富山県立富山中部高等学校
テンプレート:出典の明記 テンプレート:日本の高等学校 富山県立富山中部高等学校(とやまけんりつとやまちゅうぶこうとうがっこう)は、富山県富山市芝園町三丁目にある県立高等学校。
目次
概要
富山市街の北西部、創立時の校名の由来ともなっている神通川に面した閑静な文教地区に位置している。1学年に普通科5学級と探究科学科2学級(2010年(平成22年)度以前の入学生は普通科6学級と理数科1学級)、計280名在籍。2003年(平成15年)度には、県内の他8校と併せて学力向上フロンティア・ハイスクールに指定された。高岡高校、富山高校と並んで県内では「御三家」と称され、首都圏の難関国立大や有名私立大に毎年多くの合格者を輩出する。
沿革
経緯
富山中部高等学校は、1920年(大正9年)に神通中学校として設立された。その後、1922年(大正11年)に富山市古手伝町に移転し、1933年(昭和8年)に現在地の同市芝園町に移った。1948年(昭和23年)の学制改革によって神通中学校は神通高等学校となり、同時に普通課程を設置した。1948年に現在の校名に改称。1969年(昭和44年)、理数科が設けられた。2003年(平成15年)度からの3年間、学力向上フロンティア・ハイスクールに指定されていた。
年表
- 1920年(大正8年)
- 1922年(大正10年)3月 - 同市古手伝町の新校舎に移転
- 1933年(昭和8年)7月 - 同市芝園町の現在地の校舎に移転
- 1945年(昭和20年)8月1日 - 富山大空襲。本校校舎は焼け残る。
- 1948年(昭和23年)
- 1969年(昭和44年)4月 - 理数科を設置
- 1977年(昭和52年)9月 - 現校舎および至誠会館が竣工
- 1986年(昭和61年)5月 -第二体育館が竣工
- 1991年(平成3年)4月 - 全天候型テニスコートが完成
- 1996年(平成8年)12月 - 第一体育館が竣工する
- 1999年(平成11年)5月 - 中国遼寧省瀋陽市の東北育才学校と友好校提携協定を締結する
- 2003年(平成15年)4月 - 学力向上フロンティア・ハイスクールに指定される(2005年(平成17年)度末をもって終了)
- 2011年(平成23年)4月 - 理数科の募集を停止、探究科学科を設置する
- 2014年(平成26年)4月 - 新校舎が竣工、「学びの広場」や315人収容の「至誠ホール」、屋上庭園も完成
教育方針
- 伝統的精神 - 鍛錬 自治 信愛
- 教育目標 - 学力の充実 品性の陶冶 心身の鍛錬
- 教育方針 - 健全な心身、優れた知性、豊かな情操を培い、民主的で自主性・創造性に満ちた人間の育成に努める
教育上の特徴として、平日に4時間、土曜日に6時間(学校がある場合)、休日に8時間という家庭学習時間を習慣づける指導を学年に関係なく行うことが挙げられる。目的の達成度合いをチェックするために1日の生活を1週間記録する生活実態調査を定期的に行っている。
文系・理系を問わず、全ての科目を履修するカリキュラムとなっている。
主な学校行事
- 4月 - 入学式、新入生合宿(1年)
- 5月 - 遠足
- 6月 - 校内競技大会
- 7月 - 大学探訪(2年)、理数科実習(1年)
- 9月 - 体育大会[1]
- 10月 - 進路講演会(2年)、文化祭
- 2月 - 理数科課題研究発表会(2年)、コーラスコンクール(1・2年)
- 3月 - 卒業式
行事の内容
新入生合宿は新入生を学習習慣に慣れさせる目的で2泊3日の日程で2000年度から実施されている。
夏休み期間を利用して大学見学やOB・OGとの懇談を行う大学探訪を2001年度から実施している。
毎年9月初旬に行われる体育大会はこの学校最大の行事であり、唯一校外に公開される行事のため付近住民やOBなども観戦に訪れる。2004年度に陸上ボートとよばれる競技の練習中に重傷者を出したため、当該競技は大縄跳びへ差し替えとなった。2005年度の第58回大会以降は、OBが現役に介入しないこと、規定時間・場所以外での練習や準備を厳禁することなどを生徒に課す安全対策を行い、陸上ボートは実施されている。
校内競技大会はホーム(学級)対抗で、数種目の球技と駅伝が行われる。
