伊集院光 深夜の馬鹿力
テンプレート:ウィキポータルリンク テンプレート:基礎情報 ラジオ番組
『月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』(げつようジャンク いじゅういんひかる しんやのばかぢから)は、タレントの伊集院光がパーソナリティを務める、TBSラジオ他全国5局ネットで放送されているラジオ番組。1995年10月10日放送開始。
目次
番組名
1995年10月9日の放送開始当初の番組名は『伊集院光のUP'S(アップス) 深夜の馬鹿力』だった。2000年3月27日(第233回)にUP'Sは終了し、枠のない『伊集院光 深夜の馬鹿力』として継続した。2002年4月1日(第337回)から同時間帯の枠名が『JUNK』(ジャンク)となり、『月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』と冠を付けて呼ばれている。『UP'S』が終了する際に「伊集院光の深夜の馬鹿力」にすることも検討されたが、「ワープロソフト(の文法チェッカー)に"の"が連続していると指摘された」という理由で現在の番組名になった。
放送時間
毎週月曜日の深夜25:00-27:00(毎週火曜日午前1:00-3:00)で、原則生放送。ただし1997年4月7日(第79回)-9月29日(第103回)の間は、深夜25:30-27:00の90分の放送であった。
ネット局
ネット局は北海道のHBCラジオ、福岡のRKBラジオ、沖縄のRBCiラジオの3局で、制作局のTBSラジオと併せ、全国4局で「北は北海道から南は沖縄まで」(伊集院談)と全国ネットを強調して、放送されている(当然ながら、JRN系列では非ネットのラジオ局の方が多いものの、RBC以外の2局は出力が強く、遠距離受信により全国で聞くことは可能である。また、2014年4月よりradikoが開始した「radiko.jpプレミアム」サービスによって、有料ながら全国各地で放送を聞くことが可能になった)。番組開始から1997年9月までは岡山のRSKラジオ、2009年7月6日から2014年3月24日までは関西のABCラジオでもネットしていた。
番組概要
伊集院一人でしゃべる「ピン」のラジオで、ジャンルはお笑い番組である。ブースには伊集院のほかに構成作家である渡辺雅史がいて、笑い声を発している。伊集院曰く「リスナーに対する誘い笑い」との事である。渡辺はスペシャルや録音のとき以外はしゃべらず、紙に書いて意思や情報を伝達している。番組の基本スタンスとして「男性のみに向けて放送してる」という方向性を打ち出しており、聴取率調査では男性は伊集院が1998年の放送で「平均2%」と発言している。しかし、女性には人気がなく「0%」(聴取率表では「※」で表記される)を何度も記録しており、伊集院もこの層は既に見限っている旨の発言を幾度か行っている。また、ホームページでも「番組スタートから今まで男女の聴取者比はほぼ100:0!」と書いている。
投稿は基本的に、はがきまたはFAX(生放送中のみ)で募っている。「すべてのネタに自ら目を通しておきたい」「番組中にメールをさばく構成作家がいない」という理由からメール募集は長らく行われず、現在も公式ホームページのメールフォーム(コーナーネタのみ)に限定されている。ただし専用のメールアドレスは用意されており、伊集院の気が向いた際に番組中にメール募集を行う事があり、その際にこのアドレスが用いられる。また2011年にポッドキャストの録り下ろしを再開した際、「伊集院・若手芸人にしゃべってほしいトークテーマ」というテーマでメール募集を行っていた。
番組進行
