菅原文太
テンプレート:Mboxテンプレート:ActorActress 菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16日 - )は、日本の俳優・声優・ラジオパーソナリティ・農家。宮城県仙台市出身。愛称は文太兄い、文ちゃん。
代表作は映画『仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズ。どちらも日本映画史に残る興行収入を上げた。父は洋画家の狭間二郎。妻は菅原のマネージャーを務めており、長男は菅原加織。他に娘が2人いる。
2012年11月13日、56年に及ぶ役者業を引退したことを明らかにした。
目次
経歴
仙台市の生まれだが、4歳から小学校4年までは東京育ち[1]。疎開で仙台に戻り、高校卒業まで仙台で育った[1]。宮城県仙台第一高等学校から早稲田大学第二法学部へ進学、中退。中原淳一のモデルとなり、その後、同時期に旗揚げしたばかりの劇団四季に1期生として入団し、初期の作品に多数端役として出演した。1956年(昭和31年)に東宝の『哀愁の街に霧が降る』に出演。1957年(昭和32年)に岡田眞澄・旗昭二・池田二郎ら総勢8名で日本初の男性専門モデルクラブ、ソサエティ・オブ・スタイル[2]を設立し、雑誌やショーのファッション・モデルをしながら1958年(昭和33年)に喫茶店で新東宝の宣伝部員にスカウトされ[1]、映画俳優になる決心をし、新東宝に入社。同年『白線秘密地帯』で本格映画デビュー。
長身の新人二枚目スターの一団「ハンサムタワーズ」の一人として、吉田輝雄・高宮敬二・寺島達夫らと共に売り出された。主演作も多かったが、当時の新東宝は経営不振で低予算映画が主力路線だったため、世間的な知名度はそれほど高くなかった。この時代の映画としては『九十九本目の生娘』や1960年(昭和35年)の正月映画『女奴隷船』に主演して丹波哲郎とのアクション対決を演じた。
1960年に入ると、新東宝の経営が傾き、組合争議によって2回にわたり24時間ストが行われる。菅原はこの組合争議では陣頭で交渉役を任じている[3]。
1961年(昭和36年)に新東宝が倒産したため、ハンサムタワーズのメンバーと共に松竹へ移籍。ホームドラマが多い松竹では脇役が続いた[4]松竹にいた俳優の安藤昇に勧められ、ハンサムタワーズのメンバーと共に1967年(昭和42年)に東映へ移籍。
東映に移籍はしたものの、セリフのほとんど付かない役ばかりで、役を貰えないかと新東宝仲間である石川義寛監督の下宿を訪ねることもあったといい、東映京都撮影所作品『怪猫呪いの沼』(1968年)での端役も、石川監督が気の毒がって起用したものだったという[5]。翌1969年(昭和44年)の『現代やくざ 与太者の掟』が、東映での初主役作となる。この『現代やくざ』シリーズは1972年(昭和47年)まで続く作品群で、ヤクザを美化した従来の任侠映画ではなく、現実的な「ワル」を主人公にしたものであり、後の実録映画の先駆けとなった。また、同年には『関東テキヤ一家』シリーズ、1971年(昭和46年)からは『まむしの兄弟』シリーズに主演。
1973年(昭和48年)から始まった『仁義なき戦い』シリーズで、東映を代表するスターのひとりになった。映画史に残る作品にもなったこのシリーズのヒットで東映は任侠路線から実録路線に転換。1974年(昭和49年)末からスタートした『新・仁義なき戦い』シリーズや1975年(昭和50年)に始まる『トラック野郎』シリーズ(一番星・星桃次郎 役)もヒットした。
新東宝出身俳優が多くテレビで活躍する中、苦闘時代も含めて長らく映画に専念してきたが、1980年(昭和55年)に大河ドラマ『獅子の時代』に主演。その後、大河ドラマでは『武田信玄』の板垣信方、『徳川慶喜』の徳川斉昭、『元禄繚乱』の細川越中守綱利、『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』の前田利昌で出演した。1981年(昭和56年)に映画『青春の門』、『炎のごとく』に主演。その後は刑事ドラマなど、テレビドラマの主演・助演をしていた。東映時代は接点がなかった市川崑作品でも常連となっている。
