村上隆
テンプレート:Otheruseslist テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox 芸術家 村上 隆(むらかみ たかし、1962年(昭和37年)2月1日 - )は、日本の現代美術家、ポップアーティストである。有限会社カイカイキキ代表取締役、元カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授。学位は博士(美術)(東京芸術大学) 1993年(平成5年)。
目次
人物
1962年(昭和37年)生まれ。東京都板橋区出身。本郷高等学校経て、2浪ののち、1986年(昭和61年)東京藝術大学美術学部日本画科卒業、1988年(昭和63年)同大学大学院美術研究科修士課程修了(修了制作次席)、1993年(平成5年)同博士後期課程修了、博士 (美術)。日本美術院同人で日本画家の村上裕二は弟。
自らの作品制作を行うかたわら、芸術イベント『GEISAI』プロジェクトのチェアマンを務め、アーティスト集団『カイカイ・キキ(Kaikai Kiki)』を主宰し、若手アーティストのプロデュースを行うなど、活発な活動を展開している。同集団は、アメリカのニューヨークにも版権を管理するエージェントオフィスをもつ。
日本アニメポップ的な作風の裏には、日本画の浮世絵や琳派の構成に影響されている部分も強く、日本画のフラット感、オタクの文脈とのリンクなど現代文化のキーワードが含まれている。中でもアニメ、フィギュアなどいわゆるサブカルチャーであるオタク系の題材を用いた作品が有名。アニメ風の美少女キャラクターをモチーフとした作品は中原浩大の「ナディア」に影響を受けたと本人も認めている。アニメーター・金田伊功の影響を強く受けており、自分の作品は金田の功績を作例として表現しているだけと話したこともある。
この村上の一連の創作活動について、スタジオぬえのスタッフだった漫画家の細野不二彦は自身の作品『ギャラリーフェイク』を通して「既成文化の盗作に過ぎない。日本のオタク文化に詳しくない外国人が、これらの作品の引用的要素をオリジナリティと勘違いして高く評価するのは当たり前」と非難している。これに対して村上は、細野さんと話したいと話しており、誰かが体系化しないと、日本の文化として生き残れないと話している[1]。
漫画原作者である大塚英志は、教授として就任した大学のトークショーにおいて「現代美術のパチモノの村上隆は尊敬はしないし、潰していく。我々の言うむらかみたかしは4コマまんがの村上たかしのことだ」と強く非難し、また、現代美術家がサブカルを安易に取り上げることや後述のリトルボーイ展の戦後日本人のメンタリティを無視した展示内容に強い不快感を示している。
映画評論家の町山智浩も自身のブログで、「本来好きでもないのに、『電通的なマーケティング』でアニメ的手法を用いているのが許せない」[2]「村上自身は『自分には表現すべきものがない』と言っているそうだが、本当は『自分は偉い』ということだけがテーマなのだ」[3]と、村上を痛烈に批判している。
一方、精神科医の斎藤環は、批判者の言説は「村上隆は日本のオタク文化のいいとこどりをしただけ」との単純な論理に依ると捉え、そのような論理は根本的に誤解であり不当な批判を行っているとして厳しく非難している。また、村上の作品はオタク文化から影響を受けているだけでなく、それを昇華させてオタク文化に影響を与えてもいると述べている[4]。
村上は自らの作品について「日本人よりも外国人のほうが面白がって評価してくれる」と主張している。またオタクからの批判も多いが、これについて村上は「何の情報を持たない海外では、まずは分かりやすい“サビ”の部分を繰り返し演奏する仕掛けが必要」と考える反面「それはオタクの方々には“否”でなんでしょうね」と批判を分析しているテンプレート:要出典。また、戦後の日本の美術界が西洋のモノマネで終わっていたが、マンガやアニメの表現方法で日本独自の芸術性が欧米のアートシーンの文脈に乗って紹介することで日本人独自の方法論でも世界のアートシーンで戦えると考えているというテンプレート:要出典。村上曰く、「マティスのような天才にはなれないがピカソやウォーホール程度の芸術家の見た風景ならわかる。彼らの行ったマネージメントやイメージ作りなどを研究し自分のイメージ作りにも参考にしている」と語っている。