フリートークの導入部分となる「今週気づいたこと」(週によってこの文は変わることがある)を挙げた後タイトルコール。ここまで基本的にエコーをかけているが、今週気づいたことの説明があまりに長い場合は途中でエコーを切らせる。そこから約30分~1時間程度、伊集院の近況を中心としたフリートークが行われ、その後各コーナーに続く。各コーナーはCMを仕切りとしている。コーナーの順番は構成の渡辺が決めている。 基本的にタイムテーブルが用意されないため、伊集院の気分次第でフリートークと各コーナーの時間配分は変わる。このため、フリートークが伸びてコーナーが休止することがしばしばある。また、25時台と26時台の規定枠内にCMと曲を放送しなければならないが、話が白熱しすぎて伊集院がCMを入れ忘れたままにしてしまい、ディレクターが強制的にCMを入れ、伊集院がびっくりしたこともあった(25時台のCMは26:00までに絶対に入れなくてはならず、また時報がCMにかかることも許されない。そのため、逆算してCMを入れられるボーダーラインの時間がある。もしオーバーした場合、始末書の提出と「きついお叱り」があるという)。
2000年4月3日にTBSラジオの時報が3点予報音からメロディがあるものに切り替わったが、伊集院はコーナーのハガキを読んでいる最中に時報が鳴ることを嫌っており、読むタイミングをずらしたり怒ったりすることが多い。時報はネット局がそれぞれで流すため、番組途中の時報を流さないHBCではスタジオモニター用の音がわずかに聞こえるだけ(後に始まった、仕様で時報音を放送しないデジタルラジオやradikoも同様)、RKBではごく普通の時報が鳴るだけなので、TBSラジオ以外のリスナーには普通に番組を進めていた伊集院が突然怒り出したようも聞こえていた。この時報は当時『日曜大将軍』を担当していたプロデューサーの提案で作られたもので、知らずに罵倒していた伊集院は放送中に謝罪したが、以後何度も時報に対する不満を述べていた。その後、時報をまたいでネタを読まないよう、伊集院が配慮している。
出来事
コーナー
Web配信
概要
TBSラジオは一部番組のWeb配信を行なっている。本放送とは異なる内容のものと、本放送の内容を一部切り取るものがあるが、この番組では下記のように時期によって異なっている。2012年4月以降(後述)は後者の内容(本放送一部切り取り)で配信をしている。
異なる内容の場合、基本的に伊集院光がメインとなって他愛のないトークを展開する形。伊集院一人でトークをする場合もあれば若手芸人(ヒットマン、サードメン等)を交えてトークを行う場合もある。伊集院曰く「疲れるまでしゃべり続け、疲れたら終わり」で、特に定められたコーナーはなく途中にCMも一切入らないため純粋なトークが楽しめる(2006年9月に配信された7回分のみ、冒頭にCMが挿入された)。収録は本放送終了直後に行われており、日によっては(途中休憩を挟み)4時半までしゃべることもある。
ポッドキャストの配信曜日・時間帯は火曜日の昼頃で、分割配信の場合は翌日以降にもほぼ同様の時間帯に配信される。
2002年4月 - 2006年3月
2002年4月よりWindows Media Audio形式での配信がスタート。
2005年5月頃よりトークが30分を越えるようになり、テンプレート:要出典範囲
2006年4月 - 10月
2006年4月より『JUNK』系番組の全Web放送がTBS RADIO podcasting954へ移行した。移行直後はポッドキャストのなかでも非常に人気が高く、ランキングでも上位になることが多かった。
配信がポッドキャスト化してから、「通常のラジオ番組と同様にトークの間で曲を流したい」と言う伊集院光の意見が出たが、著作権の関係で楽曲入りのポッドキャストを配信するのは複雑な手続きが必要であり、現実問題として難しいのであらかじめレコーディングしておいた(その場で即興で歌う事もある)伊集院光と若手芸人達が歌った楽曲(著作権に触れないよう完全オリジナルの曲である)をトークの途中で流すことがある。
投稿に関しては本編とポッドキャストは区別されており、ポッドキャストに関してはハガキのみでFAXやEメールでの投稿は受け付けておらず、あて先も「伊集院光深夜の馬鹿力 ウェブの糞音係」と明記する必要がある。
2006年5月23日分から「余りに長い」という理由で分割配信が行われ、その後は時間も1週間の配信回数もまちまちな状態になった。
2006年10月 - 2011年3月
