由利高原鉄道鳥海山ろく線

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|} 鳥海山ろく線(ちょうかいさんろくせん)とは、秋田県由利本荘市羽後本荘駅から同市の矢島駅に至る由利高原鉄道が運営する鉄道路線日本国有鉄道(国鉄)の特定地方交通線であった矢島線(やしません)を引き継いだ路線である。全線が由利本荘市内を通る。

路線データ

運行形態

ワンマン運転の各駅停車が線内折り返しで1日14往復運行されている。このうち午前中の1往復は秋田おばこ姿のアテンダントが乗務する「まごころ列車」として運転される。区間運転はなく、全列車が全区間運転である。前郷駅にて閉塞方式が変わるため、同駅発着の際にタブレット交換が行われている。

国鉄時代は現在と異なり、矢島駅での夜間滞泊はなかった。

設備

駅等に切符の自動販売機はなく、有人駅での発券はすべて出札窓口で行っている。

歴史

改正鉄道敷設法別表第13号の「秋田県本荘ヨリ矢島ヲ経テ院内ニ至ル鉄道」の一部であり、横荘鉄道が1922年に開業した路線を1937年に買収・国有化し、延長したものである。

横荘鉄道は、横手と本荘を連絡するため、横手と羽後本荘からそれぞれ路線を延ばしたが、鉄道敷設法の予定線と重なる羽後本荘からの路線(西線)のみが買収の対象となった。買収の対象とならなかった東線(横手 - 老方間)は、雄勝鉄道、羽後交通横荘線)を経て1971年に廃止されている。

矢島線は、1980年の国鉄再建法施行により第1次特定地方交通線に指定され、1982年1月には対策協議会が開始される。臨時列車の試行等を行なったものの輸送密度は伸びず一時はバス転換の方針に固まりつつあった。1984年になって弘南鉄道が矢島線引受を表明したことから地元での鉄道存続に方針が変わり、7月の対策協議会で第三セクター化を正式決定。1985年に由利高原鉄道に転換された。

  • 1915年(大正4年)1月13日横手鉄道に対し鉄道免許状下付(平鹿郡横手町-由利郡本荘町間)[1]
  • 1922年(大正11年)8月1日 横荘鉄道西線として羽後本荘 - 前郷間 (11.6km) を開業。羽後本荘駅・薬師堂停留場・玉ノ池停留場・鮎川駅・黒沢停留場・前郷駅を開設[2]
  • 1926年(大正15年)10月24日 玉ノ池停留場を子吉駅に改称[3]
  • 1937年(昭和12年)9月1日 横荘鉄道西線を買収・国有化し羽後本荘 - 前郷間 (11.6km) を矢島線とする(買収価格64万4067円[4])。薬師堂停留場を駅に改め、鮎川駅を羽後鮎川駅に改称、黒沢停留場を羽後黒沢駅に改める[5]
    • 12月15日 前郷 - 西滝沢間 (4.1km) 延伸開業、西滝沢駅を新設
  • 1938年(昭和13年)10月21日 西滝沢 - 羽後矢島間 (7.3km) 延伸開業、羽後川辺・羽後矢島の両駅を新設
  • 1981年(昭和56年)3月10日 全線の貨物営業を廃止
  • 1981年(昭和56年)9月11日 廃止承認(第1次廃止対象特定地方交通線)
  • 1985年(昭和60年)10月1日 矢島線の羽後本荘 - 羽後矢島間 (23.0km) を廃止、第三セクターに転換し由利高原鉄道鳥海山ろく線として羽後本荘 - 矢島間 (23.0km) 開業、久保田駅新設、羽後鮎川駅を鮎川駅に、羽後黒沢駅を黒沢駅に、羽後川辺駅を川辺駅に、羽後矢島駅を矢島駅にそれぞれ改称
  • 1989年(平成元年)10月29日 曲沢駅・吉沢駅を新設
  • 2001年(平成13年)8月から全線でCOMBAT(バリス式列車検知形閉塞装置)の試験を実施(2003年3月まで)。
  • 2005年(平成17年)3月22日 川辺 - 矢島間の矢島架道橋の橋桁にトラックに積んでいた小型重機が衝突。衝撃で線路がずれ区間運休。橋桁の損傷激しく23日から全線運休し31日までバス代行輸送。

駅一覧

駅名 よみがな 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路
羽後本荘駅 うごほんじょう - 0.0 東日本旅客鉄道羽越本線
薬師堂駅 やくしどう 2.2 2.2  
子吉駅 こよし 2.3 4.5  
鮎川駅
(羽後鮎川駅)
あゆかわ 2.9 7.4  
黒沢駅
(羽後黒沢駅)
くろさわ 2.1 9.5  
*曲沢駅 まがりさわ 0.8 10.3  
前郷駅 まえごう 1.4 11.7  
*久保田駅 くぼた 1.9 13.6  
西滝沢駅 にしたきさわ 2.1 15.7  
*吉沢駅 よしざわ 1.4 17.1  
川辺駅
(羽後川辺駅)
かわべ 3.0 20.1  
矢島駅
(羽後矢島駅)
やしま 2.9 23.0  

()内は、転換前の旧駅名。*印は転換時(後)に設置された新駅

車両

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横荘鉄道西線買収により蒸気機関車2両、客車2両、ガソリンカー1両、貨車10両が国鉄に引き継がれた[6]

  • 1 - 国鉄より払下げられた車軸配置0-6-0タンク式機関車1204号(1200形)。西線開業により東線より移籍。買収後1204号に復したが、その後南武鉄道に払下げられる。
  • 4 - 自社発注したドイツコッペル社製のタンク式機関車。買収後1215号(1215形)となったが、その後総武鉄道に払下げられる。
  • ハ2 - 1923年国鉄より払下げられた木製単車ハ2547[7]買収後の詳細不明。
  • ホハニ1 - 西線開業に際し新製した木製ボギー客車。ホロハフ1(特等並等合造車)→ホハフ1(三等車)→ホハニ1(三等荷物合造車)と改造された。国鉄コハニ4010と付番。
  • ジ1 - 日本車輌製の定員30人のガソリンカー。買収後の詳細不明。1942年に廃車され土崎工場で倉庫として使用されていた。「買収気動車#横荘鉄道」も参照。

関連項目

脚注

  1. 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1915年1月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年8月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. 「地方鉄道駅名改称並営業哩程変更」『官報』1926年11月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. 日本国有鉄道百年史』第11巻、886頁
  5. 「横荘鉄道株式会社所属羽後本荘前郷間鉄道買収」『官報』1937年8月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. 『鉄道統計. 昭和12年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  7. 藤浦哲夫「四輪客車の経歴調査」『鉄道史料』No.12によれば該当車は1914年に小倉鉄道に払い下げられており2代目以降の可能性がある

参考文献

  • 若林 宣 『羽後交通横荘線』ネコパブリッシング、2004年

外部リンク

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