楯岡満茂

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楯岡 満茂(たておかみつしげ、天文16年(1547年) - ?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将最上氏の家臣。楯岡氏の当主。豊前守を称す。

生涯

最上氏の庶流の一族で、出羽楯岡を領していた。1586年には小野寺義道の侵攻を最上義康と共に有野峠の戦いで苦戦しながらも撃退し、1595年には最上軍の総大将として小野寺領の仙北郡に侵攻し、湯沢城を奪取し、その城を与えられ湯沢氏を称した。関ヶ原の戦いに関連して勃発した慶長出羽合戦では、上杉氏相手の合戦には赴かず、小野寺氏に対する押さえとして同地の守備にあたった。関ヶ原の合戦以後、最上氏の領地となっていた雄勝郡佐竹氏の領地とされ、その代わりとして与えられた由利郡に1603年に移る。居城した赤尾津城にちなんで赤尾津氏を一時名乗ったが、子吉郷に築いた本荘城に移ってからは本城氏[1]を名乗る。

1612年の最上氏の分別帳によれば、満茂の所領は4万5000石と最上家中における最高の禄高であった。しかし1622年、最上氏が幕命により改易されると、その身柄を酒井忠世に預けられた。 その後、赦されて子孫は本多氏に仕えた。

脚注

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