日本のキリシタン一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本のキリシタン一覧は、戦国時代末期から明治時代初期までの日本の著名なキリシタン(当時のキリスト教徒)とその関係者の一覧。
目次
宣教師(伴天連 バテレン)
- フランシスコ・ザビエル - イエズス会士。日本を初めて訪れた宣教師。
- コスメ・デ・トーレス - イエズス会士。サビエルと共に来日し、その後を継いだ宣教師。
- ルイス・フロイス - イエズス会士。「日本史」を執筆したことで有名。
- ルイス・デ・アルメイダ - 医師にして商人出身のイエズス会士、日本最初の病院・孤児院を設立。
- ガスパル・ヴィレラ - イエズス会士。最初期の宣教師の一人で京都布教を開始。
- グネッキ・ソルディ・オルガンティノ - イエズス会士。京都を中心に活躍。
- フランシスコ・カブラル - イエズス会日本地区布教長。トーレスの後を継ぐが、ヴァリニャーノと意見を異にして罷免。
- アレッサンドロ・ヴァリニャーノ - イエズス会東インド管区巡察師。総長の名代として日本を視察。
- ガスパル・コエリョ - イエズス会士。カブラルの後任。初代日本準管区長。
- カルロ・スピノラ - イエズス会士。数学者。「元和の大殉教」で処刑される。
- ルイス・ソテロ - フランシスコ会士。支倉常長をローマへ案内。
- クリストファン・フェレイラ - イエズス会士。拷問の末に棄教して「転びバテレン」に。
日本人司祭・修道者
- 鹿児島のベルナルド - ザビエルに見出され、ヨーロッパに学ぶも同地で病没。
- ロレンソ了斎 - イエズス会士、修道者(イルマン)。元琵琶法師、サビエルの協力者。
- セバスチャン木村 - イエズス会士。最初の日本人司祭。
- ペトロ岐部 - イエズス会士。ローマで叙階。日本人として初めてエルサレムを訪問。
- ディオゴ結城 - 禁教下で20年にわたって宣教活動を続け、殉教。
- ミゲル・ミノエス - イエズス会士。コインブラ大学にて日本人初の哲学の学位を取得。
- 小西マンショ - イエズス会士。「最後の日本人司祭」。
- トマス西 - ドミニコ会司祭。
- トマス荒木
キリシタン大名・キリシタン武将
あ行
- 明石全登(ジョアン、ヨハネ、ジョパンニ・ジュスト) - 宇喜多家臣。関ヶ原の戦い、大坂の役で活躍後行方不明。
- 朝長純安(ドン=ルイス) - 大村家臣。
- 天草種元
- 天草久種(ドン・ジョバン) - 天草種元の子。
- 天野元信 - 熊谷元直娘婿。後に殉教者として列福。
- 有馬義貞(アンドレ) - 肥前日野江(島原)領主。
- 有馬晴信(プロタジオ) - 有馬義貞の次男。岡本大八事件で刑死。
- 有馬直純(サンセズ) - 有馬晴信の子、棄教後は迫害者に転じる。
- 池田教正 - 丹後守。
- 一条兼定(ドン・パウロ) - 土佐中村一条家当主。大友宗麟の甥であり娘婿。
- 伊東祐勝 - 伊東義賢の弟。
- 伊東義賢(バルトロメオ) - 伊東義祐の嫡孫。母方縁戚・大友宗麟の影響でキリシタンとなる。
- 宇久純尭(ドン=ルイス) - 五島島主。宇久純定の次男。
- 宇久純定
- 大友宗麟(ドン・フランシスコ) - 豊後領主。代表的なキリシタン大名の一人。
- 大友親家(セバスチャン) - 大友宗麟の次男。田原親貫の養子。
- 大友親盛(パンタレアン) - 大友宗麟の三男。田原親賢の養子。
- 大友義統(コンスタンチノ) - 大友宗麟の長男。棄教。
- 大村純忠(バルトロメオ) - 日本最初のキリシタン大名。
- 大村喜前(サンチョ) - 大村純忠の子。棄教。
- 大矢野種基
- 織田秀信 - 三法師、織田信忠の嫡男、信長の嫡孫。
- 織田秀則(パウロ) - 織田信忠の次男、信長の孫。
か行
- 加賀山興良(ディエゴ) - 通称隼人、高山右近、蒲生氏郷、細川忠興らに仕える。1619年、禁教令に叛いて殉教、斬首された。
- 蒲生氏郷(レオ) - 日野、会津を領す。
- 木下勝俊(ペテロ) - 若狭小浜城主。北政所(ねね)の甥。
- 岐部信泰 - 大友家臣。石垣原の戦いで戦死。
- 木村清久 - 豊臣家臣。大坂夏の陣で戦死。
- 京極高吉 - 晩年に受洗するも急死。
- 京極高次 - 秀吉、家康に仕えて近江大津、若狭小浜を領す。
- 京極高知 - 秀吉、家康に仕えて信州伊奈、丹後宮津を領す。
- 熊谷元直(メルキオール) - 安芸熊谷氏。後に主君の毛利輝元により処刑される。死後、殉教者として祭られる。
- 黒田直之 - 黒田孝高の弟。黒田二十四騎の一人。
- 黒田長政(ダミアン) - 棄教後、迫害者に転じる。
- 黒田孝高(シメオン) - 官兵衛の通称と如水の号で知られる。豊臣秀吉の家臣。
- 籠手田安一(ジェロニモ) - 籠手田安経の子。
- 籠手田安経(アントニオ) - 平戸松浦氏重臣。1550年代に受洗。
- 籠手田安昌 - 籠手田安経の父。
- 五島玄雅 - 宇久純定の四男。棄教。
- 小西如清(ベント) - 小西隆佐の長男。
- 小西主殿介 - 小西隆佐の子、小西行長の異母兄。
- 小西行景 - 小西隆佐の三男。
- 小西行長(アウグスティノ) - 関ヶ原敗戦後、キリシタンであるため切腹を拒み刑死。
- 小西隆佐(ジョウチン) - 小西行長の父。
さ行
- 税所敦朝(レオ) - 北郷三久家臣。薩摩の殉教者。
- 三箇頼照(サンチョ) - 明智光秀に味方し没落。
- 志賀親次(ドン=パウロ) - 大友義統家臣。島津軍の侵攻を何度も食い止めた。
- 志岐鎮経(麟泉)(ドン=ジョアン) - 後に棄教し、迫害側に回る。
- 志岐諸経 - 有馬晴純の五男。志岐麒泉の養子。親重、親弘?
