おはよう!こどもショー
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『おはよう! こどもショー』は、1965年11月8日から1980年9月28日まで日本テレビ系列局で毎週月曜日から日曜日の早朝(7時 - 8時頃)に放送されていた子供向け番組。平日版は1979年3月2日をもって終了。土日版は一部ネット局で1980年9月まで継続した。
概要
- 『テレビのおばちゃま』(1957年 - 1965年)から日本テレビの子供向け早朝番組を引き継ぐ形で放送開始。
- 放送時間は、それぞれの年代によって時間枠が変更されていた。下記を参照。
- 当番組の初代マスコットキャラ「ロバくん」は、愛川欽也が声を担当した他、着ぐるみだった頃はスーツアクターも兼任していた。なお、ロバくんと同時期の番組キャラクターとしては、「ガマ親分」(声:加藤精三)、「怪獣おじさん」(演:朝戸鉄也)、「怪傑ロバ頭巾」(演:愛川欽也)などがいた。
- 番組最晩年の1978年 - 1979年頃には、つボイノリオがナビゲーターを務めた「なにがあったか○月○日」(○には放送当日の日付が入る)というコーナーがあった。これを発展させたのが『午後は○○おもいッきりテレビ』→『おもいッきりイイ!!テレビ』および『おもいッきりDON!』→『DON!』のコーナー「きょうは何の日」で、『DON!』が終了する2011年3月25日まで続いた。
- この番組のアシスタントディレクターの一人には、若き日のテリー伊藤が居た。
- 開始当初は複数社提供だったが、1967年4月より提供スポンサーの無いPT番組(NSP)に変更された[1]。
放送時間
いずれも日本時間。日本放送出版協会「放送学研究」からの参考。
開始年月 | 平日 | 土曜 | 日曜 |
---|---|---|---|
1965年11月 | 7:15 - 8:15 | - | |
1969年04月 | 7:15 - 8:30 | ||
1969年10月 | 7:15 - 8:00 | ||
1970年10月 | 7:15 - 7:55 | ||
1971年04月 | 7:15 - 8:00 | ||
1972年01月 | 7:25 - 8:15 | ||
1974年04月 | 7:00 - 7:45 | 7:00 - 7:45 | |
1977年04月 | 7:45 - 8:25 | ||
1978年04月 | 7:30 - 8:30 | ||
1979年03月 | - | 7:00 - 7:45 |
平日
- 7:15 - 8:15 (1965年11月 - 1969年3月)
- 7:15 - 8:30 (1969年4月 - 1969年9月、ニュース枠廃止で延長)
- 7:15 - 8:00 (1969年10月 - 1971年12月、『木馬座アワー』→『チビラくん』などのため短縮)
- 7:25 - 8:15 (1972年1月 - 1974年3月、『NNNモーニング7』設置で枠移動)
- 7:00 - 7:45 (1974年4月 - 1977年3月)
- 7:45 - 8:25 (1977年4月 - 1978年3月、『NNNおはよう!ニュースワイド』設置、『カリキュラマシーン』移動のため)
- 7:30 - 8:30 (1978年4月 - 1979年3月、『カリキュラ』を合併。)
次番組は7:00 - 8:30の『ズームイン!!朝!』
土曜日
1965年10月から1979年3月までは平日と同じ。
- 7:00 - 7:45 (1979年3月 - 1980年9月、「おはよう!のどじまん」を放送)
次番組は『おはよう!サタデーOMOTAME情報局』
日曜日
- 7:15 - 7:55 (1970年10月 - 1971年3月)
