山形県立山形東高等学校
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テンプレート:日本の高等学校 山形県立山形東高等学校(やまがたけんりつ やまがたひがしこうとうがっこう、英称:Yamagata Prefectural Yamagata East High School)は、山形県山形市緑町一丁目にある県立の高等学校。
通称は「山東」(やまとう)、「山形東」(やまがたひがし)、山形市近辺では「東高」(ひがしこう)とも呼ばれている。
概要
- 歴史
- 1884年(明治17年)に山形県師範学校から独立の上創立された「山形県中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革によって新制高等学校となった。当初は男子校であったが、1950年(昭和25年)から男女共学を開始した。2014年(平成26年)に創立130周年を迎える。
- 校訓
- 「文武両道・質實剛健・自學自習」
- 教育課程
- 授業は65分で行われる(1958年(昭和33年)から実施)。2003年度(平成15年度)入学生から1クラス減の一学年6クラス編成の240名となった。また、同じく2003年度より従来の3学期制から、前期(4~9月)・後期(10~3月)の2学期制へと移行した。但し前期・後期間の秋季休業等は設けられておらず、3学期制をとる学校と長期休業期間はほぼ同じである。
- 校舎
- 現在の校舎及び千歳園山東講堂は、創立100周年時に記念事業として竣工した。
沿革
- 前史
- 旧制中学校時代
- 1884年(明治17年)10月 - 山形県師範学校から中学科が分離し、「山形県中学校」として独立。(創立年)
- 1886年(明治19年)9月 - 中学校令の施行により、「山形県尋常中学校」に改称。
- 1900年(明治33年)
- 3月1日 - 新庄分校を設置。
- 4月1日 - 中学校令の改正により、「山形県立山形中学校」と改称。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 新庄分校が分離し、山形県立新荘中学校として独立。
- 1911年(明治44年)5月 - 山形市北大火により、校舎が全焼。
- 1912年(明治45年/大正元年)- 校舎を再建。
- 1936年(昭和11年)8月 - 第22回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園大会の前身)に初出場。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。山形県立山形夜間中学校を統合し、夜間課程とする。
- 1944年(昭和19年)
- 2月 - 本校舎が全焼。
- この年 - 勤労動員が開始。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策の修業年限4年施行前倒しにより、5年生と4年生の合同卒業式を挙行。
- 本来、修業年限4年が施行されるのは中等学校令が施行された1943年(昭和18年)4月に入学した生徒が4年を修了する1947年(昭和22年)3月であったが、戦況の悪化により中等学校令施行前の1941年(昭和16年)以降に入学した生徒にも修業年限4年が適用されることになった。これにより、1940年(昭和15年)入学の5年生と1941年(昭和16年)入学の4年生の合同卒業式が行われた。
- 4月1日 - 学校での授業を停止。ただし勤労動員は継続。
- 8月 - 終戦。
- 9月 - 授業を再開。
- 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策の修業年限4年施行前倒しにより、5年生と4年生の合同卒業式を挙行。
- 1946年(昭和21年)
- 4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 7月 - 学校復興促進委員会が結成され、校舎の再建が協議される。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧制中学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校は廃止され、新制高等学校「山形県立山形第一高等学校[4]」(男子校)が発足。
- 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校を継承し(名称:山形県立山形第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 通常制普通課程(修業年限3年)を設置。定時制普通課程(夜間)と通信教育部を併置。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 高校三原則に基づく高校再編により、山形県立山形第五高等学校と統合され、「山形県立山形東高等学校」(現校名)が発足。
