札幌市内の通り
札幌市内の通り(さっぽろしないのとおり)は、中心市街地を始めとして京都の街並みやタウンシップ制をモデルに計画された碁盤の目状の区画に特徴がある。この記事では札幌市の主な通りの一覧を示す。市内には多くの通りがあるが、その中でも幹線道路として都市計画決定されているものや、幅が広く交通量が多いもの等、都市の骨格を形成している主要な通りを示す。なお、正式な通りの名称の場合「通」に送り仮名は付さない。
目次
北区(南部)、中央区、東区の通り
札幌市の中心部を含み、東西南北から僅かに西側(反時計回り)に傾いた区画を持つ(中心部から北区・東区にかけては約9°、中央区の山鼻地区では約5°傾いている)。碁盤の目状に整然と整備された札幌の町並みとして紹介されるのは主にこの範囲を指す。南北は大通を基準に北1条、北2条・・・、南1条、南2条・・・と、東西は創成川を基準に東1丁目、東2丁目・・・、西1丁目、西2丁目・・・と順に区画されており、中心部では約130m間隔でこれらの数字の付いた通りがある。この地域の住所も、「北○条西○丁目」のように表示されるが、住所と通りの関係はこの地域内でも場所によって異なる(例えば、南1条通の場合、西1丁目~西19丁目までは通りの両側の住所が「南1条西○丁目」であるが、創成川以東や西20丁目以西では、通りが南1条と南2条の境界となる 等)。
中心部の区画は、1869年から開拓使によって建設された札幌本府の区画を起源としている。1871年に定められた本府の通り名には、当初、北海道内の国郡名が付けられていた。1881年にこれらの通り名は現在の大通と創成川を中心とする条丁目で表される名称に改められた[1][2]。旧名称と現名称の対比は次の通り。
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</td> </tr></table> 以下、この地域の主な通りを示す。上述の通り、中心部には条丁目1本ごとに通りが存在するが、その中でも主なものを示す。なお、東区の東部は上記の区画にはなっていないが、市街地が連続しており、便宜的にここでまとめて示すこととする。 南北の通り東側から
東西の通り北側から
北区(北部)、西区、手稲区の通り札幌市北部から西部にかけての地域であり、区画は東西南北から東側(時計回り)に10°~40°程度傾いているが、近年宅地開発された地域を除き、概ね碁盤の目状の直行する区画を基本とする地域が多い。明治8年~22年に入植した屯田兵により開拓が行われた地域が複数あり、こうした地域では屯田兵村の区画が現在の道路網の基になっている[3][4]。また、この地域の区画は、明治13年に敷設された幌内鉄道(現在のJR函館本線)に並行・直行する形になっているものが多く、この鉄道が早くから存在していたこともこの地域の区画形成に影響を与えたと考えられる。例外的に、西区発寒地区では、屯田兵村の区画が、稲荷街道(現:市道稲荷線、稲荷通、稲山通とも呼ばれる)を中心にほぼ東西南北の方角に沿って作られたため、現在は都市計画道路とは斜めに交差する道路が多くなっている[5]。 北西~南東の通り北東側から
北東~南西の通り南東側から
豊平区、白石区、南区、厚別区、清田区の通り札幌市の南部から東南部を占めるこの地域では、各方面に放射状に延びる現在の国道の基となる道路が明治初期から開かれており、これらの道路を中心に市街地が形成されていった。さらに、それらを横方向に結ぶ環状的道路や並行するバイパス的道路が次第に整備され、放射環状型の道路網が形成されている。 南北または北西~南東(放射状)の通り東側から
東西または北東~南西(環状)の通り北側から