1998年(平成10年)頃に岐阜県の飛騨地方に移住。近年は農業政策等に高い関心を示し、多数の講演活動も行っている。近年はナレーター・アニメーション・コンピュータゲームの声優もこなすなど、幅広く活躍。2001年(平成13年)に長男菅原加織を不慮の事故で亡くし、周囲に「もう仕事したくない」と漏らしていたが、2003年(平成15年)公開の映画『わたしのグランパ』で復帰。9年ぶりの主演を果たした。
2009年(平成21年)より山梨県韮崎市で耕作放棄地を使って農業を始めている。当時、俳優業は「半分引退した」と語った。
2012年(平成24年)2月初旬、2013年1月に公開予定の「東京家族」(監督・山田洋次)主演から既に降板したことを発表。2月23日に都内で行われた講演会で、その理由として、クランクイン直前に震災が発生。故郷の宮城県をはじめ被災地で、公私ともに苦しい生活の続く人々が多いなか「今は映画を撮っている時じゃない」と自戒し、監督に直訴したもので、俳優引退をにじませた。またこの中で、2007年頃から膀胱がんなどを患い、現在は完治しているものの、震災直前まで入院していたことも告白している。
2012年(平成24年)11月13日、菅原が名誉顧問を務める民間非営利団体「ふるさと回帰支援センター」の設立10周年記念講演の席上で、役者生活にピリオドを打った旨を明らかにした。この時「デジタルはお断り」というコメントも発表しており、近年の映像製作環境の変化も俳優業の引退に繋がったとされている。現在も山梨県内で農業を営んでいるが、有志らとともに国民運動グループ「いのちの党」を結成し、代表として活動することを明かした(12月5日に正式発足[6])。なお、「いのちの党」と名称が付いているが、あくまで「仲間の集まり」の意であって政界進出を意識してのものではないという。また、以前より噂されていた政界への進出は完全否定をした[7]。俳優業は引退したものの、現在でもラジオでレギュラー番組『菅原文太 日本人の底力』のパーソナリティ、テレビドキュメンタリーのナレーターやCM出演などは務めており、2012年7月公開のアニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」でも声優として出演している。
人物
父親としての一見を持ち「げんこつおやじの会」を立ち上げた。また、若い女性の起用に偏重する近年の日本の芸能、マスメディアの風潮に批判的であり、そのために断る仕事も多いという[8]。
交友
三船敏郎を尊敬し「富士山のような存在」と賞賛している。若山富三郎については「殴られたり散々されたけど、俺はやはりあの人が好きだった」と語っている。
作家の井上ひさしとは同じ高校の先輩後輩で親友であり、代表作「吉里吉里人」の映画化権を預かっている。自らのプロデュースで映画化すべく奔走しているが実現していない。また、晩年の野村秋介と交流があり『ドキュメント 風と拳銃 野村秋介の荒野』で映像証言をしている。
エピソード
仁義なき戦い
演出した深作欣二の臨終を唯一親族以外で看取っており、葬儀では弔辞を読んだ。公開直後には自宅に少年が訪ねて来て「おやじさん、山守は絶対、俺が撃ってきますけん」と言うので「ありがとう、まあ、ラーメンでも食いに行こう」と連れ出して説得して帰ってもらった[9]。撮影中にも広島のヤクザ・不良から、道を譲ってもらったりして大変世話になったが、後に山口組の納会に出席していたのを「FOCUS」に撮られ、写真入りで報道された。原作者の飯干晃一はこの時の菅原を、「ヤクザの広告塔に利用されている」とワイドショーでコメントしている。
2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙では広島6区(尾道市ほか)に立候補した国民新党の亀井静香の応援に登場。亀井の唱える農業政策等を支持し、同じ選挙区に立候補した堀江貴文を批判、「向こう(堀江陣営)は仁義なき戦いをしているが、こちらは仁義ある戦いをしましょう」と亀井を激励した。その甲斐あってか、亀井は堀江を破って当選を果たした。この選挙戦の模様は、代表作『仁義なき戦い 広島死闘篇』になぞらえて「広島死闘篇」と呼ばれた。
歌
