金村義明
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テンプレート:Infobox baseball player 金村 義明(かねむら よしあき、1963年8月27日 - )は、兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は野球解説者(フジテレビ・J SPORTS・スポーツ報知)、タレント。
元在日コリアン3世で、旧名は金 義明(キム・ウィミョン、김의명)だった。現在は帰化して日本国籍を持っている。
目次
来歴・人物
高校時代
- テンプレート:By、甲子園大会に春夏連続出場を果たした(中学受験で報徳学園中学から一貫教育を受けた)報徳学園をエース・4番バッターとして引っ張り、夏の選手権大会では強豪校を下して全国優勝の栄誉を勝ち取る。
近鉄時代
- 同年のドラフトで近鉄バファローズから1位指名を受ける(近鉄は阪急との競合にて交渉権を獲得。なお、阪急の外れ1位は山沖之彦)。当時、本人は長池徳士の大ファンであり、さらに阪急電鉄沿線に住んでいたことから阪急を志望していた(本人によると、阪急と既に交渉していたとのこと)。だが近鉄から指名を受け、泣きながら当時阪急の打撃コーチであった長池(長池はテンプレート:Byのシーズンを最後に引退していた)の自宅を訪ね相談したところ、長池や三輪田勝利スカウトから「近鉄で頑張れ」と言われ、近鉄への入団を決意。自著『在日魂』によれば、ドラフト前の挨拶では、近鉄サイドから「前年に巨人に入団した原辰徳以上の契約金と年俸に加えて土地も用意する」との話であった。しかし、ドラフト後に球団社長と代表が辞任し球団スタッフの顔ぶれが一新してしまったため、以前の約束が反故にされ、契約金は5,500万円となった。この時に金村本人は「まるで詐欺やないか」と思ったという。
- このため、入団までの過程で交渉が決裂することもあり、それがスポーツ紙に「かね子さん強気で交渉決裂」などの見出し報道され、金村の母親がメディアから悪者扱いを受けてしまう。結局、最終的に契約金に上積みは一切無く、近鉄に入団した。契約金は全額両親に渡し、金村は両親のために近鉄不動産から3%引きで土地を購入したという[1]。
- 入団直後は投手であったが、すぐに内野手に転向(1981年春の甲子園で大府高の槙原寛己と投げ合って敗れたことや、夏の甲子園で名古屋電気高校の工藤公康から二塁打を含む3安打を放ったことが自信になったとの説がある)。
- 1982年から1985年までは1軍に定着できずにいたが、佐々木恭介の指導の元で序々に頭角を現し、テンプレート:Byからは羽田耕一に代わって三塁のレギュラーに定着、いてまえ打線の中軸として活躍する。その豪快なイメージから「いてまえ大将」のニックネームを頂戴する。かつて豪快だったパ・リーグのイメージを継承した最後の選手という声もある。しかし打率.258 本塁打127本という通算成績は後に三塁を守ることになる中村紀洋や他の近鉄いてまえ打線の選手(ラルフ・ブライアント、石井浩郎、タフィ・ローズ)に比べれば成績の面ではやや劣った。そのことに関しては本人も「成績の面では一流ではなかった」と認めている。テンプレート:Byにはオープン戦で投手を務めたことがある。またテンプレート:By、1試合のみだが山下和彦、古久保健二、光山英和の捕手を使い切ったために、捕手を務めたことがある。
- 1994年は規定打席未到達ながら打率は2割9分9厘と好調であったものの、鈴木監督や梨田コーチが中村紀洋を育てようとの意向を持っていたため、結果として中村紀洋の台頭に押される形で、鈴木監督の指導方針、コーチ陣や球団首脳部への不信感もあり、1995年にFAによって中日ドラゴンズに移籍。
中日時代
中日では球団初のFA獲得選手ということもあり三塁のレギュラーとして起用されたが故障やダネル・コールズやレオ・ゴメスに定位置を奪われたことから全くといってよいほど成績を残せず、張本勲の仲介で韓国プロ野球移籍も考えた。
テンプレート:Byの開幕直後に元同僚の小野和義との交換トレードで西武ライオンズに移籍。
西武時代
- 西武では主に代打・一塁手・指名打者として出場し監督の東尾修の期待に応え、近鉄・西武の2球団で3度のリーグ優勝に貢献したが日本シリーズでは3回すべて敗れている。テンプレート:Byの日本シリーズ第6戦では佐々木主浩から併殺打で打ち取られ最後の打者となっている。テンプレート:By、現役引退。引退試合となった9月30日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)では先発出場を果たして第1打席で交代している。