札幌の幹線道路札幌市は190万人を抱える大都市でありながら都市高速道路が無い。都市高速の無い政令指定都市としては、札幌市以外にも仙台市、千葉市、静岡市等が挙げられるが、これらの都市は国道のバイパスや自動車専用道路のネットワークが形成されているなど、都市高速に代わる道路が整備されている(2010年現在)。 札幌市では、昭和30年代以降、人口の増加や周辺町村との合併による市街地の拡大に伴い道路整備の必要性が高まり、1965年(昭和40年)に都市計画道路の全面変更とともに「1バイパス1環状5放射道路」整備計画が策定された。その後、1966年(昭和41年)には、1972年札幌オリンピックの開催が決定し、オリンピックの円滑な運営のため、開催会場をつなぐ幹線道路の整備が急速に進められることとなった。 オリンピックに関連して、道内初の高速道路となる札樽自動車道(札幌西 - 小樽間)や道央自動車道(千歳 - 北広島間)の整備も進められたが、市内においては当時まだ広い用地が比較的確保しやすかったことから、わざわざ既存の道路等の空間を活用して高架道路を造らなくても、平地に広幅員の道路を造ることが可能であり、オリンピックに関連して進められた道路整備も主に一般道路のネットワーク充実を図る形で行われた[6]。その点は、既に過密化し限られた都市空間を有効に活用するため首都高速道路によって交通事情の改善を図った東京とは事情が異なっている。 市内の幹線道路の計画は、その後、1988年(昭和63年)の第3次札幌市長期総合計画における「2バイパス2環状13放射道路」等へ順次拡充・見直しが図られ、2010年3月に公表された「道央都市圏の都市交通マスタープラン」では、「2高速3連携2環状13放射道路」が明記されている[7]。 これまでの各計画における主要幹線道路計画の概要を以下に示す。
上記の各計画では、いずれも都市高速の整備については明記されておらず、都市内の幹線道路は札樽自動車道、道央自動車道以外は一般道路として整備が進められてきた。下表に、上記各計画で明記され整備が進められた主要幹線道路の概況を示す。これらの道路のうち、札幌新道と札樽道・道央道以外は、札幌市が管理する市道もしくは道道であり、また並行する国道のバイパス機能を持つ道路でもある。車線数は4ないし6車線となっており、大部分の区間が中央分離帯や河川によって上下線が分離されていたり、交差する道路や信号が少ない等、比較的高速走行が可能な形での整備がなされている(それぞれの道路の詳細については各道路の項を参照)。 これらの道路は、こうした形での整備がなされたことで、現在でも市内の主要な幹線道路として多くの交通量を捌いている。また、これらを含む市内の都市計画道路の改良率は平成20年度で91%に達しており[9]、全国の政令市の中でもトップである[10]。 こうした状況から、札幌市内の幹線道路網は都市高速がない形でほぼ完成に近づきつつある。しかしながら、既存の高速自動車国道のICから都心までの距離が長く、新千歳空港や道内他都市からのアクセスに時間がかかることから、地元経済界等から都市高速の整備を望む声がある[11]。上記の「道央都市圏の都市交通マスタープラン」においては、都心から国道5号(創成川通)に沿って札樽道札幌北ICまでの区間で高速道路とのアクセス強化を図ることが明記されている。また、南区方面の豊平川通についても都心アクセス強化道路軸に位置づけられている。これらの道路については、今後、都市高速もしくはそれに近い機能を有する道路としての追加整備や機能強化が図られる可能性がある。 放射状道路
環状道路
関連項目注釈・参考資料 |
- ↑ さっぽろ文庫58 札幌の通り 札幌市教育委員会編 北海道新聞社 1991年 64頁
- ↑ 石狩市役所 石狩ファイル
- ↑ 札幌市西区 歴史の街 西区
- ↑ さっぽろ文庫58 札幌の通り 札幌市教育委員会編 北海道新聞社 1991年 26頁 - 35頁
- ↑ さっぽろ文庫58 札幌の通り 札幌市教育委員会編 北海道新聞社 1991年 84頁
- ↑ 6.0 6.1 さっぽろ文庫58 札幌の通り 札幌市教育委員会編 北海道新聞社 1991年 136頁 - 146頁
- ↑ 7.0 7.1 道央都市圏パーソントリップ調査 道央都市圏の都市交通マスタープラン
- ↑ 第4次札幌市長期総合計画
- ↑ 札幌市総合交通計画部 さっぽろの交通 都市計画道路整備状況
- ↑ 札幌市総合交通計画部 さっぽろの交通 都市計画道路整備状況 他都市との比較
- ↑ 平成22年1月27日 北海道新聞
- ↑ 平成22年7月14日 第1回「札幌市総合交通計画策定委員会」資料