1989年(平成元年)11月15日、『夜のヒットスタジオSUPER』に出演。翌週の11月21日には『NHK歌謡パレード』にも出演し、いずれも生放送で『港の男歌』を熱唱した。『夜ヒット』ではオープニングメドレーで米米CLUBの『sure dance』を「歌詞の朗読」という形で唄い、加賀まりこから「渋く決めましたね! ずるいですよ!」と言われ、「だって歌えないんだからしょうがない・・・」と苦笑していた。この後も「1コーラスじゃなく半コーラスでいい」などと歌に対する自信のなさを嘆いていた。後年のインタビューでは「歌は下手だけど健さん(高倉健)よりはましだな」とも語っている。
バラエティー番組
『8時だョ!全員集合』に出演したこともあり、『ダウンタウンDX』の第1回にもゲスト出演している。2006年(平成18年)の『クイズ$ミリオネア』では、田中康夫のサポーターとして出演した。2003年(平成15年)には『SMAP×SMAP』の「BISTRO SMAP」に、映画『わたしのグランパ』の宣伝で出演した際も焼酎を飲み続けたので、中居正広から「もう文太さん、酒臭すぎますよ」、菅原は「映ってるか? ああ、顔真っ赤だな! かあちゃんに怒られちゃう・・・」というやりとりが放送され、数多く共演した親友の川地民夫は「もう、酒癖悪くてしょうがない」と証言している。
その他
- 俳優の菅田俊や宇梶剛士、プロレスラーのジョージ高野、新崎人生は元付き人だった。
- 漫画ONE PIECEに登場する海軍本部元帥(元・大将)「赤犬(本名・サカズキ)」は、「仁義なき戦い」の頃の菅原をモデルとしたキャラクターである[10][11]。また、2012年には菅原の妻が作者の尾田栄一郎に七味唐辛子のパッケージデザインを依頼した[12]。
- タレントの明石家さんまは自他ともに認める菅原の大ファン。『仁義なき戦い』第一部の土居組組長を射殺するシーンが特に好きで、「冷たい雨の中、肩をすぼめて眉間に皺を寄せ、煙草を吹かし標的を待つシーンをよく真似た」と語っている。「高校時代『夜桜銀二』と呼ばれていたんですよ」と菅原本人に見栄を張ったことも。まだ若手だった頃に空港で菅原に会い、サインを頼んだところ「俺が代わりに欲しいくらいだよ」と言われた話は、後年さんまが何度も披露している。ビートたけし曰く「その話は百回以上聞いた」との事。
出演作品
映画
主演
- 海女の化物屋敷(1959年 新東宝)
- 狂った欲望(1959年 協和プロ 新東宝)
- 九十九本目の生娘(1959年 新東宝)
- 女奴隷船(1960年 新東宝)
- 美男買います(1960年 新東宝)
- 裸の谷間(1960年 新東宝)
- 恋愛ズバリ講座 第二話 弱気(1961年 新東宝)
- 現代やくざシリーズ(東映)
- 現代やくざ 与太者の掟(1969年)
- 現代やくざ 与太者仁義(1969年)
- 現代やくざ 盃返します(1971年)
- 現代やくざ 血桜三兄弟(1971年)
- 現代やくざ 人斬り与太(1972年)
- 懲役三兄弟(1969年 東映)
- 関東テキヤ一家シリーズ(東映)
- 関東テキヤ一家(1969年)
- 関東テキヤ一家 喧嘩仁義(1970年)
- 関東テキヤ一家 天王寺の決斗(1970年)
- 関東テキヤ一家 喧嘩火祭り(1971年)
- 関東テキヤ一家 浅草の代紋(1971年)
- 現代任侠道 兄弟分(1970年 東映)
- 戦後秘話 宝石掠奪(1970年 東映)
- 博徒仁義 盃(1970年 東映)
- 人斬り観音唄(1970年 東映)
- 新宿の与太者(1970年 東映)
- まむしの兄弟シリーズ(東映京都)
- 懲役太郎 まむしの兄弟(1971年)
- まむしの兄弟 お礼参り(1971年)
- まむしの兄弟 懲役十三回(1972年)
- まむしの兄弟 傷害恐喝十八犯(1972年)
- まむしの兄弟 刑務所暮し四年半(1973年)
- まむしの兄弟 恐喝三億円(1973年)
- まむしの兄弟 二人合せて30犯(1973年)
- まむしと青大将(1975年 東映)
- 人斬り与太 狂犬三兄弟(1972年 東映)
- 木枯し紋次郎(1972年 東映京都)
- 木枯し紋次郎 関わりござんせん(1972年 東映京都)
- 仁義なき戦いシリーズ(東映)
- 仁義なき戦い(1973年)
- 仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年)