2006年10月23日以降(2006年12月11日、2007年2月19日配信分を除く)、本放送中のフリートークを切り取る形になり、週1回配信に落ち着いた。一時間を超えることも少なくなかった録り下ろし音源に比べ、この版の収録時間は5~15分前後と非常に短い。この版でも曲を流すことはなく、流す寸前で編集されるなどしている。
2007年4月30日の本放送で、伊集院がポッドキャストについて触れており、「また時間が長いのを復活させることもできるが、ポッドキャストをおもしろくすることと、ラジオ(本放送)のリスナーを増やすことは反比例するのではないか」「わざわざ夜遅くの本放送を聞いてくれている甲斐が無い」との理由から「自分の中では縮小方向」になっていると話した。
2011年3月 - 2012年3月
2011年3月21日以降の配信では本放送を切り取ったものに加え、再び録り下ろし音源が追加収録されるようになった。録り下ろし分は河野かずおやオテンキといった若手芸人も参加し、番組中に募集したメールをお題としたフリートークが行われる。翌週からは分割配信になっており、2日目以降の配信が録り下ろし分となる。若手芸人のポッドキャスト出演は基本的にノーギャラ(伊集院がご飯を奢ったり、番組がメーカーからもらうサンプルのエロDVDを分配されることはある)。ただし、録音を行っているスタジオは、5時から『森本毅郎・スタンバイ!』で使用するため、それまでに終了しないとスタッフにとがめられるという。また同年10月からオテンキののりが文化放送でポッドキャスト『「オテンキ・のり」のいずれは地上波!』を開始したため、それに関するイジリがよく展開されている。2012年3月30日の配信分で約1年間続いた録り下ろしは終了した。最終回は54秒と過去最短であった。
2012年4月 - 現在
2012年4月2日以降の配信では再び本放送を切り取ったもののみに戻っているが、2014年2月3日の配信は1年10ヶ月ぶりに録り下ろし(告知を兼ねて、オテンキのGOと江波戸が参加)だった。
ノベルティグッズ
ハガキやFAX等が採用された時にもらえるノベルティグッズの一覧。
- UP'S番組ステッカー(1995年10月 - 1997年9月)
- 他の『UP'S』との共通ノベルティー。投稿が採用された者に贈られたが、後に香港旅行に行った時に作った「尻間丸出」の印鑑が四隅に押された物は、その週の最優秀ハガキの投稿者に贈られた。
- ブタレイブロマイド(1995年10月 - 1996年3月)
- 「豚頭麗香の少しだけメランコリー」のコーナー用に作られ、他のコーナーでも番組ステッカーと風小僧グッズの中間ランクのノベルティーとして贈られた。お下げ髪で眉毛のつながった、ブタレイの扮装の伊集院が写っている。
- 謎の風小僧グッズ(1995年10月 - 1997年9月)
- 伊集院本人もどんなものか知らなかった初期のノベルティ。当時のディレクター・永田が駄菓子問屋で山積みになっていたものを仕入れたとのことで、その正体はドラム型の金属製の笛(ホイッスル)。初期ノベルティの中ではランクが最も上の扱い。
- お尻コイン(1997年10月 - 2002年3月)
- お尻がデザインされたニッケル製のコイン。1オシリ・5オシリ・10オシリ・100オシリの4種類が存在する。年数を経るにつれてインフレの傾向を見せた。中央に『UP'S』の刻印が付くが、番組名から『UP'S』が外れてからも、これを生産していた「町工場の親父」が製造費の大幅値上げを言い出し生産終了するまで使われ続けた。1999年10月18日(第210回)のスペシャルウィーク企画として、このコインでリスナーの(ブームが過ぎて大量に余っていた)たまごっちを買い取ったこともあった。その時のレートは「1オシリ=10円」であった。
- 深夜の馬鹿ード(2002年4月 - )
- 「変死隊」CDの売り上げを使って作った、番組に関する絵柄のトレーディングカード。「深夜の馬鹿カード」「深夜の馬鹿力カード」など言い間違いや表記ゆれが多い。伊集院が裸で写っているものは価値が高いとも言われるが、服を着ているカードの方が少なかったりする。
オープニングテーマ
- 過去
