朝鮮の声放送

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テンプレート:基礎情報 放送局 テンプレート:Infobox 朝鮮の声放送(チョソンのこえほうそう、英語:Voice of Korea)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都平壌から放送されている国外向けラジオ放送国際放送)。

概説

現在の名称になる以前は朝鮮中央放送(ちょうせんちゅうおうほうそう・チョソンちゅうおうほうそう)または平壌放送(ピョンヤンほうそう、へいじょうほうそう)とも呼ばれていた。1997年8月から2001年2月まで「平壌放送」(Radio Pyongyang)の名称を朝鮮語以外の言語での外国向け放送で使用していたが、2001年2月より朝鮮語での外国向け放送は「平壌放送」の名称に変更された。現在は、朝鮮語以外の言語での放送を「朝鮮の声放送」(Voice of Korea)と称している。朝鮮中央放送委員会が実施。

送信所

放送言語

現在は、日本語標準中国語英語フランス語ドイツ語ロシア語スペイン語アラビア語の8ヵ国語で放送が行われている。

放送開始時には必ず「金日成将軍の歌」を電子オルガンでアレンジしたインターバル・シグナル(IS)と国歌である愛国歌演奏される。国歌の演奏は放送終了後にも行われていたが、現在は放送開始時のみ。また平壌放送と呼称していた頃は国歌演奏を止めていたこともある。また愛国歌の演奏に続いて「金日成将軍の歌」と「金正日将軍の歌」の合唱を放送する。

日本語放送

1950年7月10日日本語放送開始。放送開始当初は、同年6月25日に勃発した朝鮮戦争の戦況を伝える内容が中心だった。

1960年代前半までは、「この国の人民は全てが主人公」といった論調が目立ったが、1967年唯一思想体系が採択された後は、金日成への個人崇拝が強まり、後に主体思想が確立されると金日成賛美一色となった。放送を通じて北朝鮮に関する情報を得ようとしても、政治色の濃い特定のテーマしか放送しないので、困難であった。

金日成に言及する際は必ず、「偉大なる」という形容詞が付く。さらに1980年代以降、金正日の後継者としての地位が固まり、金正日を賛美する内容が多くなる。「親愛なる金正日書記」という表現が固定化し、金日成没後には「偉大なる」となった。金正恩登場後にも、表現に微妙な変化がある。

また金正日死去の追悼放送では、「朝鮮労働党員、人民軍将兵、人民皆に告げる」という冒頭のように、党・軍・政府という先軍政治ゆえの序列がうかがえる。労働新聞とともに、賞賛の方法・文言、個人や機関・役職の序列などに注意すると、幾分かは内情の変化がうかがえる。

1970年から1972年までベトナムの声日本語放送の中継放送を行っていたこともある。

BCLブームの最盛期には、聴取者に対するサービスは至れり尽くせりだった。その一例として、受信報告書(ただし、金日成を賛美する内容:当時)を送ると、ベリカード(受信確認証)の他に金日成の著書やカレンダーが送られてきた。また、同放送で流される朝鮮歌謡を賛美するとレコードなども送られてきた。当時、日本でもレコード全盛の時代であったが、朝鮮の声放送から送られてくるレコードは、日本のレコードの厚みの2倍程度あり、またケースも薄い紙袋であった。

1990年代前半頃から、朝鮮固有名詞(人名・地名など)をアナウンスする際は、全て朝鮮語読みに統一している。このため局名・国名の「朝鮮」も「ちょうせん」ではなく「チョソン」と発音されている。但し、1970年代後半には、「平壌」(ピョンヤン)を「へいじょう」と読んでいた。これは固有名詞が、朝鮮語交じりでは分かりにくい、とのリスナーの声に応えたものであった。ちなみに、韓国大統領府の青瓦台については、2014年現在も「せいがだい」と日本語読みしており、朝鮮語読みの「チョンワデ」は全く用いられない。また、大韓民国の説明は「南朝鮮」(「共和国南半部」とも)、李明博(イ・ミョンバク)や朴槿恵(パク・クネ)政権はじめ、大韓民国の保守政権は「南朝鮮傀儡(一味・反民族集団)」、アメリカ合衆国は「アメリカ帝国主義」、アメリカ合衆国大統領は「アメリカ帝国主義者」などと放送する場合が、殆どである。

