気動車

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気動車(きどうしゃ)とは、人員・荷物もしくは貨物を積載する空間を有し、運転に必要な動力源として熱機関を搭載して自走する鉄道車両である。

現在の気動車は、動力として一般に内燃機関の中でも熱効率と安全性に優れるディーゼルエンジンが用いられている。そのため、日本では「ディーゼル動車」または「ディーゼルカー」(Diesel Car, DC)、「汽車」 などとも呼ばれる。対して、欧州では動力分散方式の車両を「マルチプル ユニット」と呼ぶことから、気動車を「DMU」(Diesel Multiple-Unit) と称する[1]。 また「レールカー」(Railcar) とも呼ばれる。

以下、特記ない限り、主に日本国内の事情に基づいて記す。

概要

動力

電車と同様に動力分散方式の鉄道車両に分類され、一両ごとに床下に内燃機関を配置し、複数両の車両を連ねる場合にはそれらを先頭車の運転台から一括して制御する、動力分散型総括制御方式を用いている。気動車の構造はその種類により全く異なるため、「#気動車の分類」に掲載されている各記事も参照。

ディーゼルエンジン以外の機関を持つ気動車

現在営業運行に供されている気動車では、ディーゼルエンジン以外の熱機関を搭載したものは皆無である。

過去においては、明治時代末期から戦後間もないころまでは蒸気動車があったほか、大正時代から1950年代まではガソリンエンジンを動力とする「ガソリン動車」(「ガソリンカー」とも)も存在したが、いずれも経済性・安全性などの面から廃れた。なお、ガソリン動車は戦後すぐに置き換えが進み、日本においては1969年磐梯急行電鉄廃止に伴い全廃されている。ガソリンカー廃止のきっかけとなった事件については西成線列車脱線火災事故を参照。

またガスタービンエンジンを搭載した「タービン動車」(「ターボトレイン」とも)も研究され、1960年代以降アメリカカナダフランス・革命前のイラン(フランスより輸入)などで実用化されたが、日本では燃費の悪さと甲高い騒音、故障の頻発が嫌われ、さらにオイルショックにも見舞われたため、キハ07 901キハ391-1の2両が試作されたのみで、実用化されなかった。

日本国外ではマイクロガスタービンを使用した新世代ガスタービン-エレクトリック式気動車が開発されつつある。

なお、歴史的に見ると日本における気動車用ディーゼル機関は、4ストローク式が主流で、かつての私鉄における少数の例外[2]を除き、2ストローク式の採用例はほとんど見られない[3]

車体

車体は、床下に架装されるエンジンと変速機、燃料などの重量や動揺に対応するため台枠強度を上げてあること、遮音・吸音に配慮されていること以外には一般的な客車や電車と大きく変わるところはない。出力面での制約を補うため、概して軽量化への志向が強い。

日本国内では、古い時代の基準でホームの高さが低いままの地方線区での使用が多く、乗降口にステップを備えている車両が多い[4]

燃料

現代のディーゼル動車では軽油が用いられている。また、一部の鉄道会社においてバイオディーゼル燃料が試験的に導入されている。

ガソリン動車はガソリンを使用していた。

戦争の影響による石油の不足により石油燃料に統制が敷かれていた1940年代には、ガソリン機関を(終戦後はディーゼル機関も)改造して木炭ガスや天然ガスを燃料に使用した例もある。

蒸気動車蒸気機関車と同様、石炭を使用しており、機関助手の乗務による投炭作業を要した。

運用特性

直接的な運転経費では動力費や保守整備費用で電車に劣る反面、発電所変電所架線など車両を動かすための電力系統の地上設備は不要である。輸送量が小さい路線において運用される場合、総合的に見ると経済的環境負荷も少ない。こうした特徴を利点として、東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄東横線)のように、電化線において変電所強化なしで列車増発を実施する目的で気動車を採用する事例が存在した。

編成として機能する特急形を除き、気動車は多くの場合1両ごとでの単独運転(単行)が可能である。

かつて日本国有鉄道(国鉄)の気動車は、特急形車両を除いて制御段数・制御信号及びブレーキシステムが統一、もしくは新旧互換化されており、急行形通勤形を問わず、全ての車両で連結・総括制御運転が可能であった。そのため、国鉄形の気動車を使用した列車には、一般用のキハ40系と急行用のキハ58系の混成編成など、異なる形式による編成も少なくなかった[5]。しかし、整備や車両運用の効率化を追及し、互換性を過度に重視したシステムは、車両性能進化を束縛することにもつながっていた。JRへの移行後はその傾向が弱まり、ようやく走行性能面での近代化が進展することになった。