- 旧・第一高等学校(旧制中学校)校舎を「東校舎」、旧・第五高等学校(高等女学校)校舎を「西校舎」とする。
- 男女共学を開始。
- 1952年(昭和27年)4月 - 統合が解消され、山形県立山形北高等学校が分離独立。
- 1957年(昭和32年)2月13日 - 新校旗を制定。
- 1969年(昭和44年)8月 - プールが完成。
- 1975年(昭和50年)6月25日 - 創立90周年を記念して武道館が完成。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)1月 - 第63回全国高等学校サッカー選手権大会に初出場。
- 1987年(昭和62年)8月 - 全国高等学校クイズ選手権第7回大会で優勝。
- 1989年(平成元年)3月23日 - 奨学会が財団法人として認可される。
- 1990年(平成2年)5月26日 - 後援会が発足。
- 1997年(平成9年)4月13日 - 山形県立霞城学園高等学校の新設により定時制課程と通信制課程の募集を停止。
- 2000年(平成12年)3月31日 - 定時制課程と通信制課程を廃止。
- 2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災により校舎一部被害、春期講習や終業式中止といった大きな影響が出た。
施設設備
- 本校舎
- 口の字型に配置された3階建の建物を、南側の正面玄関から北側の普通教室棟に向かって2階建の中央廊下が南北に貫く形となっている。地形的な理由により生徒昇降口が本校舎1階よりも低い地階(地下ではない)にあり、生徒昇降口・グラウンド側から見ると4階分の高さがある。普通教室棟については、1階が1年教室、2階が2年教室、3階が3年教室となっている。3年教室については、2006年よりクーラーが設置された。
- 和風庭園 - 中央廊下東側。小川や池があり、学級の記念写真撮影場所となっている。
- 洋風庭園 - 中央廊下西側。
- ピロティ - 本校舎地階部分にある運動場である。
- 理科棟
- 本校舎の南側にある3階建の建物。1階が化学室、2階が生物室、3階が物理室となっている。主に2,3年生と科学部が使用する。本校舎と1,2階部分を渡り廊下で接続されている。
- 向学棟
- 本校舎の南南西にある3階建の建物で、渡り廊下により本校舎とは2階部分がつながっている。かつては通信制の校舎であった。霞城学園高の新設に伴い、同校から定時制・通信制が廃止され、霞城学園高は山形駅西口の霞城セントラルビルに校舎を設置したため、現在は、社会科や平日講習等の授業場所、3年生の自習場所、文化部の部活動場所として利用されている。またコンピュータルームを2003年に整備・運用開始し、情報の授業や総合学習の調査等で使用している。高速インターネット・LANシステムを完備。
- 本棟は千歳園山東会館と隣り合わせのため、昼食時に食堂を利用するための通路ともなっている。
- 体育館
- バレーボールコート4面分の広さを備える。地階部分は卓球場・トレーニングルームとなっている。
- 屋内練習場
- 野球部が屋内の練習場として利用している。
- 武道館
- 1階がフェンシング場、2階が柔道場、3階が剣道場となっている。
- 50mプール
- 同校のすぐ北東に隣接してある山形工業高と共用である(授業時は山形工業高が屋内、同校が屋外プールを使用する。)。水球(山形工業高の部活動で利用)ができる仕様のため、両プール共水深が深い。
- グラウンド
- 山形工業高との共用である。
- 千歳園山東講堂
- 創立100周年記念として本校舎と共に竣工した。定員1,008名。各種儀式・集会の他、音楽演奏会、山東祭メイン会場、予餞会等幅広く利用されている。過去にはNHK交響楽団や山形交響楽団の演奏が同館で行われたこともある。普段は吹奏楽部が主に利用している。
- 千歳園山東会館
- 創立120周年記念として竣工した食堂付の合宿所。過去、食堂は存在していたが焼失してしまい、同校は山形市内で唯一食堂の無い高校であった。2004年に同館が完成し同年より運用開始となった。授業・土曜セミナー(土曜日に行われる講習)の日の昼に食堂が利用できる。保安上の理由で撤去されていた自動販売機が、同館開館と共に内部に設置された(2003年までは武道館脇の屋外に設置されていた。ちなみに、2009年に武道館脇の屋外の自動販売機は再設置された。)。また部活動の校内合宿場所として利用されている。
年中行事
- 前期
- 東南定期戦(4月)
- 新入生歓迎校内駅伝大会(4月下旬~5月上旬のいずれか)
- 研修旅行(5月、無期限中止)
- 音楽鑑賞教室(5~7月のいずれか)
- クラスマッチ(7月)
- 体育祭(7月)
- 甲子園予選全校応援(7月)
- 山東祭(8月)
- 後期