- Yo! suke Ito vs. 下町兄弟「ビールVS.ウーロン茶」
- 1995年10月23日(第3回) - 1997年4月21日(第81回)で使用。
- ケミカル・ブラザーズ「In Dust We Trust」
- 1997年5月5日(第83回) - 1999年4月19日(第184回)で使用。
- AD柳沢まこと作曲の番組オリジナルテーマ曲(初代)
- 1999年4月26日(第185回) - 1999年7月19日(第197回)の間は暫定テーマとしてウケ狙いで適当な曲が使われていた。1999年7月26日(第198回)からオリジナル曲の試作版が数バージョン試された後、正式版が1999年9月6日(第204回) - 2000年3月27日(第233回)で使用。前奏の部分が長く「しゃべりづらい」(トーク入りしにくい)という伊集院のコメントにより、正式版も途中から短縮されている。
- Yo! suke Ito vs. 下町兄弟「ビールVS.ウーロン茶」
- 現在
- AD(使用開始当時)柳沢まこと作曲の番組オリジナルテーマ曲(2代目)
- 2000年4月3日(第234回)から使用。
- AD(使用開始当時)柳沢まこと作曲の番組オリジナルテーマ曲(2代目)
エンディングテーマ
- 過去
- 電気グルーヴ「虹」(MFSリミックス)
- 1995年10月9日(第1回)のみ。
- 笹本安詞≒下町兄弟「ミモザの咲く頃」
- 1995年10月16日(第2回)のみ。以後エンディング直前に3度かかっているが、レギュラーのエンディング曲ではない。
- KRAFTWERK「THE MAN MACHINE」
- 1997年5月5日(第83回) - 2001年9月17日(第310回)使用。
- 童謡「大きな古時計」
- SCREAMIN' JAY HAWKINS「FRENZY」
- 2003年1月13日(第378回) - 2005年8月15日(第513回)使用。
- 愛川欽也「死ね死ねブルース」
- 2005年8月22日(第514回) - 2006年6月5日(第555回)使用。
- 小沢昭一「父チャン音頭」
- 電気グルーヴ「虹」(MFSリミックス)
- 現在
- Tom Waits「New Year's Eve」
- 2011年10月31日(第837回)から。
- Tom Waits「New Year's Eve」
伊集院はよく番組の最後に「また来週」というべきところを、「寝ろ!」「永遠にさようなら」や「また来世」と言っていたが、夫婦で交通事故にあった翌々週の1999年7月5日(第195回)のエンディングで、「次回死んでたら後味が悪いから言っていたけど、よくないね」と言った直後に、自分で「それが伊集院光の元気な声を聞いた最後だった」と言って終わるオチの回があった。さらに翌週より宇野淑子(当時TBSアナウンサー、2002年春定年退職)による「それが伊集院光の声を聞いた最後だった」というナレーションが入り、これはエンディング曲が「大きな古時計」に変った2001年9月24日(第311回)まで続いた。
関連書籍・CD
ニッポン放送時代にはいくつかの書籍・CDをリリースしているが、TBSの深夜へ移ってからは、正式な流通に乗る書籍やCDは発行していない(なお、日曜午後の番組『伊集院光 日曜大将軍』では書籍を、『伊集院光 日曜日の秘密基地』ではCDをリリースしている)。
しかし2000年、「天才・伊集院光プロデュース 音楽ユニット大ブレイクプロジェクト」のコーナーにからみ自主制作CDを数バージョン(生産時期によりパッケージの仕様が異なる)と、委託生産された音楽CD『走馬燈』(ファーストアルバム)を変死隊名義にてリリースしている。 テンプレート:Main
これ以前に「番組のデモテープ」(安物で有名な「BON」のカセットテープに録音)を作り、街中に配布(放置)するプロモーションを行ったことがあるが、全く反応が無く失敗に終わっている。ファーストアルバムの制作時にも同じことが行われ、伊集院の携帯番号まで吹き込まれ直接質問できるようになっていたが、結果はやはり無反応であった。他にも「あそび」のコーナーを書籍化するというプランがあったが、結局実現には至らなかった。