また、電化設備の有無や変電所容量などの影響を受けずに走行が可能であるため、運用面でも柔軟性が高い。しかし、実際には気動車の運転免許(甲種内燃車運転免許)を有する動力車操縦者運転士乗務員)が必要となることや、自動列車保安装置の互換性などから、営業用の気動車が通常運行されていない区間に臨時列車として入線することは少なくなっている。他方、電化区間と非電化区間が混在する地域で機動性を求められる事業用車「East i-D」など)での採用例は、気動車の柔軟性を生かしたものと言える。

そのほか、電化区間でも閑散化が著しい場合、普通列車には編成単位の大きくなる電車でなく、小単位運用の可能な気動車を、近傍の非電化路線との共通運用によって代用する例もある[6]。特異な例として、仙石線陸前小野駅 - 矢本駅 - 石巻駅間は、東日本大震災津波で電化設備が故障しているために気動車を用いている。

なお、車両の動作メカニズム上、ディーゼルカーは停電などの非常時にも容易に運行可能と思われることがある。だが、現在の日本の鉄道の場合、実際には非電化路線でも、信号機閉塞・ATS・CTC駅舎内照明・踏切などさまざまな地上側設備に電力が使用されていることから、停電になった場合にはこれら地上側設備用の予備の電源系か、停電時にも使用可能な代替の閉塞方式が確保されていなければ、安全確保の都合上運行することは不可能である。すなわち、構造上自走は可能であるが運行自体は不能となる。

走行性能の特性

電動機に比べると、内燃機関の重量は出力に比して大きいことは否定できず、性能面で不利な部分があることは否めない。この点は国鉄時代に顕著であり、一例としてキハ58形で自重38t, 360PS=270kWであるのに対し、117系電車モハ117形は自重44tで480kWであったが、国鉄分割民営化以降の車両では概ね解決されてきている(キハ283系においては1両平均自重42t, 710PS=530kW)。これ以上の「速い、遅い」については、搭載した電動機、あるいはエンジンの性能の問題などそれぞれの車両の各論となり、本項で論ずるにはそぐわない。以下は主に動力源、あるいは電動機の制御方式の違いによる性能特性の違いを論ずる。

内燃機関一般の特徴として、常用域でのトルク変動が少なく出力が回転数にほぼ比例して上がり高回転域で最大出力に到達するという点がある。この特性を生かすためには多段変速機を用いてエンジンが最大出力を発揮している領域を使う必要がある。また、燃料の供給を調節することでほぼ任意の出力領域で部分負荷運転に対応できる。すなわち、おおむねどの速度域でも連続力行が可能となる。他方で、設計最高回転数以上での使用はエンジンブローを招くため不可能である。加えて内燃機関は過負荷・過回転への耐性が低く、電動機で許容される「短時間定格」運転の許容幅は極めて小さい。このため電動機で常用される「連続」定格を越えた出力での運転が困難である。

また、同様に拘束状態からの起動ができない。自動車の運転方法を見れば明らかなように、エンジンは常に一定以上の回転数で稼働していなければならない。エンジンを停止した状態でギヤをつないで、その後エンジンを起動することは実用上不可能である。そのため、クラッチ機構が必要である。現代の日本の車両では起動トルクの確保と半クラッチ制御を要しない点から、変速機の1段目は全てトルクコンバーターを介している。このため「起動加速力」は電車より大きいことが多い。