- 仁義なき戦い 代理戦争(1973年)
- 仁義なき戦い 頂上作戦(1974年)
- 仁義なき戦い 完結篇(1974年)
- 新仁義なき戦い(1974年)
- 新仁義なき戦い 組長の首(1975年)
- 新仁義なき戦い 組長最後の日(1976年)
- 山口組外伝 九州進攻作戦(1974年 東映)
- 実録飛車角 狼どもの仁義(1974年 東映)
- 県警対組織暴力(1975年 東映)
- トラック野郎シリーズ(東映)
- トラック野郎・御意見無用(1975年)
- トラック野郎・爆走一番星(1975年)
- トラック野郎・望郷一番星(1976年)
- トラック野郎・天下御免(1976年)
- トラック野郎・度胸一番星(1977年)
- トラック野郎・男一匹桃次郎(1977年)
- トラック野郎・突撃一番星(1978年)
- トラック野郎・一番星北へ帰る(1978年)
- トラック野郎・熱風5000キロ(1979年)
- トラック野郎・故郷特急便(1979年)
- 横浜暗黒街 マシンガンの竜(1976年 東映)
- バカ政ホラ政トッパ政(1976年 東映)
- 新宿酔いどれ番地 人斬り鉄(1977年 東映)
- 日本の仁義(1977年 東映)
- ボクサー(1977年 東映)
- 犬笛(1978年 三船プロダクション東宝)
- ダイナマイトどんどん(1978年 大映)
- 総長の首(1979年 東映)
- 青春の門(1981年 東映)
- 炎のごとく(1981年 大和新社 東宝)
- 鹿鳴館(1986年 東宝)
- 鉄拳(1990年 荒戸源次郎事務所 松竹)
- やくざ道入門(1994年 バンダイビュジュアル)
- わたしのグランパ(2003年 『わたしのグランパ』製作委員会)
助演
- 哀愁の街に霧が降る(1956年 東宝)
- 白線秘密地帯(1958年 新東宝)
- 太平洋戦争(1960年 新東宝)
- 皇室と戦争とわが民族(1960年 新東宝)
- 暴力五人娘(1960年 新東宝)
- 東京さのさ娘(1962年 松竹)
- 香華(1964年 松竹)
- 太陽を抱く女(1964年)
- 駆逐艦雪風(1964年、松竹)
- 男の顔は履歴書(1966年 松竹)
- 網走番外地 吹雪の斗争(1967年 東映)
- 兄弟仁義 逆縁の盃(1968年 東映)
- ごろつき(1968年 東映)
- 前科者(1968年 東映)
- 不良番長シリーズ(東映)
- 不良番長 猪の鹿お蝶(1969年)
- 不良番長 練鑑ブルース(1969年)
- 不良番長 送り狼(1969年)
- 不良番長 王手飛車(1970年)
- 不良番長 一穫千金(1970年)
- 不良番長 暴走バギー団(1970年)
- 不良番長 口から出まかせ(1970年)
- 不良番長 やらずぶったくり(1971年)
- 日本暴力団 組長(1969年 東映)
- 日本暗殺秘録(1969年 東映)
- 血染の代紋(1970年 東映)
- 緋牡丹博徒 お竜参上(1970年 東映)
- 新兄弟仁義(1970年 東映)
- 日本ダービー 勝負(1970年 東映)
- 極悪坊主 飲む打つ買う(1971年 東映)
- 関東兄弟仁義 仁侠(1971年 東映)
- やくざと抗争(1972年 東映)
- 博奕打ち外伝(1972年 東映京都)
- 海軍横須賀刑務所(1973年 東映)
- 学生やくざ(1974年 東映)
- あゝ決戦航空隊(1974年 東映)
- ルバング島の奇跡 陸軍中野学校(1974年 東映)
- 大脱獄(1975年 東映)
- 神戸国際ギャング (1975年 東映)
- やくざ戦争 日本の首領(1977年 東映)
- 日本の首領 野望篇(1977年 東映)
- 日本の首領 完結篇(1978年 東映)
- 堕靡泥の星 美少女狩り(1979年 にっかつ)
- 黄金の犬(ノンクレジットのカメオ出演) (1979年)
- 太陽を盗んだ男(1979年 キティ・フィルム・コーポレーション 東宝)
- ちゃんばらグラフィティー 斬る!(1981年 東映)
- 制覇(1982年)
- 修羅の群れ(1984年)
- ビルマの竪琴(1985年)
- ザ・サムライ(1986年 東映)
- 映画女優(1987年)