- 7:15 - 8:00 (1971年4月 - 1974年3月、ミニ番組『あなたも体操を』の廃止で延長)
- 7:00 - 7:45 (1974年4月 - 1980年9月、1978年4月以後は「小学生野球大会」を放送。)
次番組は『おはよう!サンデー』
休止は報道特別番組が編成された時程度で、年末年始でも放送していたが、日曜版は1978年以降、毎年8月に放送される大型特別番組『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』編成の際に休止された。
出演者
開始〜1972年春まで
司会
- 石川進(キューピーちゃん、開始〜1972年3月まで、楠→天地→小鳩と曜日別で司会を担当)
- 楠トシエ(ビンちゃん、開始〜1970年3月まで、石川と曜日別で司会を担当)
- 天地総子(おねえさん、1970年4月〜1971年3月まで、石川と曜日別で司会を担当)
- 小鳩くるみ(おねえさん、1971年4月〜1972年3月まで、石川と曜日別で司会を担当)
レギュラーなど
- ロバくん〔兄〕(着ぐるみ、演技と声・愛川欽也)
- ロバくん〔弟〕(着ぐるみ、声・富山敬)
- ロバくん(マペット人形、声・田の中勇)
- ガマ親分(着ぐるみ→マペット人形、着ぐるみの演技[2]と声・加藤精三)
- 阿知波信介(体操のお兄さん)
- 太田真知(体操のお姉さん)
1972年春〜1977年秋まで
司会
- 鶴間エリ(エリちゃん、1972年4月〜1973年10月まで司会を担当)
- 海老名美どり(みどりちゃん、1973年11月〜1975年6月まで司会を担当、峰との結婚を機に降板)
- 三井恒 (おにいさん、1972年4月〜1974年11月まで鶴間→海老名のアシスタントを担当)
- 朝戸鉄也(怪獣おじさん、小太郎おじさん、1973年11月の「グリーンマン」スタートを機に特撮コーナーの解説・司会アシスタントとしてレギュラー入り。1975年4月の「牛若小太郎」終了と同時に降板)
- 関谷ますみ(マミちゃん、1975年7月〜1977年9月まで司会を担当)
- 橋達也(たっちゃん、1974年10月〜1977年9月まで海老名→関谷のアシスタントを担当)
「のどじまん」コーナー司会
- 大村崑(トンカチうたじまん司会、1971年6月〜1975年10月まで出演)
- 石川牧子(当時日本テレビアナウンサー、大村のアシスタント役を担当)
- 横山やすし・西川きよし(「こどものどじまん」初代司会、1975年10月〜1976年3月まで出演)
- 青空球児・好児(「こどものどじまん」2代目司会、1976年4月〜9月まで出演)
- 黒澤久雄(「おはよう!のどじまん」司会、1976年10月〜出演)
- 長谷川コッペ(「おはよう!のどじまん」司会、1976年10月〜出演)
レギュラーなど
- 峰竜太(体操のおにいさん、1976年に石原プロへの入社、海老名との結婚を機に降板)
- オットくん(着ぐるみ、声・雷門ケン坊)
- ニャンダ(着ぐるみ、キャラクターデザイン・赤塚不二夫、声・海野かつを)
- サンダー杉山(サンダーおじさん→ゴキブリ)
- 山下毅雄(トンカチうたじまん審査員)
- 薗田憲一とデキシーキングス(トンカチうたじまん演奏)
- 谷啓(「こどものどじまん」初代審査員、やすし・きよし時代に出演)
- ハナ肇(「こどものどじまん」2代目審査員、球児・好児〜黒澤・コッペ時代に出演)
- JJS(JOHNNY'S ジュニア・スペシャル)(親子ゲーム進行・「おはよう!のどじまん」レギュラー、1976年10月〜1978年まで出演)
- 古谷三敏(ダメおやじの何でも相談)
- マンガ太郎
- 藤島ジュリー景子
- 坂上忍
最晩年(1978年〜1979年頃)