文化祭では3年生は合唱、1・2年生はクラス展示を行う。これは1・2年生が2月行うコーラスコンクールに3年生が大学受験の影響で参加できないためである。
卒業式は毎年3月3日前後に卒業生ほか教職員、保護者、全ての1・2年生が体育館に集まり行われる。
生徒会活動
生徒会執行部
生徒会長1名を筆頭に、副会長・書記・会計を各2名、学年委員を各学年2名ずつ設ける。また、代議員会・保健・体育・図書・選挙管理・新聞編集・ボランティア・神通(年1度発行の冊子)編集・美化・アルバム・文化祭実行の各委員会を設ける。各ホームから1名ないし2名が委員となる。
ホーム役員
生徒と担任で家庭のような共同体を作り上げようという狙いから、学級はホームと呼称される(例:1年1ホーム、11H)。ホーム長・副ホーム長各1名を筆頭に、書記1名、会計・ホームルーム運営委員各2名を設ける。
部活動
運動部
- 野球部
- 卓球部
- 柔道部
- 剣道部
- 山岳部
- 陸上競技部
- サッカー部
- テニス部
- アーチェリー部
- ソフトテニス部
- バドミントン部
- バスケットボール部
- バレーボール部
- ハンドボール部
- ソフトボール部
文化部
- 書道部
- 映画部
- 地歴部
- 演劇部
- 写真部
- 放送部
- 茶道部
- 文芸部
- 物理部
- 化学部
- 生物部
- 美術部
- 英会話部
- コーラス部
- 吹奏楽部
- 華道部
- 家庭部
- 囲碁・将棋部
- コンピュータ部
進路状況
ほぼ全ての生徒が進学を希望する。金沢大学・富山大学への進学者が学年の約2割を占めるが、他大学への進学者も一定数存在する。
詳細な進学実績については公式サイトを参照のこと。
出身者
括弧内は卒年を表す。
実業
- 角川源義(1935年) - 角川書店創業者
- 数土直方(1953年) - エスエス製薬名誉会長
- 数土文夫(1959年) - 日本放送協会経営委員会委員長、JFEホールディングス第2代社長
- 高木繁雄(1967年) - 北陸銀行頭取
- 永原功(1967年) - 北陸電力社長
- 片山浄見(1968年) - 育英センター、学校法人片山学園理事長
- 吉崎達彦(1979年) - エコノミスト
- 木村剛(1981年) - 経済評論家、日本振興銀行元会長
- 蜷川真夫 - ジェイ・キャスト代表取締役、『AERA』元編集長
芸能
- 坂田信久(1959年) - 日本テレビディレクター、東京ヴェルディ1969社長、国士舘大学大学院教授
- 須藤晃(1972年) - 音楽プロデューサー
- 本木克英(1982年) - 映画監督、代表作「釣りバカ日誌イレブン~13」・「ゲゲゲの鬼太郎」
学者
- 西修(1959年) - 憲法学者
- 坂東眞理子(1965年) - 昭和女子大学学長、『女性の品格』の著者
- 織田孝幸(1968年) - 東京大学大学院数理科学研究科教授
- 水島司(1971年) - 東京大学大学院人文社会系研究科教授
- 田中耕一(1978年) - ノーベル化学賞受賞者
- 菊地和也(1984年) - 大阪大学大学院工学研究科教授
- 嶋田毅 - グロービス経営大学院大学教授
- 中野香織 - エッセイスト・服飾史家、明治大学特認教授
- 嶋作一大 - 天文学者、東京大学大学院理学系研究科准教授。
政治
- 広野允士(1961年) - 参議院議員
- 石井隆一(1964年) - 富山県知事、元消防庁長官
- 井上義久(1966年) - 衆議院議員、公明党幹事長
- 森雅志(1971年) - 富山市長
- 高橋はるみ(1972年) - 北海道知事
官僚
マスコミ
交通
- JR北陸本線・高山本線富山駅、富山地方鉄道本線電鉄富山駅、富山ライトレール富山港線富山駅北口から徒歩約15分。
- 富山地方鉄道富山市内軌道線(市電)県庁前・安野屋両電停から徒歩約5分。
- 富山地方鉄道バス中部高校前バス停から徒歩約1分、安野屋町バス停から徒歩約5分、神通町バス停から徒歩約8分、市役所前バス停から徒歩約10分。
- 富山市コミュニティバス「まいどはや」中央ルートサンシップとやま前バス停から徒歩約3分。
脚注
- ↑ 開成中学校・高等学校などエリート高校によくあるように、体育大会は一大イベントで多くの見学客がいる。「陸ボー」などケガ人が多い競技もあるが、継続している。9月は3年生には入試が近く負担だという声もある中、そのままになっている。