自身に批判的なツイートを公式リツイートすることで、炎上商法・炎上マーケティングを行っている。
オタク文化を単にパクっているという論理で批判されていながら、きゃりーぱみゅぱみゅが使用するデザインと、自分自身の作品との類似性を、指摘するかのようなツイートを行っている[5]。
経歴
生来のアニメ好きが高じて、高校卒業後にはアニメーターを志した。 尊敬しているアニメ監督は宮崎駿。 未来少年コナンやルパン三世 カリオストロの城を観て、アニメーションの仕事に就きたいと思っていた。
しかしながら挫折し、同じく以前から興味のあった日本画を習い、2浪の後に東京芸術大学に入学した。同大学では美術学部日本画科に学び、1986年(昭和61年)の卒業時には『横を向いた自画像』(東京芸大美術館所蔵)を製作・提出。
1988年(昭和63年)に東京芸術大学大学院修士課程の修了制作が、首席とならず次席であったために、日本画家への道を断念する。1991年(平成3年)には、個展 『TAKASHI, TAMIYA』を開催、現代美術家としてデビューした。同年、ワシントン条約で取引規制された動物の皮革で作ったランドセルを展示するプロジェクトを展開する[6]。
1993年(平成5年)、東京芸術大学大学院の美術研究科博士後期課程を修了。「美術における『意味の無意味の意味』をめぐって」と題した博士論文をもって、同大学日本画科で初めての博士号取得者となった。
1998年(平成10年)にカリフォルニア大学ロサンゼルス校美術建築学部客員教授。2001年(平成13年)にアメリカロサンゼルスで、展覧会『SUPER FLAT』展が開催され全米で話題となる。2005年(平成17年)4月、ニューヨークで個展 『リトルボーイ展』を開催。自身の作品の他、ジャパニーズ・オタクカルチャーや日本人アーティストの作品が展示され、またリトルボーイ展では「父親たる戦勝国アメリカに去勢され温室でぬくぬくと肥えつづけた怠慢な子供としての日本と、そうした環境ゆえに派生した奇形文化としてのオタク・カルチャー」、「それがゆえにオタク・カルチャーのきっかけはアメリカにもあるのだ」との考えが提示された。
翌年2006年(平成18年)にリトルボーイ展はキュレーターに送られる世界で唯一の賞であるニューヨークの美術館開催の最優秀テーマ展覧会賞を受賞した。2008年(平成20年)、米Time誌の"The World's Most Influential People - The 2008 TIME 100"(世界で最も影響力のある100人-2008年度版)に選ばれた[7]。
2005年(平成17年)1月末よりPHS会社・ウィルコムのCMに出演。近年は六本木ヒルズのトータルプロデュースの一員やイメージキャラクター『ロクロク星人』のデザイン、フロアガイド冊子のデザインを手がけている。また『ルイ・ヴィトン ミーツ ネオ・ジャポニズム』と題し、高級ファッションブランド、ルイ・ヴィトンをクライアントとするコラボレーション製品などを発表。
2010年(平成22年)に開催されたシンポジウム『クール・ジャパノロジーの可能性』では、「アート界における"クール・ジャパン"の戦略的プロデュース法――Mr.の場合」と題した講演を行った。講演では、日本のマンガやアニメ、および、それらを生み出した日本自体を肯定的に解釈し、それらの前提のもと、今日ではクール・ジャパンと呼ばれている観点を日本人作家作品によっていかに西洋アート界に体現させていけるか、とのテーマについて初期から漸進的に取り組んできた軌跡を発表した。[8]ただし、2012年(平成24年)に、自身とクール・ジャパンとの関係性を全面否定し[9]、また、オタクカルチャーは醜悪なものとの認識を基底としたテーマのグループ展を開催している[10]。
2010年(平成22年)10月に雑誌『SUPERFLAT』を創刊し、創刊号ではジェフ・クーンズとの特別対談や、村上隆、東浩紀、椹木野衣、黒瀬陽平、梅沢和木、藤城嘘、福嶋亮大、濱野智史らの記事が掲載される予定であった(未刊行)。[11]