よって、

  • 電車の場合、VVVFインバータ制御あるいは電機子チョッパ制御等においてはいずれの速度域においても連続力行可能であるが、抵抗制御車の場合、抵抗器が全て短絡された状態になければ連続力行は不可能である。したがって任意の速度で、かつ自由な出力で力行が可能な気動車は速度の調整において、抵抗制御の電車に比較すると気動車が有利な点がある。例えば「速度制限のかかった勾配を連続して登る」場合には運転が容易になる。気動車は適切な出力で連続力行すれば良いが、抵抗制御車は断続的な力行を強いられる場合がある。また、空転をしない限りは前述のトルクコンバーターの作用により起動不可能に陥ることは少ない。
  • 電動機は回路に流せる最大電流によって、最大トルクが決定される。しかし、気動車ではトルクコンバーターの増幅作用により、低速域で大きなトルク=加速力を引き出すことができる。ただし、内燃機関は過負荷・過回転への耐性が低く、電動機で許容される短時間「定格外」運転の許容幅は極めて小さいため「連続」定格を越えた出力での運転が困難である。電車の場合はこの特徴を利用して停止状態から常用速度まで大きな加速を得ている。相対的に加減速を繰り返す運転をやや苦手とすることは否めない。
  • 電動機における特性領域ではトルクは速度の二乗に反比例して低下し最大出力を発揮できないが、「定トルク特性の機関」+変速機の組み合わせで駆動されている気動車ではこのようなことは生じない。よって高速域での加速力低下が比較的小さい。常用速度域の上限付近での加速機会が多い場合は有利に働く。ただし、この点は性能の設計次第の問題であり、例えばEF66形電気機関車では、定出力域が72km/h-108km/hに設定されており、特性領域は108km/hを越えた部分であるが、車両の最高運転速度は110km/hであり特性領域はほとんど使用しない。

ということが言える。

国鉄時代の気動車が重鈍であったことも、おおむね上記の内容で説明される。すなわち一つには絶対的な出力不足であり、もう一つは変直2段の変速機しか持たなかったことが原因である。上述の通り、変速機の低速側は起動用のトルクコンバーター段であることは変えられない。直結段はエンジンの最大回転数と車両の最高速度によって、比較的高速ギヤに固定されてしまう。したがって直結段に移ると途端にトルクが低下し、満足に加速しない、上り坂になれば速度が低下し変速段まで落とさなければ維持できないということが生じていたのである。これは1速と4速しか使えない自動車と、1,2,3,4速そろった自動車の走り方をイメージすればわかりやすい。


日本の気動車の略史

テンプレート:Main 日本の非電化鉄道路線では、1872年(明治5年)の鉄道創業から長らく蒸気機関車が牽引する客車列車を主力としていた。運転経費の低減とフリークエンシー向上に効果のある「自走式車両」の開発も試みられ、1905年に蒸気機関を搭載して自走する蒸気動車が出現したが、1910年代までに限られた両数が製造されたのみで一般化はしなかった。

その後、1921年にはガソリンエンジン動力の「ガソリンカー」が営業運転を開始、列車本数頻発や運行コスト低減のメリットから1930年代には国鉄・私鉄を通じて広く普及した。ディーゼルエンジン動力の「ディーゼルカー」は日本では1928年に出現したが、エンジン技術の未発達から戦前にはほとんど普及しなかった。

1937年日中戦争勃発以降、ガソリン不足によって内燃動車の新製および運行が年々困難となった。さらに1940年に発生した西成線列車脱線火災事故により、ガソリンカーの火災危険性が指摘された。これに伴いディーゼルカーへの転換が図られることになるが、同時期、戦時体制による燃料そのものの欠乏から、太平洋戦争中および終戦直後にかけ、内燃動車の運行自体が一時衰退する。

1950年以降、ディーゼルエンジン技術と燃料供給が改善されると、戦前のガソリンカーに代わってディーゼルカーが隆盛を極めることになった。特に1953年の液体式変速機実用化は、気動車による長大編成組成を可能とし、国鉄での著しい気動車普及の原動力となった。

蒸気機関車牽引列車に比して優れた居住性と走行性能を生かし、気動車による準急急行列車が出現、さらに1960年には特急列車も登場した。戦後しばらくの間、国鉄線は主要幹線でも電化率が低かったこともあって、気動車は全国で広範に用いられるに至った。

1970年代までには5,000両を超える大量の気動車増備が図られ、日本国有鉄道は世界最多の気動車保有数を誇った時期もあった。しかし、同時期に主要幹線の電化が進展したことで、気動車の地位は徐々に後退する。一方で、極端な車両標準化施策及び労使関係の悪化により、気動車技術の発達も停滞した。

1980年代以降、第三セクター鉄道向け軽量気動車の開発や新型エンジンの出現、電子制御式多段変速機の実用化などの技術改良から性能は大きく改善されたが、数を減らしつつあり、運用路線は主として地方の非電化亜幹線とローカル線に限定されるようになっている。

現状

現在、JR各社では亜幹線・ローカル線を中心に運用され、非電化区間は気動車の独壇場である。客車列車はすでに定期普通列車運用から完全撤退しており、少数の寝台列車ディーゼル機関車牽引で残存しているにすぎない。気動車に客車を連結して運転することも可能であり、分割民営化後も北海道の夜行列車で例があったが、現在では旅客列車では見られない[7]

