なよろ (列車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なよろから転送)
移動先: 案内検索

テンプレート:列車名

なよろは、北海道旅客鉄道旭川駅 - 名寄駅間を宗谷本線を経由して運行する快速列車である。

運行概況

運行経路

旭川 - 名寄間を約1時間30分で結び、1日4往復運転されている。朝晩に幌延発が上り1本、音威子府発着が1往復あり(名寄駅で運転士が交代となる)、それらについては名寄 - 音威子府 - 幌延間は普通列車。過去には近文発着のものもあったが、現行ダイヤでは存在していない。

停車駅

()は一部のみ停車。[ ] は1日あたりの下りの停車数、 上りの停車数を表す(2010年12月現在)。

旭川駅 - (旭川四条駅)[1, 1] - 永山駅 - 比布駅 - (蘭留駅)[1, 1] - (塩狩駅)[1, 1] - 和寒駅 - 剣淵駅 - 士別駅 - (多寄駅)[0, 1] - 風連駅 - 名寄駅

  • 5月上旬の桜のシーズンには、塩狩駅に臨時停車する列車がある。

使用車両

歴史

列車名の初出は、1965年に運行開始された急行「なよろ」(札幌 - 名寄間)である。

現行の快速「なよろ」のルーツは、1986年に設定された旭川 - 名寄間の4便の快速列車(後述)で、これらが統一されたものである。かつてはヘッドマークがついていた。

急行「なよろ」の沿革

  • 1965年昭和40年)10月:「なよろ」札幌 - 名寄間の急行として1日1往復設定。2両編成。
  • 1966年(昭和41年)3月:準急かむい」を延長する形で1往復増発。「なよろ」1日2往復となる。1本に1等車(のちのグリーン車)連結開始。
  • 1968年(昭和43年)10月:下りの1本を札幌発から小樽発に延長。1等車連結列車1往復に拡大。
  • 1970年(昭和45年)10月:小樽発便を手稲発に短縮。
  • 1972年(昭和47年)10月:1日2往復のうち1往復を旭川 - 名寄間に短縮。手稲発列車も札幌発に短縮される。
  • 1975年(昭和50年)7月18日:1日2往復すべてにグリーン車連結。
  • 1978年(昭和53年)10月:札幌発着列車を小樽発着に延長。ただし、札幌 - 小樽間は普通列車。
  • 1980年(昭和55年)10月:小樽発着列車を札幌発着に再び短縮。グリーン車連結終了。
  • 1981年(昭和56年)10月:上りの札幌着列車を小樽着に延長。ただし、札幌 - 小樽間は普通列車。
  • 1984年(昭和59年)2月:「なよろ」廃止。
    「なよろ」廃止時の停車駅(急行列車区間のみ) : 札幌駅 - 江別駅 - 岩見沢駅 - 美唄駅 - 砂川駅 - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅

快速「なよろ」の沿革

  • 1986年(昭和61年)11月1日:旭川 - 名寄・音威子府・遠軽間に4往復の快速を設定。遠軽発着列車は札幌 - 遠軽間の急行「紋別」の廃止・運行区間短縮による[1]。 4往復の快速をそれぞれ「ピヤシリ」「えんれい」「すずいし」「てしおがわ」と命名(同時に普通列車には「かえで」と命名)。
    列車名により特に停車駅が大きく異なるということでもなかった。ただし、下り「てしおがわ」と上り「えんれい」は名寄駅より名寄本線に乗り入れ、遠軽発着(名寄本線内は愛称名なしの普通列車)で運転。また、下り「すずいし」と上り「ピヤシリ」は名寄以北を普通列車扱いで音威子府まで直通した。
  • 1989年平成元年)5月1日:名寄本線廃止により、遠軽発着列車が旭川 - 名寄間の運転となる。
  • 1990年(平成2年)夏ごろ(時期不詳。道内時刻表では1990年8月号より掲載):旭川 - 名寄間に臨時快速列車が1往復設定され、その愛称を「なよろ」とする。
    • 9月1日:臨時快速が通年運転化(ただし列車番号は9000番台のまま)され、従来の列車を含め5往復の列車名を統合し、愛称が「なよろ」に統一される。
  • 2000年(平成12年)3月11日:「スーパー宗谷」運転開始に伴うダイヤ改正で1往復減便され、1日4往復となる。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 急行「紋別」は廃止時点で札幌 - 旭川 - 名寄 - 興部間急行運転、興部 - 遠軽間は普通列車。廃止時に札幌 - 旭川間は特急列車に置き換えられ、旭川 - 名寄 - 遠軽間直通列車として再設定されることになった。

関連項目