天王寺動物園
天王寺動物園(てんのうじどうぶつえん)は、大阪市天王寺区の天王寺公園内にある大阪市立の動物園。1915年(大正4年)1月1日に、日本で3番目の動物園として開園。面積約11ヘクタールの園内に、約200種900点の動物が飼育されている都市型総合動物園。
2006年7月16日に、総有料入園者数が1億人を超えた[1]。国内では上野動物園に次いで2番目。
特徴
天王寺動物園は開園当初から、「動物の研究」と「種の保存」という動物園本来の目的から離れ、人を集めるための商業主義に走る傾向が見られた。
その代表が1932年に来日したチンパンジーの「リタ」で、飼育係が珍芸を教え込み、三輪車や竹馬に乗せるなど、現在なら動物虐待に近い形で「人気者」に仕立て上げた。また、開園翌年から、春は夜桜、夏は納涼のため、夜間開園を実施している。戦後も客寄せのため、珍獣の「ライガー」や「タイゴン」づくりに取り組むなど、本来の動物園の目的から外れた「レクリエーション施設」であり続けた。[2]。
この背景には、阪急の宝塚動植物園、阪神の浜甲子園阪神パーク、大軌の菖蒲池遊園地など、動物園を併設した遊園地が大阪周辺に相次いで開業したため、「動物を見せること」以外の付加価値をもって対抗する必要があった。
このような商業路線は1970年代まで続いていたが、現在は、ニュージーランド以外では世界的にも珍しいキーウィの飼育展示を日本で唯一行っているほか、シシオザル、ドリル、アムールトラ、クロサイ、ツル類、ニホンコウノトリ、ホオアカトキ、ヨウスコウアリゲーターなどの希少動物の繁殖に力を入れるなど、動物園本来の姿に戻った。 特にナベヅルについては、飼育繁殖実績があることから、国際血統登録を担当している。
また、大阪ドームの建設候補地に選ばれたことに端を発する「ZOO21計画」が1990年代後半から推し進められ、以後、動物の生息地の環境を可能な限り再現した生態展示に切り替わった。これまでに、爬虫類生態館「アイファー」、日本初の水中透視展示プールを有するカバ舎やサバンナの環境を再現したサイ舎を含む「アフリカサバンナゾーン」、アジアゾウを飼育しているタイの国立公園を再現した「アジアの熱帯雨林ゾーン」を開設し、展示環境は一新された。
2006年11月3日~5日に行われた「絶滅の危機にある動物展」で、保存されている絶滅したニホンアシカの剥製が、初めて一般公開された。
主な展示施設と飼育動物
この他にも、チュウゴクオオカミやホッキョクグマ、コアラ、アムールトラ、ジャガー、レッサーパンダ、ニホンコウノトリなどを飼育している。
ZOO21計画
野生動物の種の保存や環境教育に貢献する、新しい動物園のあり方を確立するための計画で、古くなった動物舎を生態展示型の施設に建て替えることが主な目的である。
1995年(平成7年)に大阪芸術大学教授の若生謙二主導のもと爬虫類生態館「アイファー」、1997年(平成9年)にカバ舎、1998年(平成10年)にサイ舎を開設。2000年(平成12年)には「アフリカサバンナゾーン草食動物エリア」、2004年(平成16年)1月31日には「アジアの熱帯雨林ゾーン」、2006年(平成18年)9月には「アフリカサバンナゾーン肉食動物エリア」が開設され、従来の形態展示型から一変した。
2007年6月には入場者数を増やすためビジネス案を初めて公募、150社を超える多数の企業が関心を示した[3][4]。
再生に向けたプラン
天王寺動物園は、戦前の1934(昭和9)年度に有料入園者数が年間250万人を超えるなど、古くから東京の上野動物園と並ぶ都市型動物園として認知されてきた。1972年(昭和47)年度から中学生以下が入園無料になったことで有料入園者は減少したが、翌1973年度の総入園者は335万人を数えた。
その後、入園者数は減少に転じるが、「アフリカサバンナゾーン」がオープンした2006年度は約184万人[3](有料入場者数は68万1,934人[4])、2007年度は約194万人と増加。その後再び減少に転じ、2010年度は約120万人、2013年度には約113万人まで落ち込んでいる。