発表作品に係わるエピソード
- デビュー作にて、タミヤ社長の弟にタミヤマークを使用した作品制作の許可は得ていたが、「TAMIYA」の表記を無断で「TAKASHI」に変更し、注意を受けている[12]。
- 1993年(平成5年)以前の活動としては『加瀬大周宇Zプロジェクト』では芸能界の騒動に乗じた悪乗りとの不評を買い、当時進行していた複数の展覧会の企画が流れてしまった[13]。古賀学のフリーペーパー『ペッパー・ショップ(Pepper Shop)』で『マンガ道場』を連載。白人の『ダッコちゃん』でタカラより非難される。
- 1994年(平成6年)、大学院卒業後の作品である『HIROPON』の評価を岡田斗司夫に尋ねると「発想が古臭い、とにかく顔がブサイクすぎる」と酷評される。その後、ニューヨークにロックフェラー財団の奨学金で留学。制作活動に専念。ニューヨークで現地フリーペーパーの表紙で作品を次々と発表。
- 2003年(平成15年)2月25日、村上がルイ・ヴィトンの依頼でデザインした鞄が3月1日に発売されるのに合わせて東映アニメーションが制作したアニメ『SUPERFLAT MONOGRAM』が公開される。同年12月8日、海洋堂とのコラボレーションにより、自らのフィギュア作品をわずか350円の小さなフィギュアにしてナンバリングされた証明書を添付したアート食玩『村上隆のSUPER FLAT MUSEUM~コンビニ エディション~』を発売したことで話題を呼ぶ。食玩は本来菓子が商品でありフィギュアは「おまけ」であることから、村上は「5,800万円の作品が無料で大量に複製生産されることの面白さ」がこの商品の意義であると述べているテンプレート:要出典。
- 『My Lonesome CowBoy』を製作した理由は、『HIROPON』が女性だったので、次は男性を作ろうと思っただけだと話す。男女を作ることで、フェミニズム的な違反を避ける意図もある。男性をモチーフにすることには関心が持てないので、逆に一度はやってみたかったとも語る[14]。
- 2003年(平成15年)春、ニューヨークのオークション会社・サザビーズにて等身大フィギュア『Miss Ko2』が50万ドル(約5,800万円)で落札、話題となった。これは当時の日本現代美術作品の最高額である。本人は自らの作品がこのような高額で買い取られた理由について「女性の美意識に革命をもたらしたからだ」と分析する一方、「単に金持ちが作品の性的な要素に惹かれて落札しただけなのでは」と話している。落札したのは、会社を売って隠居したアメリカの80歳近い老夫婦である。
- 2004年(平成16年)7月、ナルミヤ・インターナショナルによるキャラクター、『マウスくん』が、村上のキャラクター、『DOB君』に酷似しているとして、同社を著作権侵害で提訴。2006年(平成18年)4月に和解が成立し、4,000万円の和解金を受け取る(これについてはそもそもDOB君がミッキーマウスをモチーフとしている(近似している)のに何故著作権を侵害されているなどと言えるのかといった大塚英志テンプレート:要出典や東浩紀[15]、町山智浩[16]等からの批判がある)。本人は、元々『DB君』は自分の作品の世界観を再構築して作ったもので、『マウスくん』がその世界観そのものを盗用しているように感じ、企業との幾度かの話し合いの末、示談になったと話している[17]。現在のマウスくんは村上の著作権を侵害していないとされる。
- アメリカの歌手カニエ・ウェストの2007年(平成19年)9月11日発売の『グラジュエイション』のジャケットのデザインを担当。同年10月以降、アメリカ・ロサンゼルス現代美術館(MOCA)で大規模な展覧会「村上隆回顧展(C)MURAKAMI」が催し、自身の作品を巨額の資金が動くビジネスへと牽引する貪欲さを見せている。
- 2010年(平成22年)9月14日にフランス・ベルサイユ宮殿で村上の作品展『Murakami Versailles』が開催されたが、宮殿に彼の作品は合わないとして、フランス国内の団体が抗議デモをおこなった[18][19]。10月22日には、フランス王ルイ14世の子孫の1人シクスト・アンリ・ド・ブルボン=パルムが、「世界遺産にポルノ作品を飾っており、祖先に対する冒涜に当たる」として作品展の中止を要求し、主催者である宮殿当局に対する法的措置を取ることを表明した[20][21]。