国鉄継承の旧型車両から、JR移行後新製の車両まで、多彩な形式が存在する。なお、国鉄時代には気動車の荷物車郵便車も存在したが、JR移行後は、少数の事業用車両を除いてほとんどが旅客車である。

現代の気動車・高性能化とレールバス

ファイル:Kiha201 d101.jpg
キハ201系は450PS のエンジンを1両に2基搭載する
ファイル:Tarumi-Haimo180DC.jpg
バスタイプの外観を持つレールバス(樽見鉄道ハイモ180-200)

エンジンの高出力化と変速機の性能改善は著しく進展した。21世紀初頭の現在では、11 - 15リッタークラスの直列6気筒エンジンで定格460PSを発生する例もあり、各社が新製する2基エンジン搭載型気動車(多くは特急列車用)は電車と遜色ない走行性能水準に到達した。北海道旅客鉄道(JR北海道)の通勤形気動車キハ201系のように、電車と併結して協調運転を行う機能を備えた気動車も出現した。

車体を傾斜させることによりカーブを高速で通過できる機能を持った「車体傾斜車両」は、かつてはエンジントルクの反作用で車体がエンジンの回転方向の反対方向に傾くことや、プロペラシャフトの伸縮の制約などから気動車では不可能と見られていた。だが、1989年に試作車が製作され、翌1990年より量産が開始された2000系によって、エンジンの2基搭載によるエンジントルクの反作用相殺や、スプラインに変わるボール式伸縮機構の採用[8]によりそれらの問題を克服した「制御付き自然振り子式気動車」が実用化された。以降多くの車体傾斜式の気動車が各社で営業投入され、曲線区間の多い非電化幹線での大幅な高速化に寄与している。

また、JR東日本では、日本初の営業用のハイブリッド気動車であるキハE200形を開発し、運行を開始している。また、キハ160系もITTの導入に向けて試験走行が行われている。

一方、第三セクター鉄道や地方の非電化私鉄、またJR各社では、従来の国鉄型気動車よりも小型軽量で製造・運用コストの低い標準規格化車両が多く導入されている。これらについては「レールバス[9]と呼ばれることもある。富士重工業の「LE-CarLE-DC」シリーズ、新潟鐵工所の「NDC」シリーズの車両が該当したが、1980年代から1990年代にかけて製造されたバスのような外観の車両は1990年代後半以降廃れ[10]、本来の鉄道車両的な構造へと回帰しつつある。

高性能レールバスが出現すると、一部私鉄では電気鉄道でありながら気動車を運用する方が低コストと判断し、気動車運行に転換する例も出現した[11]

さらに現在では、道路鉄道線路の両方を走ることが可能な、鉄道車両とバスを兼ねる車両の研究開発もJR北海道などを中心に進んでいる。これについてはデュアル・モード・ビークル (DMV) を参照のこと。

メーカーの寡占化

かつては日本の主要な鉄道車両メーカーのほとんどが気動車製造を手がけていたが、1960年代以来大手メーカーは電車製造に重点を置くようになり、メーカーの寡占化が進んだ。1970年代以降、日本における気動車の大多数は客車ともども新潟鐵工所と富士重工業の2社で製造されるようになっていた。

しかし、2002年に新潟鐵工所が経営破綻し、さらに富士重工業も鉄道車両製造事業からの実質的撤退を発表した。その後、石川島播磨重工業(現IHI)が新潟鐵工所の当該部門へ出資したことにより新潟トランシス株式会社が設立され、上記2社の鉄道車両製造事業の一部を承継した。現在、新潟トランシスの気動車分野における日本国内シェアは約8割に達する寡占状態である。そのほかのメーカーでは日本車輌製造が近年気動車製造に力を入れていて、1970年代以降製造車両が少なかった私鉄においても納入例が増加しており、また近畿車輛も、2012年に気動車の製造に再参入することが発表されている[12]

なお、自身が気動車新製能力をもつ鉄道事業者は国鉄分割民営化以降JR北海道苗穂工場)のみとなっている。

今後の課題

昨今では、ディーゼルエンジンの環境に対する悪影響(大気汚染酸性雨地球温暖化)が強く指摘され、気動車やディーゼル機関車のエンジンにも環境対策を施す例が見られるようになった。

