清津市
テンプレート:Infobox 清津市(チョンジンし、청진시)は朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道の道都。朝鮮北部の重要な港湾工業都市である。
推定人口、582,480人(1993年)。
地理
咸鏡北道南部に位置し、日本海に面する港湾都市である。東は日本海に面し、西は富寧郡、茂山郡、南は鏡城郡、北は会寧市、羅先特別市と接する。
気候
年平均気温は8.4度。1月の平均気温は-5.4度と沿岸部のため内陸部に比べると寒さは緩和される。8月の平均気温は21.7度と比較的涼しい。
歴史
古代には高句麗、渤海の領域だったが、その後、金や元の支配下に入る。高麗末期、鏡城郡に編入された。
李氏朝鮮時代には富居県所属の小漁村に過ぎなかったが、1904年(明治37年)に日露戦争が勃発し、日本軍の兵員や物資の引き揚げ基地として利用された。1908年(明治41年)、日本側の要求によって万国通商港として開港。1910年(明治43年)10月1日に富寧郡は清津府(日本語読みで「せいしんふ」)となる[1]。
日本統治下では隣接する羅南(1940年に清津府に併合)に大日本帝国陸軍の第19師団が置かれた。1930年代には、日本製鐵の清津製鉄所が建設されるなどして工業が発達するとともに、いわゆる「北鮮三港」(清津・羅津・雄基)の一つとして、日本海経由で日本内地と満洲とを短絡するための港湾都市として整備が行われた。
1945年(昭和20年)8月13日、清津をソ連軍(赤軍)が占領し、事実上、朝鮮において最初に日本の統治から離れた都市となった。1960年から1967年、及び1977年から1985年の間、咸鏡北道から分離され直轄市とされたが、1985年以降は再び咸鏡北道に編入され、その道都になっている。1990年代以降の食糧危機の中、餓死者や浮浪児が多く発生している。
産業
日本統治時代に建設された金策製鉄所(旧・日本製鐵清津製鉄所)を中心として、現在も鉄鋼業や金属工業が盛ん。しかし、産業発展の負の影響として水質汚染や大気汚染が深刻だとされる。また、1990年代以降の経済情勢悪化に伴い、操業を停止する工場が現れ、清津の経済はさらに悪化した。近年では闇市が規模を拡大させ、一種の市場経済化が進行している。
行政区域
教育
- 清津技術大学
- 清津鉱業大学
- 清津教育大学
- 咸北農業大学
交通
鉄道
平壌や羅先、会寧と結ぶ鉄道が多数発着する鉄道の要衝。また、市内には1999年に開業した路面電車(軌道電車、清津市電)、トロリーバス(無軌道電車)が運行している。
航空
平壌、咸興への定期便(週1便)が発着する漁郎空港(清津空港)が、近郊の漁郎郡にある。
清津港
荷役能力800万t、水深12m、2万t級の船舶が入港でき、黄海側の南浦港と並ぶ北朝鮮最大級の港湾であるが、1990年代以降のソ連崩壊や北朝鮮経済の悪化に伴い、設備の4分の3が遊休状態にあるといわれる。警備艇や工作船などの停泊地や軍港があるため、港湾周囲は警備が厳しいとされている。
日本の舞鶴港、新潟港とを結ぶ貨物船航路がある。戦後の在日朝鮮人帰国事業で利用された。
1999年(平成11年)に発生した能登半島沖不審船事件では、漁船に偽装した2隻の船が最終的に清津港に入港したことが日本政府によって確認されている。
出身著名人
- 申相玉 - 映画監督、1926年清津出身。
- 金壽根 - 建築家、1931年清津生まれ。
- 宝田明 - 日本の俳優、1934年清津府生まれ
- 戸塚宏 - 日本のヨットスクール経営者、1940年清津府生まれ
- 李雪主 - 金正恩夫人、1989年生まれ
注
- ↑ 明治43年10月1日朝鮮総督府令第7号による。『朝鮮総督府官報』第29号p. 14(明治43年10月1日)を参照。