若手アーティストへの教育・支援
GEISAI
テンプレート:Main GEISAI(ゲイサイ)とは、村上隆主催の若手アーティスト向けのアートイベント。2002年(平成14年)より、継続的に開催している。また、これまでに、AKB48[22]、ももいろクローバー[23]、平野綾[24]を出演させ、お祭りイベントに花を添えている。
KaikaiKiki
有限会社カイカイキキとは、2001年(平成13年)に設立された村上隆が代表取締役を務める企業。1996年(平成8年)に設立されたヒロポンファクトリーが前身である。アーティストやサポートスタッフを、正社員やアルバイトとして雇用し、カイカイキキ三芳スタジオ(三芳工場)などにて創作活動に従事させている。
若手アーティストの育成スタジオ「ちゃんば」では、「密教的」と村上が語る程に危険な修行が行われている。具体的には、アーティスト自身の内面の深部を掘り下げる目的の村上との問答が、安全面に関する一定の配慮を払いつつ毎日繰り返されている。一方、アーティストに一般社会における礼儀作法も求めており、村上は、日本のアーティストは礼儀作法が分かっていない結果、すぐに恨んだり、切れたりすると批判している。また、東日本大震災発生後に村上は毎日、カイカイキキスタッフに対して、労働基準法を盾にして主張する若者とは芸術の意念闘争を闘えないとの趣旨で「通常モードの会社員として雇用されたい人は辞めてほしい」と発破をかけた。[25]
また、村上が監督を務める映画『めめめのくらげ』の制作や[26]、カイカイキキ札幌 STUDIO PONCOTANにてアニメ作品『シックスハートプリンセス』をアニメーターを雇用して制作している[27]。
他にも、GEISAI審査員を務めた黒瀬陽平の後述の「カオス*ラウンジ」への加入や、カオス*ラウンジ参加作家(JNTHED[28][29]、ob[30]、(現在はアーティストとして今後一切の活動を行わない事を宣言している)森次慶子[31])のカイカイキキアーティストとしての採用、カオス*ラウンジ参加作家のカイカイキキ開催の展示会(「HERBEST展」[32][33]、「アートどすえ 京都芸術物産展」[34]、「HEISEIBU祭」[35])への出展など、外部団体との人材交流も生じている。
ちなみに、カイカイキキは2010年(平成22年)9月30日現在、まんだらけの発行済株式総数の5.49%を保有する、第2位の大株主である[36]。
カオス*ラウンジへの支援
「カオス*ラウンジ」は元々、イラスト投稿サイトpixivのユーザーによる、オフ会としてのグループ展「ポストポッパーズ」が前身であったが[37]、「カオス*ラウンジ2010 in 高橋コレクション日比谷」より「GEISAI CRITICAL MEDIA」審査員[38]であった黒瀬陽平が「カオス*ラウンジ」に加入し現代アートとしての理論補強が行われた結果、従来「カオス*ラウンジ」が持っていたpixivユーザーオフ会の性質が発展的に解体され、現代アートの文脈に接続されることとなった[39][40]。
「カオス*ラウンジ2010 in 高橋コレクション日比谷では、村上隆自身の作品も展示され[40]、また、美術専門誌『美術手帖』2010年5月号への綴じ込み付録のカオス*ラウンジ特集広告の出稿[41]、カイカイキキが運営しているギャラリーにおける「CHAOS*LOUNGE フェス」や、「pixiv画面端フェスタ」の開催、「カオス*ラウンジ2010 in 台湾」のプロデュース[42][43][44]、展示作品「破滅*ラウンジ」[45]の購入[46][47]などの支援が行われている。
ギャラリー
有限会社カイカイキキが運営しているギャラリー
日本国内
Kaikai Kiki Gallery、GEISAI Galleryを除き、いずれのギャラリーも中野ブロードウェイ内に所在している
- Kaikai Kiki Gallery[48]
- Hidari Zingaro(左 甚蛾狼――ヒダリ ジンガロ)[49]