2013年4月から、従来無料だった大阪市外の小中学生の入園料を有料とするなど、開園100周年となる2015年に向け、集客を増やすための計画が進められている。
歴史
- 1884年:府立大阪博物場(大阪市東区内本町橋詰町、現在のマイドームおおさか)に附属動物檻を設置。
- 1903年:第5回内国勧業博覧会に開設していた「余興動物園」の動物を大阪府が引き取り、動物檻に収容。
- 1909年:北区で発生した大火の影響で建物が半焼。これを機に大阪府から大阪市に管轄が移る。
- 1914年:内本町橋詰町から天王寺へ移転が決まり、動物の「引越し」が行われる。
- 1915年:日本で3番目の動物園「大阪市立動物園」として開園。
- 1916年:春と夏に「夜桜開園」「納涼開園」と銘打った夜間開園を実施。
- 1921年:スマトラサイ来園(4年後に死ぬ)。
- 1925年:タンチョウの人工孵化に日本で初めて成功する。
- 1932年:チンパンジーの「リタ」(愛称リタ嬢)来園。珍芸で人気を博す。旧天王寺公会堂跡地を編入し、動物園の敷地を拡張。
- 1938年:夜間開園が中止になる。
- 1940年:チンパンジーのリタが死ぬ(死後、園内に石像を建立)。
- 1943年 - 1944年:戦争の影響により、オオカミ、クマ、ライオン、ヒョウ、ハイエナ、トラなど10種26頭を殺処分(戦時猛獣処分)。
- 1945年:大阪大空襲で園内に焼夷弾2,000発落下。猛禽舎焼失、オオワシなど多数の動物が死ぬ。
- 1950年:アジアゾウの「春子」「ユリ子」の2頭が来園。
- 1951年:チンパンジーの「シュジー」来園。リタ嬢並みの人気に。
- 1952年:「講和記念婦人とこども大博覧会」開催。
- 1955年:国内で初めてベイサオリックスの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1957年:園内に「動物慰霊碑」を建立。
- 1960年:国内で初めてセイランの人工孵化に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1961年:動物園改造5ヵ年計画に着手。
- 1964年:「大阪市立動物園」を「大阪市天王寺動物園」に改称。国内で初めてシュバシコウ、ハゲガオホウカンチョウの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1965年:天王寺公園グラウンドを購入し、動物園の敷地を拡張(現・ひつじ広場付近)。
- 1966年:国内で初めてハリネズミの繁殖に成功する。
- 1967年:国内で初めてスプリングボックの繁殖に成功する。
- 1970年:大阪万博開催を記念して、ニュージーランド政府がキーウィの「ニュージー」と「ランド」を寄贈。アジアゾウのラニー博子が来園。
- 1972年:国内で初めてアビシニアライオン、アオサギ、ウミネコの繁殖に成功する。
- 1974年:日中国交回復を記念して上海動物園と動物交流を開始し、クロオオカミが来園。北京動物園からモウコガゼルが来園。
- 1976年:国内で初めてミナミアメリカオットセイ、ボリビアリスザルの繁殖に成功する。
- 1977年:国内で初めてモウコガゼルの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1978年:国内で初めてジャングルキャット、インドガン(人工孵化)、クリイロミズヘビの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1979年:ヤブシチメンチョウ来園。国内で初めてベニジュケイの繁殖に成功する。大阪信用金庫が園内に「白雪姫時計台」を寄贈。
- 1980年:国内で初めてブラジルバクとアカアシリュウキュウガモの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1982年:キーウィの「ダイ」「ロンロン」「ジュン」来園。国内で初めてインドミノキジの繁殖に成功する。