- 大場久美子(おねえさん、1977年10月〜1979年2月まで「けでんと17号」レギュラーとして司会を担当
- つボイノリオ(ディスクジョッキー、1977年10月〜1979年2月まで「ミニミニワイドジャーナル」レギュラーとして司会を担当(当初は小川と週交代、後期は片山典子と曜日別で出演))
- 小川哲哉(ディスクジョッキー、1977年10月より「ミニミニワイドジャーナル」をつボイと週交代で担当、短期間で降板)
- しものひろみ(ディスクジョッキー、1978年4月〜1979年2月までつボイのアシスタント役として出演)
- 片山典子(ディスクジョッキー、1978年4月〜1979年2月まで「ミニミニワイドジャーナル」レギュラーとして司会を担当<つボイとの曜日別で出演>)
- 佐藤B作(ディスクジョッキー、1978年4月〜1979年2月まで片山のアシスタント役として出演)
- 太川陽介(1977年10月より出演)
- 香坂みゆき(1977年10月より出演)
- リトルピンク
- 車だん吉(「けでんと17号」のイビリマン役、1977年10月より出演)
- 熊倉一雄(「こりゃなんだ」コーナー担当、1977年10月より出演)
- 松金よね子(同上)
- 森川正太(同上)
- 齋藤太朗(ギニョさん、「カリキュラマシーン」統合に伴い、1978年より同コーナーの進行役として出演)
- モーニングス(少年野球チーム。日曜放送分に出演。少年野球を放送)
アニメ・特撮
いわゆるコーナードラマだった。
特撮
アニメ(洋物カートゥーン)
アニメ(日本製)
コーナー紹介
初期
- はらはらマシーンゲーム
- 子供達が2チームに分かれて行うゲーム。
- 1人が、一定時間が立つと風船が割れる「はらはらマシーン」(前期は逆U字型。後期は一直線)の前に座り、他の人が風船が割れないようにしながら、玩具のタワーを組み立てる。より高く組み立てた方が勝ち(なおゲーム中に風船が割れたら、割れた分だけタワーのパーツを減らす)。
- これは、かつてNHKで放送された『危険信号』や、フジテレビで放送された『赤かて!白かて!』と同形式のゲーム。後に『どちら様も!!笑ってヨロシク』(NTV)や『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ)でも、同じ形式のクイズを実施したことがある。
- どきどきばんばんゲーム大会
- 子供達が「どきどきチーム」と「ばんばんチーム」の2チームに分かれ、様々なゲームを行う(『底ぬけ脱線ゲーム』と同形式)。
- 人形劇「それいけトッピー」
1974年頃
- オープニングトーク
- 特撮・アニメ
- 日替わりコーナー
- 体操のコーナー
1975年頃
- こどものどじまん
- 後述の「トンカチうたじまん」をリニューアル。月 - 金ではその日のチャンピオンを決め、土曜日の「チャンピオン大会」でその週のチャンピオンを決めた。決め役は、「シーシー」という着ぐるみの犬(出演:辻シゲル)が担当した。また月 - 金のラストでは、司会者が子供たちと一緒に「2部に向かってゴーッ!!」と叫んでコーナー転換をした。
- 人形劇「ドンケン」
- JJSの親子ゲームコーナー
- 体操・お便り・歌のコーナー
1976年10月以降(最晩年)
- おはよう!のどじまん
- 「こどものどじまん」をリニューアル。フォーマットは同じだが、歌が終わった後、5人の子供審査員が点数を出し、全員が終わったら、日替わりのゲスト審査員の点数を加えてチャンピオンを決める方式になった。
- このコーナーでは、ロバくんが着ぐるみで再登場した(声は変わった)。
- つボイノリオの「ミニミニわいどジャーナル」→「ミニわいどジャーナル」・歌のコーナー
- こりゃなんだ?
