大勲位菊花章頸飾
大勲位菊花章頸飾(テンプレート:音声ルビ、テンプレート:Lang-en-short)は、日本の勲章の一つで、最高位に位置する。
目次
概要
大勲位菊花章頸飾の「頸飾」とは頸飾り(くびかざり)のことで、頸飾である日本の勲章は大勲位菊花章頸飾のみである。1888年(明治21年)1月4日に、宝冠章及大勲位菊花章頸飾ニ関スル件(明治21年1月4日勅令第1号)[1]により制定された。その形状は当初、各種勲章及大勲位菊花章頸飾ノ図様(明治21年閣令第21号)に定められたが、2003年(平成15年)11月3日に各種勲章及び大勲位菊花章頸飾の制式及び形状を定める内閣府令(平成15年内閣府令第54号)にあらためて定められた[2]。
制定時から今日に至るまで最高位の勲章で、なおかつ唯一全ての構成部品が22Kの金製の勲章でもある[3]、副章(純銀製)と合わせると491.5グラムの重さがある。また22Kを素材とするため製造原価が非常に高い[4]。
日本の天皇は、勲章親授式や新年祝賀の儀などの際には、大勲位菊花章頸飾・菊花章と桐花大綬章・正副章、また時には瑞宝大綬章の副章も合わせた、計5点の勲章を佩用のため、衣装はかなり重くなる。近年では高齢もあり、今上天皇が正装で臨む際は、燕尾服に副章は大勲位菊花大綬章と桐花大綬章の2つのみを佩用し、瑞宝大綬章の副章を佩用していない[5]。
大勲位菊花章頸飾を佩用する際は、同時に大勲位菊花章も頸飾章の副章として左胸に佩用するが、これは大勲位菊花章頸飾の授与の際には含まれておらず、頸飾章はそれ単独で授与される。後述するが、基本的に大勲位菊花章頸飾受章者は大勲位菊花大綬章受章者の中から選ばれることと、外国元首などの場合は頸飾章と同時に大勲位菊花大綬章を授与されるため、佩用の際には大勲位菊花大綬章の副章を用いる。 テンプレート:-
意匠・佩用式
大勲位菊花章頸飾の意匠は、頸飾の中央を七宝製緑色の菊葉に抱かれた金色の菊花とし、古篆「明」の字、古篆「治」の字、七宝製緑色の菊葉に囲まれた金色の菊花の3種文様の金具を繋げて楕円形の連環とする(宝冠章及大勲位菊花章頸飾ニ関スル件2条2項)。連環を構成する楕円形部品の長径は27mm(各種勲章及び大勲位菊花章頸飾の制式及び形状を定める内閣府令6条)。古篆字で飾られた「明」「治」の字は、この勲章が制定されたときの元号「明治」を意味する。正章と紐の意匠は大勲位菊花大綬章の正章とほぼ同じで、四方に伸びた旭光を4つの菊葉と菊花で囲む物であるが、章の直径は40mmと大綬章の物より小さい(同条)。前述の通り、大綬章正章とほとんど変わらない意匠ではあるが、頸飾の正章は白色七宝の旭光の面積が若干多めで絞りが少なく、菊花菊葉の刻印はやや小さめになっており、雰囲気が少々異なる。紐にの裏には大勲位菊花大綬章と同じく「大勲旌章」の文字が刻まれている。2003年(平成15年)の栄典制度改正の際にも意匠は変更されておらず、制定以来の意匠を保持している[6]。
通常、大礼服や燕尾服など最高礼装の上着の上から佩用するが、略鎖を用いて佩用する場合は、モーニングコートなどの通常礼装でも佩用が許可され、その際には純金製の細かな鎖(略鎖)を用いて、一般的な中綬章のように正章のみを喉元に佩用する。
また、大勲位菊花章頸飾を佩用する時、多くの場合は慣例として大勲位菊花大綬章の正章(大綬章)を佩用しない。これは、同一勲章で上位にあるものを佩用する場合、その下位勲章を同時佩用することが認められないことによる。大勲位菊花大綬章は、同じ菊花章である大勲位菊花章頸飾の下位勲章にあたり、天皇が正装する際、大勲位菊花章頸飾を佩用し、勲一等旭日桐花大綬章(現在は「桐花大綬章」)の大綬を帯び、胸には、大勲位菊花章・勲一等旭日桐花大綬章・勲一等瑞宝章の各副章を着けるのが正式である。ただし、外国元首など、大勲位菊花章頸飾と大勲位菊花大綬章しか持たない場合、大勲位菊花章頸飾に大勲位菊花大綬章の正章(大綬章)を佩用しても差し支えないとされている。
- 勲章佩用式(明治21年11月17日勅令第76号)
- 第一条 大勲位菊花章ハ頸飾ヲ以テ喉下ニ佩ヒ其副章ヲ左肋ニ佩フ大綬ヲ以テ佩フル時ハ右肩ヨリ左脇ヘ垂レ其副章ハ左肋ニ佩フ