- つる -鶴-(1988年 東宝) - 鼻把の長者
- マイフェニックス(1989年 東宝)
- YAWARA!(1989年)
- リメインズ 美しき勇者たち(1990年 松竹)
- 民暴の帝王(1993年 東映)
- どら平太(2000年)
- 新・影の軍団(2003年)- 徳川家康
- 妖怪大戦争(2005年) - 稲生俊太郎(タダシの祖父)
- バッテリー(2007年) - 井岡洋三
テレビドラマ
- 〆て七貫 (1964年、TBS / 松竹)
- 虹の設計 (1964年、NHK)
- 武田信玄(1966年、日本テレビ)
- 待っていた用心棒 第20話「遠い国からの客」 (1968年、NET / 東映) - 赤堀政明
- 新選組(1973年) - 桂小五郎
- 長谷川伸シリーズ (1973年)
- 大河ドラマ (NHK)
- 悪党狩り 第1話「地獄の道中手形」(1980年、東京12チャンネル / 松竹 / 藤映像コーポレーション) - 長春
- 警視庁殺人課 (1981年) - 主人公・殺人課課長・五代尭警部(通称・ミスター)
- 幸福の黄色いハンカチ (1982年) - 主人公・島勇作
- 火曜サスペンス劇場(日本テレビ)
- たそがれに標的を撃て (1982年) - 矢崎警部補
- 小京都ミステリー11・伊予夢芝居殺人事件 (1994年)
- アリバイの穴 (1997年) - 花岡冬十
- ビゴーを知っていますか (1982年) - 中江兆民
- パパ、スカートはいてよ (1983年)
- 中卒・東大一直線 もう高校はいらない! (1984年) - 磯田浩
- 輝きたいの (1984年) - 水口幸次
- 武蔵坊弁慶 (1986年) - 源頼朝
- ドラマ女の手記「激写狩人フォトハンター」(1986年)
- 水曜グランドロマン バラ (1988年)
- 許せ妻たち (1990年 関西テレビ) - 今井警視
- 戦艦大和 (1990年)- 宇垣纏中将
- 北の国から'92巣立ち (1992年)
- 往診ドクターの事件カルテ (1992年)- 八木沢刑事
- 世にも奇妙な物語 真夏の特別編「ガード下の出来事」 (1993年)
- 警部補・古畑任三郎 第12話「最後のあいさつ」(1994年) - 小暮音次郎
- 先生知らないの? (1998年)- 金沢隆輔
- 赤穂浪士 (1999年 テレビ東京) - 大石無人
- 天涯の花 (1999年 NHK)
- 晴れ着ここ一番 (2000年)
- 高原へいらっしゃい (2003年)
- 4TEEN フォーティーン (2004年)
- NHK土曜ドラマ ハゲタカ (2007年) - 大木昇三郎
- 白旗の少女 (2009年)- おじいさん
舞台
- K2 ハロルドとテイラー(1983 - 1984年、サンシャイン劇場 木之元亮とW主演)
- 半七捕物帳(1998年8月、御園座)
バラエティー、歌番組ほか
- ダウンタウンDX 第一回目ゲスト(日本テレビ、1993年)
- チャンスの殿堂!(TBS、1999年) - レギュラー
- 菅原文太の中国ロマン紀行(日本テレビ)
- 発表!!ベスト歌謡50年「菅原文太・男の流浪歌!!」(東京12チャンネル)
- 「菅原文太の熱情エッセイ よう!元気かい?ニッポンの米よ」(2001年1月27日放送/東北放送~TBS系列)
- にっぽん紀行(2010年8月25日、NHK総合)- 案内人
- 日本人は何を考えてきたのか(2012年、NHK Eテレ)
ビデオ
- ビッグ・ボス BIG BOSS(1992年 東映ビデオ) - 主人公
- 復讐は俺がやる・Distant Justice(1992年 東映ビデオ) - 主人公
- 斬り込み(1995年 イメージファクトリー・アイエム)
- 実録 広島やくざ戦争(2000年)
- 実録 広島やくざ戦争 完結篇(2000年)
- 日本抗争列島 牙の如く(2001年)
テレビアニメ
劇場アニメ
- しろくまくん、どこへ?(1990年 ムービック/CBSソニー) - ナレーション
- 千と千尋の神隠し(2001年 スタジオジブリ) - 釜爺
- ゲド戦記(2006年 スタジオジブリ) - 大賢人ハイタカ
- 良寛さん(2004年) - 良寛(主人公)
- おおかみこどもの雨と雪(2012年) - 韮崎[13]