- pixiv Zingaro[50] - イラスト投稿サイトpixivとのコラボレーション。pixiv#村上隆・カイカイキキとの企画も参照。
- Oz Zingaro[51]
- Kaikai Zingaro
- GEISAI Gallery[52]
日本国外
主な展覧会
- スーパーフラット(2000年(平成12年) 渋谷パルコギャラリー、2001年(平成13年) ロサンゼルス現代美術館(MOCA)) - 村上隆キュレーション
- 召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか(2001年(平成13年) 東京都現代美術館)
- ぬりえ展:カイカイキキ(2002年(平成14年) パリ・カルティエ現代美術財団)
- 逆転二重螺旋(2003年(平成15年) ロックフェラー・センター(ニューヨーク))
- リトルボーイ展(2005年(平成17年) ジャパン・ソサエティー・ギャラリー他(ニューヨーク)) 村上隆キュレーション
- 村上隆回顧展(C)MURAKAMI(2007年(平成19年) ロサンゼルス現代美術館(MOCA))
- murakami versailles(フランス・ヴェルサイユ宮殿) (2010)
- murakami ego(カタール・ドーハ)(2012)
代表作
- 『Miss Ko2(KoKo)』
- ウェイトレスの格好の等身大サイズの美少女フィギュア。海洋堂や美術業者との共同制作[12][56]。オークション会社のサザビーズにて約5,800万円で落札。佐藤江梨子をモデルとした「サトエリMiss Ko2ちゃん」、西E田(キャラクターデザイナー)によるナースバージョンなども存在する。
- 『HIROPON』
- 自分の母乳で縄跳びをしている等身大の美少女フィギュア。オークション会社のクリスティーズにて約4,890万円で落札。
- 『My Lonesome CowBoy』
- 白い液体を放出する裸の青年の等身大のフィギュア。競売会社サザビーズがニューヨークで行ったオークションにて、1516万ドル(約16億円)で落札された。
- 『Mr.DOB』
- 代表的キャラクター。「DOB君」ともいう。ネズミのぬいぐるみのような形をした生物。様々な派生作品が生み出されており、その場の空間にあわせ奇妙な形態をする。変化する村上の自画像とも言われている。
- 『お花』
- 代表的キャラクター。花の中央にスマイルのついた大小の異なる花。ルイ・ヴィトンとのコラボレーション作品に取り入れられている。歌手・ゆずのアルバムジャケットなどにも使用されている。
- 『ゆめらいおん』
- TOKYO MXのシンボルキャラクター。
- 『シックスハートプリンセス』
- ベルサイユ宮殿の個展にて初公開されたアニメーション作品。従来のアート系アニメ作品とは趣を異にする作風であり、女児をメインターゲットとした商業アニメ作品(プリキュア)のフォーマットを踏襲した作りとなっている。
- 『五百羅漢図』
- 全長100メートルの狩野春一の作品のリメイク作品。東日本大震災への芸術家としての解答と表現している。(ただし、製作開始時は震災は発生していない。)
- 『めめめのくらげ』
- 村上隆が監督を担当した映画作品。一般の商業映画作品として2013年4月26日に公開。カイカイキキ製作、ギャガ配給。
出版・DVD
- 『ふしぎの森のDOB君 村上隆1st作品集』美術出版社 ISBN 4568103258
- 『SUPER FLAT』マドラ出版 ISBN 4944079346
- 『召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか』カイカイキキ ISBN 4939148033
- 『リトルボーイ―爆発する日本のサブカルチャー・アート』ジャパン・ソサエティー ISBN 493914819X
- 『芸術起業論』 幻冬舎 ISBN 978-4344011786
- 『芸術闘争論』 幻冬舎 ISBN 9784344019126
- 『NHK 新日曜美術館 奈良美智×村上隆 ニューポップ宣言』(2001年放送『新日曜美術館』編集DVD)
- 『The★ Geisai―アートを発見する場所』カイカイキキ ISBN 4939148173
