由利本荘市

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由利本荘市(ゆりほんじょうし)は、秋田県南部に位置する日本海に面した

2005年平成17年)3月22日本荘市由利郡7町(矢島町岩城町由利町西目町鳥海町東由利町大内町)が合併し発足した。

地理

日本海に面した市で、子吉川の河口から3kmほど遡った、子吉川の南側を中心に市街地が広がる。また、子吉川の河口には本荘マリーナ海水浴場があり、海岸沿いに酒田街道(現在の国道7号に相当)が南北へ伸びている。市域の中央部は、丘陵地(笹森丘陵)となっており、本荘街道矢島街道(それぞれ国道107号108号に相当する)が内陸部に通じる。

面積は県内最大(秋田県の面積の十分の一)で、神奈川県の面積の半分に当たる。このため天気予報も『由利本荘沿岸』『由利本荘内陸』と分けて行われている。

隣接している自治体

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歴史

由利本荘市中心部(旧・本荘市)は、出羽国が設置された8世紀から、交通の要衝として栄え、子吉川河口付近には、出羽国府の出先機関である「由理柵(ゆりのさく・ゆりのき)」が置かれた。

源頼朝による奥州合戦ののちは由利氏が本領を安堵されていたが、和田合戦を期に大井氏地頭として入部し、大井氏の霜月騒動連座による失脚後は北条氏が地頭となり小早川氏が地頭代となったと考えられている。軍記物には応仁の乱のころに、信濃国佐久地方から由利十二頭が配置されたとされており、以後彼らが地頭として由利地域に割拠した。

関ヶ原の戦いのあと、由利地域は、最上氏が治めることになり、その家臣・楯岡満茂が、現在の由利本荘市尾崎に本荘城を築いたことによって、本格的な城下町としての機能を持つようになった。

その後、本荘城には常陸国から六郷氏が入部し、2万石の大名として本荘藩を立藩。また、亀田には、岩城氏亀田城を築き、2万石の亀田藩となった。さらに、矢島には、讃岐国高松藩の藩主だった生駒氏生駒騒動により、1万石で移封され、ここに、由利地域は、本荘・亀田・矢島の3藩による統治が行われることとなった。

1868(慶応4)年、戊辰戦争が始まり、本荘・亀田・矢島の3藩は、奥羽越列藩同盟に参加。しかし、朝廷側から、幕府軍である鶴岡藩の征討を命じられ、由利地域は、3藩と鶴岡藩との壮絶な戦いの場となり、やがて、敗色が濃厚となった3藩の城下は、焼け野原と化した。

年表

市長

行政

市行政
  • 由利本荘市役所
    • 本荘総合支所(本荘地区)
    • 矢島総合支所(矢島地区)
    • 岩城総合支所(岩城地区)
    • 西目総合支所(西目地区)
    • 由利総合支所(由利地区)
    • 東由利総合支所(東由利地区)
    • 鳥海総合支所(鳥海地区)
    • 大内総合支所(大内地区)
県行政
  • 本荘地区に県由利地域振興局を置く。
警察
  • 本荘地区に由利本荘警察署を置く。
  • 矢島地区に由利本荘警察署 矢島幹部交番が置かれている。(平成17年3月31日までは矢島警察署だったものを幹部交番化)
消防
  • 由利本荘市消防本部
    • 本荘消防署 - 岩城分署、大内分署、東由利分署、西目分署
    • 矢島消防署 - 由利分署、鳥海分署

姉妹都市・提携都市

地域

人口

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教育

大学

高等学校

1902年に本荘中学校として創立した共学の進学校。ボートが校技となっている。

特別支援学校

中学校

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小学校

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産業

漁業

由利本荘市に本社・本店を置く企業

特産品

金融機関

その他

郵便

郵便局 テンプレート:Col 簡易郵便局 テンプレート:Col

マスメディア

放送局

交通

鉄道路線

バス

道路

高速道路

地域高規格道路

一般国道

主要地方道

一般県道

道の駅

港湾

名所・旧跡・観光スポット・施設

祭事・催事

  • 新山神社裸まいり(石脇地域 1月)
  • 旧藩祭(亀田地域 7月)
  • 赤田大仏祭り(赤田地域 8月)
  • 矢島八朔まつり(矢島地域 9月)
  • 本荘八幡神社祭典(大名行列 本荘地域 9月)
  • Mt.鳥海バイシクルクラシック(7月)
  • 菖蒲カーニバル(7月)
  • 本荘川まつり花火大会(7月)
  • ボート大会「子吉川レガッタ」(9月)
  • 全国ごてんまりコンクール (10月)

出身有名人

その他

脚注

  1. テンプレート:Cite news
  2. 公営企業会計の出納取扱金融機関秋田銀行

関連項目

外部リンク

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