ゲーム
- ディシディア ファイナルファンタジー(2008年12月18日) - ナレーション
- ディシディア デュオデシム ファイナルファンタジー(2011年3月3日) - ナレーション
CM
- 本田技研工業「アスコット」(初代)イメージキャラクター(キャッチコピー「Aセダンで行こう」)(山下真司と共演)
- 松下電器産業(現:パナソニック)「ナショナル冷蔵庫・ザ・スリム」
- サントリー
- 宮城米
- マルコメ
- 朝日ソーラー
- パストール
- キリンビール 「キリンラガービール」
- 東建コーポレーション(萬田久子と共演)
- 大正製薬
- スズキ「キャリイ」(12代目)(はるな愛と共演)
ラジオ
- 菅原文太 日本人の底力(ニッポン放送 2003年より『菅原文太 ホーホーふくろう』として開始)
- 対話集として『六分の侠気四分の熱』(日之出出版、2005年4月)が刊行。
ディスコグラフィー
- 関東テキヤブルース(1969年 東映『関東テキヤ一家』主題歌) 作詞・菅原文太、作曲・菊池俊輔、唄・菅原文太)
- 新宿(じゅく)の与太者(1970年 東映『新宿(じゅく)の与太者』主題歌) 作詞・菅原文太、鈴木則文 作曲・島豊 唄・菅原文太
- 一番星ブルース(1975年 東映『トラック野郎』シリーズ主題歌) 作詞・阿木燿子 作曲・宇崎竜童 唄・菅原文太、愛川欽也
- 新宿酔いどれ番地(1977年 東映『新宿酔いどれ番地 人斬り鉄』主題歌)作詞・石本美由紀 作曲・市川昭介 唄・菅原文太
- やくざ道入門
- 眠れ都会よ(1981年 『警視庁殺人課』エンディングテーマ)作曲は小林亜星
- 港の男歌(1989年)
- 日本万歳音頭(1991年)
- 虎落笛(もがりぶえ、1994年)
著書
脚注
関連項目
- 日本の男優一覧
- 宮城県出身の人物一覧
- 早稲田大学の人物一覧
- 日本未来の党 - 「びわこ宣言」の賛同人に稲盛和夫、坂本龍一、茂木健一郎、鳥越俊太郎とともに名を連ねる。
外部リンク
- テンプレート:Imdb name
- テンプレート:Jmdb name
- テンプレート:Allcinema name
- テンプレート:Kinejun name
- 菅原文太 - テレビドラマデータベース
- 特別対談|がんサポート ~菅原文太の膀胱がん治療体験に学ぶ~ がん治療も自分で選ぶ時代に
テンプレート:日本アカデミー賞最優秀助演男優賞
テンプレート:キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞
テンプレート:ブルーリボン賞主演男優賞
- ↑ 1.0 1.1 1.2 『週刊朝日』、1973年9月7日号、p35
- ↑ 略称SOS。2012年(平成24年)現在は女性も所属。
- ↑ 『幻の怪談映画を追って』(洋泉社)
- ↑ 『香華』など菅原の出演映画を撮った松竹の木下惠介が没した際、葬儀には参列している。
- ↑ 『幻の怪談映画を追って』(洋泉社)
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 「しかし、(女の子が多少悪いことをしても)大人たちはどうして黙認しているのだろうかね。なぜ、注意しないのか。むしろ、世の中全体が女の子たちを持ち上げているような影さえ感じるのだけれども。最近、俺は映画やテレビから仕事の話が来ても、興味を持てずに、断るのが多かった。大概若い女の子が主人公で、男の姿が一つもないからなんだ。テレビも雑誌も若い女性が中心で、同じようなストーリー。戦争を伝えるにも過剰に着飾った女子アナや女のナレーション。中には感じの良い女性もいるけど、つまらない女性たちがたくさんのさばっている。そんな女社会が俺は嫌いでね(1994年8月号『新潮45』での本人のコメントの一節)。
- ↑ 『さんまのまんま』出演時の本人の言。
- ↑ 『ONE PIECE』第57巻、p134
- ↑ 誕生日もモデルと同じ8月16日
- ↑ 週刊少年ジャンプNo.21・22(5月7・14日)合併号(2012年4月23日発売)、巻末コメント「菅原文太さんの奥様より七味唐辛子のパッケージイラストの依頼。嬉しい仕事でした。」
- ↑ テンプレート:Cite web