伊集院以外の出演者
当番組は基本的に伊集院のトークだけで進められるが、ナレーターやスペシャルウィーク、ポッドキャストでは伊集院以外にもレギュラー的に出演する者がいる。
- 若手芸人(通常の放送では主にポッドキャストを担当、番組のアルバイトを兼任している者もいる)
- 構成作家(放送中の「笑い声」のほか、コーナーの「平成ハレンチ学園」渡辺校長役を担当。なお、伊集院は構成作家という語と使わず、「構成」あるいは「構成スタッフ」と言う)
- TBSアナウンサー - 番組のナレーターが主だが、出演することもある。番組内では「局アナなのでギャラが必要ないのが強み」と強調している。特にスペシャルウィークや各種コーナーでの出番が主だった。スペシャルウィークで特別企画を行わなくなってからはほとんど出演がない。
- 松宮一彦 - 出演当時のTBSアナウンサー。番組のごく初期に出番が多かった。「ブタレイ」コーナー中、過去に「ブタレイと番組で共演した時の音声」という設定のコントで毎回のように殺されていた。
- 小林豊 - 番組初期に出番が多かった。松宮から引き継ぐ形で、「ブタレイ」コーナーやスペシャルウィークのナレーションなどを担当。
- 鈴木順 - 「馬鹿ニュース」で初出演。スペシャルウィークやコーナーでの各種ナレーションなど、もっとも出番の多いアナウンサーだった。
- 宮内鎮雄 - スペシャルウィークのオープニングナレーション等を担当。馬鹿な文章でもきちんと説明すれば真面目に読んでくれるありがたいベテラン局アナであった。2005年1月31日(第485回)に、ジングルとしてリスナーから寄せられた珍文を読まされ、「デブは喪服もサスペンダー」がTBSアナウンサーとして放送での最後の一言となり、定年退職した。
- 進藤晶子 - 「早押しクイズQQQのQのQ」ではTBSアナウンス室を裏で仕切るいじめっ子キャラでいじられたのがきっかけで、本人も出題者として出演することにもなった)
- 宇野淑子 - 出演当時のTBSアナウンサー。「ダメ人間だもの」でコーナー冒頭のナレーションやスペシャルウィークのオープニングナレーションを担当した。
- 小島慶子 - 出演当時のTBSアナウンサー。直前に放送されていた『BATTLE TALK RADIO アクセス』を担当していたが、当番組で急遽ナレーションが必要になった際、局内に残っていてナレーションを担当したことからつながりが生まれた。
- 竹内香苗 - 『日曜日の秘密基地』ではアシスタントを務めた。みうらじゅんと共に、「ハレンチ学園SP」にも出演した。その後『みのもんたの朝ズバッ!』に出演するようになって以降、当番組の出演はない。ただし、2010年4月から2011年9月までは直前に放送されている『ニュース探究ラジオ Dig』に出演していた。
- 谷口智子 - TBSアナウンサーではなくフリーだが、ナレーションを担当することがあった。
- 高木達也 - 「Yahoo!クソ袋」のコーナーでネタの質問文の読み上げを担当。番組中に伊集院が「アナウンサー」と紹介することがあるが、実際には声優である。
スタッフ
主なスタッフのプロフィール
現在
- 宮嵜守史
- 現在の『JUNK』枠全体のプロデューサー。当番組としては6代目。『JUNK』では『雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!』『加藤浩次の吠え魂』『おぎやはぎのメガネびいき』、他番組では『爆笑問題の日曜サンデー』などのディレクターを務めている。2012年3月末の登場早々、伊集院から「座敷わらし」とイジられる。同4月から現職。
- 金子(かねこ)
- ディレクター。元々ADとして中山の後任で着任したが、馬鹿力のスタッフの中ではミキサー岡部に並ぶ常人のようで伊集院にまったく名前を覚えられておらず、しばらくは「ADの子」と呼ばれ続けていた。夜食にエスニック弁当を持って行き伊集院を胃もたれさせたことで何とか名前は覚えられた模様。ただし下の名前は「覚える気はない」としている。2014年3月31日より番組ディレクターに就任し、翌日サービスを開始したradikoプレミアムを「民放は原則無料であるべきなのに」と批判した。