解説者
- 引退当初は解説者としての採用がなく、フリーとして出発(「野球人」という肩書きで週刊ベースボールにおいてコラムを連載していた)。サンケイスポーツの記者と行動を共にしながら、自分で仕事を探したり出演交渉をしたりしていた。
- しかし、『ジャンクSPORTS』でのトークの面白さが注目されたことがきっかけで、2000年の途中からフジテレビジョンの解説者となり、さらに2001年からはJ SPORTS、スポーツ報知でも解説を務める。
エピソード
- 近鉄入団当時、入団交渉のゴタゴタやルーキーながらパンチパーマといった出で立ちもあり、ドラフト一位というやっかみもかってしまい、先輩から相当にいじめられた。寮では何度もお金が盗まれることまであったという。そんな中、厳しくも優しく接してくれたのが栗橋茂・平野光泰・森脇浩司等であった[2]。
- 近鉄入団時の守備走塁コーチであり、オリックスの監督であった仰木彬には深い恩義を感じていた。2006年に仰木とのエピソードを記した自著も出版している。1990年代中頃、仰木のガンを知ったが、仰木から口止めを懇願され、彼が死ぬまでその事は誰にも言う事がなかった。仰木は金村とは晩年までゴルフなどで親交を続けていた。
- メジャーリーガーとして訪日したドン・マネーが、ロッカーや風呂場の汚さに失望し退団したこともあり、近鉄の選手会長を務めた時代に、待遇や施設の改善に尽力し、選手専用駐車場の確保(それ以前は選手専用のものはなく、開幕戦で予告先発だった野茂英雄が球団役員専用車のため駐車を拒否された)や風呂場の改装等が実現したという[3][4]。
- 自身と大塚光二が進行を務めるプロ野球バラエティ番組「ガンバレ日本プロ野球!?」(J SPORTS)では仰木は2度ゲストで出演、この縁から同番組のキャンプ編ではオリックスキャンプからスタートするのが恒例となっている。
- 1993年、西武と近鉄が最後まで優勝を争った際、ハタ山ハッチ(やくみつる)は自身執筆の『パロ野球ニュース』(1993年8月)で両人と思われるトランクス姿の人物を描き、「今年はウチが優勝だ」と宣言する四コママンガを描き、同じコマに登場する中日の星野仙一監督が「お前は近鉄の金村か?西武の鈴木健か、どっちだ」と突っ込むネタを描いている。なお、鈴木健とは西武移籍時にチームメイトとなり、この際にも『パロ野球ニュース』でネタにされた[5]。
- 2000年、在日韓国人3世であることを自著「在日魂」で公表した。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | 近鉄 | 7 | 17 | 17 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | .118 | .118 | .118 | .235 |
テンプレート:By2 | 38 | 83 | 76 | 6 | 15 | 3 | 0 | 2 | 24 | 11 | 1 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 0 | 19 | 2 | .197 | .228 | .316 | .544 | |
テンプレート:By2 | 54 | 115 | 94 | 11 | 16 | 3 | 0 | 2 | 25 | 10 | 2 | 0 | 6 | 2 | 11 | 0 | 2 | 23 | 3 | .170 | .266 | .266 | .532 | |
テンプレート:By2 | 42 | 80 | 72 | 11 | 21 | 3 | 1 | 3 | 35 | 8 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 1 | 13 | 1 | .292 | .338 | .486 | .824 | |
テンプレート:By2 | 130 | 493 | 437 | 66 | 120 | 23 | 6 | 23 | 224 | 67 | 3 | 1 | 10 | 4 | 39 | 0 | 3 | 83 | 10 | .275 | .335 | .513 | .848 | |