- もしも…
- 「もしも○○だったら」を見せるコント。
- なにがあったか○月○日
- つボイノリオ(または片山典子)が進行を担当。
- 太川陽介・香坂みゆきによる「陽介・みゆきのドレミファそらゆけ!」
- カリキュラマシーン(番組統合による)
- 直前にゴリラの一郎が現れる。新聞休刊日は読売新聞ニュース放送のため休止だった。
- 歌のコーナー
- けでんと17号
- 大場久美子をおねえさんとして、子供たちが「けでんと17号」という乗り物に乗り、途中でいろいろな体験をしていくコーナー。8:00前後 - 番組エンディングまで。時折、大場が自分の持ち歌(「エトセトラ」「フルーツ詩集」)を歌った。コーナー名の「けでんと」は「飛んでけ」の逆さ読み、17号は開始時の大場の年齢から。
- イビリマンのコーナー
- ヤラレマンのコーナー
- こおろぎ'73との歌のコーナー
- 現在でも幼児番組で流される「おべんとうばこのうた」はこのコーナーが初出である。
- インディアンのジェロイモとのエンディング
- ジェロイモとは、インディアンの首長の扮装をしたインド出身のカナダ人コメディアン。元プロレスラーで、引退後はタイガー・ジェット・シン、アブドーラ・ザ・ブッチャーのマネージャーを経て、タレントに転身したデイ・マサンドという人物。後にカナダへ帰国した[3][4]。当初の芸名は「おかしなインディアン」で、当時同局で放送されていた『時間だヨ!アイドル登場』にレギュラー出演しており、同番組で一般公募により芸名が決められた。
- ゴキブリコンコンゲーム
- おはよう!アイドルさん
- ダメおやじの何でも相談
日曜版(1970年 - 1976年9月19日)
- コンちゃんのトンカチうたじまん→こどものどじまん 飛び入り大会
- 尚、1971年5月までは平日(土曜を含む)放送分と同様の番組構成で放送。
土日版(1976年9月26日 - 1980年9月)
- 土曜日=のどじまんチャンピオン大会→おはよう!のどじまん 飛び入り大会(平日放送終了後の1979年3月よりのどじまんは土曜のみとなり、毎月最終土曜にはチャンピオン大会が行われた)
- 日曜日=番組で結成した少年野球チーム「モーニングス」が全国の少年野球チームと対戦した。実況:志生野温夫(元日本テレビアナウンサー)、解説:須藤豊(当時日本テレビ野球解説者)。
番組で紹介した歌
- おはよう!こどもショーのテーマ(作詞:松本重美、作曲:宇野誠一郎、歌:楠トシエ、石川進、愛川欽也、ひばり児童合唱団)
- 楠・石川時代のオープニングテーマ。
- びんちゃんのうた(楠トシエ)
- きゅーぴーちゃんのうた(石川進)
- ろばくんのうた(楠トシエ、石川進、愛川欽也)
- ガマのうた(作詞:山崎璋、作曲:小谷肇、歌:加藤精三)
- おーい!たいそうだよ(作詞:NTV、作曲:山本直純、歌:楠トシエ、ひばり児童合唱団)
- はねたりとんだり(作詞:サトウハチロー、作曲:小川寛興、歌:ペギー葉山、友竹正則)
- トンカチうたじまんのうた(大村崑)
- 「こどものどじまん」でも、一部歌詞変更&カットして流用。
- へんしんたいそう(作詞:里吉しげみ・こどもショー、作編曲:すぎやまこういち、歌:比呂公一、コロムビアゆりかご会、グリーンピース)
- 変身ブームに便乗して作られた体操。
- わたしはみどり(海老名美どり)
- 「みどり」のアクロスティックソング。
- 春はいいな(海老名美どり)
- ニャンダのうた(海野かつを)
- きんきらたいそう(水木一郎)
- のってるのってる(関谷ますみ)
- 2部構成(1部は「のどじまん」)になった時の、第2部のオープニングテーマ。
- パイの歌(JJS)
- グヤグヤの歌(森川正太)
- 昔話の時代での、とある山奥の村を舞台にした、色々な動物の鳴き声の歌。森川は作詞&作曲も担当。
- あいつの机(作詞:千家和也、作曲:中村泰士、歌:ささきいさお)
- 転校していった「あいつ(親友)」を思う少年の歌。
- 映像ではラスト、美少女転入生が「あいつ」の机に座り、少年はうれしくも不満になるというオチ。
- 巨人の好きな子この指とまれ
- 2001年生まれのフランケンシュタイン(常田富士男)
- オリバー君のロックンロール(池田鴻)
- しょんべん小僧(小坂忠)
- 食事時にも拘らず、急所を唄った歌。
- おはようこんにちはさようなら(石川進)
- ニョキニョキ節(石川進)
- 鉛筆・アンテナ・ビルが伸びる。
- ぼくの綿菓子旅行(石川進)
- 映像(アニメーション)には、関谷ますみとサンダー杉山がアニメになって登場。
- ガオーはキングコングの合言葉(子門真人)
- 1976年公開の映画『キングコング』のイメージソング。
- 映像では、1976年版の映画のワンシーンが映し出されていた。
- らっぱっぱ(JJS)
- またですか?(JJS)
- マンネリ料理に嫌気がさす少年の気持ち。
- 後楽園のモグラ(ADO)
- あの子(作詞:千家和也、作曲:すぎやまこういち、歌:桜井たえこ)
- 乱暴な少年を好きになった、少女の気持ち。
- ボールズ・ボールズ(モーニングス)
- ばびぶべぼくちゃん(子門真人)
- だるまさんがころんだ(作詞・作曲:山本正之、歌:斉藤こず恵、斉藤ゆかり)
- 百まで数える“いんちきな数え方”を伝授する歌。後年『みんなのうた』でも流された(その際の歌は、こず恵単独による)。
- ピンクのいちご(リトルピンク)