現在はエンジンの直噴化・ユニットインジェクターやコモンレールと電子制御インジェクターの組み合わせによる超高圧・多段燃料噴射の導入・自動車用エンジンで培われた熱効率向上など機関の改良が行なわれている。また DPF 取付や尿素SCRシステムによる排気ガス浄化・燃料のバイオディーゼルへの移行といった環境対策技術も導入されつつあり、変速・駆動系の改良も進んでいる。

さらに、従来の熱機関動力の車両を代替するものとして燃料電池を用いた車両も研究されており、現状の燃料電池の超々高コスト・貴金属使用が改善されれば鉄道用として導入される可能性もある。

気動車の分類

機関・燃料の種類による分類

  • 蒸気動車
  • ガソリン動車
  • ディーゼル動車
  • 天然ガス動車
  • ガス発生炉搭載動車(発生炉ガス動車) 
    • 車載ガス発生炉で固形燃料を不完全燃焼させ、発生したガス[13]を燃料にして走行する内燃動車。代用燃料車(代燃車)[14]の代表的存在であり、 ガス発生炉搭載動車のみを指して代用燃料車(代燃車)と呼ぶこともある。
  • ガスタービン動車
  • デュアルモード電車
    • フランスで、ローカル線用として実用化されている車両で、2004年から投入されている。電動機で駆動するが、駆動用電源はディーゼル発電機による発電と架線・パンタグラフ(現在は直流1500V電源に対応)集電の両方に対応する。端的に言えば電気式ディーゼルに対して架線から電力を得る回路を付加した形である。
  • 燃料電池動車(仮称、鉄道総研で開発中)
    • 燃料電池車両は、電源機構が一般的な熱機関に該当しない電気動力車であるため、正確には気動車の範疇に含まれない。ただし、非電化路線での気動車を代替する運用の想定や、在来型気動車およびハイブリッド気動車との開発研究上の兼ね合いから、気動車を解説する文脈で併せて取り上げられることが多い。

変速機による分類

詳細は、気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式の項を参照。

  • 流体式(液体式とも) - トルクコンバータ(略称・トルコン)を使用して総括制御可能とした変速方式。比較的軽量なことが特徴。戦後の日本における主流。かつてはトルクコンバータに依存する領域が広く、動力伝達時のロスを生じがちだったが、1990年代以降多段式の遊星歯車変速機を電子制御してトルクコンバータと組み合わせることで、広い速度域に適応させつつトルクコンバータへの依存領域を小さくする手法(2速以降はトルクコンバータを介さない)が普及し、伝達効率を向上させている。その為、現在の流体式と電子制御化された機械式との違いは、実質的に「起動の方法の違い」のみとなっている。
  • 機械式 - 自動車のマニュアル車同様に、変速機・クラッチを用いる原始的方式だが伝達効率は良い。過去においてはそれぞれ手動操作であり日本では1950年代前半まで主流だったが、クラッチ容量の限界による出力向上の制約や、当時の日本ではこの方式による総括制御の研究が進まなかったため、1960年代までにほぼ廃れた。
    • ただし昨今の技術向上に伴い、電子制御による総括制御が可能になったこともあり上述の通り流体式との差は小さくなってきている。。デンマークでは機械式気動車を用いた200km/h運転の試験が行われているが、これは多段変速液体式のトルコンを省略して摩擦クラッチのみの装備に置換したものである。
  • 電気式 - エンジン動力で発電を行い、発生電力でモーターを駆動して走行する方式。大出力向けで伝達効率自体は良く、保守点検も流体式に比べて容易であるため、重量は増加するものの世界的には主流とする国が多い。日本では1930年代~1950年代に若干の試験的な採用例が見られたのみであったが、2000年代に入り、ハイブリッド気動車という形態で新たな開発がなされている。


