日産・ルネッサ

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ルネッサ(R'NESSA)は、日産自動車で生産されていたステーションワゴンである。

解説

ルネッサは日産ではマルチ アメニティー ビークル(MAV)と呼んでいた。コンセプトは「人間中心」、キャッチフレーズは「パッケージ ルネッサンス、車輪の上の自由空間。」であった。車名も「ルネッサンス」に掛けたもの。

日産はステーションワゴンとして分類しているが、各種メディアからはミニバンSUVハッチバックトールワゴンに分類されることもある[1]

フロントとリアドアの後ろの両サイドにはルネッサの「R」をモチーフにしたエンブレムが装着されている。また、フロントグリルダイアゴナルメッシュタイプで、ファミリー向けながらかなりアグレッシブな顔つきとなっている。

もともと米国カリフォルニア州向けの電気自動車である、アルトラEV(Altra EV)の副産物ともいえる車種で、2800mmにも及ぶ長大なホイールベースや、二重構造の高床なども、全て電池の搭載を考慮したものである。ちなみにこのホイールベース値はセドリックなどと同じ数値である。

二重底かつ高床方式のため室内床面は非常に高く、室内高は不足気味で、寝かされた、足を投げ出す着座姿勢とすることで居住空間を捻出しており、乗降性は決して良いとはいえない。また、後席には57cmものロングスライドが与えられており、前席とのヒップポイント間寸法は最大で1mを超える。この前後長を生かし、一部グレードの前席は回転対座式となっており、「リムジンシート」と評されていた。事実、その突出した居住空間に目をつけた東京都内の複数のタクシー業者がタクシーとして採用していたほどである。

アルトラEVと、1998年に日本国内で販売されたルネッサEV(EVN30型)では、床下に12個のソニーリチウムイオン電池を格納する。一回の充電時間は約5時間で、航続距離は10・15モードで230km、充放電サイクルは1000回以上、重量は360kgとなっている。モーターネオジム磁石を用いた62kWの同期モーターとされ、小型で許容回転数を16000rpmと高めることで効率を改善している。充電方法は、北米のインフラに合わせたインダクティブ式を採用している。

発売当初は月に6,500台の販売目標を設定していたが、当初から月平均1,000台強と販売は低迷し、また、1999年の時点では月数百台ペースに落ち込み、2000年以降それが深刻化しており、末期には月数十台ペースまでに落ち込んでいた[2]

