは大学時代。1989年4月22日、共に1浪を経験し入学した松山大学の主催するキャンプ、グリーンキャンプで知り合う。同年5月にパンクバンドとしてピーピングトムが誕生。また12月に「ロックフェスティバルIN松山」にて審査員特別賞を受賞。オリジナル曲に「中退ロック」がある。
1990年12月6日、ビジーフォーのディナーショーの影響によってコミックバンドを目指すが、2日後には桑原と今村の2人のみになってしまい、1年半の活動にピリオドを打つ。しかしその翌日、ダンス甲子園や風見しんごの「涙のtake a chance」に影響され、ダンスチームとしてのピーピングトムになる。
1991年、今村が東京に1人で行くと言い出すが、桑原が抱きついて「俺も連れてけ」と言うと、今村が泣き出し一緒に行くことを決意する。同年9月、周囲の反対を押し切り、松山大学を中退する。
芸人時代
このような紆余曲折を経て、とうとう1993年3月31日にお笑いコンビとしてのピーピングトムとなった。その1ヵ月後に、渡辺プロダクションで「犬とサラリーマン」というネタで初のネタ見せを行う。今村曰く「少しウケた」という[1]。同年9月にオールナイトフジの5週勝ち抜きを達成。また、新宿ビブランシアターでアンバランスとの合同コントライブを行う。
1995年、NHK新人演芸大賞の演芸部門大賞で東京代表としてノミネートされる[2]。
1996年、原宿クエストホールで東京GAG FACTORY公演を行う。
1997年7月14日、桑原が自転車に乗っているときに交差点で交通事故に遭う。足に20針を縫う大怪我であった。その2ヵ月後には相方の今村も交通事故に遭った。桑原が退院後は、多摩大学(原千晶と共に)や島根大学などの学園祭にゲストとして呼ばれた。この年に初めて単独のトークライブを行った。
他に、「のぞき屋ダイナマイト」(のち「暗闇の目撃者」)というキャッチコピーで『タモリのボキャブラ天国』シリーズなどに出演。ホストのような容姿で人気があったが、ベスト10の壁は厚く評価は得られなかった。特に交友が深かったのはプリンプリンとBOOMER。この間とても仲が悪かった時期があり、同居していてもほとんど口を利かなかった。そのため今でも他人から関係を聞かれる。
現在は、桑原がワタナベコメディスクールでワタナベコメディスクールデビュー推進部及び講師を務めており[3]、今村が放送作家の仕事をしていることから、コンビでの仕事は少ない。現在唯一のレギュラー番組は、ABCラジオの『ピートム.Comic Jack』である。
出演番組
現在の出演番組
放送作家としての担当番組
- 飛び出せ!科学くん(TBSテレビ)
- それゆけ!ダイダマン(テレビ朝日)
- フットンダ(中京テレビ)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ) - 水曜日担当。
- 爆笑レッドシアター(フジテレビ)
過去の出演番組
レギュラー番組
- 爆笑BOOING(関西テレビ) - 勝ち抜きはならず。
- GAHAHA王国(テレビ朝日)
- ピーピングトムのおもちゃ箱
- タモリのボキャブラ天国(フジテレビ)
- ものまねバトル大賞(日本テレビ)
- はばたけ!ペンギン(TBSテレビ)
- ピーピングトムのおまたせしました(岩手めんこいテレビ) - 初の冠番組。
- のぞかレディオ(TOKYO FM)
- ピーピングトムのdigio GANG!FRIDAY(スターデジオ)
ゲスト出演および単発・不定期番組
- OH!パイレーツ(読売テレビ)
- あの娘に逢いたい(テレビ東京)
- ドリフ大爆笑(フジテレビ) - ドリフ大爆笑'95・若手芸人のショートコントのゲスト。
- 新春かくし芸大会(フジテレビ) - 第36回、第38回に出演。
- ヤングのウ・フ・フ(テレビ東京、1995年11月)
- オールスター感謝祭95秋(TBS)
- 爆笑オンエアバトル(NHK) - 戦績1勝0敗 最高384KB。
映画
- ネプチューン in どつきどつかれ(ギャガ・コミュニケーションズ、1998年)
テレビドラマ
- プリズンホテル(テレビ朝日、1999年)
- プリズンな人々(テレビ朝日、1999年)
- 救急ハート治療室(関西テレビ、1999年)
- プラトニック・セックス(フジテレビ、2001年)
舞台
- OUT OF ORDER
- OUT OF ORDER 笑うな!
脚注
テンプレート:ワタナベエンターテインメント- ↑ 「ピートム.Comic Jack」2006年8月10日放送分の発言。
- ↑ ほかに、海砂利水魚、Take2が東京代表。海原やすよ・ともこ(大賞受賞)、DonDokoDon、ゆんぼーが大阪代表。
- ↑ 今村もスクール開校直後に講師を務めたが、すぐに辞退した(「ピートム.Comic Jack」2005年2月3日放送分の桑原の発言)。