これは、同じ種類の勲章は、基本的に授与された中から最上位のものしか佩用できないためである。よって、他の種類の勲章(例えば、桐花大綬章など)を授与されている場合には、その中で最高位の大綬・正章・副章を併佩することとなっている[7]。
国賓として日本を訪れる外国元首の多くは、大勲位菊花章頸飾と大勲位菊花大綬章を併佩する。これは、国際儀礼上のプロトコルでは、相手国から贈られた勲章を基本的に第一序列に全て佩用することになっており、菊花章頸飾と菊花大綬章を同時に贈られることが多いからである。
運用
日本国の最高勲章として、大勲位菊花大綬章をすでに授与された者の中から、更に卓越した功績を成した者に特旨をもって授与される。外国元首への儀礼的叙勲を除くと、叙勲例は非常に少なく、生前授与の例はさらに少ない。
栄典制度改正後の勲章の授与基準(平成15年5月20日閣議決定)には大勲位菊花章頸飾についての記述なく、「旭日大綬章又は瑞宝大綬章を授与されるべき功労より優れた功労のある者に対しては、第1項の規定にかかわらず、桐花大綬章又は大勲位菊花大綬章を特に授与することができるものとする。」と記されるのみである。
しかし、それ以前の法令(宝冠章及大勲位菊花章頸飾ニ関スル件2条1項)に於いて、大勲位菊花章頸飾は、その授与対象者について「大勲位ニ叙セシ者ニ特別之ヲ賜フ」とのみ定められている。特に記述を改めていない物に関しては制定以来の法令に従うため、大勲位菊花章頸飾は前述の法令文の通り、「大勲位」菊花大綬章を授与された者に対して「特別ニ」授与される勲章とされ、大勲位菊花章頸飾の授与対象者は大勲位菊花大綬章をすでに授与されている者に限ると解される。
外国人に対する儀礼的叙勲での運用
外国人への儀礼叙勲等では、戦後は立憲君主制の皇帝、国王、大公、首長などの国家元首に対して贈られていた。またその際、大勲位菊花大綬章を同時に贈る例が多い。選挙など国民から選出される王族籍を持たない大統領に対しては、一階級下の大勲位菊花大綬章を送るのが慣例であるが、王族ではない大統領に贈られた例は過去一度あり、日米修好通商条約100周年にあたる1953年(昭和28年)に、アメリカ合衆国大統領のドワイト・D・アイゼンハワーに大勲位菊花章頸飾が贈られた。この際、大勲位菊花大綬章も同時に贈られている。
1976年(昭和51年)、ブラジル大統領のエルネスト・ゲイセルの訪日の際、同大統領は大勲位菊花大綬章ではなく、大勲位菊花章頸飾を強く希望したという経緯がある。
基本的にこれ以外のケースでは、天皇・皇族の外国公式訪問や、国賓として接待する大統領クラスの国家元首に対して贈る勲章は大勲位菊花大綬章であって、頸飾ではないことが内閣公文書により示されており、平成期に入ってからの大統領の国賓訪問などでも、大綬章を佩用した姿は数多く写真で残っているが、頸飾を着けた写真は全く存在せず、一般的には大統領への儀礼叙勲は大勲位菊花大綬章である。
皇族に対する叙勲
皇族に対する叙勲者は、日本国憲法下ではおらず、1989年(昭和64年)に今上天皇のみ、日本国憲法第七条七項が定める天皇の国事行為の一つ「栄典を授与すること」という規定、および、「君主は栄典の源泉である」という慣習に依り、皇位継承に伴い自ら佩用している。
受章者一覧
皇族および外国人受章者以外で、生前授与を受けた者は、6名である。日本国憲法施行後は、外国人受章者以外では、内閣総理大臣を長年務めた吉田茂及び佐藤栄作が没後受章している。
皇族・王族
氏名 | 地位 | 受章年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
明治天皇 | 天皇 | 1888年(明治21年)1月4日 | 勲章制定にあたり、自ら佩用。 |
有栖川宮熾仁親王 | 皇族、陸軍大将 | 1895年(明治28年)1月16日 | 没後受勲 |
小松宮彰仁親王 | 皇族、元帥陸軍大将 | 1895年(明治28年)8月5日 | |
北白川宮能久親王 | 皇族、贈陸軍大将 | 1895年(明治28年)11月1日 | 没後受勲。日清戦争中、台湾・台南において戦病死。 |
皇太子嘉仁親王(後の大正天皇) | 皇族 | 1900年(明治33年)5月10日 | 成婚に伴い受章 |
有栖川宮威仁親王 | 皇族、元帥海軍大将 | 1913年(大正2年)7月7日 | 没後受勲 |