- 『村上隆完全読本 美術手帖全記事1992-2012』美術出版社 ISBN 978-4568104509
- 『創造力なき日本――アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」』角川書店 ISBN 978-4-04-110330-2
メディア出演
- テレビ番組
- たけしの誰でもピカソ(テレビ東京) - オープニングタイトル・キャラクターを担当。アートバトル審査員も務めた
- ラジオ番組
- 村上隆のエフエム芸術道場(TOKYO FM 毎週土曜27:00-28:00)
関連項目
- カニエ・ウェスト
- trf
- 326
- FC東京
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」 - 2008年度(第31回)のTシャツのデザインをした
- 後藤仁 - 日本画家。村上隆の大学生(美術予備校講師)時代の生徒[57]
脚注
外部リンク
- アーティスト・村上隆 有限会社カイカイキキ
- テンプレート:Twitter(英語版のアカウントは「takashipom_en」)
- 村上隆回顧展(C)MURAKAMI ロサンゼルス現代美術館(MOCA) 英語
- 村上隆のエフエム芸術道場 東京エフエム
- takashipom's Videos on USTREAM.
- takashipom on Instagram
- takashi murakami - Tumblr
- テンプレート:YouTube
- ↑ 村上隆の芸術闘争論 4
- ↑ 「2004-02-17」 町山智浩、2004年2月17日。
- ↑ 「2004-02-21」 町山智浩、2004年2月21日。
- ↑ 斎藤環 『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』 筑摩書房、2011年、148-149頁。ISBN 978-4480842954。
- ↑ 村上隆のtwiiter(2013年10月18日6:28)
- ↑ 『ワンダー・プレス』1994年3月、28-29。
- ↑ http://www.time.com/time/specials/2007/article/0,28804,1733748_1733752_1735733,00.html
- ↑ 村上隆 「アート界における"クール・ジャパン"の戦略的プロデュース法――Mr.の場合」『日本的想像力の未来 クール・ジャパノロジーの可能性』、東浩紀編、NHKブックス、2010年。
- ↑ 「村上隆さんに聞く 世界のトップを取る」 朝日新聞デジタル、2012年1月17日。
- ↑ 「アートステージシンガポール 「らっせーら」展」 Kaikai Kiki Gallery、2012年2月5日閲覧。
- ↑ 「新ART雑誌「SUPERFLAT」創刊のお知らせ」 Kaikai Kiki Gallery、2012年2月26日閲覧。
- ↑ 12.0 12.1 岡田斗司夫 「第八講 現代アートの超理論」『東大オタク学講座』、1997年9月26日。
- ↑ 暮沢剛巳 『キャラクター文化入門』 NTT出版、2010年、38頁。
- ↑ 『国際シンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性」2日目』村上隆の発言
- ↑ 東浩紀 「村上隆と知的財産権」 渦状言論、2006年4月25日。
- ↑ 「村上隆のDOBのモデルってミッキーマウスじゃないの?」 町山智浩、2006年4月25日。
- ↑ 村上隆の芸術闘争論 4
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 「AKB48の皆さんがステージゲストに決定いたしました!」 GEISAI OFFICIAL WEBSITE、2008年8月8日。
- ↑ 「ももいろクローバー「GEISAI#15」に緊急参加決定」 ナタリー、2011年3月6日。
- ↑ 「GEISAIミュージアム#2 フォトレポート」 GEISAI OFFICIAL WEBSITE、2012年2月26日閲覧。