テンプレート:By2 | 130 | 531 | 469 | 51 | 114 | 12 | 2 | 14 | 172 | 61 | 4 | 3 | 8 | 11 | 42 | 2 | 1 | 101 | 11 | .243 | .300 | .367 | .667 | |
テンプレート:By2 | 99 | 379 | 323 | 37 | 93 | 17 | 0 | 14 | 152 | 48 | 2 | 1 | 5 | 3 | 48 | 2 | 0 | 65 | 7 | .288 | .377 | .471 | .848 | |
テンプレート:By2 | 81 | 288 | 244 | 32 | 55 | 7 | 0 | 7 | 83 | 30 | 0 | 2 | 12 | 1 | 29 | 0 | 2 | 68 | 6 | .225 | .312 | .340 | .652 | |
テンプレート:By2 | 113 | 450 | 376 | 67 | 103 | 25 | 1 | 17 | 181 | 51 | 7 | 7 | 5 | 2 | 64 | 3 | 3 | 85 | 6 | .274 | .382 | .481 | .863 | |
テンプレート:By2 | 130 | 526 | 467 | 65 | 126 | 16 | 3 | 16 | 196 | 60 | 2 | 2 | 6 | 1 | 50 | 2 | 2 | 88 | 13 | .270 | .342 | .420 | .762 | |
テンプレート:By2 | 102 | 390 | 335 | 50 | 87 | 11 | 3 | 13 | 143 | 44 | 5 | 3 | 4 | 1 | 48 | 4 | 2 | 66 | 7 | .260 | .355 | .427 | .782 | |
テンプレート:By2 | 47 | 176 | 154 | 14 | 34 | 6 | 1 | 3 | 51 | 28 | 1 | 1 | 5 | 0 | 15 | 1 | 2 | 21 | 2 | .221 | .298 | .331 | .629 | |
テンプレート:By2 | 80 | 279 | 254 | 34 | 76 | 15 | 0 | 8 | 115 | 28 | 2 | 1 | 3 | 3 | 17 | 0 | 2 | 47 | 3 | .299 | .344 | .453 | .797 | |
テンプレート:By2 | 中日 | 28 | 88 | 79 | 4 | 14 | 4 | 0 | 1 | 21 | 5 | 0 | 1 | 2 | 0 | 7 | 0 | 0 | 15 | 6 | .177 | .244 | .266 | .510 |
テンプレート:By2 | 42 | 45 | 40 | 1 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 6 | 0 | .175 | .267 | .200 | .467 | |
テンプレート:By2 | 西武 | 73 | 152 | 124 | 13 | 38 | 10 | 1 | 3 | 59 | 26 | 3 | 0 | 0 | 2 | 22 | 0 | 4 | 28 | 6 | .306 | .421 | .476 | .897 |
テンプレート:By2 | 41 | 52 | 38 | 2 | 10 | 2 | 0 | 1 | 15 | 7 | 0 | 1 | 0 | 3 | 10 | 0 | 1 | 11 | 0 | .263 | .404 | .395 | .799 | |
テンプレート:By2 | 25 | 60 | 44 | 2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 8 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 16 | 3 | 0 | 6 | 2 | .182 | .400 | .182 | .582 | |
通算:18年 | 1262 | 4204 | 3643 | 466 | 939 | 158 | 18 | 127 | 1514 | 487 | 34 | 23 | 73 | 33 | 430 | 17 | 25 | 752 | 85 | .258 | .337 | .416 | .753 |
