佐渡島

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佐渡島(さどがしま)は、新潟県西部に位置する周囲262.7kmので、佐渡全域を市域とするが、新潟県佐渡市である。人口は63,328人(2009年10月1日現在)。

面積は855.26km²。これは、島嶼部を除いた東京都東京23区多摩地域)の面積1791.47km²の約48%にあたり、大阪府の面積1897.86km²の約45%に相当する。本州などの主要4島と北方領土を除く日本の中で沖縄本島に次ぐ面積を持つ。[1]

また周囲262.7kmの距離は概ね本州を横断する上越新幹線大宮駅-新潟駅約100分)の路線距離269.5kmに相当する。最高標高は1,172m、これは金北山の標高で、その西隣の妙見山(標高1,042m)山頂には日本海の一定空域を監視する自衛隊レーダーサイトがある。[2]

地理

カタカナの「」、または、アルファベットの「S」の字形に似た特徴的な形のである。

地形は3つに大別できる。北に大佐渡山地(おおさどさんち)、南に小佐渡山地(こさどさんち)[3]、この2つの間に穀倉地帯の国仲平野(くになかへいや)が広がる。

大佐渡山地の方が高く、最も高い金北山 (1,172m) がある。小佐渡山地の最高点は大地山 (645m) である。佐渡全域が佐渡弥彦米山国定公園に含まれる。

大佐渡山地の北側海岸は、山が海に迫る景勝地で、断崖絶壁そして無数の岩礁が約50kmにわたって連なり、中でも尖閣湾が有名である。小佐渡山地は、大佐渡山地に見られる荒々しさがなく、自生のみかんも見られる穏やかな丘陵地帯となっている。

国仲平野は、島の平野としては広く、多くの川で潤い、水稲栽培が行われている。国仲平野の西側に真野湾、東側に両津湾がある。国仲平野を流れる国府川は真野湾に注ぐ。国仲平野の東端にあり、新潟県で最大の湖である加茂湖汽水湖)と、真野湾の二ヶ所でカキの養殖が行われている。

気候

佐渡全体としては、佐渡沖を、暖流対馬海流が流れている影響から、は、新潟県の本土側に比べて、気温が1 - 2度程度高く積雪は少ない。ただし大佐渡山地の北西側の相川地域のように、北西方向からの季節風を受ける地域もある。は、周りが海のため、朝と夜の温度差は本土のそれより小さく、気温は新潟県の本土側に比べ1~2度程度涼しい。

佐渡島内を個別に見ると、気候は三分でき、大佐渡山地の北側は、日本海からの風の影響で積雪があり、小佐渡山地の南側は、比較的温暖で積雪は少ない。国仲平野はその中間くらいである。

暖流寒流の接点にあるため、植生にきわめて富んでおり、島内で北海道沖縄両地方特有の植物が同居する、非常に珍しい植生地域である。また、暖流にのって現れるシイラカツオアオリイカ、寒流にのって現れるブリなどの多様な水産物にも恵まれている。

歴史

大化改新以後、8世紀以前に佐渡国が置かれた。

順徳天皇日蓮日野資朝などが配流された地でもある。

鎌倉時代以降は、本間氏が守護代として佐渡を支配していたが、1589年(天正17年)に上杉景勝の侵攻を受けて滅亡し、上杉氏の支配地となった。

関ヶ原の戦いの後、佐渡は徳川家の支配地となった。1601年(慶長6年)には佐渡金山が発見された。佐渡では、それ以前の戦国時代中期頃から、鶴子銀山等でが採掘されていたが、佐渡金山のの産出量は群を抜いて多く、そのため、江戸幕府は、藩を置かずに佐渡を天領として、佐渡奉行所相川に置き、幕府自ら直接統治を行った。明治維新では戦火を免れた。

明治以降は、佐渡県、後に相川県が置かれたが、1876年(明治9年)、新潟県に編入された。

詳細は佐渡市#歴史佐渡金山の項を参照。

文化

佐渡は京から配流された文人・政治家などが都の文化を伝えたので、現在でも独特の言語を含め、伝統芸能が受け継がれている。また、西廻り航路が開かれ、西日本や北陸の文化が伝わってきたこと、また配流者が伝えた文化も含め、貴族文化や武家文化、町人文化が一体となって、佐渡特有の文化を形成していったといわれる。

の大成者である世阿弥が配流された影響からか、江戸時代には200を超える能舞台があり、現在も32余りの能舞台が残っている。人口当たりの能舞台数は、江戸時代も現在も全国一となっている。これらの能舞台は、今も、春から秋にかけ薪能などイベントや祭りで利用されており、各地区の希望する子供達が大人から指導を受け演じている。また、古浄瑠璃文弥人形、のろま人形、説教人形、獅子舞なども代々受け継がれ、現存している。

佐渡金山は最盛期には、国内一の金産出量を誇っていたが、江戸時代の終わりごろから衰退し1951年に商業採掘は終了したため、現在では金の採掘は行われていない。残された多くの史跡や博物館等の資料館で当時の様子をうかがい知ることができる。他に、順徳天皇日蓮ゆかりの寺などの、歴史的な神社仏閣が保存されており、こうした様々な史跡めぐりをする観光客が毎年訪れている。

島内外の交通

佐渡市#交通の項を参照。

所属自治体

かつては、両津市相川町佐和田町金井町新穂村畑野町真野町小木町羽茂町赤泊村が存在していたが、2004年に島内のすべての自治体が合併し現在は佐渡市1市のみとなっている。

著名な出身者

詳細は佐渡市#出身有名人の項を参照。

舞台にした作品

映画

小説

漫画

ゲーム

事件

反戦自衛官事件

関連項目

脚注

  1. 【参考1】 島面積より(平成21年10月1日時点) 国土地理院 (注: 表中の「沖縄島 おきなわじま」は、通称名「沖縄本島」の正式名称)
    【参考2】 島国である日本を構成する6,852のについて、面積順に上位10島 : 本州北海道九州四国択捉島国後島沖縄本島佐渡島奄美大島対馬
    [出典] 国土交通省サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識) 2009年11月27日閲覧 [1] 、および、国立天文台(編)理科年表より、平成19年版 P565 ISBN 4621077635。
  2. 第二次世界大戦後、占領軍であったGHQに属していた米国空軍が、当時のソ連への警戒から、金北山(きんぽくさん・標高1,172m)山頂にレーダーサイトを建設しその管轄下にあったが、1960年(昭和35年)5月、施設は、米国空軍から航空自衛隊に移管された。2010年(平成22年)より、その金北山の西隣の妙見山(みょうけんさん・標高1,042m)山頂に建設された新型レーダーサイト(ガメラレーダー、他)が稼動し、前者は、半世紀以上に渡るその役割を終えた。なお、この施設は航空自衛隊佐渡分屯基地の管轄下にあり、その庁舎は、金北山の南に位置する両尾山(むろおやま・標高510m)山頂近くにある。
  3. 小佐渡丘陵とも言う。

外部リンク