- 斯波義銀(サンショ) - 尾張守護斯波義統の子。
- 宗義智(ダリオ) - 対馬領主。小西行長の娘マリアを妻に迎えたときに受洗したが、関ヶ原の合戦後すぐに棄教、マリアも離縁した。
た行
- 高山友照(ダリオ) - 飛騨守。高山右近の父。畿内における最初期のキリシタン大名の一人。
- 高山右近(ドン・ジュスト) - 代表的なキリシタン大名。一時、赤石城主。追放先のマニラで客死。
- 田中吉政(バルトロメオ)
- 田原親虎(シマン) - 公卿柳原氏から田原親賢の養子。
- 筒井定次 - 筒井順慶の長男。
- 津軽信堅 - 津軽為信の次男。
- 津軽信建 - 津軽為信の長男。
- 津軽信枚 - 津軽為信の三男。
- 寺沢広高 - 棄教後は迫害者に転じる。
な行
は行
- 原胤信(ジョアン) - 江戸時代初期の旗本。
- 福田兼次(ジョーチ) - 大村家臣。福田城主。
- 畠山高政 - 河内国畠山氏の当主。晩年に帰依。
- 林田レオ助右衛門 肥前国有馬氏四天王
- 細川興元 - 細川幽斎の次男。
ま行
- 前田秀以(パウロ) - 前田玄以の長男。
- 前田茂勝(コンスタンチノ) - 前田玄以の次男。
- 牧村利貞 - 利休七哲の一人。稲葉一鉄の孫。
- 松浦隆信 - 松浦氏28代当主。江戸幕府の禁教令のため棄教。
- 毛利重政 - 豊後速水郡の内で1万石。豊後守。
- 毛利高政 - 豊後佐伯領主。伊勢守。
- 毛利秀包(シマオ) - 毛利元就の子、小早川隆景の養子。筑後国久留米城主。
や行
遣欧使節
天正遣欧少年使節
慶長遣欧使節
その他
- ヤジロウ(パウロ・デ・サンタ・フェ) - ザビエルと知り合い、ゴアで洗礼を受ける。
- 明智珠(ガラシャ) - 細川忠興正室。明智光秀の三女。関ヶ原の戦いを前にして大阪城に入ることを求められたが、これを拒み、大坂の細川邸で家臣の手を借りて自害。
- 京極マリア(ドンナ・マリア) - 京極高吉正室
- 初 (常高院) - 京極高次正室。浅井長政・お市の方の次女。
- 豪姫 - 宇喜多秀家正室。前田利家・まつ(芳春院)の四女。
- 松東院(メンシア) - 大村純忠の娘、松浦隆信(28代当主)の母。
- ジュリアおたあ 朝鮮出身。小西行長、後に徳川家康の侍女。
- 日本二十六聖人
- 元和の大殉教における殉教者たち
- 聖トマス西と15殉教者
- ペトロ岐部と187殉教者
- 清原枝賢 - 公家。後に棄教。
- 曲直瀬道三
- 吉弘菊姫(ジュスタ) - 大友義統妻
- 愛姫 - 伊達政宗正室
- 五郎八姫 - 松平忠輝正室。伊達政宗・愛姫の長女。
- 山浦光則 - 殉教者。元公家。伯母は上杉景勝の妾。
- 前田利家 - テンプレート:要出典範囲
江戸時代
- 後藤寿庵(ジョアン) - 伊達政宗家臣
- 天草四郎時貞(ジェロニモ) - 島原の乱指導者。この乱は必ずしも純粋に宗教的なものでなく、農民一揆の側面も持っている。
- ジョバンニ・シドッチ - 日本に潜入して逮捕。新井白石の尋問を受ける。
- 長崎の信徒再発見 - 1865年
- ベルナール・プティジャン - パリ外国宣教会司祭、大浦天主堂での信徒再発見の当事者。
- 浦上四番崩れ - 1867年、再び信仰を公にした隠れキリシタンたちが弾圧された事件。
関連項目
- 日本キリスト教史
- 日本のクリスチャン有名人一覧(明治以降の著名なクリスチャン)