オーテックジャパン
株式会社オーテックジャパン(AUTECH JAPAN, INC.)は、日産自動車グループの一社であり、日産の特装車事業などを手がける。
沿革
1986年10月、日産プリンス自動車販売(1987年に日産自動車販売に統合)の特販推進室の業務を譲り受け、日産自動車の特装車部門の開発企画・製造を目的とした関連企業としてオーテックジャパンが設立され、初代社長には、日産自動車と合併する以前のプリンス自動車工業出身の桜井眞一郎が就任した。
初代社長に就任した桜井は、旧・プリンス時代に発売されたスカイラインの初代から企画開発に携わり、2代目(S50型)からは開発責任者(開発主管)となり、日産と合併した後に発売された3代目(C10型・ハコスカ)、4代目(C110型・ケンメリ)、5代目(C210型・ジャパン)、6代目(R30型・ニューマン)、7代目(R31型・7th〈セブンス〉)と連続して開発責任者(開発主管)を務めていたが、7代目(R31型・7th〈セブンス〉)の企画開発が終盤に差し掛かった1984年に突然病に倒れて入院する事となり、以後のスカイラインの開発責任者(開発主管)は、旧・プリンス時代からの後輩であり一番弟子の伊藤修令に後継者として任せることとなるまで、長年にわたってスカイラインの開発に携わっていた。
後に、無事に手術を終えて退院し復職した桜井は、長年携わっていたスカイラインの開発責任者(開発主管)には復職せず、日産の新設部署である技術車両設計部の部長に就任して「パイクカー」の企画開発に携わっていたが、桜井がスカイラインを人気車種に育て上げた功績と、桜井自身が旧・プリンス時代からの商品企画に継承されていた妥協しない技術者魂の職人気質であること、旧・プリンスと比べて規模の大きい日産では桜井が理想とする仕事がなかなかし難い環境であったことで、こうした桜井の良き理解者でもあった当時の久米豊日産社長の計らいにより、1986年10月、「大手を食う=オーテック」との久米社長のダジャレから考案され「Automobile Technology in Japan」を略称した特装車部門の新会社として設立された「オーテックジャパン」の初代社長に就任して1987年5月に待望の社屋が竣工した。
ちなみに、オーテックジャパンの社屋デザインは、桜井が日産時代にスカイラインの開発主管を務めていた際、桜井のこだわりの1つであった「直列6気筒エンジン」をイメージしたデザインで建築されており、他に「V型6気筒エンジン」をイメージしたデザインの別棟も存在している。
桜井が初代社長として就任した「オーテックジャパン」には、桜井が突然病に倒れて入院した後を急遽引き継いで、スカイラインのR31型(7th〈セブンス〉)とR32型の開発責任者(開発主管)を務め、R32型ではC110型(ケンメリ)以来17年ぶりにGT-Rを復活させた旧・プリンス出身の伊藤修令が常務取締役(現在は顧問)に就任し、元・プリンスワークスドライバーの古平勝などの旧・プリンス出身者や、旧・プリンス時代から継承されている日産の企画開発部門・関連各社出身者で構成される、通称「桜井学校」「桜井ファミリー」と称される旧・プリンス入社組を含む日産社員や、1979年10月-1984年10月までテレビ朝日系で放送されていた石原プロモーション製作テレビ映画「西部警察」で、当時、日産プリンス自動車販売の特販推進室にて受注したフェアレディZやスカイラインなどの数々の特殊車両を製作した日産社員などが、オーテックジャパンに数多く出向・移籍しており、意欲的な特装車の開発や、スカイライン、シルビアの独自チューン、オーテック・ザガートステルビオの開発などで絶えず注目を浴び、日産ファンをはじめとして、旧・プリンスファン、歴代のスカイラインファン、自動車ファンなどから信頼の厚い特装車メーカーとして名を馳せている。
なお、オーテックジャパンの設立の準備段階から関わり初代社長を務めていた桜井は、1995年にオーテックジャパンから独立して「エス・アンド・エス エンジニアリング」を設立しており、主に旧車のレストアやボディー補強材やディーゼルエンジンの排出ガス浄化装置の開発・販売を主な業務とし、桜井がオーテックジャパンに在籍していた時代と同様、信頼の厚いメーカーとして名を馳せており現在に至っている。
現在の製造車種
- カスタムカー
- Riderシリーズ
- ライダー / ライダーS / ライダーパフォーマンススペック / ライダーハイパフォーマンススペック / ブラックライン
- AXISシリーズ
- アクシス / アクシスパフォーマンススペック
- ボレロ(マーチ)
- NISMO(マーチ、GT-R、フェアレディZ)
- VIP(エルグランド)
- エクストリーマーX(エクストレイル)