- 佐藤
- 見習いのアシスタントディレクター。2013年4月1日頃より登板。4月8日放送分でその存在が明らかにされる。ヘルニア持ちで、同じく若い頃にヘルニアで苦しんだ経験のある伊集院には気を使われている。
- 渡辺雅史
- 構成作家、フリーライター。当番組の他、『日曜サンデー』も担当している。リスナーには「番組中の笑い声」でお馴染み。元々は『伊集院光のOh!デカナイト』(ニッポン放送)に投稿していたハガキ職人で、出待ちをきっかけに同番組のアルバイトとなり伊集院と関わるようになる[1]。「深夜の馬鹿力」から構成作家に昇格。埼玉大学に在学しながら構成を担当していたが、留年の末に除籍となる。1999年11月29日(第216回)の放送では、罰ゲームで母親を番組にゲスト出演させられている。鉄道マニアとして知られており、番組コーナーにおいて鉄道ネタを取り上げる際は彼によって選別されることが多い。また伊集院が鉄道関係の話題を話した際に間違いを注意(メモ書きを渡すことで)することもある。UP'S時代後期のディレクターが松島だった時代には、共に鉄道マニアであることから結託。「フリートークスペシャル」のネタ作りの取材と称して、伊集院夫妻を鉄道廃線跡やリニアモーターカー見学に連れ出したこともあった。
- 岡部勉(テレコム・サウンズ所属)
- 『UP'S』時代後期からの4代目ミキサー。スタッフ内では唯一の「常識人」「真人間」として、彼を基準にしてまともかどうかを決めることも。番組内でスタッフを巻き込む企画の場合も彼だけは不参加である。そのため柳沢・池田・渡辺・松上などのスタッフが特別企画の際に何度か声の出演をしている中、岡部の出演経験は2000年10月16日の放送の際「どうも」と一言喋ったのみ。伊集院も「ミキサーの岡部さん」と呼ぶが、これは年下ではあるが草野球で有能であることが理由の一つと語られている。また、伊集院が企画でテレコム・サウンズを「ブリーフ一丁」で訪れた際は、関わろうとしなかったなどのエピソードがある。西武ライオンズファン。
過去
- 永田守
- この番組を立ち上げた人物。大映の創立者や大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のオーナーとして知られる実業家・永田雅一の孫。以前TBSテレビで伊集院を司会に起用した『素敵な気分De!』のプロデューサーであったが、5か月で打ち切られた。その後、TBSラジオに異動。ニッポン放送と伊集院の不和を目ざとく見つけ引き抜き工作に成功し、『オールナイトニッポン』に正面からぶつける形で『深夜の馬鹿力』を目玉とする『UP's』枠を立ち上げ、現在の『JUNK』につながる隆盛を築いた。伊集院いわく「埋蔵人脈5万トン」。1997年1月にテレビの宣伝部への異動に伴いプロデューサー職を退く。現在はTBSとカルチュア・コンビニエンス・クラブの合弁企業であるTCエンタテインメントの専務取締役。慶應義塾大学卒。
- 柳沢真
- もともと伊集院のファンで、長野から上京してきて、渡辺同様伊集院と交友するようになる。まだ大学生だった頃から『伊集院光のOh!デカナイト』(ニッポン放送)の番組ジングルを製作しており[2]、この番組でも音楽関係を一手に引き受けてジングル作りやコーナーの作曲を手がけた。番組開始当初は「音楽担当・AD見習い」として、次にADを長らくつとめ、ついにディレクターに昇格。しかし自宅の風呂で腰を打って負傷して入院し、2005年11月7日放送分から池田がディレクターを兼任。その後復帰して翌年1月30日放送分まではディレクターを務めたが、いつの間にか番組から姿を消した(帰郷したとの説が有力)。伊集院が篠岡美佳にプロポーズする際に2人の後ろにいた。非常に背が小さく伊集院にチビネタ、小学5年生で遊んでいた同級生の女の子と事に及び童貞を捨てたという話を伊集院がネタにした。
- 松上元来(まつうえもとき)