※注(1970年代前半も「チョソン」、「ピョンヤン」の読みを用いていた。当時のIDは『こちらは平壌(ピョンヤン)、朝鮮(チョソン)中央放送局です』。)

1990年代後半以降、北朝鮮の電力事情が悪化しているため、頻繁に放送が停波するようになった。すぐに復旧することもあるが長時間、停波している場合もある。放送設備もかなり老朽化しているようである。

2011年4月15日:公式ウェブサイトを開設[1]

現在の放送スタイル

現在の番組内容は、インターバル・シグナル後「朝鮮の声放送です」が2回繰り返した後で、愛国歌が曲のみが放送(いわゆる「カラオケ」)され、「リスナーの皆さん、只今から朝鮮民主主義人民共和国(チョソンみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく)の首都平壌(しゅとピョンヤン)からお送りする日本語放送を始めます。」と男性アナウンサーが述べた後に、「不滅の革命讃歌」と形容詞が付いた『金日成将軍の歌』と『金正日将軍の歌』の合唱が放送される。

ニュース労働新聞論評ダイジェストが放送される。その後は『金日成主席の回顧録〜世紀とともに〜』を主とした朗読番組、音楽リスナーからの「おたよりの時間」、「ラジオマガジン」などがある。かつては一日2サイクルの編成であったが、2011年11月以降は番組数が削減されており、音楽中心の内容構成となっている。

朝鮮の声放送の住所は放送中に読み上げられており、日本からも日本語で手紙を送ることができる。「おたよりの時間」では、日本のリスナーが送った投書がよく読み上げられる。コリアウォッチャー辺真一の手紙も「へんしんいちさんから」として読み上げられたことがある。現在は不明であるが、過去には様々な記念品が送られてきたという。また、受信報告書を送ればベリカード(受信確認証)を発行してもらうこともできる(宛先等は後述)。

平壌放送愛聴会(現在活動休止中)などの聴取者団体が存在して、局との交流を行っていた。

1日9時間もの日本語放送は他に例がなく、聴取者日本人よりも在日朝鮮人を意識した放送だとも言われている。しかし、普段あまり窺い知る事が出来ない、朝鮮民主主義人民共和国の内情を知る上で、唯一の日本語情報源でもある。

かつては深夜24時に放送が終了すると中波AMラジオ)の周波数により、「工作員向け」で日本人拉致にも使われたと見られる乱数放送暗号放送、通称:A3放送[2]が行われていたが2000年に終了した[3]

放送時間(JST) 周波数
06:00-09:00 621kHz、3250kHz、4405kHz、9650kHz、11865kHz
16:00-18:00 621kHz、3250kHz、4405kHz、9650kHz、11865kHz
18:00-22:00 621kHz、3250kHz、4405kHz、6070kHz、9650kHz、11865kHz
  • 第1次プログラム 16:00 - 17:00 18:00 - 19:00 20:00 - 21:00 翌朝7:00 - 8:00
  • 第2次プログラム 17:00 - 18:00 19:00 - 20:00 21:00 - 22:00 翌朝6:00 - 7:00 同8:00 - 9:00
  • 周波数:621kHzは中波

※放送時の周波数案内では紹介されていないが短波3250kHz、4405kHzでも放送されている。

  • 季節により、11865kHz 7580kHzの2つの周波がスイッチする。前者が夏季用。後者が冬季用となって居て、同時に送信される事は無い。
  • 621kHzと3250kHzは平壌放送と時間外で共用になっている。

(注)最近の放送では、第1次プログラムではほぼ次の第2次プログラムの放送開始間際(55 - 58分ぐらい)まで放送をしているのに対し、第2次プログラムでは表記終了時間よりも10 - 15分程度早く(45 - 50分ぐらいの段階で)放送を終了している。そのため、第2次プログラム放送終了後から次の第1プログラムの放送開始までの間の休憩(無音)の時間がやや長い。なお、毎日9:00と22:00の放送終了時には第2次プログラム放送終了時のアナウンスが流れ終わってから約30秒後に停波される。