- ↑ 「自分の表現を見つける 村上隆、特別インタビュー」『美術手帖』2011年10月号、美術出版社、2011年。
- ↑ めめめのくらげ
- ↑ 「札幌 STUDIO PONCOTAN 北海道在住アニメーター募集!」 kaikaikiki、2012年1月1日閲覧。
- ↑ 「今年最後のカオス* ラウンジ、開催中。」 ダカーポ、2010年12月9日。
- ↑ http://gallery-kaikaikiki.com/category/artists/jnthed/
- ↑ http://gallery-kaikaikiki.com/category/artists/ob/
- ↑ http://taipei-jp.gallery-kaikaikiki.com/category/artists/keiko_moritsugu2/
- ↑ 「HERBEST展 前半出展作家」 Hidari Zingaro、2012年1月1日閲覧。
- ↑ 「HERBEST展 後半出展作家」 Hidari Zingaro、2012年1月1日閲覧。
- ↑ 「アートどすえ」 Hidari Zingaro、2012年1月1日閲覧。
- ↑ 「HEISEIBU祭」 pixiv Zingaro、2012年1月1日閲覧。
- ↑ 「第24期 (自 平成21年10月1日 至 平成22年9月30日) 有価証券報告書」 まんだらけ、2010年12月20日。
- ↑ 「連載 椹木野衣 美術と時評:6 カオス*ラウンジ ———— 萌えいづる自由・平等とその行方」 ART iT、2010年4月28日。
- ↑ http://d.hatena.ne.jp/geisaicritical/20100311
- ↑ 「萌えアートを斬る!(アライ=ヒロユキ)」 週刊金曜日ニュース、2010年11月2日。
- ↑ 40.0 40.1 「現代美術の新たなヴィジョンを提示するグループ展 『カオス*ラウンジ2010 in 高橋コレクション日比谷』」 CBCNET、2010年4月12日。
- ↑ 「日本式ARTの次の射程が見えてきた!!」 カイカイキキ、2010年3月21日。
- ↑ http://chaosxlounge.com/exhibition/chaosin_taiwan
- ↑ 「CHAOSLOUNG展覧会」 Kaikai Kiki Gallery Taipei、2012年1月1日閲覧。
- ↑ 「BOME個展+CHAOS LOUNGE+pixiv共同開幕」 Kaikai Kiki Gallery Taipei、2010年8月11日閲覧。
- ↑ 「破滅*ラウンジ・再生*ラウンジ 〜アーキテクチャ時代のイメージ〜」(NANZUKA UNDERGROUND 渋谷)にて展示されたインスタレーション作品
- ↑ 「NANZUKA UNDERGROUND | 破滅*ラウンジ→再生*ラウンジ | 「NANZUKA AGENDA」Vol.1」 PUBLIC-IMAGE.ORG、2010年7月2日。
- ↑ http://twitter.com/#!/takashipom/status/27163810590621696
- ↑ http://gallery-kaikaikiki.com/
- ↑ http://hidari-zingaro.jp/
- ↑ http://pixiv-zingaro.jp/
- ↑ http://oz-zingaro.jp/
- ↑ http://geisai-gallery.jp/
- ↑ http://taipei-jp.gallery-kaikaikiki.com/
- ↑ http://taipei-jp.hidari-zingaro.jp/
- ↑ http://ja-jp.facebook.com/pages/Hidari-Zingaro-Berlin/270283593065106
- ↑ 「BOME コレクション 鬼娘 ボーメ」 海洋堂、2012年1月20日閲覧。
- ↑ 「月刊ボザール」(後藤仁特集ページ)2005年12月336号、社団法人美術愛好会 サロン・デ・ボザール[後藤仁公式ホームページ「後藤 仁(GOTO JIN)のアトリエ」][後藤仁公式ブログ「後藤 仁(GOTO JIN)の制作・旅日誌」]