1333年
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他の紀年法
できごと
- 4月9日(正慶2年/元弘3年閏2月24日) - 後醍醐天皇が配流先の隠岐を脱出する。
- 5月11日(正慶2年/元弘3年3月27日) - 名越高家・足利高氏、鎌倉から京都へ向けて出立。
- 5月30日(正慶2年/元弘3年4月16日) - 足利高氏、京都着。
- 6月10日(正慶2年/元弘3年4月27日) - 名越高家、赤松則村との合戦で敗死。
- 6月12日(正慶2年/元弘3年4月29日) - 足利高氏、丹波国篠村八幡宮にて旗揚げ。鎌倉幕府に反旗を翻す。
- 6月19日(正慶2年/元弘3年5月7日) - 六波羅探題、足利高氏・赤松則村・千種忠顕の軍勢に滅ぼされる。六波羅探題北方北条仲時、光厳天皇を擁して都落ち。
- 6月20日(正慶2年/元弘3年5月8日) - 新田義貞、上野国新田荘で挙兵。
- 6月21日(正慶2年/元弘3年5月9日) - 北条仲時、近江国番場(現在の滋賀県米原市番場)蓮華寺で自刃。大仏高直ら、千早城の包囲を解き、奈良興福寺に立てこもる。
- 6月23日(正慶2年/元弘3年5月11日) - 新田義貞、小手指原で幕府の軍勢を破る。(小手指原の戦い)
- 6月24日(正慶2年/元弘3年5月12日) - 新田義貞、久米川で幕府の軍勢を破る。(久米川の戦い)
- 6月27日(正慶2年/元弘3年5月15日) - 新田義貞、分倍河原で北条泰家の軍勢を破る。(分倍河原の戦い)
- 6月30日(正慶2年/元弘3年5月18日) - 鎌倉攻防戦(鎌倉の戦い)始まる。北条守時、洲崎で自刃。
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条高時・金沢貞顕・長崎円喜ら北条一門、鎌倉東勝寺で自刃。鎌倉幕府滅亡。
- 7月7日(正慶2年/元弘3年5月25日) - 鎮西探題北条英時、少弐貞経・大友貞宗・島津貞久らに攻められて博多で自刃。
- 7月8日(元弘3年5月26日) - 長門探題北条時直、降伏。
- 7月16日(元弘3年6月4日) - 後醍醐天皇、京都東寺に帰還。
- 8月4日(元弘3年6月23日) - 護良親王、征夷大将軍に任じられる。
- 9月14日(元弘3年8月5日) - 足利高氏、後醍醐天皇から一字を与えられ、名を尊氏と改める。
- 元弘3年9月 - 雑訴決断所設置
- 元弘3年10月 - 天皇側近の北畠親房、親房の子で鎮守府将軍・陸奥守に任命された北畠顕家が義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国へ派遣されて陸奥将軍府が成立
- 元弘3年12月 - 足利直義が後醍醐天皇皇子の成良親王を奉じて鎌倉へ派遣され、鎌倉将軍府が成立。
誕生
- 2月16日(正慶2年2月2日) - 善如、南北朝時代の浄土真宗の僧(+ 1389年)
- 上杉能憲、南北朝時代の武将(+ 1378年)
- エンリケ2世、カスティーリャ王国トラスタマラ王朝の初代国王(+ 1379年)
- 観阿弥、南北朝時代、室町時代の猿楽師(+ 1384年)
- 長尾高景、南北朝時代、室町時代の武将(+ 1389年)
- ミハイル・アレクサンドロヴィチ、トヴェリ大公(+ 1399年)
死去
- 2月21日(正慶2年/元弘3年2月7日) - 日興、鎌倉時代の僧(* 1246年)
- 3月2日 - ヴワディスワフ1世、ポーランド王(* 1260年/1261年)
- 4月15日(正慶2年/元弘3年閏2月1日) - 村上義光、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 4月27日(正慶2年/元弘3年3月13日) - 菊池武時、鎌倉時代の武将、菊池氏の第12代当主(* 1292年)
- 6月18日 - ハインリヒ15世、下バイエルン公(* 1312年)
- 6月20日(正慶2年/元弘3年5月8日) - 北条時益、六波羅探題南方(* 生年未詳)
- 6月21日(正慶2年/元弘3年5月9日)- 糟屋重行、鎌倉時代の武将(* 1270年)
- 6月21日(正慶2年/元弘3年5月9日)- 河越貞重、鎌倉時代の御家人、武蔵河越氏の第8代当主(* 1272年)
- 6月21日(正慶2年/元弘3年5月9日)- 北条仲時、六波羅探題北方(* 1306年)
- 6月22日 (正慶2年/元弘3年5月10日) - 恒性皇子、鎌倉時代の皇族(* 1305年)
- 6月30日(正慶2年/元弘3年5月18日) - 北条守時、鎌倉幕府第16代執権(* 1295年)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 安達時顕、鎌倉時代の御家人(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 諏訪直性、鎌倉時代の得宗被官(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 摂津親鑑、鎌倉時代の武士、文官(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 長崎高重、鎌倉時代の得宗被官(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 長崎高資、鎌倉時代の得宗被官(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 長崎円喜、鎌倉時代の得宗被官(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条国時、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条基時、鎌倉幕府第13代執権(* 1285年)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条高時、鎌倉幕府第14代執権(* 1303年)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条貞顕、鎌倉幕府第15代執権(* 1278年)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条貞直、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条貞将、鎌倉時代の武将(* 1302年)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条茂時、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条高朝、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 7月7日(正慶2年/元弘3年5月25日) - 北条英時、鎌倉時代の武将、鎮西探題(* 生年未詳)
- 7月10日(正慶2年/元弘3年5月28日) - 北条邦時、鎌倉幕府第14代執権北条高時の長男(* 1325年)
- 8月19日(正慶2年/元弘3年7月9日) - 北条治時、鎌倉時代の武将(* 1318年)
- 9月25日(正慶2年/元弘3年8月16日) - 守邦親王、鎌倉幕府第9代征夷大将軍(* 1301年)
- 11月19日(正慶2年/元弘3年10月12日) - 西園寺禧子、後醍醐天皇の中宮(* 1303年)
- 12月22日(正慶2年/元弘3年11月15日) - 日目、鎌倉時代の法華宗富士門流の僧(* 1260年)
- イブン・ジャマーア、シリアのシャーフィイー派イスラム法学者(* 1241年)
- エル・テムル、元の将軍(* 生年未詳)
- 庄資房、鎌倉時代の武将(* 1283年?)
- ステファノス・ガヴリイロプロス、セサリア君主国の独立支配者(* 生年未詳)
- 北条貞冬、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)