伏見宮貞愛親王 | 皇族、元帥陸軍大将 | 1916年(大正5年)1月19日 | |
徳寿宮李太王熈 | 王族、大韓帝国皇帝 | 1919年(大正8年)1月21日 | 没後受勲。韓国併合により、日本の王公族として受章 |
皇太子裕仁親王(後の昭和天皇) | 皇族 | 1921年(大正10年)9月24日 | 同月に、ヨーロッパ諸国歴訪から帰朝し受章、11月25日に摂政宮に就任。 |
閑院宮載仁親王 | 皇族、元帥陸軍大将 | 1921年(大正10年)9月24日 | 皇太子に随行、同月共に帰朝し受章 |
東伏見宮依仁親王 | 皇族、元帥海軍大将 | 1922年(大正11年)6月27日 | 没後受勲 |
久邇宮邦彦王 | 皇族、元帥陸軍大将 | 1929年(昭和4年)1月27日 | 没後受勲、香淳皇后の実父 |
伏見宮博恭王 | 皇族、元帥海軍大将 | 1934年(昭和9年)4月29日 | |
梨本宮守正王 | 皇族、元帥陸軍大将 | 1940年(昭和15年)4月29日 | |
今上天皇 | 天皇 | 1989年(昭和64年)1月7日 | 皇位継承に伴い、自ら佩用[8]。 |
一般受章者
氏名 | 主な役職 | 受章年月日 | 階級位階勲等爵位功級等 | 備考 |
---|---|---|---|---|
伊藤博文 | 内閣総理大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | 従一位大勲位公爵 | |
大山巌 | 陸軍大臣、参謀総長、満州軍総司令官 | 1906年(明治39年)4月1日 | 元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵 | |
山縣有朋 | 内閣総理大臣 | 1906年(明治39年)4月1日 | 元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵 | |
桂太郎 | 内閣総理大臣 | 1913年(大正2年)10月10日 | 陸軍大将従一位大勲位功三級公爵 | 死没数時間前に受勲 |
井上馨 | 元老 | 1915年(大正4年)9月1日 | 従一位大勲位侯爵 | 没後受勲 |
松方正義 | 内閣総理大臣 | 1916年(大正5年)7月14日 | 従一位大勲位公爵 | |
徳大寺実則 | 宮内卿、内大臣兼侍従長 | 1919年(大正8年)6月4日 | 従一位大勲位公爵 | 没後受勲 |
大隈重信 | 内閣総理大臣 | 1922年(大正11年)1月10日 | 従一位大勲位侯爵 | 没後受勲 |
東郷平八郎 | 連合艦隊司令長官、海軍軍令部長 | 1924年(大正15年)11月11日 | 元帥海軍大将従一位大勲位功一級侯爵 | |
西園寺公望 | 内閣総理大臣 | 1928年(昭和3年)11月10日 | 贈従一位大勲位公爵 | |
山本権兵衛 | 内閣総理大臣 | 1933年(昭和8年)12月9日 | 海軍大将従一位大勲位功一級伯爵 | 没後受勲 |
吉田茂 | 内閣総理大臣 | 1967年(昭和42年)10月20日 | 従一位大勲位 | 没後受勲 |
佐藤栄作 | 内閣総理大臣 | 1975年(昭和50年)6月3日 | 従一位大勲位 | 没後受勲 |
外国元首等
外国元首等に対する授与の例は多い。以下は受章者の一部である。国名五十音順。
脚注
参考文献
- 総理府賞勲局監修 『勲章』、毎日新聞社、1976年(昭和51年)
- 佐藤正紀 『勲章と褒賞』、社団法人時事画報社、2007年(平成19年)
- 藤樫準二 『勲章』、保育社カラーブックス、1978年(昭和53年)
- 藤樫準二 『皇室辞典』毎日新聞社、1965年(昭和40年)
- 三省堂企画監修 『勲章・褒章辞典』日本叙勲者顕彰協会、2001年(平成13年)
- 三省堂企画監修 『勲章・褒章 新栄典制度辞典 受章者の心得』日本叙勲者顕彰協会、2004年(平成16年)
- 伊達宗克 『日本の勲章 逸話でつづる百年史』りくえつ、1979年(昭和54年)
- 『皇族・華族 古写真帖』新人物往来社、2003年(平成15年) ISBN 4404031505
- 『明治・大正・昭和天皇の生涯』新人物往来社、2003年(平成15年) ISBN 9784404032850