- エアロスタイル(モコ、ノート(E12)、リーフ)
- パーソナライズパッケージ(ジューク)
- アーバンセレクション(ジューク)
- クロスギアパッケージ(セレナ)
- クロムギアパッケージ(NV350キャラバン)
- プレミアムGX(NV200バネット)
- モード・ビアネロ(ムラーノ)
- モード・ロッソ(ムラーノ)
- プレミアムセレクション(ティアナ)
- 福祉車両
- ライフケアビークル (LV) シリーズ
- アンシャンテ、ドライビングヘルパー、チェアキャブ
- 商用特装車
過去の製造車種
ロイヤルリムジンシリーズ(ストレッチリムジン車)
- セドリック・グロリア ロイヤルリムジン
- Y31セダン型V6・3000ターボ ブロアムVIPがベース(Y31型発表時の目玉として発売された。昭和62年7月~平成2年頃まで生産・G50プレジデントロイヤルリムジンへランクアップした後、Y31型ベースの改造車は、ブロアムVIP-L・ブロアムL(後の150Lセダン)に変更となり、都市部のハイヤー等に使用された。
- ブロアムVIP-L・ブロアムL 150L(Y31セドリックセダン)
- グロリアセダン終了まで生産。(リアドア部の150MMストレッチリムジン車輌)
- プレジデント・ロイヤルリムジン
- 4500ロング・タイプDがベース(後にロング・ソブリン)G50型プレジデント登場後、車格が逆転現象になっていた、”セドリック・グロリア ロイヤルリムジン”に代り、新たに発売されたストレッチリムジンである。販売価格もセド・グロ時代よりも大幅にアップしており、当時のバブル景気に伴い、セド・グロ時代を含め、かなりの台数が販売された様である。現存数も多い。この車輌の販売数に刺激され、トヨタ自動車より、センチュリーリムジン(関東自動車製)や、三菱自動車からは、デボネアVリムジン(名古屋三菱・ディーラー特注。製)/デボネアV150・デボネア150(三菱内製)/デイグニティ(現代自動車製)が発売された。
- キャラバン・ホーミー エルグランド・ロイヤルライン
- 初代・エルグランド3200タイプX。又、2代目・3500・VIPをベースに、リア第2・3列座席を撤去し、新たに、旅客機のファーストクラスシートを左右に1脚ずつ装着し、全席とリア席の間にパーテーション仕切りを装着し、リアTV/VTR・FAX・冷蔵庫・PCテーブル等を装備した車輌である。 日産自動車の社長専用車として採用され、プレジデントと交代で使用されていた様である。(現在は、エルグランドVIP)
- ブルーバードシルフィ・ブロアム
- 2代目登場時に、設定されたグレードで、通常のシルフイと比べ、後部座席の装備等、グレードアップが図られ、以前販売されていた、セドリックセダンの後継車輌として発売されたが、ベース車輌+50万円以上高価だった為、ターゲットユーザーである官公庁・法人層に受けず、2年後のマイナーチェンジ時に廃止された車輌であった。
- ハイウェイスターシリーズ(セレナ・ラルゴ)
- クロスライダー(デュアリス)
- エアロセレクションシリーズ
- アーバンセレクションルークス)
- AUTECHシリーズ
- 日産・スカイライン・オーテックバージョン (R31~R33)
- シルビア・オーテックバージョン
- ステージア260RS
- 25RS-FOURをベースにスカイラインGT-R以外門外不出と言われたRB26DETTエンジンをGT-R以外で唯一搭載。その他、アテーサE-TS、ブレンボ製ブレーキ、R33GT-R用5速ミッションを搭載。97年版、98年版がある(98年版にはグリルにハイビームがある。限定ではない)。
- セフィーロ・オーテックバージョン
- A31型は、専用エアロパーツ、アルミホイール、本皮シートなど豪華内装等に加えており、MTターボのスポーティモデルの為ベース車と比べ約20馬力アップされている。
- オーテック・ザガートステルビオ(F31レパードベース・ザガートと共同開発)
- ザガート・ガビア(F31レパードベース・ザガートと共同開発)
- クエスト(米国仕様を並行輸入・販売)
- タンゴ・ルンバ・ポルカ(マーチ)
- アーバンリゾート(セレナ)
- キタキツネ(セレナ・リバティ)
- カッパ(バネット)
- ウミボウズ(ラルゴ)
- ヤマアラシ(ラルゴ)
- フウライボウ(キャラバン・ホーミー)
- ジャンボタクシー(エルグランドとキャラバンの合体版。〈前がエルグランド、後がキャラバン。フロントドア後から〉全幅が大きくなっている)
- クラシックバス(シビリアン)
- キャンピングカーシリーズ
- SR(マーチ)
- ラフィート(マーチ)
- 教習車(ブルーバードシルフィ、クルー)
- パラメディック