- 1984年:オーストラリア・タスマニア州がタスマニアデビルを寄贈(日本初の来園)。翌年、国内で初めて繁殖。
- 1987年:天王寺博覧会開催に合わせて「鳥の楽園」を開設。旧天王寺野外音楽堂跡地などを編入し、動物園の敷地を拡張(コアラ館を建設)。本州で初めてホッキョクグマの繁殖に成功(「ユキコ」が「コユキ」を出産)。国内で初めてワライカワセミの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1988年:キーウィ来園。天王寺公園が大阪ドームの建設候補地の一つに選ばれ、動物園の移転を含めた検討委員会を組織。南港などへの移転新設のプランが示される(後に撤回)。
- 1989年:メルボルン動物園からコアラ来園。
- 1990年:南門を閉鎖し、新世界ゲートを新設。
- 1991年:国内で初めてコサンケイの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。ホッキョクグマのユキコが「ミユキ」を出産(ミユキは2014年現在、神戸市立王子動物園で飼育)。
- 1993年:キーウィが初めて産卵する。
- 1995年:ZOO21計画発案。「アイファー」完成。国内で初めてカナダヅルとドリル(人工繁殖)の繁殖に成功(繁殖賞受賞)。
- 1996年:国内で初めてワレンヨロイトカゲとマダガスカルシャコ(人工繁殖)、タンザニアアカノドシャコ(同)の繁殖に成功(繁殖賞受賞)。
- 1997年:新カバ舎完成。
- 1998年:新サイ舎完成。ホッキョクグマのユキコが「ユキスケ」を出産。
- 2000年:アフリカサバンナゾーン草食動物エリア完成。アジアゾウのユリ子が死ぬ。
- 2001年:阪神パーク甲子園住宅遊園からキリンの「ケニヤ」来園。ホッキョクグマの「ネボスケ」(雄)が死ぬ。
- 2002年:「世界動物園水族館協会」(WAZA)に加盟。
- 2003年:国内で初めてフロリダアカハラガメの繁殖に成功(繁殖賞受賞)。宝塚ファミリーランドの閉園にともない、ホオジロカンムリヅルなど5種11羽が来園。チンパンジーのシュジーが死ぬ。
- 2004年:アジアの熱帯雨林ゾーン(ゾウ舎)完成。ホッキョクグマのユキコが死ぬ。
- 2005年:ニホンザルが結核にかかり、殺処分される。
- 2006年:アフリカサバンナゾーン肉食動物エリア完成。551蓬莱がホッキョクグマの「ゴーゴ」(雄)を寄贈。
- 2010年:カバの「ナツコ」が死ぬ(37歳)[5]。
- 2011年:浜松市動物園からホッキョクグマの「バフィン」(雌)が来園。日本経済新聞の「生態がよくわかる動物園ランキング」で1位に選ばれる。
- 2012年:キリンのケニヤが死ぬ。
- 2014年:近鉄がキリンの「ハルカス」を寄贈。アジアゾウの春子が死ぬ(推定66歳)[6]。
交通機関
- 新世界ゲート
周辺施設
関連項目
- 動物園の一覧
- 日本動物園水族館協会
- サツキ - 「絵を描くオランウータン」として知られた。
- 筒井嘉隆 - 元園長。天王寺動物園の商業主義を批判した。
- 川村多実二 - 京都大学教授。同様に商業主義を批判した。
- 原哲男 - カバの「テツオ」の由来。
- 内国勧業博覧会 - 会場跡地に開園。
- 沈まぬ太陽 - 映画ロケ地。作品ではニューヨークの動物園という設定。
出典
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ 近代日本における動物園の発展過程に関する研究
- ↑ 3.0 3.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 4.0 4.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
外部リンク
- 天王寺動物園HOMEPAGE(大阪市天王寺動物公園事務所)(JAZA 全国の動物園・水族館)
- ZOOxZAQ天王寺動物園