塩狩駅
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テンプレート:駅情報 塩狩駅(しおかりえき)は、北海道上川郡和寒町字塩狩にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW37。電報略号はシリ。
歴史
- 1916年(大正5年)9月5日 - 国鉄の塩狩信号所として設置。
- 1922年(大正11年)4月1日 - 塩狩信号場に改称。
- 1924年(大正13年)11月25日 - 塩狩駅に昇格。旅客荷物取扱い開始。
- 1927年(昭和2年)9月1日 - 貨物取扱い開始。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)11月10日 - 出改札業務廃止(連査閉塞運転要員はそのまま配置)。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 電子閉塞化により無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
駅構造
隣の蘭留駅と同じく、相対式ホーム型がずれた形の千鳥式ホーム2面2線を有する列車交換可能な地上駅。構内踏切で結ばれている。現在は無人駅であるが、木造駅舎は残されている。
以前は駅舎側本線の旭川側のみ片開分岐であったが、現在は高速化にあわせて稚内側も片開分岐に敷き直され(旭川側の片開分岐も駅舎側ホームの位置に設置場所を変更)、駅舎側本線が一線スルー状になっている。また、かつては上下線の中央に待避線が1本あったが、無人化に伴い撤去された。
駅周辺
塩狩峠の頂上にある駅。山の中にあるため、周辺は自然が多い。作家三浦綾子の小説『塩狩峠』のクライマックスの舞台でもある。
長野政雄の殉職
1909年(明治42年)2月28日、駅の下の塩狩峠に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄(ながの まさお)という人物が列車に身を投げ、客車の下敷きとなり乗客の命が救われたという事故が起こった。事故当時、塩狩駅は開業していなかったが、このことに対して顕彰碑と塩狩峠記念館・文学碑が立てられている。
のちに三浦綾子によってこの話を元にした小説『塩狩峠』が発表され、映画化もされた。 テンプレート:See also
隣の駅
- 北海道旅客鉄道
- 宗谷本線