歴史

  • 1997年10月22日 - 第32回東京モーターショー開幕(一般公開は25日から)。日産自動車は「“パッケージ・ルネッサンス”~車輪の上の自由空間~」をコンセプトに開発したM.A.V(マルチ・アメニティ・ビークル)「ルネッサ」を発表。同日より全国一斉発売。専用外観を持つオーテックジャパン架装のAXISも同時発表。月販目標は6,500台。取り扱いは日産店とサニー店。発表展示会は25・26日に行われた。ターゲットは家族の居る30代から40代のユーザー。
    • 全てのグレードが直列4気筒DOHCガソリンエンジン横置き搭載する。2.0リッターSR20DE型、2.0リッターターボ付SR20DET型、および2.4リッターKA24DE型の三種。重量区分はエンジン毎に異なっており、2.0リッターSR20DE型のみ1.5t以内に収まっているが、他は1.5tを超えているため、重量税はかなりの差がある。
    • 全長は4,680mmで5ナンバーサイズにかろうじて収まっているが、全幅が1,765mm[3]とワイドなため、3ナンバー登録となる。アクシスは全幅は標準仕様と同一だが、全長が4,700mmを超えているため(4,740mm)、完全な3ナンバーサイズとなる。
    • グレードは上からGTターボ(スポーツタイプ)、X(ラグジュアリータイプ)、G(スタンダードタイプ)、B(ベーシックタイプ)。Bグレードのみエアコンが標準装備されず、ほかはオートエアコンが標準装備されていた。
    • サスペンションはフロントがマクファーソン・ストラット、リアはセフィーロプレサージュなどと同じマルチリンクビーム式
    • 前述の通り、分類はステーションワゴン・ミニバン・SUV・ハッチバック・トールワゴンとまちまちであり、それらのクロスオーバー的な車と見なす者も居る。ポジションとしてはステーションワゴンとして考えればアベニールセフィーロワゴンの中間、ミニバンとして考えればセレナラルゴとほぼ同じポジション、SUVとして考えればラシーンテラノの中間。
  • 1997年11月17日 - 第18回('97-'98)日本カー・オブ・ザ・イヤーが決定[4]、ルネッサも選出される。
  • 1998年5月11日 - 特別仕様車「ブラック リミテッド」を発売。「G」をベースに、スーパーブラックの専用色、GTターボと同意匠のエアロパーツ、15インチアルミホイールなどの専用装備を施した。価格はベース車より5万円アップの、2WDが214万8千円、4WDが236万8千円となる(共に東京地区)。
  • 1998年5月13日 - ルネッサEVを発表。3年リースで月額約27万円。
  • 1998年9月24日 - 日産、アルトラEVで「ミシュラン・ビバンダム・チャレンジ」参戦を発表。ドライバーはステファン・ペテランセル。現地時間24日に仏クレルモンフェランをスタート、27日朝にパリコンコルド広場でゴールとなる、全行程450kmのラリー。電気自動車部門でアルトラEVは、走行距離、加速、居住性の3項目で1位を獲得[5]
  • 1998年11月24日 - ハイパーCVTを搭載した特別仕様車「Xリミテッド」「Gリミテッド」追加。フロントエアロバンパー、バンパー組込みフォグランプ、サイドシルプロテクター、4本スポークステアリング(抗菌仕様、スポーツタイプ)などに加え、クロームカラーコートの15インチアルミホイールを装備し、さらにスポーティなスタイリングとした。
  • 1998年12月29日 - 米ロサンゼルスオートショー開幕(一般公開は翌1月2日から)。日産はルネッサEVの輸出仕様、「アルトラEV」を発表。
  • 1999年5月13日 - 日産、ルネッサEVをベースにメタノール改質式の燃料電池車「ルネッサFCV」を開発、走行実験を開始したと発表。国内メーカーでは1996年のトヨタ・RAV4、1997年のマツダ・デミオFCEVに次いで3番目。またメタノールを燃料とするFCVとしては、1997年のダイムラークライスラーECAR3に次いで世界で2番目である。メタノール改質機は三菱化工機との共同開発。フューエルセルはカナダバラード・パワー・システムズ製で、最高速度100km/h、走行距離300km。車両総重量はノーマル車に比べ+500kgの約2t、燃費効率はガソリン車の約80%。
  • 2000年1月 - マイナーチェンジ。内外装の意匠変更のほか、SR20DE型エンジン搭載モデルのトランスミッションがCVTとなった。同時にAXISも一部改良され、アルミホイールのデザインがプレサージュAXISに採用されていたものと同様になる。
  • 2001年7月 - 販売不振のため生産終了。総販売台数は約4万台。

脚注

  1. 全高や視点の高さから過去に発行されていた「間違いだらけのクルマ選び」(徳大寺有恒著書。現在は廃刊)シリーズではSUVに分類されていた。
  2. 販売低迷の理由として、クルマのクラスに対する位置づけ・コンセプトが中途半端であったこと、前述したように床面が非常に高く車体の割には室内空間に解放感がないことなどが挙げられる。2000年代に入ってからは月販売台数を500台とかなり落としている。
  3. 全幅は同年代のセドリック、グロリアレパードと同寸。
  4. このときの1位はトヨタ・プリウス。次いでアコードアリストシャリオ・グランディスS-MXカペララウムフォレスター、ルネッサ、ビークロスの順。ビークロスは特別賞も。輸入車部門1位はルノー・メガーヌ。次いでアウディ・A8VW・パサートメルセデス・ベンツ CLKボルボ・S40
  5. 日産アルトラEV、ビバンダム・チャレンジに参戦(日産・広報部)

関連項目

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  • 日産・プレサージュ - 1998年に登場した日産の3列シートミニバン。初代は、ルネッサのプラットフォームを利用していた。
  • 日産・バサラ - 1999年に登場した日産の3列シートミニバン。初代プレサージュの姉妹車であり、ルネッサのプラットフォームを利用していた。
  • 日産・ティーノ-1998年に登場したルネッサと同様の2列シートのミニバン型ハイトワゴン。こちらはサニーのプラットフォームを利用していた。全幅はルネッサとほぼ同じだが、全長はルネッサよりも可也短い。

外部リンク

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