列車番号

国鉄およびJR各社、一部の第三セクター鉄道では、気動車列車の列車番号は原則として末尾に D(ディーゼル)が付けられる。

脚注

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関連項目

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  1. 但し、「DMU」(Diesel Multiple-Unit) が動力分散式のディーゼル列車を意味する言葉であるのに対し、日本語の気動車は蒸気動車、ガソリンカーも含む点で異なる。日本語の気動車の意味により近い英語にはSelf-propelled Railway Vehicle(もしくはSelf-propelled Car)がある。
  2. 1930年代にドイツ・ユンカースユニフロー掃気ディーゼルエンジンを輸入搭載して新造されたものや、太平洋戦争後に既存気動車に民生デイゼル工業製の自動車用クルップ式やデトロイトディーゼル式のユニフローエンジンを換装搭載した事例が数例ある。
  3. 国鉄で気動車開発に携わった技術者が、1930年代中期、2ストロークディーゼルエンジンが低回転でも高出力を得られることに関心を示していた形跡が、発表された論文等で確認できるが、実際の採用にまでは至っていない。(例)伊藤三枝(鉄道省工作局技師)「ディーゼル動車用機関の形態に就て」(「機械學會誌」213号p43-44 1935年1月)等
  4. 近年は運用線区のホームをかさ上げして、ステップをなくしたものも出てきている(JR四国1000形気動車など)。信楽高原鐵道の車両には、低床化を行って段差をなくしているものもある。
  5. かつての日本では、編成中の1両1両が違う形式で組成された気動車列車は国鉄・私鉄を問わずありふれたもので、1950年代から1970年代にかけて製造された形態も塗色も違う複数系列の気動車群が「気動車の展覧会」の如く凸凹だらけの長大編成を組んで走り回っている光景は、国鉄時代には珍しいものではなかった。
  6. 例として、羽越本線直流電化交流電化の境界である村上駅酒田駅間の普通列車には、製造コストのかさむ交直流電車の代わりに気動車が運用されている。また、現在は富山ライトレールとなった富山港線では、その末期、電化区間ながら日中の列車にワンマン運転が可能な気動車を投入していた。肥薩おれんじ鉄道も旅客列車は交流電車ではなく気動車による運転である。2009年10月から日豊本線佐伯駅 - 延岡駅間、2012年10月から室蘭本線苫小牧駅 - 東室蘭駅間の普通列車も全区間交流電化区間でありながらコスト削減のため従来の電車に代わって気動車によるワンマン運転が行われている。
  7. 旅客列車以外ではマヤ34形などの事業用客車を挟んで運行する例がある。
  8. 車体が傾斜した際、プロペラシャフトに大きなトルクがかかっていてもスムーズに伸縮できるように、ボールベアリングを数列並べた伸縮機構を持つプロペラシャフトを導入した。
  9. 西ドイツ国鉄シーネンオムニブスにヒントを得、小規模輸送用にバスの部品を流用して昭和20年代から30年代に製造された、国鉄のキハ01系南部縦貫鉄道キハ101・102などが、日本における「レールバス」の始祖とされることがある。しかし1920年代の日本では、ガソリンエンジン・変速機などの量産自動車用パワーユニットを流用し、当時のバス相当のシンプルな車体を備えた単端式気動車が多数就役しており、ことに「軌道自動車」を商品名とした日本車輌製造製のそれは、設計の規格化と量産効果による製作コストの低減、それに運用の容易さによる高頻度運転の実現などにより、地方の弱小鉄軌道が1920年代当時、急速に台頭し始めていたバスに対抗する上で大きな成果を上げたことで知られている。また、戦後の事例でも、1950年代には鶴居村営軌道山鹿温泉鉄道ではボンネットバスを改造して鉄輪をつけた、文字通りの「レールバス」を走らせていた。また変わったところでは、札幌市交通局が軌道線(路面電車)の延伸開業時に電化設備を省略するため、軌道線仕様の路面電車ならぬ路面気動車を導入したことがあった。これは同事業者のシステムの問題から廃止され後にも続かなかったが、その形態からレールバスの一種とされることが多い。
  10. この背景には信楽高原鐵道列車衝突事故の教訓がある
  11. 1920年代から1930年代にかけて、電化私鉄がコスト対策からガソリンカー併用を行った先駆例が複数存在するが、新型レールバス出現後の1980年代以降の気動車化では、名古屋鉄道の一部路線(現在は路線廃止)、近江鉄道(現在は電車運転)、くりはら田園鉄道(現在は路線廃止)、肥薩おれんじ鉄道といった例がある。
  12. 近畿車両、30年ぶりにディーゼル車両の生産再開 - 日本経済新聞電子版 2012年3月29日
  13. 発生したガスは使用した燃料により「木炭ガス」、「シンダガス」等と呼ばれるが成分的には大差がないものである。
  14. 戦時中は正規の燃料油以外の燃料を代用燃料と称した。代用燃料を使って走行する内燃動車が代用燃料車である。天然ガス動車も戦時中は代用燃料車の一種として扱われた。