- 『宮家の時代 セピア色の皇族アルバム』、鹿島茂編、朝日新聞社、2006年(平成18年) ISBN 4022502266
- 『旧皇族・華族秘蔵アルバム 日本の肖像 第12巻』、大久保利謙監修、毎日新聞社、1991年(平成3年) ISBN 4-620-60322-8
- 『歴史読本 特集 天皇家と宮家』 新人物往来社、2006年(平成18年) ISBN 4910096171
- 三笠宮寬仁親王『皇族のひとりごと』二見書房、1977年
- 中堀加津雄監修『世界の勲章展』読売新聞社、1964年(昭和39年)
- 婦人画報増刊『皇族画報』東京社、1915年(大正4年)5月
- 婦人画報増刊『御大典記念 皇族画報』東京社、1928年(昭和3年)10月
- James W. Pererson『ORDERS AND MEDALS OF JAPAN AND ASSOCIATED STATES -Thied Edition-』An Order and Medals Society of America monograph、2000年
外部リンク
- 日本の勲章・褒章/勲章の種類及び授与対象/勲章の種類(大勲位菊花章) - 内閣府
- 勲章の授与基準(平成15年5月20日閣議決定) - 首相官邸
- 大勲位菊花章頸飾・大勲位菊花大綬章受章者一覧 - 中野文庫
- 国立公文書館デジタルアーカイブ
- 外国人叙勲受章者名簿 - 外務省
- ↑ 関係する条項は以下、第二条 大勲位菊花章頸飾ハ大勲位ニ叙セシ者ニ特別之ヲ賜フ、第二項 菊花菊葉ノ形ト明治二字古篆文ヲ以テ飾ル。
- ↑ 2003年(平成15年)の栄典制度改革までは、「大勲位」という勲等に叙した者に対して「菊花章頸飾」という勲章を授与するという形式で、「勲等」と「勲章」に分けられていた(他の勲等・勲章についても同じ)。しかし、栄典制度改革により、「勲等」に叙するという形式を省略し、「勲章」を授与する形式に改められた。なお、制度改正までの受章者は、引き続き勲等・勲章とを分けた状態で有しているものと扱われる(平成14年改正政令附則2項 この政令による改正前の規定により授与された勲章及び平成十五年十一月二日以前の日付をもって授与される勲章については、改正前の規定は、なおその効力を有する)。また、大勲位菊花章頸飾については「大勲位ニ叙セシ者ニ特別之ヲ賜フ」と定められている(宝冠章及大勲位菊花章頸飾ニ関スル件2条1項)ことから、引き続き「大勲位」という勲等は存続しているものとも解される。
- ↑ 制定から数年間は金位900の地金で製造されていた。また宝冠章も1940年代頃の物までは金製であった
- ↑ 宝冠大綬章(旧勲一等宝冠章)も、正章に108個、副章には209個もの天然真珠を使っているため、大勲位菊花章頸飾と並んで高価な勲章であり、ほぼ女性の皇族・外国王族用である。
- ↑ 賞勲局の職員から聞いた話では、昭和天皇があるとき「(親授式で)長く立っているのは苦にならないが、はやく(親授式を)終えてこの重い勲章を外したいよ」と漏らしたという(川村晧章『勲章みちしるべ』、135項、青雲書院、1985年)。また実際、2つ以上の勲章を佩用するための燕尾服はそれ専用に左右の型紙が違って出来ており、予算がかかるばかりか、決して着心地が良いものとは言えない(三笠宮寬仁著『皇族のひとりごと』二見書房、1977年)、副章が2つのみなのは、そういった点の配慮もあると思われる。
- ↑ 明治の制定初期のみ、箱の表記が「大勲位菊花頸飾章」となっていた。
- ↑ 皇太子時代の大正天皇や李王純宗などの写真には、菊花章頸飾に菊花大綬章の正章を佩用した例も見られる。
- ↑ 2010年現在、日本で佩用しているのは今上天皇のみである。
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 君塚直隆著『女王陛下のブルーリボン ガーター勲章とイギリス外交』、NTT出版、2004年(平成16年)
- ↑ 10.0 10.1 外交史料Q&A・大正期、外務省外交史料館。
- ↑ 外国人叙勲受章者名簿・平成22年、外務省。
- ↑ アブドッラー・ヨルダン国王訪日に際しての日本・ヨルダン共同プレス・ステイトメント、外務省。