- 伊集院いわく「見習い見習い」「アルバイト見習い代理補佐」「スタッフで一番下っ端のどうでもいい男」などと呼ばれていた構成見習いのアルバイト。小学生の時は同級生に友達がいなかったため下級生をあつめてクイズ大会を開いていた。両親に勘当されて三重の田舎から出てきたといわれている。『伊集院光の放課後の王様』(セント・ギガ)のハガキ職人(ラジオネームは「テレホンもんがもんが」)だったが、ハガキに書かれた住所を伊集院が突然訪ねて見習いに誘った。スタッフになる直前にはダイヤルQ2のサクラをしていた。本職はクイズのライターで、『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系)のADもやっていた。やたらと間の悪い行動が幾度もトークのネタにされた。ガムを買いに行かされる等、使い走りの仕事ばかりで「それすらろくにこなせない」と言われていた。好きなアニメを伊集院に薦めては無視されていたが、『新世紀エヴァンゲリオン』の録画ビデオだけは好評だったものの、途中数話が抜けているなど相変わらずであった。プライベートを伊集院に明かさない主義だったが、ギャルゲーが趣味であることが発覚して以来ますます伊集院の興味をそそり、1999年1月4日(169回)で松上宅に突入して生放送が行われた。FC東京の熱心なサポーターで、番組の会議をサボって試合を見に行ったことも。辞めるとき都会に疲れたのか「離島で暮らしたい」と言い残している。その後、突然スタジオに姿を現し、渡辺と並ぶ童貞キャラだったが「童貞を喪失した。(相手は風俗嬢ではなく)素人ですからね!」と告白したが、その詳細は語らなかった。
- 松島淳
- 池田が退社するのに伴って、3代目ディレクターに就任した。池田よりも年上で就任当時は36歳にもかかわらず、「浪人生のような軟弱な見た目」「バッタみたいな面」といわれていた。
- 番組を離れた後、ソルトレイク五輪のニュースを別スタジオからニュースデスクとして中継で読み上げ、伊集院を驚かせた。現在でも月曜深夜の夜勤を担当しており、地震速報やニュース速報を報じる際に登場することが稀にある。
- 後に『夜な夜なニュースいぢり X-Radio バツラジ』の火曜ディレクターも担当していた。
- 知野文哉
- 4代目プロデューサー。『宮川賢のカストリRADIO 2000GT』や『鴻上尚史の博愛ライダー』では名前が頻繁にでていたが、当番組内ではおとなしかった。インターネット普及時代の担当だったため番組ホームページ制作など番組のIT化を推し進めた。大の坂本龍馬ファンで、飛行機嫌いのため「墜落して死んでもいい」ようにと海外旅行の際は愛読書『竜馬が行く』を持参しており、「俺も今年で龍馬が死んだ歳まで生きたんだよなあ」などの発言が歴史に興味の無い伊集院からウザがられていた。2013年2月にはTBSテレビに勤務しながら小説『「坂本龍馬」の誕生』を発表、同書は2014年3月に第24回高知出版学術賞を受賞した[3]。早稲田大学卒。
- 下中(したなか)
- ヒットマン河野のアルバイト降板を前後して、名前が出てくるようになったAD。コーナーなどにおける音楽選びのセンスを伊集院に酷評されることで知られる。「200文字でやっつけろ」「ゆるい呪い」のコーナーにおける音響は彼が担当している。
- 中山
- 普段は「青びょうたん」「脱げたサンダル」などと形容される、無口でおとなしい人物。恋人が麦芽の小出真保であることが発覚して以来(現在は破局)、彼女に対しては「ドS」「ベッドヤクザ」であるなど裏表がある性格が知られるようになる。ADとしては人数分のアイスを購入しろと言われ、人数分同じアイスを買ってくるという。『日曜日の秘密基地』『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』のADも担当していた。2010年3月に「なにか探しの旅」に出るため降板。
- 池田卓生(いけだたかお)
- 2代目および6代目ディレクター。初代ミキサー兼ADも務めている。また、2012年3月までは『JUNK』枠全体のプロデューサーでもあった。他番組では『日曜日の秘密基地』『日曜サンデー』(2011年6月まで)、『たまむすび』などのプロデューサーを担当している。