- わたしはタバサ(リトルピンク)
- キリンさん(山本雄二)
- 作曲は堀内孝雄。
- BIG1(坂上忍)
- ブルーロマンス薬局(ポップコーン)
- かぐや姫は宇宙人(子門真人)
- おべんとうばこのうた(こおろぎ'73)
- ほか
ネット局
※系列は当時の系列。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 日本テレビ | 日本テレビ系列 | 制作局 |
北海道 | 札幌テレビ | 1972年3月まではフジテレビ系とのクロスネット局 | |
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
『RABニュースレーダー』放送開始に伴い、1970年4月1日から1977年4月1日[5]まで休止。 1975年3月までは日本テレビ単独加盟局 |
岩手県 | テレビ岩手 | 日本テレビ系列 | 1969年12月開局から 1980年3月まではテレビ朝日系とのクロスネット局 |
宮城県 | 仙台放送 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1970年9月まで |
ミヤギテレビ | 日本テレビ系列 | 1970年10月開局から 1975年9月まではテレビ朝日系とのクロスネット局 | |
秋田県 | 秋田放送 | 1970年打ち切り | |
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1968年3月に打ち切られたが、1971年4月再開 1980年3月までは日本テレビ単独加盟局 |
福島県 | 福島テレビ | 日本テレビ系列 TBS系列 |
1971年9月まで 1971年5月までは日本テレビ単独加盟局 |
福島中央テレビ | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1971年10月の福島テレビとのネット交換から | |
山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | 1970年4月から |
新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1969年7月から1977年3月まで |
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | 1971年4月から放送されていたものの途中打ち切り[6] |
福井県 | 福井放送 | 1971年4月から | |
静岡県 | 静岡第一テレビ | 1979年7月開局から、週末のみ放送 | |
中京広域圏 | 名古屋放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1973年3月まで |
中京テレビ | 日本テレビ系列 | 1973年4月から 変則ネット解消に伴う移行 | |
近畿広域圏 | よみうりテレビ | ||
鳥取県 島根県 |
日本海テレビ | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1972年9月の電波相互乗り入れから |
広島県 | 広島テレビ | 日本テレビ系列 | 1969年4月から 1975年9月まではフジテレビ系とのクロスネット局 |
山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1970年4月から 1978年9月までは日本テレビ単独加盟局 |
香川県 | 西日本放送 | 日本テレビ系列 | 当時の放送エリアは香川県のみ |
高知県 | 高知放送 | 1970年4月から | |
福岡県 | 福岡放送 | 1969年4月開局から | |
長崎県 | テレビ長崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1971年から |
大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1970年4月開局から |
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | 1971年から | |
沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | 本土復帰後一時期のみ |
出典
- ↑ 日本テレビ社史「大衆とともに25年・沿革史」466 - 514頁 1978年
- ↑ 加藤精三インタビュー - 東映ヒーローネット
- ↑ 野島孝一『映画の現場に逢いたくて』現代書館、1997年、pp.104-108
- ↑ 『きらきらアフロ』2009.9.18 On Air テレビ大阪公式サイト内
- ↑ なお、1977年4月4日の放送再開時は『新番組』扱いだった。
- ↑ 1975年3月末の時点では未ネットとなっていた。
関連項目
- カリキュラマシーン
- ロンパールーム
- ママとあそぼう!ピンポンパン
- ひらけ!ポンキッキ
- とびだせパンポロリン
- ブンブンバンバン
- とんでけグッチョンパ
- とびだせ!バッチリ - ロバくんが登場するテレビアニメ。番組内でも放送したことがある。
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