- 遠足(10月)
- 1日総合大学(10月)
- 創立記念式典(10月29日)
- 創立記念日に開催される行事。創立記念式典と、外部の識者による記念講演会の2部構成で開催。例年、山形東高講堂にて開催されるが、10年単位の節目の年には、山形県県民会館で開催される。
- 峠の力餅集会(11月)
- 受験期で最も苦しい時期に差し掛かっている3年生を応援するために行われる行事。3年生が参加する。配られる餅が「峠の力餅」と呼ばれることから行事名となっている。
- 演劇鑑賞教室(11月)
- センター試験出陣式(1月)
- 予餞会(2月)
- 卒業を控えた3年生のために、1・2年生が主催して行う行事。
生徒会機関
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部活動
- 体育部
- 弓道部
- 剣道部
- サッカー部 - 全国高等学校サッカー選手権大会に出場した経験を持つ。第63回大会
- 山岳部
- 柔道部
- 水泳部
- スキー部
- ソフトテニス部
- 体操部
- 卓球部
- テニス部
- バスケットボール部
- バドミントン部
- バレーボール部
- ハンドボール部
- フェンシング部
- 野球部 - 旧制中学校時代、全国中等学校優勝野球選手権大会(夏の甲子園大会の前身)に出場経験がある。(第22回・第23回・第24回・第25回・第28回)
- 陸上競技部
- 文化部
- 生徒会管轄部
- チアリーダーは、元々女子生徒の「女子は応援団に入ることができないのか」という要望がきっかけで創設された。折しも当時、部員減少により応援団が存続の危機に立たされていたため、チアリーダーの結成を約300人で組織する応援団OB会が呼応、チアリーダーのユニフォーム代などをバックアップする形で創設が実現した。
交通アクセス
著名な出身者
- あ
- 安達峰一郎 (外交官、国際法学者。第4代常設国際司法裁判所所長)
- 阿部次郎 (哲学者)
- 阿部正俊 (元参議院議員)
- 石澤靖治 (学習院女子大学教授・ジャーナリスト)
- 板垣信幸(NHK解説委員室解説主幹)
- 伊藤八右衛門(蔵王国際ホテル社長)
- 伊藤明美(蔵王国際ホテル女将)
- 遠藤利明 (衆議院議員・第13代文部科学副大臣)
- 太田政弘 (第30代警視総監、第14代台湾総督)
- 大沼八右衛門(大沼社長)
- 大場茂馬 (刑法学者)
- 小川糸(小説家・作詞家)
- 小川徳男(元トヨタ輸送社長)
- 奥山清行 (工業デザイナー)
- か
- 加藤典洋 (早稲田大学教授、文芸評論家)
- 叶内紀雄 (元殖産銀行頭取)
- 叶内文子(フリーアナウンサー)
- 鹿野道彦 (前衆議院議員・元農林水産大臣・元総務庁長官・新党みらい元代表・国民の声元代表・民主党元副代表)
- 川井巌(海軍少将、第四艦隊先任参謀)
- 日下部四郎太 (物理学者)
- 上月正博(東北大学教授)
- 瀬川章友 (陸軍中将)
- 小磯國昭 (第41代内閣総理大臣、第100代陸軍大将)
- 高山岩男 (哲学者)
- 後藤ひろひと (吉本興業所属Piperの俳優・脚本家)
- 近藤洋介 (衆議院議員)
- さ
- 斎藤たま(民俗わらべ遊戯研究家)
- 齋藤弘 (山形県前知事)
- 柴田徹 (NHK山形放送局アナウンサー)
- 神保光太郎 (詩人、独文学者)
- 鈴木寿 (中央大学教授)
- 須藤満 (元T-SQUAREのメンバーのベーシスト)
- 相馬健一(元山形新聞社社長)
- た
- な
- 内藤雄(海軍大佐、連合艦隊航空参謀)
- 長岡弘樹(作家、日本推理作家協会賞受賞)
- 那須傳夫(宇都宮大学名誉教授)
- 新関良三 (独文学者、文化功労者)
- 丹羽厚悦 (山形銀行顧問、前頭取)
- 庭崎孝賢(月蔵院住職)
- は
- 長谷川公一 (東北大学教授、社会学者)
- 長谷川吉茂 (山形銀行頭取)
- 服部公一 (作曲家)
- 花輪金一(映画監督)
- 日野雅夫 (元山形県副知事)
- 平塚広義 (東京府知事)
- 深水黎一郎 (作家、日本推理作家協会賞受賞)
- 降矢敬義 (元参議院議員、自治事務次官)
- 星川清司 (直木賞作家)
- 星川保松 (元民主改革連合代表、元参議院議員、元尾花沢市長)
- 細谷正宏 (同志社大学大学院教授、歴史学者)
- ま
- 松永直子 (元静岡放送アナウンサー)
- 三浦新 (元山形銀行頭取・会長)
- 三浦新七 (経済学者、東京商科大学学長)
- 三上ちさ子 (fra-foa)
- 三矢重松 (国語学者)
- 峯田義郎(東北芸術工科大学教授)、
- 無着成恭 (教育者・評論家)
- トシコ・ムトー (漫画家)
- や
- 山内志朗 (慶應義塾大学教授、哲学者)
- 山口岩男(ウクレレ奏者)
- 結城章夫 (山形大学学長、第3代文部科学事務次官)
- 結城豊太郎 (第37代大蔵大臣・第15代日本銀行総裁)
- 吉田熊次 (教育学者)
- 吉田司 (ノンフィクション作家)
- わ