  • なお、通常は16時を起点として番組を翌日のものに変えるが、12月31日の分に関しては21:00からの放送が最終となり、1月1日は6:00の放送で切り替える。これは新年になってから大晦日(年末)の話題を取り上げるのは、時勢的におかしい為である。

日本語放送のアナウンサー

  • 尹昌宇(ユン・チャンウ):元アナウンサーで日本語放送部の責任者。
  • 文政姫(ムン・ジョンヒ):神奈川県鎌倉市出身(神奈川朝鮮高級学校卒業)の元在日朝鮮人である。帰国後、平壌音楽大学卒業。
  • 崔鐘日(チェ・ジョンイル):平壌外国語大学日本語学科卒業。
  • 慎範(シン・ボム):東京都出身の元在日朝鮮人。
  • 呉英淑(オ・ヨンスク)
  • カン・ソンヒ

過去の日本語放送のアナウンサー

  • 朴安復(パク・アンブク):1970年代後半にスパイ容疑により銃殺刑となった。
  • 金玉姫(キム・オクヒ)
  • 文春香(ブン・シュンコウ)
  • 鄭セイコウ
  • リ・へウォン

投書の宛先

下記の英語フランス語朝鮮語の宛先いずれも届く。「D.P.R. KOREA」「R.P.D. CORÉE」は国名(朝鮮民主主義人民共和国)の部分である。

  • Voice of Korea Japanese service Pyongyang D.P.R. KOREA
  • Voice of Korea Japanese service Cheonseung-dong,Moranbong district,Pyongyang,D.P.R. KOREA
  • Voix de Corée service Japonais Pyongyang R.P.D. CORÉE
  • Voix de Corée service Japonais Pyongyang Cheonseung-dong,Moranbong district,Pyongyang, R.P.D. CORÉE
  • 평양시 조선의 소리 방송 일본어부 D.P.R. KOREA
  • 평양시 모란봉구역 전승동·조선의 소리 일본어부 D.P.R. KOREA
  • 평양시 모란봉구역 전승동·조선민주주의 인민공화국 라지오 및 텔레비죤 방송위원회 일본어방송 D.P.R. KOREA
日本など漢字圏諸国からは下記の漢字を含む宛先でも届く
  • 朝鮮民主主義人民共和国 平壌市 ラジオ・テレビ放送委員会 日本語部
  • 朝鮮民主主義人民共和国 平壌市 朝鮮中央放送委員会 日本語部
  • 朝鮮民主主義人民共和国 平壌市 朝鮮の声放送 書簡係
  • 朝鮮民主主義人民共和国 平壌市 牡丹峰区域戦勝洞・朝鮮の声

受信報告書に対しては良心的な対応である。報告書を送る際、原則として国際返信切手券および返信用封筒の同封は必要ない。場合によっては日本国内の税関にて開封検査が行われるケースが有る(北朝鮮による日本人拉致問題以降の日本政府による対朝経済制裁のため、北朝鮮からの国際郵便物は日本の税関によって没収され返信の郵便物が届かないこともある)が、通常1~2ヶ月間内に返信が届く。なお、ベリカード受領後も定期的に労働新聞・朝鮮新報・朝鮮日報等の新聞や朝鮮郵票社切手パンフレット、カード型のカレンダー朝鮮労働党の歴史について書かれた小冊子『金正日』、年末から新年にかけては新年の挨拶の手紙と大判の壁掛けカレンダーが送られてくることがある。

同放送局は、その放送の特性上受信報告書が「朝鮮民主主義人民共和国 平壌市」だけで届いていた[4]が、平壌放送愛聴会などの聴取者団体が交流を持つに連れ次第に情報が判明し、現在では同放送局の正確な所在地および電話番号も判明し、聴取者とアナウンサーの交流も行われている。

注釈

  1. 北「朝鮮の声放送」サイト開設、金主席誕生日に合わせ(聯合ニュース 2011年4月15日
  2. A3は当時の電波型式の表記法でAMを表す。現在のA3E
  3. 北朝鮮乱数放送の代表 A−3放送が全廃(アジア放送研究会)
  4. モスクワ放送が宛先を「Radio Moscow Japanese Section Moscow, U.S.S.R.」とだけ公表していたのと同じ

関連項目

外部リンク

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