- 元々はラジオ制作会社のテレコム・サウンズに所属していたが、ニューヨークに「ラジオ留学」のため退社。帰国後にTBSラジオに中途入社して、現在に至る。番組内ではニューヨークにいたと称して「町田に潜伏していた」「ニューヨークでボトルアタッカーをしていた」「ニューヨークにキューを振るマネをする日本人ホームレスがいた」などと言われネタにされていた。
- 2002年3月4日放送分より『JUNK』枠全体のプロデューサーとして番組に復帰。当番組としては5代目。2005年11月7日放送分から5代目ディレクター柳沢(負傷により休職、一時復帰するも、翌年に降板してからは番組内では「消息不明」)と交代で6代目ディレクターを兼任する。
- 爆笑問題からは「実はFM希望だった」と暴露されている。2011年6月に離婚したが、当番組をきっかけに『JUNK』全曜日と『日曜サンデー』でイジられていた。
- 2012年4月に『たまむすび』担当のため『JUNK』枠全体のプロデューサー職を退くが、月曜日のディレクターは続投。この状況を「(『JUNK』の)月曜日に関しては降格人事」「何に対する罰でそうなってんの?」と伊集院にイジられていた。
スタッフ在任歴
太字は現行のスタッフ。
- プロデューサー
- 永田守(1995/10/09-1997/01/13)
- 牧巌(1997/01/20-1999/07/19)
- 就任直後に「DK95.4」コーナーの罰ゲームで眼鏡をチーズフォンデュにされた。以来ほとんどこの番組に寄り付くことはなかった。現在はTBSラジオ経営企画室部長。
- 菊池健志(1999/07/26?-2000/06/26)
- 知野文哉(2000/06/26-2002/02/25)
- TBSラジオ営業局ネットワーク部→総務担当?(2009年10月5日の放送で「入構証の管理」をしている旨の発言があった)→TBSテレビメディアビジネス局ライセンス事業部(『荒川強啓 デイ・キャッチ!』2010年7月29日放送でのゲスト出演時)
- 池田卓生(2002/03/04-2012/03/26)
- 宮嵜守史(2012/04/02-)
- ディレクター
- アシスタントディレクター
- 池田卓生(1995/10/09-1996/09/29)
- 柳沢真(1996/10/07-2003/03/24)
- 永山(2003/03/31-2003/09/29)
- 砂川(2003/10/06-2005/10/03)
- 青原茂雄(2005/10/10-2006/03/27)
- 現在は『大沢悠里のゆうゆうワイド』の曜日ディレクター。
- 下中(2006/04/03?-2007/09/24)
- 中山(2006/03/13-2010/03/30)
- 金子(2010/04/05-2014/03/24)
- 佐藤(2014/03/31-)
- アシスタントディレクター見習い
- 柳沢真(1995/10/09-1996/09/29)
- 佐藤(2013/04/01?-2014/03/24)
- ミキサー
- 池田卓生(1995/10/09-1996/09/29)
- 平井 (1996/10/07-1998/09/28)
- ?
- 岡部勉(?-)
- アルバイト
- 構成作家
- 渡辺雅史 (1995/10/09-)
脚注
関連項目
外部リンク
- テンプレート:Cite web
- テンプレート:Cite web - ポッドキャスト
- テンプレート:Cite web
- テンプレート:Cite web - 放送開始から現在までの各回の放送内容
- ↑ 『Oh!デカナイト』最終回では、偽企画「芸と技 廻し職人スペシャル」で廻し職人として荘口彰久(当時ニッポン放送アナウンサー)にインタビューされる役を演じている。
- ↑ 『ニッポン放送開局記念日スペシャル 笑顔が一番!あなたと一緒に50年』(2004年7月15日)で放送された『Oh!デカナイト』復活版での伊集院本人の発言より。
- ↑ 『「坂本龍馬」の誕生』が高知出版学術賞受賞(人文書院)