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- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- ジュニアオールスターゲームMVP:1回(1982年)
記録
- 初記録
- 初出場:1982年9月14日、対西武ライオンズ後期8回戦(日生球場)、8回表に羽田耕一に代わり三塁手として出場
- 初先発出場:1982年9月21日、対日本ハムファイターズ後期11回戦(後楽園球場)、8番・三塁手として出場
- 初安打:同上、4回表に木田勇から中前安打
- 初打点:1983年5月12日、対ロッテオリオンズ4回戦(川崎球場)、8回表に仲根政裕の代打として出場、スティーブ・シャーリーから同点適時打
- 初本塁打:1983年10月21日、対阪急ブレーブス26回戦(藤井寺球場)、2回裏に木下智裕から3ラン
- 節目の記録
- 100本塁打:1992年4月21日、対ロッテオリオンズ1回戦(日生球場)、5回裏に園川一美からソロ ※史上169人目
- 1000試合出場:1994年6月11日、対日本ハムファイターズ11回戦(東京ドーム)、7番・三塁手として先発出場 ※史上319人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (1990年)
- サイクルヒット:1986年7月17日、対阪急ブレーブス12回戦(阪急西宮球場) ※史上39人目
- 1982年7月23日のジュニアオールスターゲーム(横浜)でもサイクル安打を達成
背番号
- 28 (1982年 - 1986年)
- 6 (1987年 - 1997年途中)
- 24 (1997年途中 - 1999年)
関連情報
出演番組
- 現在の出演番組
- FNNスーパーニュースアンカー(関西テレビ)※木曜コメンテーター。「スゴイでプロ野球」担当
- 水野真紀の魔法のレストラン(毎日放送)※隔月
- enjoy! Baseball(フジテレビ・関西テレビ・テレビ新広島。関西テレビローカルは『プロ野球中継(西暦)』の番組名)
- SWALLOWS BASEBALL L!VE
- プロ野球ニュース※2009年度より水曜のMCを担当。
- 国土リアルエステートテレビコマーシャルキャラクター(大阪府ローカル)
- たかじん胸いっぱい(関西テレビ)※準レギュラー
- BANZAI!野球好き CS放送
- 過去の出演番組
- ジャンクSPORTS(フジテレビ系)
- すぽると!
- ベリーベリーサタデー!(関西テレビ)
- こんちわコンちゃんお昼ですよ!(MBSラジオ)※月1回(出演終了)
- きになるオセロ(朝日放送)※隔週
- ツー快!お昼ドキッ(CBCラジオ)※水曜日担当
- 玉袋筋太郎のナイトスナッカーズ 西荻窪編
- ガンバレ日本プロ野球!?(J SPORTS)※シーズンオフの放送
- J SPORTS STADIUM※主にロッテ戦の解説を担当。2014年はテレビ新広島制作分(地上波同時放送)に出演。
著書
- 『在日魂』(講談社、2000年、ISBN 4062103494/講談社文庫、2004年12月、ISBN 4062749378)
- 『元祖いてまえ男金村義明のプロ野球警戒警報!』(日本文芸社、2002年)ISBN 4537250909
- 『プロ野球勝てる監督、負けるボス』(実業之日本社、2004年)ISBN 4408395536
- 『仰木彬 パリーグ魂:命をかけてプロ野球を救った男』(世界文化社、2006年)ISBN 4418065369
関連項目
- 兵庫県出身の人物一覧
- 大阪近鉄バファローズの選手一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
- あぶさん - 「あぶさんの中に自分を出してほしい」と水島新司の所まで自分で描いた作品を持っていったことがある。
脚注
- ↑ 『在日魂』P139~P140
- ↑ 『在日魂』P142~P144
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 『在日魂』第3章「プロ野球狂想曲」
- ↑ 1997年5月『パロ野球ニュース』。日本ハムの上田監督(当時)が「西武のベンチ入り人数が一人多い」と抗議したら、実は「右の鈴木健(金村)」と「左の鈴木健(本人)」という二人一組のスイッチヒッターだった、あるいは同じく上田が「西武の三塁手が二人いる」と抗議したら、実は「鈴木健1人だが、時々分身の術を使う(と称して金村が現れる)」という扱いだった、というもの